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青く、初々しく
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スミレから姉川レイ(俺)にメールがくる事はないと思っていたが、俺は喫茶店のあの日から数日、毎日こまめに新着メールの問い合わせをしていた。
スミレとは毎日顔を合わせ、離れている時もしょっちゅう電話やメールをしているのに、ここ最近の俺は、メールを心待ちにする初めて彼氏が出来た乙女の気分だった。
風呂やトイレにまでスマホを持ち込んでは画面とにらめっこ。そんな毎日を過ごしていた。
なんでなんだろう?
よく解らないが、スミレから友人として送られてくるメールよりも、異性として送られてくるメールにとても心惹かれていた。
俺の部屋の窓から隣接するスミレの窓を覗いてみたり、電話をして何をしているのか探ってみたり、ちょっとストーカーぽい事までしてしまっている。
俺らしくない。
やっぱスミレはお堅いからメールなんてくれないよな。
「弥生、最近やたらとスマホを気にしてるけど?」
学校の昼休み、そう言ってスミレが隣の席から俺のスマホを覗き込む。
「こっち見んな」
俺はグイとスミレの顔面を押し退け、スマホを隠した。
「え、なになに?弥生、彼女でも出来たの?それかマダムのパトロン?」
斜め前の関谷が前のめりに尋ねてくる。
「どーゆー事だよ」
何故そうなる?
「あー、弥生はどっかのマダムに飼われてそうだもんな。わかるわぁ」
前の席の砂山が俺の机に頬杖を着いてしみじみ納得していた。
「弥生にそんなものが出来るはずない」
スミレはそうたかを括り、今朝コンビニで買ったフランクフルトに齧りつく。
まったく、失礼な連中だ。
「まぁな、弥生は年上からウケるのに、お前が全力で弥生の恋路を邪魔してるからな。なんなら弥生を飼ってるのはスミレだろ。少しは弥生の人権も尊重してやれよ」
いい事言った砂山。
「そうそう、飼うのはいいが、俺の恋路の邪魔だけはすんな」
スミレは俺に一生童貞でいろって言うのか?
そんなのはゴメンだ。
「飼うのはいいんだ?」
スミレが開き直り、俺は彼を戒めるつもりでちょっとウンザリ気味に声を発した。
「いいけど彼女くらい作らせろ。俺には俺の人生があるんだから。スミレだってそうだろ?お互いにいい人を見つけなきゃ」
果たしてこの言葉がスミレに届くものかと心配していたが、逆に心配になる程彼はショックを受けたようで、間違って机の上にあった関谷のいちごミルクを飲んでいた。
「おい、俺のいちごミルク」
と関谷。
「弥生、彼女ほしいの?」
「そりゃ……」
スミレから、傷付いて弱りきった獣みたいな目でこちらを見つめられ、俺は良心が痛んだ。
「いや、だって、俺も健全な男だし、彼女くらい……」
スミレが可哀想になり、俺はさっきまでの勢いが削がれる。
「逆に弥生は俺に彼女が出来ても寂しくないの?」
「わかんないよ。でもお互いに彼女が出来たからって今生の別れって訳でもないんだし」
「そうだけど、そうじゃないんだよ」
どっちだよ。
「俺が女だったら、万事うまくいってたんかなぁ」
俺が姉川レイなら、スミレとずっと一緒にいられるのかな?
「弥生、それどういう……」
「なんでもない」
スミレは俺の独り言を聞き逃さず、真剣にこちらに向き直った。
「なんでもないって」
「……」
俺が犬でも追い払うようにシッシッと手を振ると、スミレは黙って俺の口にフランクフルトを突っ込む。
「?」
俺は与えられるがままにフランクフルトを咥えて串から引っこ抜き、上手いこと唇を使って食べ進めていった。
よく解らないが、黒胡椒が効いていてうまい。
「うまい?」
「ん?うん」
「少し満たされた」
俺は頬袋を膨らませ、フランクフルトを咀嚼して飲み込んだ。
「なんで?」
なんでお前が満たされるんだよ。
「さぁ」
スミレは時々こうしておかしな行動をとる。
「弁当のエビフライもあげよっか?」
スミレが箸で摘んだエビフライを俺の口元に運び、それを見た俺はギョッとして椅子から転げ落ちそうになった。
「だっ、ダメダメダメッ!今はダメ!」
「どした、弥生」
堂々とエロ本を呼んでいた砂山がこちらを振り返り、それ(エロ本)を盗み見ていた関谷も俺の慌てっぷりに驚く。
「スミレにセクハラでもされたか?」
「弥生、どうしたの?エビフライ好きじゃん」
スミレに心配そうに覗き込まれ、俺は笑顔を取り繕った。
「ちょっと胸焼けしてて」
あっぶね、あっぶねっ!
