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山と古酒

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 真っ暗闇。何も見えないけれど、水滴が滴る音が響いています。迷わないように岩壁いわかべに手をつくと、ひんやりとした冷気が手に伝わってきます。
 足元は苔が生えていたり、湿っていたり。足首に力を入れて、体重を手と足にうまく分散させて、すべらないよう慎重になりながら奥へと進んでいきます。
 水滴の音に、私の足音と呼吸音が混ざって、耳に返ってきます。返ってくる音の大きさや時間から、なんとなく、中の構造がわかるような気がしてきました。
 
 さっき、結界が消えて空中から落ちたときの衝撃しょうげきで見た、何度も見ていた夢の続き。その中でいた場所。それは、きっとここだ。証拠があるわけではないけれど、確信できるのです。
 暗い空間を見るだけで、そこがどんな形をしているのか、なんとなくわかります。夢の中の私が、覚えていたからです。足音の響き方だって、湿気があるかないかだけで方向や感覚はほぼ同じです。

 ――入ってすぐの場所。ここには、スパさんとエイコさんがよく座っていたところです。もう少し先に進むと横穴があって、その奥が2人のスペース、部屋のようなものでした。
 夢の中では今より少し髪の毛が短くて可愛らしい雰囲気ふんいきのエイコさんと、赤と黄色の派手な羽根が生えていて、少し幼い顔をしたスパさんが並んで焚き火を起こしたり、妖術の練習をしたりしていました。
 
 夢を思い出しながら、更に足を進めます。
 もう少し奥に進んだところでは、なぜか今よりも年齢が上に見える夜都賀やつがさんが大きな樽から柄杓ひしゃくで少し濁ったお酒を注いでいました。優しそうな目は同じですが、何だか少し荒々しいというか、目付きが鋭い気がします。
 そして、洞窟の一番奥。
 私はようやく壁から手を離して、寒さでもう動かなくなった指に息を吹きかけます。だんだんと感覚が戻ってきます。外の風が届かないせいか、夜の湿気と寒さで固まりかけていた髪の毛も元に戻ってきたようです。
 ほっとしたところでもう一度集中です。夢の中の風景を思い出したくて、目を閉じました。


 
 小突き合いながらも仲良く喋っている、今と同じ姿だけれど、皆と同じように昔風の着物を着ている赤い髪の伊吹いぶきくんと、伊吹くんと同じくらいの年齢に見える、灰色の髪の茨木いばらきさんらしき男の子。
 私――か、わからないのですが、私の目線の主は伊吹くんの隣で一緒にご飯を食べて、お酒を飲んでいます。味も、香りも感じます。この日のご飯は雉を焼いたものと山菜でした。ご飯を食べなくてもいいらしい皆さんも、味や歯ごたえが好きなものは食べるそうです。そんな話をしながら、皆で食べるものを分け合っています。この目線の主の方――たぶん、人間です。この方に気を遣って、ご飯を出してくれているのかもしれませんね。

「●●●、こんな場所じゃあむさ苦しいだろ」
「今までの人生の中で一番、楽しいですよ。お酒も美味しいですし♪」

 名前を呼ばれた筈なのに、そこだけノイズが掛かったように聞こえません。私の名前ではないのはわかるのですが、なぜでしょうか。目線の先にいる伊吹くんが、からからと豪快に笑っています。

「もうオレたちについては確かめられただろう」
「そうですね……あなた方のようにまっすぐな存在に触れたのは初めてです。都のお役人様やお侍様方が言うような存在ではありません」
「ありがと! それにしても、お前も変わってるよな。俺たちに惚れて余計なことをしたり勝手に傷ついて恨んだり呪ったりだのしない女なんているんだね」

 まだ言葉づかいが京ことばになっていない茨木さんが無邪気な声で話に入ってきます。個人的に、こちらのほうがしっくりきます。さっき聞いた喋り方はちょっと無理をしているように聞こえたというか、今でも昔でもあんな風に喋る人はそういないと思うんです。無理をした喋り方をしているのには、何か理由があるのでしょうか。
 それにしても、本当に同一人物なのか疑いたくなるくらい、人懐っこい雰囲気です。

「オレも茨木も、勝手に女に惚れられて、何もしないでいたら勝手に恨まれて酷い目にあったクチだからな。女はずっと嫌いだけどお前だけは安心できるよ」

 伊吹くんはリラックスし切った様子で陶器とうきのとっくりから、目線の主が持つ湯のみにお酒をついでくれています。伊吹くんはあんまり変わっていないように見えます。目線の主はお酒を一口飲んで、口を開きました。

「私は……恋だとか、男女だとか。そういうものを一生知らずに生きて死ぬ運命のもと生まれましたから。性別なんて、無いようなものなのです。それでも、やっぱり女ではあるので、その……もしお二人が嫌でしたら、そろそろ出て行きますね」
「行くあてもないだろ」
「旅にでも出ますよ」
「……いろよ、ここに」

 じ、と伊吹くんが真剣な顔で、私――が目線を借りている人物の目を覗きこんできます。真っ赤な瞳に吸い込まれて、心が燃やされそうな気持ちになっているのは、私なのでしょうか。視線の主なのでしょうか。いくら伊吹くんの目が綺麗でも、好きになってはいけないのは先程の話の通りです。そんなことになったら、伊吹くんはがっかりするでしょうし。本当に女性だとか、人間を拒絶してしまうかもしれないですから。
 目線の主さんが何を思っているのかはわかりませんが、慌てて顔を逸らして、壁際に置いてあるつぼに視線を向けました。

