蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

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先程も足を踏み入れた体育館内の、ワックスで磨かれた光沢ある床板に引かれた緑のラインに沿って歩き、先頭はステージから三馬身程の場所で立ち止まると、教室からの移動中も賑わっていた声が更に興奮したように湧き上がる。
 昼飯時にも芦家に連れて来られた体育館に再度足を踏み入れた時は、芦家の前で涙を流してしまった時日が鮮明にフラッシュバックされて頬が小さく痙攣を起こした。
 僕は、そんな思い出したくない残影を振り払うように、小さく首を振って前に向き直ると、心が湧き立つ様子で楽しげに話すクラスメイト達の輪に加わる事なく早く、ただ静かに時が過ぎ去るのを待っていた。
 
 その時、新入生達が騒めく体育館の中に活気ある一声がその場に響き、僕を含めた生徒達の注目を集める。ステージ上にはポスターや旗を持った僕達とは違う、上級生が数十人が悠々とそこに立っていた。
 これから部活勧誘のイベントが始まる事を表す先輩方の姿に、目を煌めかせている両隣の生徒達の中、僕は静かにその光景を見て、部活勧誘のイベントを開始を表す言葉を虚無の中見つめる。
 僕が冷眼傍観の目でステージ上を見つめる中、進む部活勧誘の出し物や先輩方の熱い決意表明が行われていき、それに感銘を受けた新入生の拍手が体育館の開けた空間に響き渡る。
 勧誘がつつがなく行われていく中、青藍高校はバスケだけでなく他の運動部もある程度強さがあるというのは、バレー部の紹介をされている時に、立っているクラスメイト達が話しているのを耳にしたその時、体育館内を切り裂くような轟音を起こしたサーブなどが披露され、興奮した新入生の歓声と拍手に見送られて、バレー部の部長が日本人らしく腰を曲げた挨拶を行う。
 彼等のパフォーマンスの後は「すげぇバレー入ろうかな」や「かっけーな」などと賑やかす声が響いていたが、次にステージ上に出てきた彼等の様子に、場が一瞬静まり返る。
 いや、静まり返ったのではない。彼等の雰囲気に呑まれた事は明白だった。
 
 ステージ上に悠然と立つ青藍のその名の通りの色を基調としたユニフォームに身を包んだバスケットボール部の部員達。
 
 全く興味が無い僕にも伝わる程に彼等から放たれる雰囲気に緊張して固まるクラスメイトを尻目に、僕は早く終わらないかと身じろぐ。
 確かに独特の雰囲気を感じ取ったが、様々な国際コンクールに出場して、巨匠達や観客の前でピアノを演奏していた時に比べれば大した事のない事であった為、他の一年生達のようにその場の雰囲気に呑まれるとは無かったのだ。
 
 ある種の緊張感が支配する中で行われる、バスケットボールに対しての並々ならない熱意と努力を滲ませる演説に、体育館の中央付近に居る僕から見える新入生達は耳をすませて聞き入っているようであったが、やはり僕にはあまり興味が唆らられる事は無く、程なくして演説は終わりバスケットボールの選手達はステージ上で技を繰り広げ、更に場を盛り上げた後に部活勧誘を締め括ると感銘を受けた生徒達から体育館が破れんばかりの拍手が湧き上がった。
 周囲は興奮した様子であったが、やはり僕は興味が持てなかったなと一つため息を吐いた時に思い返したのは、芦家の言葉であった。
 
 
 
『なんか入りたいのが見つかるかもしんねぇし』
 
 
 
 その言葉が脳内で響いて、僕は口元を小さく歪めた。
 そんなものは存在しないのだと、ほら見てみろと心の内で吐き捨てて、運動部から文化部に移った教師のアナウンスと共にステージ上から、運動部か去って文化部が並んでいく様子を漫然と見つめていると、ふと、目の端に金色に輝く光を捉えて、僕は目を瞬かせる。
 眩しく光を受けて輝くその姿は。
 
(…サクソフォンにフルート、トロンボーン……)
 
 木管楽器と金管楽を主に持ったステージ上にいる少人数の集まりに自然と目が吸い寄せられる。
 僕はピアノ専攻だからあまり馴染みはないが、それでも懐かしく思えるのは音楽院で触る機会もそれなりにあったからだ。
 楽器達はピアノ程ではないが、神聖な輝きを纏っているかのように光り輝いて見えた。
 その楽器と演奏者を残して、他の文化部の部員達はステージ横へと去っていく。どうやら、吹奏楽部が部活勧誘を行う順番のようだ。
 
 周りの人間は先ほどのバスケの事で盛り上がりを見せていて、あまり吹奏楽の方に関心を寄せてはいない様子であったが僕は目を釘付けにしてしまう。
 久しぶりの音楽の”気配“に血が肉が本能的に疼き出す。
 その時、演奏の準備を行う上級生達の前をステージ横から一人のスーツを着た教師が横切った。
 薄茶色の髪とその前髪を上げて晒された額の下の銀縁眼鏡は記憶にあった。
 先日、音楽室らしき部屋を見つけた時に入ってきたあの教師だ。
 
(……指揮棒だ……部活の、指導者なのか…?ということは音楽教師なのか)
 
 その様子と先日のことで推察して、教師を興味深く観察していると彼は少人数の吹奏楽部全員を見渡すと、部員達の顔つきが真剣な面持ちに変わった。
 その様子に僕は固唾を飲んで目が乾く程、瞬きせずにその瞬間を待つ。
 
(……下手、だ…………)
 
 訪れたその音色に、僕は微かに俯く。あまりにも酷い音な訳ではない。ただ、決してその音色は上手いと呼べる音色では無かった。
 
(……それはそうだ)
 
 当たり前だ、今まで聞いてきた演奏家達は由緒正しい入学も容易ではない音楽院に通っていた音楽のエリート達だ。そんな彼等を良く知る僕が上手いと思う演奏が此処で聴けるはずはなかった。
 
(……でも)
 
 俯きながらも、演奏する様子はやはり気になり前髪から覗くようにその演奏を見つめると、僕は部員達の表情に目を瞬かせた。
 
(……とても、良い顔だ)
 
 別に特別なパフォーマンスをしているんじゃない。平凡で稚拙な演奏で何かが秀でてる事なんて何もない、でも、先輩達の顔はとても楽しそうに演奏しているのが印象的だった。
 僕はその姿を見て、素朴な疑問を持った。どうして彼等はこんな演奏で、あんな楽しそうな顔をしているのか理解はできなかった。
 ふと一瞬、横を向いた銀縁眼鏡をかけた教師も生徒達と同じように笑っているのが見えて、僕は息を詰まらせた。
 どうして、こんな演奏なのにそんな楽しそうにしているのか、輝いた表情を晒しているのか僕は悔しさに唇を噛み締める。
 音楽は楽しむものだ。それこそ、そう。彼等のように煌めいた顔をして弾く事が大事な事でもある。
 稚拙な到底レベルの低い演奏でありながら、僕が必要だと思う表情の理想はすぐそこにある事実に僕は言葉を失い、立ち尽くす。
 僕はその演奏が鳴りやんでからも、動く事が出来なかった。
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