蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

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「…そうですが」
「そうか…」
 
 冷静さを醸し出す冷たい印象を醸し出す見た目なのに比例して、その視線は身を焦がす程熱い。その熱が籠った視線には身に覚えはあった。
 音楽院での先生や生徒の一部、それ以外でも僕に取材を熱心に母が断っても断っても、しつこく取材を打診する記者や父が家に帰ってた時に行ったレストランで、ステーキを食している時にいきなり現れたシェフ、そしてそれ以上にその視線を僕に送っていたのはウィーンを本拠地にしている歴史と格式高いグレンツェン・ティストン管弦楽団の指揮者であるコンサートマスターである巨匠サディ・ヴァイアンの前でピアノを演奏した後に受けた視線によく似たものであるのは明白だった。
 狂信的なその視線は、昔は受けたものであり数年前までそれは僕にとって日常的なものだった。
 だから、視線を受けて気がついた。この教師、清水は僕をよく知っているのだろうと。
 だから、僕はこの場から逃げ出したくなった。昔であれば、彼等のその熱い視線は何だか気恥ずかしいものであったけど、そこに孕んだ想いに応えるのが、自分の使命であると思っていたし応えたかった。
 でも今は違う。彼等の目が怖かった。その音楽を愛しているからこそ、僕に対して並々ならない想いを持っているのが崩れ去る所を見るのは耐えられそうに無く、僕は再度目を合わせる事無く、俯く。
 
「君は彼らの演奏を聴いて、率直にどう思ったか教えてくれないかな?」
「…………え」

 想像していたような言葉では無く、予想外の一言に僕は間の抜けた声を漏らして、思わず視線を上昇させると、清水が冷たく硬く思わせる表情の奥に激しい炎を灯している目をしていて、僕はその熱に気圧されて口を開いた。
 
「……下手でした」
 
 率直にと言われて、最初に思った事を伝える。
 これは事実だ。飛び抜けた才能を感じるような演奏でも磨き抜かれた旋律でもない、聴くに耐えない程では無いがやはり一言言うならば下手な演奏だった。
 その事を清水に伝えると、中指で眼鏡を押し上げたが、表情はその言葉に歪むことは一切無く此方を見つめていた為、僕は続ける。
 
「……でも、この演奏を聴いて此処に来てしまったのが、演奏に対しての答えです」
 
 悔しいが更に事実を、偽らずに伝えると清水は小さく頷い僕から視線を逸らし此方に背を向けた様子に僕は怪訝に眉を顰める。
 こんな事を聞いて、一体なんだと言うのか行動の意味がわからなかった。
 
「…………あの」
「君からの評価は胸に刻んだよ、ありがとう」
「…………いえ」

 何か満足げな清水の様子に、僕は訝しむ気持ちを払拭できずに唇を尖らせると、清水は何かに気がついたかのように此方へと向き直る。
 
「音楽の授業中に君の姿は無かったが、他の選択科目は音楽は選んでいないのかな?」
「…はい」
「成程?……黒瀬君、昼休みなど音楽室の鍵は僕がいる時や直ぐに戻ってくる時は開いているから、君が来たい時は来ていい」
「…………何故、ですか?」
「何故か、理由という理由は無いが強いて言うならばこの間、君が音楽室に居たのが理由だろうか?」
「……はぁ」


 答えになっていない返答になっていない言葉に僕はこめかみが痙攣を起こす。
 穏やかな口調でありながら冷たく見えるのにも関わらず、何か掴みどころが無い清水が「さて、そろそろ休憩やめて練習するよ」と上級生達に向き直るが、芦家を囲っている上級生達は芦家にまだ夢中の様子で芦家を取り囲み興奮が冷めやらない様子だ。
 そんな様子を「困ったな」とボヤく清水は数回また上級生達に呼びかけると、少しずつ上級生達は芦家から離れて持ち場へと戻って行った。
 その様子に僕は少し迷って、先ほどと同じ芦家の横に戻る事にした。
 
「何話してたんだ?」
「……特に何も」
「ふぅん……?」

 何を話したかと言われても、何の説明もしようもない特に中身もない会話だったそう伝えると、何故か芦家は今までに見せた事のない口元を尖らせた、いじけた表情を晒した為僕はその姿に目を瞬かせる。一体どうしたというのか。
 一体どうしたのか聞く前に、上級生達の演奏が始まり、開きかけた口を閉ざし横目で芦家を見上げるが彼はもう、いつも通りの穏やかな表情で上級生の方に向き直ってた為、僕もそちらに向き直った。
 そこからは、練習が終わるまで演奏を見学していた。その中で一つ気がついたのは、清水を見る上級生の表情だ。
 あまり言っていることは理解出来なかったが『ボカロ』という単語や、察するにその曲への個人的な理解を清水が述べる度に、上級生達は清水に笑顔を向けているのが印象的で、穏やかな雰囲気での練習だった。
 僕はピアノ専攻であまりこういう他の楽器が集まる中で練習をした経験は少ないがそれでもこの雰囲気は緩いのは、察することが出来た。
 音楽と向き合っているというには、不十分なその練習光景に複雑な気分にさせられて、その部活は終了した為、帰宅しようと踵を返すと芦家に引き留められ振り返るが彼はまた上級生達に取り囲まれて様子だったので僕は彼を置いて音楽室の扉を開く。
 
 一度、音楽室を振り返ると清水はまたピアノ近くの教壇に立って何かしている様子であったのを見て、僕は先の清水の言葉を思い返しながら、音楽室を後にした。
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