9 / 211
第1章「共依存」
8話
しおりを挟む「…はぁ。」
流れゆく景色を見ながら大きく溜息をつく。
「姉上、大丈夫ですか?」
チラリと隣を見れば、私を心配そうに覗き込んでくる義弟がいる。私の溜息の原因はこの子も含まれているのだが…。
私とユリウスは学校に向かうため馬車に揺られている。…学校へ行く前にこんなに疲れていて大丈夫だろうか?
「…ねぇ。」
「はい。」
「昨日までの私って、そんなに酷かった?」
「…。」
何も言わずに、笑みを浮かべる義弟。
「ユーリ。」
「姉上は姉上ですよ。」
「またそうやって誤魔化す…もういいわ。」
煮え切らない返事に追求することを諦める。
なんとも騒がしかった朝食を思い出し、再び深い溜息をついた。
*****
「お嬢様が坊ちゃんを朝食に連れてきたわっ!」
「え!?逆じゃなくて!?」
「ア゛ア゛ア゛、燕尾服の坊ちゃんが麗しすぎるっ!眼福!!」
「明日は雪かも…。」
「いえっ、槍よ!」
「旦那様が息をしていないわっ!旦那様ーっ!」
ユリウスを食堂に連れてきた途端これだ。気が遠くなる。
「父上、お気を確かに。」
私の後ろにいたユリウスは食卓の上座に腰掛ける父に駆け寄る。
「おぉ、ユーリか…。エリィが…エリィが…。」
「えぇ、父上のお気持ちはわかります。僕も驚きを隠せません。」
「災いの前触れだ…。私に何かあったらお前達、エリィを頼むぞ…。」
「父上っ。」
「旦那様っ。」
―いつまで続くのかしら…。
目の前で繰り広げられている三文芝居に、とうとう我慢の限界を迎える。私は両手を頭の上にゆっくり上げ、パンッ!と思いっきり手を叩いた。食堂全体にその音が響き渡る。すると、あの騒がしかった食堂がピタリとまるで時間が止まったかのように静かになった。
「朝食が冷めるわよ。」
自分でも驚くほど低い声が出た。
*****
その後やっと食事が始まったのだが、その食事中でも私の体調を心配した父があの手この手と休ませようとし、それをひたすら断り続ける私と父の押し問答が始まってしまった。最終的には父の方が折れてくれたが、今度はあそこの家の子息には気を付けろ、だの、あそこの伯爵家は遊び癖があるから近付くな、だのと口うるさい。これだけで終わらず何故か義弟も参戦し、2人からのお節介な情報をひたすら流し込まれていたのだ。
…最後の方の私は辟易してしまい適当に聞き流していた…。
私は何も特別なことはやっていない。当たり前のように起きて、身支度を整えただけだ。その当たり前の事が出来ていなかったなんて…記憶が戻る前の自分が信じられない。
本日何回目かの溜息をついた。
「姉上、これでも食べて元気を出してください。」
そう言ってユリウスが差し出してきたのは紙に包まれたクッキーだ。見覚えある美味しそうなクッキーに料理長がユリウスにあげたのだろうと想像する。
「子供扱いしないで。」
記憶が戻る前の私だったら喜んで飛びついていただろう。だが、今の私はクッキーで元気になれる程簡単ではない。この義弟は私の事を小さな子供だと思っているのだろうか。…由々しき問題だ。訂正せねば、と口を開こうとすると外から「間もなく、学校に到着します。」と、従者の声が聞こえた。
私達が今日から通い始める学校は帝都の中心に存在する紳士淑女と、ユリウス達のような魔力保持者の学び舎だ。
300年前の学校は優秀な男子のみ受け入れ生徒は皆、併設されている寄宿舎に住まなければならなかった。だが今では男女共学となっており、邸からの通学も許されるようになった。私とユリウスは学校がシューンベルグ邸から近い事もあり邸から通学することを決めたのだ。
そして、この学校のもう1つの目的は未来のパートナー探しである。大規模な社交界の場といえるだろう。
ゆっくりと馬車が止まった。
「お嬢様、坊ちゃん。学校に到着しました。」
「行きましょう、姉上。」
「えぇ。」
従者が戸を開け、先にユリウスが軽やかに馬車から降りた。私も後に続こうと腰をあげる。
「姉上、僕の手に掴まって下さい。」
先に地面に足を着いたユリウスが私に手を差し伸べる。パーティードレスならまだしも、今の私は制服にヒールの無いブーツを履いているため手助けは不要だ。
「1人で降りられるわ。甘やかさないで頂戴。」
「いえ、これはエスコートです。」
周りに聞こえないよう少し声量を落とすユリウスにつられ、私も小さい声になる。
「エスコート?」
「えぇ。ここは紳士淑女の学び舎です。目の前に居るレディをエスコートしなかったら皆に笑われてしまいます。僕のためにも…ね?」
可愛らしくこてんと首を傾げるユリウスの言い分に「なるほど。」と、納得していると何やら周りが騒がしいことに気づいた。
「あの方は誰?」
「昨日の社交界には居なかったわ。」
「なんて麗しい方なのかしら…。」
「あの馬車から降りてきたってことはシューンベルグ公爵の…」
「じゃあ、あの女性は…」
生徒たちの、ヒソヒソと囁き交わす声が私の耳に入って来る。
シューンベルグ公爵の紋章が描かれた馬車と、整った容姿を持つユリウスはこの上なく目立つ。私にも視線が集まってきた状況に、咄嗟に笑顔を貼り付けた。姉として、ここでユリウスに迷惑は掛けられない。
「ありがとう、ユリウス。」
私の顔を見たユリウスが何か言いたげに少し顔を歪める。それに気づかないフリをして私はユリウスの手を取り馬車から降りた。ワインレッド色のワンピースの裾がふんわりと広がる。
「…行きましょう、姉上。」
周りの好奇な視線に曝されながら歩き始める。この感じは久々だ。まるで300年前の前世に戻ったよう。
無意識に背筋が伸び、指の先まで神経が行き渡る。
…私は、常に完璧でいなければならない。誰から見ても完璧な淑女でいないと。でないと私は…
アノヒトノソバニ、タテナイノ…。
「姉上。」
はっと我に返り、立ち止まる。
「あ…。」
私は今何を考えていた?