「……わかりました、いますよ。ではひとつ、お願いがあります。来月が、私の誕生日なのです」
「おう、何が欲しいんだ? 近くの集落の奴らと取引もしてるし、手に入れられるものならなんでもやろう」
「ふふ、何もいりませんよ。でもお願いをしていいのなら……こうして一緒にお酒を飲んで下さい。それと、あなたのお誕生日も教えてください」
「誕生日、か。物心つく前に母親には捨てられた。親父もオレが産まれる前に一度殺されてるしでわからねぇ。そんなのはいいから、奥に置いてあるそれを来月一緒に飲むか」
「ええ、ではあなたのお誕生日も、来月ということにしませんか?一緒に祝いましょう。約束、ですよ」
「そんなことでいいのか?」
「……はい!」

 夢の主の表情はわからないけれど。なんだか幸せな気持ちに包まれている。それだけは、わかります。



 思い出せるのはここまでです。
 それでも、たくさんの情報を確認できました。そう、みんなで楽しく過ごしている中でも、洞窟の一番奥には……

 夢の記憶を手繰りながら。四つん這いになって、岩肌を探ります。落ちた時にぶつけたのか、屈むと背中が痛みます。でも、そんなことで動きを止めてはここまで来た意味がありません。
 さっきよりは感覚が戻ってきた手のひらが、夢の記憶の中にあった形を探り当てました。そう、ここの部分の、横の壁のあたり、です。

「! ありましたっ」

 夢じゃなかった。だってあれがここにあるのですから。
 現実と夢がごちゃごちゃとして、本当に自分の行動が正しかったのかわからなかったのですが……間違っていませんでした。これで、伊吹くんを助けられます。
 そう、ほっとした次の瞬間。

「見ィつけたぁ♪」

 後ろの、闇が動いた気がします。
 ううん、闇ではありません。この声は。

「……茨木、さん……?」
「せいか~い、新人従業員はん、ご苦労なことで。それにしても山頂からここまでえらい距離あるのに、この短時間でどないして来たん? 次元渡りでもできな無理やん。やっぱ人間とちゃうんやなぁ」
「次、元……?」

 ここに向かう最中、何度か目の前の景色が揺らいで切り替わった現象のことでしょうか。正直よくわからないけれど、今はそれについて話している場合ではありません。

「ま、ええわ。伊吹になんか吹き込まれてたん? で、ここで何しとった?」

 声に凄みを感じます。夢の中の茨木さんとは、成長している分を考慮こうりょしてもやっぱり別人みたいです。喋り方のせいもありますが、体の大きさも、放つ圧力も桁違いです。

「伊吹くんはどうしているのですか?」

 それに、茨木さんがここに来たということは。

「あぁ、頂上でくたばっとるわ。とはいってもここいらの結界は切れてへんさかいまだ死んでへんけども……結界切れたら伊吹の部下全員押し寄せてきてめんどいしな、殺す寸前で止めといたってるわ」
「っ……」
「てことでな、アンタにも来てもらうわ。ど~してもね、あんたのその甘い匂い、純粋な人間のものとちゃうのやで。かといってあやかしにも見えへん。その辺、じっくり調べさせてもらって、ええ?」

 ぐい、と腕を掴まれて、ボロボロの体のあちこちに痛みが走りました。圧倒的な力の差を感じます。
 けれど。ここで連れていかれたら、伊吹くんは、そして店で待つみんなはどうなるのでしょう。私に何かできるわけではないですけど、助けてくれた伊吹くんと優しいみんなに迷惑を掛けたくなんかありません。
 でも、私でも。伊吹くんから茨木さんの気をそらすくらいなら。

 無理を承知で、精一杯の力で茨木さんの手を振り払おうと腕に力を入れてみます。でも力も強くて背の高い茨木さんに敵うはずがありません。

「無駄やで」
「いたっ……」

 押し返されて、尻餅をついてしまいました。なるべく時間を稼ぎたいのに、まともに抵抗もできません。

「……あんなぁ、手間掛けさせんといてくれる? わてかて怒んで。あんたもこれ以上痛い思いしたないやん?」

 茨木さんは面倒くさそうに溜息をついてから、私をひょいと持ち上げるて肩に抱えました。抵抗しても、びくともしません。ああ、これはダメかもしれません。万事休す、というやつです。
 諦めかけて、目を閉じかけたそのとき。
 洞窟の入り口のほうから大きな声が響いてきました。

「こらぁぁぁぁぁぁ! 茨木ィ! まだ勝負がついてないのに立ち去るとはいい度胸だなぁ。それとも、昔が懐かしくなってこんなとこまで浸りに来てんのか?」
「あァ? そないなわけあらへんわ!!」

 茨木さんが怒りのせいか、大声を出しながら振り向きます。洞窟の中に声が響いては消えていきます。
 振り向いた先、洞窟の入り口。差し込む朝の光。
 朝日を背後に立っていたのは、ボロボロのシルエット。
 あんなに体中痛そうなのに。来てくれたのです。ここがわかったのはなぜでしょう。きっとそれは、彼らにとってここが――
 色々な思いが押し寄せて泣きそうになるのを我慢しながら、私は叫びます。

「伊吹くん!」
甘祢あまね! 無事か!」
「……はいっ!」
「チィッ」

 茨木さんは舌打ちをすると、私を抱えたまま入り口にゆっくりと歩いていきます。
 
 2人が、向き合いました。
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