今、エビフライを食べたら大変な事になる。スミレを騙していた手前、正体がバレるのは絶対に避けたい。
スミレに嫌われたくないし。
俺はもう二度とエビフライは食べられないかも。
──そう思っていたのに、その日の晩、俺が部屋で机に向かっていると、俺のスマホにフリーメールが届いた。
見出しを見ると、差出人がスミレのEメールアドレスになっていて、俺は思わず目を疑う。
「嘘、まじできた……何の心境の変化だよ」
ドキドキしながらメールを開くと──
『スミレです。この間はご馳走さまでした』
──と少々味気無い文面が。
スミレらしいと言えばスミレらしいか。
でもなにより、連絡をくれた事がとても嬉しい。
「ええと、何て返そう。隙がなさすぎてラリーが途切れそう」
スミレの事だから、下手な挨拶メールを送ったら返事をくれないかもしれない。俺相手なら短文でもガツガツ連絡をよこすけど。
俺はスマホを握ったまま机に突っ伏し、熟考した。
『こちらこそ、助けてもらったし、付き合ってくれてありがとう。メールくれるなんて思わなかった』
暫く考えて捻り出した文面がこのテンプレートだ。
……所詮俺も童貞か。
この拙い文面を何度も読み返し、このごに及んで送信を躊躇った後、俺はようやく送信ボタンを押すことが出来た。
絵文字とか入れなくて良かったかな?
「たかだかお礼のメールに返事よこしたよ、とか思われてたらどうしよう」
俺はチラッと窓の外に視線を移し、カーテンが張られたスミレの部屋を観察する。
「メール、届いたよな?見たかな?」
スミレ側のカーテンにスミレとおぼしき影が映し出され、彼もまた、窓際の机に向かっているようだった。
「ヤベ、勉強の邪魔したかな?」
スミレの影は熱心に勉強する彼の姿を映しているように見え、俺はやっちまったなぁと前髪を掻きむしる。
「勉強中じゃあ、返事もこないだろうな」
諦めて布団に入ろうとすると、スミレから返信がきた。
「なんだよ、勉強してるのかと思ったら、あいつもスマホ眺めてたのかよ」
姉川(俺)からのメールを待ってたりして。もしそうなら、可愛すぎるだろ。
俺は胸の高鳴りと高揚感を抑え、ワクワクしながらメールを開く。
しかしそこに書かれていたのは、ただ一言──
『いえ』
「……」
家?
会話終了。
「ええと……」
これになんて返事をしろと言うのか。寧ろあいつは会話を終了させるためにこのメールを送ったのか?
期待していただけに、落胆は大きい。
所詮そんなもんか。いくら憧れの姉川レイと言っても、スミレにしてみたら一度会っただけの他人だし。
砂山や関谷あたりなら簡単に釣れるんだろうけどな。
「寝るか」
期待して損した、そう思ってベッドに寝転ぶと、スミレから再度メールが届く。
「うわっ、連投かよ」
俺以外の他人に連投とか、意外だな。
「なになに?」
やっぱり、否が応でも期待してしまう。
『名前聞くの忘れてました』
「あ、そういえば名乗ってなかったっけ」
困ったな、最初から姉川レイのつもりでいたから、考えてなかった。
でもここで姉川レイから離れた名前を提示するのはイメージ的にも変わってきてしまうから良くない。
それならと俺が送ったのは──
『スミレが姉川レイファンなら、レイって呼んでほしいな』
これなら距離感もバッチリだろう。俺は一生姉川レイとして生きる訳じゃないんだ、あだ名呼びくらいが丁度いいかも。
そこからメールのやりとりはスムーズに進んでいった。
『レイさん。ファンて言うか、顔が好みで』
『レイでいいよ。私、姉川レイによく間違えられるから嬉しい』
遠回しにこっちの顔が好みだと言われているようでなんだかくすぐったい。
俺はモジモジと両足を擦り合わせた。
『すいません、レイさん。よく考えたら凄く失礼で、気持ち悪いですよね』
誠実だな、おい。
いや、でも、なんか、今の俺は『レイ』なんだけど、スミレから異性として見られるのは悪くない。
寧ろ嬉しくもあった。
『レイでいいのに。気持ち悪くなんかないよ。光栄だと思ってる』
『良かった。メールするのも迷ってたんだけど、幼馴染みに背中を押されたっていうか……』
幼馴染みに背中を押された?
