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蜜柑色の彼と色褪せた世界
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毎日だ。毎日、眠る時と食事を取っている時以外は僕はピアノを触っていた。
基礎練習から始まり、指のトレーニングを施し、超絶技巧と呼ばれる速弾きも、表現力を研磨するように母や先生に指摘を貰いながら、自分自身が音楽に対してしてあげられる事を少しでも多くする為に、毎日がとにかく練習の日々だった。
最低でも八時間はピアノの前に座っていた、コンクール前は睡眠時間さえも削って練習に練習を重ね、充実していた毎日を過ごしていた。
ピアノに没頭していた日々、僕少しで早く更に上の次元に進みたくていた。そんな中で少しずつ、少しずつ指が動きづらくなっていった。
最初のうちは気のせいだろうと思った。少し疲れたのかなとか、本当にそんな程度だったのに徐々に母や先生、周りの人達に気がつかれる程、僕の指は強張り腕の筋肉が収縮を繰り返しようになり、数ヶ月経った頃には、満足に曲を弾き切る事も出来なくなってしまった。
その頃は、母もそして演奏のために殆ど家に帰らず世界中を飛び回る父も、由緒正しく世界有数の音楽院と名を知らしめる、僕が在籍していたエルピーゾ音楽院も僕を見てくれていたジネット先生も、皆が心配してくれてサポートすると言ってくれた。
しかし検査を重ね、薬をいくら服用しても僕のその病気は何故か全く良くなる傾向さえ見せず、どんどんと酷くなる一方の状況のまま一年が過ぎ去った。好転の兆しが見えない状況に徐々に音楽院も先生も、父も母も、周りの人全てが僕から急速に興味を失っていくのが分かった。
それは今までに当たり前に存在していた、才能、賞賛、自尊心が全て崩れていく日々だった。
別に目の前で貶されたわけではない。どちらかといえば優しい言葉をかけてくれる人が多かった。諦めずに頑張ろう。応援しているよ。
そう言って、でも、やはり、本来の僕を見る目とは違う目で見られているのだと。僕の音楽を聴いて、心の底から僕の音楽を聴いてくれていた人達の中に、もうその僕はいないのだと気がついて、その日の夜は、僕は辛くて悲しくて、用意された夕飯も食べず自分の部屋に篭り、一人涙を流した。
その後は心因性が原因だと思い至った母に心療内科、精神科、カウンセリングに連れ回され、ある日、医者には母に原因があると責めて僕には休息が必要だ、などと僕の肩を叩いたが、これには激情的な母よりも僕の方が怒りそうになってしまったのをよく覚えていた。
僕にとって音楽は、何よりも大切な物だった。
世間一般では知らないが、僕にとっては別にこの暮らしが嫌だった訳じゃない。両親からの期待だって別に重荷だった事なんか、微塵も無かった。それなのに医者は、家庭環境が原因でしょうなどと言い放ち、僕が音楽にピアノに染まった生活をしているのが、父と母からの期待が重いのだろうと勝手に決めつけた!
