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番外編 第一話
前編 俺に討伐してくれとは言わないんだな
しおりを挟む「う、動けねえ……」
木々の枝の隙間から陽の光が差し込む森の中、地面に倒れながら小さな声でつぶやく。
「くそっ……さっきかすったヘルハウンドの爪に、麻痺系の毒か魔法でも付加されてたのか……?」
次の街へ向かう途中でこの森を通ったのだが、その際にヘルハウンドの群れに遭遇した。
ヘルハウンド。地獄の魔犬といわれるそいつらは犬型の魔物であり、体長は個体差はあるもののだいたい一メートルから二メートルほど。一般的な認識ではケルベロスやオルトロスの下位種とされている。
しかしあのケルベロスの群れの中には、おそらく麻痺系の毒か魔法が使える特殊個体でもいたのだろう。うかつにも、そいつの攻撃がかすっちまったってわけだ。
ヘルハウンドの群れ自体は既に討伐完了して、いまは街への行路を歩いていたのだが……遅効性の麻痺だったのだろう、いま頃になって身体が動かなくなってきた。
「やべえな……この状態で魔物に見つかったら、ソッコーで死ぬぞ……」
あいにくと麻痺を治す魔法は使えないし、薬も持っていない。いまはまだしゃべれるが、このままではいずれそれも出来なくなるだろう。
「くそっ……こんな時、ヒーラーでもいりゃあな……」
怪我や毒の回復は薬系のアイテムでも出来ると思っていたが、やはり一人旅では限界があるのかもしれない。それらのアイテムが尽きた時に、ピンチに陥る危険性があるのだから。
師匠の元を離れてからいくらか経つが、まさかこんなところで往生しちまうとは……。
後悔先に立たず。いま頃になって後悔していると、近くの繁みがガサガサと揺れた。どうやら本当に死ぬ時が近付いているらしい。
それでもギリギリまで抗ってやる……かすかに動く指先に極小の光の魔法陣を何とか出現させた時、繁みの向こうからそいつが顔を覗かせた。
「ハッハッ……」
犬だった。さっきのヘルハウンドのような魔物種ではなく、普通の犬。犬種には明るくないものの、おそらくレトリバーと呼ばれる犬だろう。
「ハッハッ……」
そいつが近寄ってきてペロペロと顔を舐めてくる。
「おい舐めんな……俺は食いもんじゃねえぞ……」
邪気がないことは察せられたが、顔がベタベタするので文句を言う。すると、またもや繁みがガサガサと揺れて。
「もおー、勝手に走っていったらダメでしょー」
その向こうから、今度は十代前半くらいの女の子が姿を見せた。
「いたいたー、って、人……⁉ え、死体……⁉」
「勝手に人を殺すな……」
「い、生きてる……⁉」
小さな声で文句を言うと、彼女はまたも驚いた声を上げる。死んでても生きてても驚くのかよ。
「ど、どうしたの⁉ 怪我してるの⁉」
「魔物にやられちまってな……怪我はほとんどないが、身体が麻痺して動かないんだ……」
「麻痺……⁉ とにかくちょっと待ってて! いまおじいちゃん呼んでくるからっ!」
そう言って彼女は繁みの中へと駆け出していく。てっきり犬もそのあとを追うかと思いきや、こいつはなおも顔をペロペロと舐めてきていた。
「だから舐めんじゃねえって……」
無邪気な顔をしてるのがタチ悪い。
「いや助かった。あんがとな。あのままだったら魔物に食われてたかもしれねえからな」
「いえいえ、麻痺を治す薬が家にあって良かったです」
礼を言うと、目の前の椅子に座る老人が笑顔を浮かべながら応じる。その隣にはさっきの女の子が座り、彼女の足元に犬が寝そべっていた。
森の中にある集落、そのうちの木造の家屋の一つにいて、ここは彼らの自宅だった。倒れていた場所からここまで運ばれて、薬を飲まされて治療されたのだった。
「そういや自己紹介がまだだったな。俺はシャイナ。旅の冒険者で、光魔導士をやってる」
「私はウッズと申します。この子はフォレ」
じいさんの言葉に、女の子が足元の犬を示しながら口を開く。
「この子はルデンっていうんだよ。よろしくね、シャイナ」
「ルデン? 変わった名前付けてるんだな」
「ゴールデンレトリバーだから、ルデンってしたの。覚えやすいと思って」
「……覚えやすいか……?」
まあ彼女がそれでいいなら、別にいいか。
ルデンはもう結構な老齢なのか、はしゃいだり騒いだりはせずに、静かに彼女の足元で寝そべったままだった。
と思ったら、不意に起き上がって、のそのそと歩み寄ってくる。なんだ? と思っていると、近くまで来たルデンはペロペロと足を舐め始めた。
「うおっ⁉ だから舐めんじゃねえ!」
「あははっ。ルデンはねー、気に入った人やものがあると舐める癖があるんだよー。良かったね、シャイナ、ルデンのお気に入りだよ」
「ちっとも良くねえ!」
女の子に続いてじいさんも笑顔を浮かべながら。
「珍しいですなあ。ルデンが初対面の人物にそうするなんて」
「俺は全然嬉しくないんだがっ⁉」
その間も、ずっと犬は舐め続けていた。
「だから舐めるな!」
「それにしても、こう言っちゃなんだが、よくこんなところに住めるな。ヘルハウンドみてえな魔物が出るってのに」
「「…………」」
言うと、二人はおもむろに押し黙る。思っていたことを言ったんだが、機嫌を損ねちまったか?
と、ややあってじいさんが重々しく口を開いた。
「実は、以前は魔物の出ない平和な森だったのです。しかし最近になって、急に魔物が出るようになって……」
「…………」
「まだ集落自体は襲われたことはないのですが、狩りや薪集めなどで森に行った者が襲われるようになって……」
「別の場所に住もうとは思わないのか?」
「……そう言って出ていった者もいます。しかし……後に森の中で死んでいるのが見つかって……魔物に食われた跡もあって……」
「…………」
「集落のみんなで話し合って、下手に集落を出ようとするよりはギルドからの討伐部隊を待ったほうが良いという結論になりまして……。先日、街のギルドへと応援を頼むための使いを出して、いまはそれを待っている次第です」
「…………、そいつもやられちまうかもとは思わないのか?」
尋ねると、じいさんは憂鬱な顔付きで首を横に振る。
「……そうならないことを祈るばかりです。とにかく、もう数日待っても応援が来なかったら、また次の使いを出すつもりです」
「…………、一応聞くが、俺に討伐してくれとは言わないんだな」
「…………っ」
じいさんはハッとした顔を上げる。しかし顔に陰を落としながら。
「…………いえ、魔物の群れがどの程度の規模なのか分からない以上、無関係なシャイナさんを巻き込むわけにはいきません。もしかしたら、一人では対処出来ないくらいの大規模かもしれないんですから……」
「…………、そうか……」
しばしの沈黙。じいさんも女の子も犬も、暗い雰囲気を漂わせる。
そして、じいさんは気持ちを切り替えるように顔を向けてくると。
「それよりも、もうすぐ日没ですし夕飯にしましょう。シャイナさんもご一緒に」
「いいのか?」
「ええ。それに夜は危険ですので、今日は泊まっていってください」
「いや、そこまでしてもらうわけには……」
「いえいえ、お気になさらずに。それにシャイナさんが魔物に襲われてしまっては、この子達も悲しみますから」
「…………じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか」
「ええ、是非」
それから質素ながらも食材の良さを引き出した美味い夕飯をご馳走になって、二人にこれまでの旅のことなどを話したり、犬に舐められたり……そんなこんなで夜は更けていった。
続く。
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