幼馴染みって俺しかいないよな?
これはあれか、今日の昼休みに俺がスミレにお互いにいい人を見つけなきゃって言ったあれか?
そうか、あれがきっかけだったのか。スミレなりに思うところがあったのかも。
『幼馴染みとは仲いいの?』
ちょっとだけ、俺に対するスミレの評価が気になった。
『凄くいいです。生まれた時からずっと一緒で、大事な人です。因みに男です』
『大事な人です』なんて、他人によく言えるな、恥ずかしい。でも凄く嬉しい。スミレがそんな風に思っててくれたなんて。これからはもっとスミレに優しくしてやろう。しかしながら『因みに男です』ってところがレイに対する言い訳みたいでかわいい。
『私にも幼馴染みがいて、凄く大切な存在かな』
ここでスムーズに進んでいたメールのラリーが途切れ、俺は起き上がって何度も新着メールの問い合わせをした。
なんだ?
俺、変な事送ったか?
それとも寝落ちしたのか?
不安になってスミレ側の窓に目をやると、彼は先刻と同じ姿勢のままスマホに向かっているようだった。
返信に悩んでるのか?
「………………」
俺は痺れをきらし、スミレに電話をかけてみた。
プルッ
『はい』
スミレは呼び出し音が鳴りきる前に電話に出た。
はえーよ。
「何してた?」
『メールしてた』
素直だな。
スミレは自分から自分の事は話さないたちだが、聞いたらなんでも話してくれる奴なのだ。
「珍しいな」
『うん。それで?』
「いや、声が聞きたくなって」
って、彼女か!
『うん。俺も』
って彼氏か!
『弥生は何してたの?』
「あ、俺?俺はゴロゴロしてた」
メールしてたなんて話したら『なんで?』『誰と?』『なにを?』なんて尋問が始まりそうで言えなかった。
『そう』
「……」
「……」
後先考えずに特に用もなく電話したものだから、当然、沈黙になる。こんな時、いつもは俺が適当言って電話を切るのだが、今日のスミレは違っていた。
『弥生、ちょっと聞いていい?』
珍しいな。
「うん?」
『女の人に彼氏いるか聞いたら変に捉えられるかな?』
「え、あー、別にいんじゃない?」
なる程、スミレはそんな事を悩んでいたのか。
童貞の俺が言うのもなんだけど、初々しいな。
「気になる人でもいるの?」
レイの事だろうな。
事情を知るだけに、ちょっと白々しかったか?
『気になるの?』
「え、別に」
なんでそんな事聞くんだよ。
『……気になるって言うか、好きな奴に似てる人がいて、それで』
姉川レイに似たレイって事で間違いなさそうだな。
「スミレ、好きな人がいるのか?」
十中八九、どうせ姉川レイの事だろうが、一応聞いてやらないと怪しまれるか。
『まあ……』
「なんで本人じゃなくてそっくりさんが気になってるんだよ?」
『手が届かない人だから』
「いや、それって……」
身代わりって事か?