そんな医者の診断に母に連れられ僕もさっさとその診療所から地面に足を降り鳴らすように、帰宅した。
しかし母はその日から、少しずつ僕を病院に連れていくのをやめた。心因性のものを疑われてそう言った病院に行くのは嫌だったから、それは少しだけほっとしたけれど、その日から母は僕ではなく、弟に手をかけ始めるようになっていった。
一生懸命練習する弟、才能はあったけれどそこまで突出していた訳じゃない。だから母の期待はいつも僕が背負ってきた。
音楽に関して、僕は常に母から優先されてきたがその日からは母が弟を優先し始めて、少しずつ僕は病院に連れて行かれる事は無くなっていった。
そんな状況に、僕は、焦燥感に駆られ狼狽えた。
病気が治ることもない日々の中で、母がつきっきりで弟にピアノのレッスルをしていた自宅は僕の周りには誰もいなくなった。
それでも僕はピアノを弾こうとしたけれど、直ぐに手が強張ってしまい弾くことは出来なかった。
髪を掻き乱し、歯を血が滲むほど食いしばり涙を流しながら弾こうとした。
でも大好きなピアノをどうしても弾きたくて、弾けもしないのに毎日毎日ピアノに座って、練習して、でも出来なくて鍵盤を怒りに任せて叩いてしまったその日、世界中を飛び回って演奏をしていた父がいきなり帰ってきて、父方の祖父母の所に行くように勧められ母もそれに同調するように頷いた。
それは僕にとって、二人から僕はもう要らないのだと、言われているように感じた。
そして大好きだったピアノをもう二人から弾くことは出来ないのだと言葉じゃなくても、そう言われたかのような気がして。
僕は、お父さんの厳粛な重いピアノの音もお母さんの軽やかで感情豊かなピアノの音も大好きだったから、その大好きな音を奏でる二人からもう僕のピアノは要らないのだと宣言されたのだと思ったその瞬間、目の前が薄暗く幕を張って、深く考える事なく、会ったことをない祖父母がいる日本に行く事を、一言失意の中で分かったと伝えた。
その日のことから、然程、まだ日が経ってはいないのに、とても昔のように感じ、その時のことを思い返しながら、僕はベッドに四肢を投げ出す。
住んでいたアメリカの家とは全く違う作りの低い天井を見つめる。アメリカとは何もかも違うし、今までの生活とも何もかもが違っている。こんなに、ピアノから離れるのも初めてで他に何をしたらいいのか、よく分からず、虚に天井を見上げ散漫に身体を起こした。
とりあえず明日もまた、学校があるのだからそれの準備をしておこうと思い至り、身体を起こしてバッグの中身を整理する。青藍高校を表す校章がつけられたバッグ。
日本の事はよく分からなかった為、祖父母にこれからの事を考えると高校には行った方が良いと言われて、勧められるままにこの家から一番近い、偏差値なども普通程度の高校を選んだ。
元々、家庭教師は付いていたし、ある程度ピアノの合間に勉強もしていたから、そこまで困る事はなく受験は合格し、そして今日がその青藍高校の入学式だったのだが、どんな物かと思って行った日本の高校は、あまりにも音楽院とは違っていて、息が詰まったし良い印象は覚えなかった。
そして脳裏に浮かんだのは何よりも、あの蜜柑色の髪をした、彼。
あの身長が高い彼のせいで初日から、気分は酷く落ち込んでいた。
元々、僕の事は両親が日本のメディアをそこまで好いていないのも相まって、日本では僕を知っている人は音楽を深くしていない限り、珍しいと思うなんて言われていたから、まさか初日からいきなり、僕を知っていて、しかも天才ピアニストなんて過去の称号で呼ぶ彼に、良い印象を持てる訳はなくて、その顔を思い出すと、眉を顰めてしまう。
彼が悪い訳ではないのは理屈では分かっている。でも、泣いている所を見られた気恥ずかしさも相まって、それに何も知らないのにピアノに関する手のことまで口に出されて、苦手意識は拭えなかった。
それに僕を知っていた事もどうしても嫌な気持ちにはさせられた。別に絶対に知られていない訳でもないだろうし、少し調べれば僕の事なんてネットに直ぐに出てくる。
過去は天才、今は堕ちた天才、そのような記事が幾らでも英語のニュースにはあるし、僕が弾いているピアノの動画なんかもネットにある。でも、知られるにしてももっと後の事だと思っていた。
嫌だな、もしも彼があの仲が良さそうな友人たちにその事を話していて、何かしら言われたら。もしも、ピアノ弾かないのとか、弾いてみてとか、そんな事を言われたらと考えるとまるで心が、空中に投げ出されたかのように不安定で苦しくなってくる。
その憂鬱な気持ちがため息となって溢しながら明日の準備を整え、何もする事がない為、寝る支度もしてしまおうと僕は立ち上がり自分の部屋を後にした。
基礎練習から始まり、指のトレーニングを施し、超絶技巧と呼ばれる速弾きも、表現力を研磨するように母や先生に指摘を貰いながら、自分自身が音楽に対してしてあげられる事を少しでも多くする為に、毎日がとにかく練習の日々だった。
最低でも八時間はピアノの前に座っていた、コンクール前は睡眠時間さえも削って練習に練習を重ね、充実していた毎日を過ごしていた。
ピアノに没頭していた日々、僕少しで早く更に上の次元に進みたくていた。そんな中で少しずつ、少しずつ指が動きづらくなっていった。
最初のうちは気のせいだろうと思った。少し疲れたのかなとか、本当にそんな程度だったのに徐々に母や先生、周りの人達に気がつかれる程、僕の指は強張り腕の筋肉が収縮を繰り返しようになり、数ヶ月経った頃には、満足に曲を弾き切る事も出来なくなってしまった。
その頃は、母もそして演奏のために殆ど家に帰らず世界中を飛び回る父も、由緒正しく世界有数の音楽院と名を知らしめる、僕が在籍していたエルピーゾ音楽院も僕を見てくれていたジネット先生も、皆が心配してくれてサポートすると言ってくれた。
しかし検査を重ね、薬をいくら服用しても僕のその病気は何故か全く良くなる傾向さえ見せず、どんどんと酷くなる一方の状況のまま一年が過ぎ去った。好転の兆しが見えない状況に徐々に音楽院も先生も、父も母も、周りの人全てが僕から急速に興味を失っていくのが分かった。
それは今までに当たり前に存在していた、才能、賞賛、自尊心が全て崩れていく日々だった。
別に目の前で貶されたわけではない。どちらかといえば優しい言葉をかけてくれる人が多かった。諦めずに頑張ろう。応援しているよ。
そう言って、でも、やはり、本来の僕を見る目とは違う目で見られているのだと。僕の音楽を聴いて、心の底から僕の音楽を聴いてくれていた人達の中に、もうその僕はいないのだと気がついて、その日の夜は、僕は辛くて悲しくて、用意された夕飯も食べず自分の部屋に篭り、一人涙を流した。
その後は心因性が原因だと思い至った母に心療内科、精神科、カウンセリングに連れ回され、ある日、医者には母に原因があると責めて僕には休息が必要だ、などと僕の肩を叩いたが、これには激情的な母よりも僕の方が怒りそうになってしまったのをよく覚えていた。
僕にとって音楽は、何よりも大切な物だった。
世間一般では知らないが、僕にとっては別にこの暮らしが嫌だった訳じゃない。両親からの期待だって別に重荷だった事なんか、微塵も無かった。それなのに医者は、家庭環境が原因でしょうなどと言い放ち、僕が音楽にピアノに染まった生活をしているのが、父と母からの期待が重いのだろうと勝手に決めつけた!
