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5章 快速、遅延、断線。そして再接続

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「じゃあ始めるよ。次のシーン」

 十二月に入って、気候はめっきり寒くなった。
 ライトも体感温度はぼくらと変わらないので、マフラーの下の鼻を赤くしながら震えていた。
 それも撮影が始まるまで。
 カメラが回ると役になりきった、生き生きした表情をカメラ越しにぼくに向けてくる。
 美しい、と思った。
 彼女は確かに容姿には優れている。
 でもスポーツ選手がスポーツをしているときこそ一番美しいように、彼女は演技をしているときが最も輝いている。
 それは創作者であるぼくのひいき目か。いや、彼女は向こうの世界で確かに存在する個人だ。
 演じることに喜びを感じ、その内面が彼女を美しく見せているのだろう。
 映画はクライマックスに近づいてきている。
 寂れた街にやってきたライト。
 だけどそれは見せかけだけで、世界的な犯罪シンジゲートが潜む街だった。
 そこにやってきたライトも、実はスパイでこの街から機密を奪うという話。
 ライトは主演女優を中心に街の住人や犯罪組織の幹部。
 松川君は彼女を助ける別の組織のスパイから、シンジゲートの幹部まで様々だった。
 映画はその終盤。
 機密を奪ったライトの逃走劇のシーンだ。
 逃げ切れるかの不安。
 使命を果たした喜び。
 別れによる悲しみ。
 様々な感情を内包しながらライトは街を駆ける。
 カットを告げるとライトは大きく息を吐いた。

「ふう疲れた。走り回ってばかりだもん」
「お疲れ様だね」  

 ねぎらいの言葉をかけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
 持ってきた荷物から、水筒を出して飲み物を口に含む。
 走り回っていたためか、顔は紅潮しているものの寒さは感じていないようだ。
 逆にぼくの方はずっとカメラを回しているだけなので、かなり手がかじかんでいた。
 同じように家から持ってきたお茶を、水筒から取り出して並んで座った。
 陽が落ちるのがだいぶ早くなり、周囲はすっかり暗くなり始めている。
 ぼくらはただ並んでお茶を飲む。
 最近は黙っていても一緒にいるだけで心が安らぐ。
 ぼくの驕りで無ければ、ライトもそうだと思う。

「そうだトヨジ、このあいださ」

 でも今日は沈黙を嫌ってずいぶんおしゃべりだった。
 あまり関係の無い話をいろいろとしている。
 廃線の時が近づいてきているからだろう。
 松川君の話では交渉は芳しくないという。
 この電車が無いと買い物に行けない老人がいることを、レポートにまとめて役所まで提出にいったらしい。
 相変わらずの行動力だけど、その対策は考えられていたらしい。
 そういった高齢者にはスーパーの宅配サービスを受けてもらうことになっている、と説明されたそうだ。
 料金は割高だけど、自治体からも援助が出る。
 松川君もそれには反論できなかったらしい。
 ライトの方も利用している客として困ることを訴えたようだけど、「もうしわけございません」の一言で帰らされたという。
 そもそも電車が寿命だから買い換える資金と利用率などを出されると、子供のぼくらにはそれをどうすることも出来ない。
 もう廃線しか道はないのだ。
 そうなったらぼくらは二度と出会うことはない。
 それがわかっているからぼくらは前以上に撮影に没頭し、不安を隠すためにライトはしゃべり続けている。
 ライトの話はいつものように飛びがちだ。
 初めて出会ったときと同様に、いろいろな話をする。
 演劇の話をすると嫌でも近い未来を思い起こすのか、避けていた。
 最近の事を話す。
 母親と最近出来た店に買い物に行っただとか、きちんと演技の勉強をするとなかなか面白いだとか。
 彼女と話をしているのは楽しい。
 弾んだ声を聞いているだけで、心の奥底が暖まってくる気分になれる。
 だからこそ、かすかな違和感を覚えていた。
 いつものように笑顔で感情を込めて話すライト。
 はじめは出会えなくなる寂しさからかと思っていた。
 でも違う。
 話の内容が前と違うのだ。
 ライトは前は友達とどっかに行ったとか、友達との間ではやっている、という話が多かった。
 友達のはやりなんか僕にはわからないし、だから松川君とは話しが弾んでいたはずだ。 
 今日はそれがない。
 いや、今日に限らず前々からそんな話が極端に減っている。
 最初は僕に気を使っているんだって思っていた。
 そもそもライトは毎日、どうしてこちらに来れているのだろう。
 友達とは学校以外で会わないとしても、本をそんなに読む時間があるものだろうか。
 時間とは有限であり、それだけはどんな人間にも唯一平等なものだ。
 時間をなんとか作っている松川君があまりここに来れていないことを考えると、ライトが夏休み明け位からのこっちにくるペースは多すぎる。