仕方のない事だけど『レイ』としては傷付くぞ。
でも、俺も騙してる側だから何も言えないか。
『やっぱり失礼だよな』
「でも向こうも気になってるなら……」
俺は罪悪感から語尾を濁した。
なに、引き止めようとしてるんだ、俺。
『とりあえず彼氏の有無だけは確認してみない事には──』
「あ、まあ、そうだな」
俺が曖昧な返事をすると、スミレにそれを気の無い返事ととられてしまう。
『なぁ、弥生は俺に好きな人がいても気にならない?』
「は?なんで?」
だからなんでそんな事を聞いてくるんだよ。
『相手が誰なのか聞いてこないし』
ま、知ってるからな、とは言えないだろう。
俺はハーッとため息混じりに尋ねた。
「俺の知ってる奴なのか?」
とんだ茶番だな。自分でも可笑しくなる
『知らない』
「だろ?」
『でも逆の立場ならスゲー気になるんだけど』
俺はそんな言葉を聞きながら、ふと窓の外を見ると、カーテンレールに片手を着いたスミレがこちらの様子を窺っていて、ゾッとする程驚く。
「おっ、お前はな!てかこっち見んな!覗き魔!変態!ほら、メールしてたんだろ?俺は寝るからな!」
コワッ!
てか、コワッ!
いつから見てたんだよ、ストーカーめ。
俺はブツリと一方的に電話を切ると、勢いよくカーテンを閉める。そして室内の電気を消し、布団に潜り込んだタイミングで早速スミレからメールが届き、俺はそれを仰向けで開く。
『レイさんて、彼氏とかいますか?』
「おお、早速学習してる」
感心感心と、俺はメールを打ち込み、スミレに返信してやる。
『いないよ。スミレは?』
知ってるけどな!
『いません。急に変な事聞いてすいません』
「あれ、もう寝る時間が過ぎてる」
メールに夢中でスミレに夜ふかしをさせてしまった。まだちょっと興奮冷めやらぬうちにお開きにするのは忍びないけど、今日のところはこの辺で終わらすか。
『いいよ。今日はもう寝るけど、また気軽にメールしてね。おやすみ』
『はい』
とりあえず終わったが、スミレとの何気ないやりとりを見返してみると、彼が本当に初々しくて愛おしい。なんならドキドキして眠れそうにない。
『弥生、ごめんて』
あとから俺宛に送られてきたスミレの謝罪メールにすら萌えた。
スミレとは毎日顔を合わせ、離れている時もしょっちゅう電話やメールをしているのに、ここ最近の俺は、メールを心待ちにする初めて彼氏が出来た乙女の気分だった。
風呂やトイレにまでスマホを持ち込んでは画面とにらめっこ。そんな毎日を過ごしていた。
なんでなんだろう?
よく解らないが、スミレから友人として送られてくるメールよりも、異性として送られてくるメールにとても心惹かれていた。
俺の部屋の窓から隣接するスミレの窓を覗いてみたり、電話をして何をしているのか探ってみたり、ちょっとストーカーぽい事までしてしまっている。
俺らしくない。
やっぱスミレはお堅いからメールなんてくれないよな。
「弥生、最近やたらとスマホを気にしてるけど?」
学校の昼休み、そう言ってスミレが隣の席から俺のスマホを覗き込む。
「こっち見んな」
俺はグイとスミレの顔面を押し退け、スマホを隠した。
「え、なになに?弥生、彼女でも出来たの?それかマダムのパトロン?」
斜め前の関谷が前のめりに尋ねてくる。
「どーゆー事だよ」
何故そうなる?
「あー、弥生はどっかのマダムに飼われてそうだもんな。わかるわぁ」
前の席の砂山が俺の机に頬杖を着いてしみじみ納得していた。
「弥生にそんなものが出来るはずない」
スミレはそうたかを括り、今朝コンビニで買ったフランクフルトに齧りつく。
まったく、失礼な連中だ。
「まぁな、弥生は年上からウケるのに、お前が全力で弥生の恋路を邪魔してるからな。なんなら弥生を飼ってるのはスミレだろ。少しは弥生の人権も尊重してやれよ」
いい事言った砂山。
「そうそう、飼うのはいいが、俺の恋路の邪魔だけはすんな」
スミレは俺に一生童貞でいろって言うのか?