そんな医者の診断に母に連れられ僕もさっさとその診療所から地面に足を降り鳴らすように、帰宅した。
しかし母はその日から、少しずつ僕を病院に連れていくのをやめた。心因性のものを疑われてそう言った病院に行くのは嫌だったから、それは少しだけほっとしたけれど、その日から母は僕ではなく、弟に手をかけ始めるようになっていった。
一生懸命練習する弟、才能はあったけれどそこまで突出していた訳じゃない。だから母の期待はいつも僕が背負ってきた。
音楽に関して、僕は常に母から優先されてきたがその日からは母が弟を優先し始めて、少しずつ僕は病院に連れて行かれる事は無くなっていった。
そんな状況に、僕は、焦燥感に駆られ狼狽えた。
病気が治ることもない日々の中で、母がつきっきりで弟にピアノのレッスルをしていた自宅は僕の周りには誰もいなくなった。
それでも僕はピアノを弾こうとしたけれど、直ぐに手が強張ってしまい弾くことは出来なかった。
髪を掻き乱し、歯を血が滲むほど食いしばり涙を流しながら弾こうとした。
でも大好きなピアノをどうしても弾きたくて、弾けもしないのに毎日毎日ピアノに座って、練習して、でも出来なくて鍵盤を怒りに任せて叩いてしまったその日、世界中を飛び回って演奏をしていた父がいきなり帰ってきて、父方の祖父母の所に行くように勧められ母もそれに同調するように頷いた。
それは僕にとって、二人から僕はもう要らないのだと、言われているように感じた。
そして大好きだったピアノをもう二人から弾くことは出来ないのだと言葉じゃなくても、そう言われたかのような気がして。
僕は、お父さんの厳粛な重いピアノの音もお母さんの軽やかで感情豊かなピアノの音も大好きだったから、その大好きな音を奏でる二人からもう僕のピアノは要らないのだと宣言されたのだと思ったその瞬間、目の前が薄暗く幕を張って、深く考える事なく、会ったことをない祖父母がいる日本に行く事を、一言失意の中で分かったと伝えた。
その日のことから、然程、まだ日が経ってはいないのに、とても昔のように感じ、その時のことを思い返しながら、僕はベッドに四肢を投げ出す。
住んでいたアメリカの家とは全く違う作りの低い天井を見つめる。アメリカとは何もかも違うし、今までの生活とも何もかもが違っている。こんなに、ピアノから離れるのも初めてで他に何をしたらいいのか、よく分からず、虚に天井を見上げ散漫に身体を起こした。
とりあえず明日もまた、学校があるのだからそれの準備をしておこうと思い至り、身体を起こしてバッグの中身を整理する。青藍高校を表す校章がつけられたバッグ。
日本の事はよく分からなかった為、祖父母にこれからの事を考えると高校には行った方が良いと言われて、勧められるままにこの家から一番近い、偏差値なども普通程度の高校を選んだ。
元々、家庭教師は付いていたし、ある程度ピアノの合間に勉強もしていたから、そこまで困る事はなく受験は合格し、そして今日がその青藍高校の入学式だったのだが、どんな物かと思って行った日本の高校は、あまりにも音楽院とは違っていて、息が詰まったし良い印象は覚えなかった。
そして脳裏に浮かんだのは何よりも、あの蜜柑色の髪をした、彼。
あの身長が高い彼のせいで初日から、気分は酷く落ち込んでいた。
元々、僕の事は両親が日本のメディアをそこまで好いていないのも相まって、日本では僕を知っている人は音楽を深くしていない限り、珍しいと思うなんて言われていたから、まさか初日からいきなり、僕を知っていて、しかも天才ピアニストなんて過去の称号で呼ぶ彼に、良い印象を持てる訳はなくて、その顔を思い出すと、眉を顰めてしまう。
彼が悪い訳ではないのは理屈では分かっている。でも、泣いている所を見られた気恥ずかしさも相まって、それに何も知らないのにピアノに関する手のことまで口に出されて、苦手意識は拭えなかった。
それに僕を知っていた事もどうしても嫌な気持ちにはさせられた。別に絶対に知られていない訳でもないだろうし、少し調べれば僕の事なんてネットに直ぐに出てくる。
過去は天才、今は堕ちた天才、そのような記事が幾らでも英語のニュースにはあるし、僕が弾いているピアノの動画なんかもネットにある。でも、知られるにしてももっと後の事だと思っていた。
嫌だな、もしも彼があの仲が良さそうな友人たちにその事を話していて、何かしら言われたら。もしも、ピアノ弾かないのとか、弾いてみてとか、そんな事を言われたらと考えるとまるで心が、空中に投げ出されたかのように不安定で苦しくなってくる。
その憂鬱な気持ちがため息となって溢しながら明日の準備を整え、何もする事がない為、寝る支度もしてしまおうと僕は立ち上がり自分の部屋を後にした。
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