「ねえ、聞いているのトヨジ」
「ごめんね、少し考えごとがあってよく聞いてなかった」

 「もう」と口をとがらせる彼女に、ぼくは思い切って聞いてみた。 

「ライトもしかして向こうでぼっちになっているんじゃない?」

 一瞬だったが肩のあたりがびくっと揺れる。
 ほんの一瞬だけだけど、表情が固まった。
 すぐにさっきまでの表情に戻ったけど、ぼくにはわかった。
 だってごまかすときに、そんな風に笑顔で取り繕うって設定をしたのはぼくなんだから。

「……もしかして、ずっとこっちに来ていることが原因なのかい?」

 もっと早くに気付くべきだった。
 ぼくに友達がいたことが無いので、他の友達がいる子は普段どうしているのかわからなかった、というのは言い訳にならないだろう。

「ごめん、ぼくのせいで……」
「トヨジはだから謝りすぎだよ。なんでも自分のせいにしすぎ。どれだけ自分がすごいと思っているのさ」

 いつも通りの口調だけど、否定は全くしなかった。

「じゃあやっぱり学校でひとりぼっちなんだ。君は学校でみんなと仲良くやれていると思っていたのに」
「わたしは向こうの連中より、こっちでトヨジ達と過ごす方が楽しいんだ」

 そう笑う彼女だけど、絶対に寂しくないなんてわけが無い。
 それはぼくが誰よりもよく知っている。
 まして手に入れたものを、最初からあるものを失う孤独は、最初からないに比べてずっと強いものだろう。
 寂しそうに学校で過ごすライトを想像もしたくない。

「わたしはこっちの世界があれば満足だから」

 嘘ではないと思う。
 だけどそれだけではないのは、彼女の目の動きを見ればわかる。
 この世界が、ぼくたちが彼女の支えになっているのはうれしい。
 だけど、それは長く続かない。

「ライト、友達の所に戻った方が良いよ」

 もうこの話は終わりとばかりに、別の話題を切り出そうとした彼女に告げた。

「どうしてそんなことを言うの!」

 ライトは表情をゆがませ、信じられないものを見る目でぼくを見る。

「一緒に映画作っているのに。これを楽しいと思っているのはわたしだけだったの?」
「そうじゃないよ。ぼくだって楽しいに決まっている!」

 自分でも驚くほど強い口調で反論する。

「でも学校でひとりぼっちはつらいよ。君ならその気になれば前の友達と一緒にいられるんでしょ? 君のいる場所はそっちだ」
「無理だよ。わたしは何が楽しいか知ってしまったんだから。それを知った今更、元には戻れない」  
「戻れないことないさ。この数ヶ月は夢みたいなものだと思えばいい。君は向こうの世界で、まだ友達とやっていける」

 そうすることが、きっと彼女の為だ。

「夢だったって……この数ヶ月を夢だと思えっていうの。一緒に暑い中を二つの世界で行き来できないか探検したり、こうして一緒に映画作ったりしているのを!」
「そうだよ。だから、ここはライトの世界じゃなくて……」
「わかったよ、もう! 結局トヨジからすればわたしは創作したキャラにすぎないんでしょ。こうやってみんなで映画を作るのが楽しいって思っていたのは、どうやらわたしだけみたいだね!」

 ライトは憤りながら立ち上がる。少し涙ぐんでいた。

「トヨジの馬鹿。帰る!」
 ライトはそう言い残すと、ぼくの方を振り向かずに走っていった。
 呼び止めることも出来なかった。
 怒らせてしまった。
 それよりも、悲しませてしまった。
 人に思いを伝えるのに言葉ほど有効なものはないだろう。
 だから『言葉』を上手く使えないぼくはいつだって後悔してきた。
 ライトの背中が見えなくなって、ぼくはかつてないほど後悔していた。
 ぼくが伝えたかったことをライトに勘違いされてしまった。
 ただ、ぼくたちと会えなくても、彼女には元気に笑顔で過ごしてほしかっただけなのに。

 翌日、ライトは来なかった。
 次の日も、またその次の日も。
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