そんなのはゴメンだ。
「飼うのはいいんだ?」
スミレが開き直り、俺は彼を戒めるつもりでちょっとウンザリ気味に声を発した。
「いいけど彼女くらい作らせろ。俺には俺の人生があるんだから。スミレだってそうだろ?お互いにいい人を見つけなきゃ」
果たしてこの言葉がスミレに届くものかと心配していたが、逆に心配になる程彼はショックを受けたようで、間違って机の上にあった関谷のいちごミルクを飲んでいた。
「おい、俺のいちごミルク」
と関谷。
「弥生、彼女ほしいの?」
「そりゃ……」
スミレから、傷付いて弱りきった獣みたいな目でこちらを見つめられ、俺は良心が痛んだ。
「いや、だって、俺も健全な男だし、彼女くらい……」
スミレが可哀想になり、俺はさっきまでの勢いが削がれる。
「逆に弥生は俺に彼女が出来ても寂しくないの?」
「わかんないよ。でもお互いに彼女が出来たからって今生の別れって訳でもないんだし」
「そうだけど、そうじゃないんだよ」
どっちだよ。
「俺が女だったら、万事うまくいってたんかなぁ」
俺が姉川レイなら、スミレとずっと一緒にいられるのかな?
「弥生、それどういう……」
「なんでもない」
スミレは俺の独り言を聞き逃さず、真剣にこちらに向き直った。
「なんでもないって」
「……」
俺が犬でも追い払うようにシッシッと手を振ると、スミレは黙って俺の口にフランクフルトを突っ込む。
「?」
俺は与えられるがままにフランクフルトを咥えて串から引っこ抜き、上手いこと唇を使って食べ進めていった。
よく解らないが、黒胡椒が効いていてうまい。
「うまい?」
「ん?うん」
「少し満たされた」
俺は頬袋を膨らませ、フランクフルトを咀嚼して飲み込んだ。
「なんで?」
なんでお前が満たされるんだよ。
「さぁ」
スミレは時々こうしておかしな行動をとる。
「弁当のエビフライもあげよっか?」
スミレが箸で摘んだエビフライを俺の口元に運び、それを見た俺はギョッとして椅子から転げ落ちそうになった。
「だっ、ダメダメダメッ!今はダメ!」
「どした、弥生」
堂々とエロ本を呼んでいた砂山がこちらを振り返り、それ(エロ本)を盗み見ていた関谷も俺の慌てっぷりに驚く。
「スミレにセクハラでもされたか?」
「弥生、どうしたの?エビフライ好きじゃん」
スミレに心配そうに覗き込まれ、俺は笑顔を取り繕った。
「ちょっと胸焼けしてて」
あっぶね、あっぶねっ!
今、エビフライを食べたら大変な事になる。スミレを騙していた手前、正体がバレるのは絶対に避けたい。
スミレに嫌われたくないし。
俺はもう二度とエビフライは食べられないかも。
──そう思っていたのに、その日の晩、俺が部屋で机に向かっていると、俺のスマホにフリーメールが届いた。
見出しを見ると、差出人がスミレのEメールアドレスになっていて、俺は思わず目を疑う。
「嘘、まじできた……何の心境の変化だよ」
ドキドキしながらメールを開くと──
『スミレです。この間はご馳走さまでした』
──と少々味気無い文面が。
スミレらしいと言えばスミレらしいか。
でもなにより、連絡をくれた事がとても嬉しい。
「ええと、何て返そう。隙がなさすぎてラリーが途切れそう」
スミレの事だから、下手な挨拶メールを送ったら返事をくれないかもしれない。俺相手なら短文でもガツガツ連絡をよこすけど。
俺はスマホを握ったまま机に突っ伏し、熟考した。
『こちらこそ、助けてもらったし、付き合ってくれてありがとう。メールくれるなんて思わなかった』
暫く考えて捻り出した文面がこのテンプレートだ。
……所詮俺も童貞か。
この拙い文面を何度も読み返し、このごに及んで送信を躊躇った後、俺はようやく送信ボタンを押すことが出来た。
絵文字とか入れなくて良かったかな?
「たかだかお礼のメールに返事よこしたよ、とか思われてたらどうしよう」
俺はチラッと窓の外に視線を移し、カーテンが張られたスミレの部屋を観察する。
「メール、届いたよな?見たかな?」
スミレ側のカーテンにスミレとおぼしき影が映し出され、彼もまた、窓際の机に向かっているようだった。
「ヤベ、勉強の邪魔したかな?」
スミレの影は熱心に勉強する彼の姿を映しているように見え、俺はやっちまったなぁと前髪を掻きむしる。
「勉強中じゃあ、返事もこないだろうな」
諦めて布団に入ろうとすると、スミレから返信がきた。
「なんだよ、勉強してるのかと思ったら、あいつもスマホ眺めてたのかよ」
姉川(俺)からのメールを待ってたりして。もしそうなら、可愛すぎるだろ。
俺は胸の高鳴りと高揚感を抑え、ワクワクしながらメールを開く。
しかしそこに書かれていたのは、ただ一言──
『いえ』
「……」
家?
会話終了。
「ええと……」
これになんて返事をしろと言うのか。寧ろあいつは会話を終了させるためにこのメールを送ったのか?
期待していただけに、落胆は大きい。
所詮そんなもんか。いくら憧れの姉川レイと言っても、スミレにしてみたら一度会っただけの他人だし。
砂山や関谷あたりなら簡単に釣れるんだろうけどな。
「寝るか」
期待して損した、そう思ってベッドに寝転ぶと、スミレから再度メールが届く。
「うわっ、連投かよ」
俺以外の他人に連投とか、意外だな。
「なになに?」
やっぱり、否が応でも期待してしまう。
『名前聞くの忘れてました』
「あ、そういえば名乗ってなかったっけ」
困ったな、最初から姉川レイのつもりでいたから、考えてなかった。
でもここで姉川レイから離れた名前を提示するのはイメージ的にも変わってきてしまうから良くない。
それならと俺が送ったのは──
『スミレが姉川レイファンなら、レイって呼んでほしいな』
これなら距離感もバッチリだろう。俺は一生姉川レイとして生きる訳じゃないんだ、あだ名呼びくらいが丁度いいかも。
そこからメールのやりとりはスムーズに進んでいった。
『レイさん。ファンて言うか、顔が好みで』
『レイでいいよ。私、姉川レイによく間違えられるから嬉しい』
遠回しにこっちの顔が好みだと言われているようでなんだかくすぐったい。
俺はモジモジと両足を擦り合わせた。
『すいません、レイさん。よく考えたら凄く失礼で、気持ち悪いですよね』
誠実だな、おい。
いや、でも、なんか、今の俺は『レイ』なんだけど、スミレから異性として見られるのは悪くない。
寧ろ嬉しくもあった。
『レイでいいのに。気持ち悪くなんかないよ。光栄だと思ってる』
『良かった。メールするのも迷ってたんだけど、幼馴染みに背中を押されたっていうか……』
幼馴染みに背中を押された?
幼馴染みって俺しかいないよな?
これはあれか、今日の昼休みに俺がスミレにお互いにいい人を見つけなきゃって言ったあれか?
そうか、あれがきっかけだったのか。スミレなりに思うところがあったのかも。
『幼馴染みとは仲いいの?』
ちょっとだけ、俺に対するスミレの評価が気になった。
『凄くいいです。生まれた時からずっと一緒で、大事な人です。因みに男です』
『大事な人です』なんて、他人によく言えるな、恥ずかしい。でも凄く嬉しい。スミレがそんな風に思っててくれたなんて。これからはもっとスミレに優しくしてやろう。しかしながら『因みに男です』ってところがレイに対する言い訳みたいでかわいい。
『私にも幼馴染みがいて、凄く大切な存在かな』
ここでスムーズに進んでいたメールのラリーが途切れ、俺は起き上がって何度も新着メールの問い合わせをした。
なんだ?
俺、変な事送ったか?
それとも寝落ちしたのか?
不安になってスミレ側の窓に目をやると、彼は先刻と同じ姿勢のままスマホに向かっているようだった。
返信に悩んでるのか?