前を見ればそこには私を心配そうに見つめるユリウスが…。
まただ。また、そんな顔をして…。いや、こんな顔にさせてしまっているのは私だ。迷惑をかけないよう、理想の姉として行動したつもりが裏目に出た。謝ろうとする私にユリウスはそっと耳元にその形の良い唇を寄せてきた。
「言ったでしょう?姉上は姉上だ、無理に頑張らなくても良いと。」
その言葉にまるで魔法がかけられたかのように肩の力が抜ける。その事にこんなにも肩を張っていたのかと驚く。
私は私。もうエリザベータ=コーエンではないのだ。誰かの為にもう頑張る必要は無い。
「…そうね。ごめんね、ユーリ。」
スっと心が軽くなり自然と笑みがこぼれる。そんな私を見たユリウスも表情を和らげた。
「謝らなくて良いんですよ。…残念ながら僕はこっちみたいですね。姉上とはここで一旦お別れです。」
一般生徒と魔力保持者の生徒は校舎が別れており、それぞれの校舎で学んでいく。私は一般生徒の校舎に、ユリウスは魔力保持者の校舎へと向かう事となる。
「分かっているとは思いますが、くれぐれもこちらの校舎には近付かないで下さいね。」
「その話は馬車の中で散々…耳にタコができるぐらい聞いたわよ。…頼まれたって行かないから安心して。」
何故、ユリウスが念を押して私を魔力保持者の校舎に近付かせまいとしているかというと、姉が来るのが恥ずかしいから…、という可愛らしい理由ではなく魔力保持者の校舎にはあのテオドール殿下も居るからだ。
深い海のような美しいサファイアの瞳を持つ皇族達は、遥か昔から『青の魔力』といわれている強力な魔力をその身に宿して産まれてくる。その魔力は神からの加護だといわれ、数々の奇跡を起こしてきた。
同じくサファイアの瞳を持つテオドール殿下もその『青の魔力』をその身に宿しており、弱冠18歳で上位の魔力保持者だ。
「分かっているのなら良いのですが…。」
「私より貴方の方が心配だわ。貴方、病み上がりじゃない。少しでも具合が悪くなったら誰かに言うのよ?」
「分かりました。」
「あと、もし何かあったらすぐにお姉様に相談すること、いいわね?」
…頼りないかもしれないけど、とは言わない。だって悔しいもの。
「…何だかお姉様みたいですね。」
「みたい、じゃなくてお姉様なのよ。」
なんて失礼な事を言うんだと、非難を込めた目で睨む。私の視線を受け取ったユリウスはそれはそれは咲き誇っていた花々が恥じらってしまうほど魅惑的に微笑んでみせた。
あちらこちらから黄色い悲鳴や、うっとりとした溜息が聞こえてくる中、私は思った。『ユーリ、貴方は無理して頑張らなくていいと言うけれど…貴方の姉として、ある程度の努力は必要とされるわよね…?』と…。
姉上は姉上のままでいいんですよ、じゃ許されないのよ、ユリウス。
私は改めて、名誉回復!姉としての尊厳を取り戻せ!のスローガンを頭に掲げていた。
43
お気に入りに追加
1,898
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
ヤンデレ幼馴染が帰ってきたので大人しく溺愛されます
下菊みこと
恋愛
私はブーゼ・ターフェルルンデ。侯爵令嬢。公爵令息で幼馴染、婚約者のベゼッセンハイト・ザンクトゥアーリウムにうっとおしいほど溺愛されています。ここ数年はハイトが留学に行ってくれていたのでやっと離れられて落ち着いていたのですが、とうとうハイトが帰ってきてしまいました。まあ、仕方がないので大人しく溺愛されておきます。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?
秋月一花
恋愛
本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。
……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。
彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?
もう我慢の限界というものです。
「離婚してください」
「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」
白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?
あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。
※カクヨム様にも投稿しています。
ヤンデレ悪役令嬢の前世は喪女でした。反省して婚約者へのストーキングを止めたら何故か向こうから近寄ってきます。
砂礫レキ
恋愛
伯爵令嬢リコリスは嫌われていると知りながら婚約者であるルシウスに常日頃からしつこく付き纏っていた。
ある日我慢の限界が来たルシウスに突き飛ばされリコリスは後頭部を強打する。
その結果自分の前世が20代後半喪女の乙女ゲーマーだったことと、
この世界が女性向け恋愛ゲーム『花ざかりスクールライフ』に酷似していることに気づく。
顔がほぼ見えない長い髪、血走った赤い目と青紫の唇で婚約者に執着する黒衣の悪役令嬢。
前世の記憶が戻ったことで自らのストーカー行為を反省した彼女は婚約解消と不気味過ぎる外見のイメージチェンジを決心するが……?
婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。
アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。
いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。
だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・
「いつわたしが婚約破棄すると言った?」
私に飽きたんじゃなかったんですか!?
……………………………
6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる