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第八章

優しさに包まれたなら

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サンサトローズに到着したのは丁度夕刻。

もう少ししたら城壁の向こう側に太陽は沈んでしまうだろう。

森に比べるとここのほうが暗くなるのは早い。

早めに行動した方が良さそうだ。

「バスタさんありがとうございました。」

「またいつでも御利用下さい。」

「ミジャーノ村に行く時は是非お願いします。」

バスタさんと分かれ、急ぎ足で街の中を行く。

「明日の昼までには頼まれていたものは調べ終わるだろう。市場に居るんだったな。」

「その予定です。」

「俺の休暇はお前にかかっているんだ、しっかり頼むぞ。」

「出来る限りはやらせてもらいますよ。」

「じゃあな。」

噴水付近でイアンと別れる。

残ったのはいつもの三人。

さて、残り時間はあとわずか。

やるだけやっちゃいますか。

「では手筈通りにお願いします。エミリアは宿を確保した後、商店連合にてここで流通している乳製品の総量と金額を調べてください。ここ1年出来れば2年分お願いします。」

「お任せ下さい。」

「では私はネムリの所で話を聞いてこよう。丁度頼んでいた物を取りに行く予定だったのだ。」

「王都から入ってきている品は彼に聞くのが一番です。ここ1年で変わった商品が入っていないか、珍しい乳製品が開発されていないかを聞いてください。」

「わかった。」

「私はこのまま商業ギルドに行ってきます。」

この街で商売をしている人の半数はギルドに加入している。

あそこなら必要な情報を持っているに違いない。

無かったとしても其れに近い情報は集められるはずだ。

「確かに私達が行くよりもシュウイチが行く方が効果はあるな。」

「私はただ、先日の貸しを返してもらうだけですよ。」

「『大きな貸し』の間違いではないのか?」

「一度で返してもらうのは大変ですから小出しでいいんです。」

前回は色々と御厄介になった。

俺としては其れを理由にゆするつもりなどは毛頭ないが、利用はするつもりだ。

大手ギルドに貸しを作ることなど中々出来ない。

せいぜい利用させてもらうとしよう。

「シュウイチさん、悪い顔になっていますよ。」

「おっと、失礼しました。」

「またよからぬ事を考えていたのだろう。」

「そんな、これからどうするか考えていただけです。」

「本当か?」

「もちろんですよ。」

何ですかその疑いの目は。

二人して自分の夫を信じないなんてどういうことだ。

私は悲しい!

二人なら私の心理を理解できると思ったのだがね。

まぁいい、私を変えられると思っているのならいつでもかかっておいでなさい。

ハッハッハ。

え、ネタがわからない?

そいつは残念だ。

「シュウイチさんが変わっているのは今に始まった事じゃありませんから。」

「そうだな、真面目なのもいいが多少変わっているほうが将来飽きなくて済むだろう。」

「シュウイチさんの子供なら同じようになるかもしれませんよ?」

「其れは困る。そこはしっかりと矯正しておかなければ。」

やっぱ駄目なんじゃないか!

てか、今に始まったことじゃないってさらっと酷い事言ってませんかエミリアさん。

シルビア様も何気に傷つくんですけど。

「変わっている私の為にもよろしくお願いします。」

「旦那を支えるのは妻の役目だ、安心して任せておけ。」

「今日の夕食をどうするのかも考えておいてくださいね。」

「そうだな、折角の夫婦水いらずだ。」

そういえば今日は三人しかいないんだな。

いつもはユーリやニケさんがいるけれど、今日は留守番だ。

まてよ、という事は・・・。

二人が何かを期待した目でこちらを見てくる。

えっと、その表情はどう読み取ればいいんでしょうか。

「と、とりあえずお願いします!」

現実を直視できない草食系オタクが取る行動はただ一つ。

何かに没頭する事。

先の事はあえて気にしない。

気にしちゃいけない。

夜にめくるめくピンクな時間が来るかもなんて期待しちゃいけない。

今日はそういう会話が多すぎる。

話の流れから行くとどう考えても子作りコースじゃないですか。

イヤじゃないですよ?

むしろウェルカムですよ?

でもこの前も言ったけど将来を確保できていないのに無責任な事は出来ないといいますか何と言いますか。

「そんな難しい顔をしなくても大丈夫だぞ。」

「そうですよ、シュウイチさんの気持ちはわかっていますから。」

「私達の事を考えてくれるのは嬉しい、だがどんな事になっても私達は後悔しない。」

「むしろそうならない為に私達も頑張りますから皆で頑張りましょう。」

二人の気持ちは痛いほどわかる。

其れを望んでくれているのは心から嬉しい。

その願いをかなえるためにも、俺は今出来る事をする。

「ありがとう二人とも。」

二人の為に。

みんなの為に。

頑張ろう。

「ではまた後でな。」

「いってきます。」

二人が急に近づいてきたかと思うと両頬に柔らかい感触を感じた。

動揺する間もなく左右に走っていってしまった。

キスされた両頬をそっと撫でてみる。

まだ二人の体温が残っているように感じた。

「ママー、あの人顔真っ赤にしながら笑ってるよ?」

「こら、見ちゃいけません!」

見ちゃいけませんってひどくない?

一応ここでは有名人なんですけど。

子供の声にハッと意識を戻し急いでその場を後にする。

顔がニヤけるのをとめることが出来ない。

とりあえず商業ギルドに行くまでに顔を戻さなければ。

涼しくなってきた空気を体に浴びながら、俺は商業ギルドへの道を急ぐ。

が。

「道間違った。」

動揺してまったく別の方向に走ってしまったようだ。

先ほどの親子の横をもう一度通り過ぎ、俺はギルドへと向かった。


「ようこそおいで下さいましたイナバ様!」

入口のドアを開けて中に入ると俺を見つけた受付嬢が慌てて走ってきた。

そんな走らんでも。

「夕刻にすみません、調べたいものがありましてお邪魔したんですが。」

「調べたい事というのはどのようなことでしょうか。」

「ここ1年間の乳製品の売買記録です。一般人が閲覧できる程度のものでもちろん構わないのですが・・・。」

「売買記録ですね、少々お待ち下さい!」

今度は裏へと走って行ってしまった。

そんなに慌てて処理しなくても構いませんよ。

え、終業前だから早く終わらせたい?

その気持ちは痛いほどわかる。

カップラーメンが出来るぐらいの時間が経っただろうか、奥から受付嬢と共に見た事ある初老の男性がやってきた。

見た目に派手ではなく何処にでもいそうなこの男性。

何を隠そうこのギルドで一番偉いギルド長なのだ。

街中ですれ違っても気づかないようなタイプ。

だが、中身はこの商業ギルドを纏め上げる凄腕の商人だ。

俺なんて足元にも及ばない。

「これはイナバ様ようこそおいでくださいました、何でも乳製品の売買記録を探しておられるとか。」

「ププト様の命で調べなければならなくなりまして、ここならそういう情報が集まっていると思いやってきました。」

「ププト様の!それはそれはご苦労様です。」

「面倒なお願いをして申し訳ありません。」

「詳細な取引相手などはお見せできませんが、個別取引の取引量と金額などでしたらお見せできます。それでもよろしいですか?」

そこまで見せてくれるのか。

それがわかればかなり詰めた検証が出来る。

「それで十分です。あと、牛の取引履歴もお願いできますか?」

「牛でございますか。」

「農耕用若しくは食肉用の牛がありがたいです。」

「ご一緒に準備させましょう。資料はこちらで持ってまいりますので奥の部屋でお待ち下さい。」

「どうぞこちらです。」

受付嬢に案内されたのは立派な応接室だった。

天井は高く部屋も広い。

小学校の教室ぐらいあるんじゃないか?

そして何より足元の絨毯が違う。

フカフカで雲の上を歩いているようだ。

「どうぞこちらでお待ち下さい、今お茶をお持ち致します。」

「どうぞお構いなく、調べましたらすぐに出て行きますので。」

「ルシルク様より丁重にもてなすように言われております、では後ほど。」

丁重にもてなすって、調べ物したいだけなんですけど。

それなのにこんな豪華な部屋に通されて、居心地悪いったらありゃしない。

座っているのが勿体無いので部屋の調度品を眺めながら時間をつぶす。

どれも高そうな品ばかりだ。

棚の上に無造作に置かれたグラスを手に取ってみる。

切子のような細工がされたこのグラス、一体いくらなんだろう。

ププト様より頂いた結婚祝いがかなりの金額だったし、元の世界でも茶碗一つでうん千万とかよくある話しだ。

この手の品の良さは俺みたいな教養のない人間には全くわからないんだよな。

「お待たせいたしました。」

突然後ろから声をかけられ、驚きのあまりグラスを落としそうになる。

あぶなかった・・・。

「も、申し訳ありません!」

「いえ、こちらこそすみません勝手に触ってしまいまして。高いものなんですよね。」

「詳しくは存じ上げませんが、この部屋に置かれた品は全て金貨1枚以上の品になるそうです。」

という事は最低100万以上する品ばかりなのか。

壊す前に大人しく座っておこう。

机の上には大量の資料。

その横にはこれまた高価そうなカップに香茶が注がれていた。

「右の資料が乳製品の売買記録、左は牛の取引記録になります。どちらも過去1年のものになりますが必要であれば其れよりも古い物を御準備いたします。御用がありましたらどうぞ横のベルを鳴らしていただければ参りますので。」

