天使がねたあとで

orange 6

⭐︎side-he⭐︎





きっかけはボタンだった


「えっと、はじめまして」


中学2年の春


隣の席になった彼女に声をかけられた直後


「！？」


突然、机がガタガタと揺れ始めたため立ち上がったら


「きゃあ！」


胸の中に甘い香りがする長い黒髪が飛び込んできた


「落ち着けよ、ただの地震だろ」


震度で言ったら３か４と言ったところか


「ほらっ、さっさと離れろよ」


揺れはすぐに収まり、華奢な体をそっと引き離そうとすると


「痛っ…」


「えっ？」


俺の制服の胸ボタンに、彼女の髪が絡まっているのに気がついた


「ご、ごめんなさい…すぐに解くから」


震える指先で必死に外そうとすればするほど、複雑に絡んでゆく髪に


「切るしかないんじゃね？」


真っ青になって焦っている彼女にそう提案すると


「あっ、えっと…」


潤んだ瞳で俺を見上げた姿に一瞬ドキッとしてしまったのを悟られないように


「いつまでもひっつかれてると迷惑なんだよ」


ペンケースに入れていたカッターナイフで数本の髪を切り離したのだが


「あっ、ありがとう」


「べつに…」


なんとも言えない微妙な空気に耐えられなくなり


「で？なんて名前なんだよ、おまえ」


生まれて初めて、女に名前を聞く羽目になってしまった




そんな昔のことを思い出したのは



あの頃のように美しい黒髪を長く伸ばした彼女の提案が、俺にとったら激震と言っても過言ではないものだったからかもしれない


「なんで、そうなるんだよ？」


渋滞に巻き込まれた車のハンドルに突っ伏しため息をついた俺に、彼女は泣きそうな声でつぶやいた


「すみません。でも、他にどうしたら良いのか思いつかなくて」




5年ぶりに一緒に車で出かけた帰り道で


「働くって、おまえが？」


彼女は想像の斜め上を行く話をし始めた


「はい…わたしにそんなことが出来るのかわかりませんが、お仕事をして経済的に自立出来たら子どもたちを引き取らせて欲しいんです」


「どういうことだよ？」


言葉の意味は理解出来ても、なんで急にそんなことを言い出したのかがまったくわからずパニックになりかけた俺に


「あなたは…わたしのことは忘れて、誰か他の方と一緒になられた方が良いと思うんです」


あの時のカッターナイフなんか比べものにならないくらい、鋭い刃が突きつけられた





※次回に続きます