「………………」
俺は痺れをきらし、スミレに電話をかけてみた。
プルッ
『はい』
スミレは呼び出し音が鳴りきる前に電話に出た。
はえーよ。
「何してた?」
『メールしてた』
素直だな。
スミレは自分から自分の事は話さないたちだが、聞いたらなんでも話してくれる奴なのだ。
「珍しいな」
『うん。それで?』
「いや、声が聞きたくなって」
って、彼女か!
『うん。俺も』
って彼氏か!
『弥生は何してたの?』
「あ、俺?俺はゴロゴロしてた」
メールしてたなんて話したら『なんで?』『誰と?』『なにを?』なんて尋問が始まりそうで言えなかった。
『そう』
「……」
「……」
後先考えずに特に用もなく電話したものだから、当然、沈黙になる。こんな時、いつもは俺が適当言って電話を切るのだが、今日のスミレは違っていた。
『弥生、ちょっと聞いていい?』
珍しいな。
「うん?」
『女の人に彼氏いるか聞いたら変に捉えられるかな?』
「え、あー、別にいんじゃない?」
なる程、スミレはそんな事を悩んでいたのか。
童貞の俺が言うのもなんだけど、初々しいな。
「気になる人でもいるの?」
レイの事だろうな。
事情を知るだけに、ちょっと白々しかったか?
『気になるの?』
「え、別に」
なんでそんな事聞くんだよ。
『……気になるって言うか、好きな奴に似てる人がいて、それで』
姉川レイに似たレイって事で間違いなさそうだな。
「スミレ、好きな人がいるのか?」
十中八九、どうせ姉川レイの事だろうが、一応聞いてやらないと怪しまれるか。
『まあ……』
「なんで本人じゃなくてそっくりさんが気になってるんだよ?」
『手が届かない人だから』
「いや、それって……」
身代わりって事か?
仕方のない事だけど『レイ』としては傷付くぞ。
でも、俺も騙してる側だから何も言えないか。
『やっぱり失礼だよな』
「でも向こうも気になってるなら……」
俺は罪悪感から語尾を濁した。
なに、引き止めようとしてるんだ、俺。
『とりあえず彼氏の有無だけは確認してみない事には──』
「あ、まあ、そうだな」
俺が曖昧な返事をすると、スミレにそれを気の無い返事ととられてしまう。
『なぁ、弥生は俺に好きな人がいても気にならない?』
「は?なんで?」
だからなんでそんな事を聞いてくるんだよ。
『相手が誰なのか聞いてこないし』
ま、知ってるからな、とは言えないだろう。
俺はハーッとため息混じりに尋ねた。
「俺の知ってる奴なのか?」
とんだ茶番だな。自分でも可笑しくなる
『知らない』
「だろ?」
『でも逆の立場ならスゲー気になるんだけど』
俺はそんな言葉を聞きながら、ふと窓の外を見ると、カーテンレールに片手を着いたスミレがこちらの様子を窺っていて、ゾッとする程驚く。
「おっ、お前はな!てかこっち見んな!覗き魔!変態!ほら、メールしてたんだろ?俺は寝るからな!」
コワッ!
てか、コワッ!
いつから見てたんだよ、ストーカーめ。
俺はブツリと一方的に電話を切ると、勢いよくカーテンを閉める。そして室内の電気を消し、布団に潜り込んだタイミングで早速スミレからメールが届き、俺はそれを仰向けで開く。
『レイさんて、彼氏とかいますか?』
「おお、早速学習してる」
感心感心と、俺はメールを打ち込み、スミレに返信してやる。
『いないよ。スミレは?』
知ってるけどな!
『いません。急に変な事聞いてすいません』
「あれ、もう寝る時間が過ぎてる」
メールに夢中でスミレに夜ふかしをさせてしまった。まだちょっと興奮冷めやらぬうちにお開きにするのは忍びないけど、今日のところはこの辺で終わらすか。
『いいよ。今日はもう寝るけど、また気軽にメールしてね。おやすみ』
『はい』
とりあえず終わったが、スミレとの何気ないやりとりを見返してみると、彼が本当に初々しくて愛おしい。なんならドキドキして眠れそうにない。
『弥生、ごめんて』
あとから俺宛に送られてきたスミレの謝罪メールにすら萌えた。
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