「何から何までありがとうございます。」

「どうぞごゆっくり。」

ペコリとお辞儀をして受付嬢が部屋を出て行った。

さて、資料と格闘しますかね。

今までなら誰かについてきてもらわないと読めなかったけど、文字が読めるようになってからはその心配もなくなった。

やっぱり読み書きが出来るって大事なんだな。

冒険者には読み書きできない人も居るし、そんな人向けのサービスを作れば儲かったりして。

これまたフカフカのソファーに身を預け、一番上の資料を手に取る。

『売買記録:夏節種期1週目聖日、市場にてチーズ3箱、バター2箱、生乳7樽販売実績。』

『売買記録:夏節種期2週目、管轄内飲食店よりチーズ2箱の緊急納品、生乳3本定期納品。』

『売買記録:夏節草期4週目、陰日後需要が落ち込み定期納品1件終了。』

ここ最近の資料のようだ。

流し読みするも中々の量がある。

店の名前は伏せられているが店での販売量だけでなく市場での販売量も記されている。

それだけじゃない、納品に関する資料もある。

なるほど、店がギルドに発注しているのか。

確かにここを問屋とした方が個別にやり取りするよりも仕事はやりやすい。

ギルドは流行をいち早く察知でき、各商店は面倒なやり取りをギルドに一任できる。

中間マージンをどれだけ取ってるかまではわからないが、0では無いだろう。

これを全部調べるとなると莫大な時間がかかるなぁ。

エクセルがあれば入力していくだけでグラフにもできるし差数もすぐに算出できるんだけど。

電卓も無いし、手作業ですよねぇ。

ここで愚痴を言っても始まらない。

やるだけやりますか。

と、意気込んで資料を読み解き始めてどのぐらい経っただろうか。

ふと窓の外に目を向けると外は真っ暗になってしまった。

ヤバ、御飯一緒に食べに行こうって約束していたんだった!

今何時?

そうだ、携帯・・・ってないんかーい!

残念ながら念話も出来ないので連絡する手段は無い。

こういうとき非常に不便だ。

資料は春の節を分析するだけ。

これって持ち出せないよねぇ。

「失礼します、イナバ様よろしいでしょうか。」

「どうぞ!」

外から受付嬢の声がする。

ドアが開き中に入ってきたのは受付嬢、それとエミリアとシルビア様だった。

「手間をかけたな。」

「どうぞごゆっくり。」

二人を部屋に誘導すると受付嬢は静かに出て行った。

「すみません気づいたらこんな時間でして。」

「そうだろうと思い迎えに来たのだ、それで首尾はどうだ?」

「後はこれを確認するだけです。」

指差した先は積み上げられた資料。

「これ全部ですか?」

「後は春節の分だけですので左の山ですね。」

「つまりはこの短時間に他を処理してしまったのか。」

「えぇ、まぁ。」

「・・・シュウイチはすごい人間だと分かってはいたが、一体頭の中はどうなっているんだ?」

「それを聞かれるのはこの世界に来て三人目です。」

つい先日同じような事を聞かれた気がする。

「残りは私達がやりますので休んでくださって大丈夫ですよ。」

「いえ、残りこれだけですからやってしまいます。」

「だがひどい顔をしているぞ。」

「そんなに酷い顔しています?」

「妻の私が言うのは何だが旦那にしたくない顔ではある。」

「それは酷いですね。」

顔で惚れてもらったわけでは無いのだが、その本人が顔でいやになるというのはよっぽどの事だ。

集中してやってたからなぁ。

目はショボショボするし奥の方が重たい感じもする。

完全に眼精疲労だ。

「お前は指示を出してくれれば構わない、夕食までそこで休んでいればいい。」

「どうすればいいですか?」

「それじゃあお願いします。」

「まかせておけ。」

ここまで他力本願なのは悲しくなるが、妻が休めといってくれているんだ大人しく休ませて貰おう。

「それじゃあ、市場で販売された品の種類と数、それとギルドへ発注をかけられた品の種類と数を控えてください。各週毎に合計数を出してもらえればこの1年の推移を出す事ができます。」

「わかりました。」

「エミリアは市場を、私はギルドの数字を見よう。」

「はい。」

エミリアとシルビアが両サイドに座って書類を分析し始める。

二人の体温を感じると急に疲れが出たのか猛烈な眠気が襲ってきた。

俺はその眠気に逆らうことなく意識を手放す。

安心できる人がそばに居る。

これ以上の幸せが他にあるだろうか。

二人の優しさに包まれながら俺は夢の彼方へ旅立ち、結局二人が分析を終えるまで起きる事はなかった。
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