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あの日
わたしの瞳から涙がこぼれ落ちたのを見て
「冗談でしょ…」
驚いた表情で立ち尽くしていたのは、突然キスをして来たうみくんの方だった
「キスくらいで泣かないでよ、お姉さん」
「どうして?」
かろうじて絞り出したわたしの言葉に
「べつに、深い意味なんてないよ。ホストやってた時は人妻のお客さんはみんなボクに抱かれたがったし、探偵事務所の浮気調査も奥さんが不倫してることが多くてさ…つまり」
うみくんは大げさなくらい首をすくめて深いため息をついた
「お姉さんもたまには火遊びしたいんじゃないかなぁって思っただけ。そんな深刻に考えないでよ、子どもじゃあるまいし」
「子どもじゃないんだから、こんなことしないで」
「よっぽど旦那さんが好きなんだね。まぁ、たしかにあの人は特別かもね…めちゃくちゃ強い上にかっこいいなんて反則でしょ?」
あの人、という言い方にちょっと違和感を感じたけれどそんなことより
「彼は、強くなんてないわ」
「えっ?」
もちろん、プロのボクサー…しかもチャンピオンなんだから体力的な意味では強いと言って間違いないんだけど
数日前
お見舞いに来てくれたお父さんから聞いた話では、彼はわたしが手術を受けている間中ずっと真っ青な顔で震えていて
命が助かりそうだとわかった瞬間、膝から崩れ落ちてしばらく立ち上がることが出来なかったらしく
『彼のあんな姿は初めて見たからびっくりしたよ』
お父さんは冗談っぽく笑ってそう言っていたけど
わたしのことに関していうなら彼はすごく打たれ弱い一面があり、時々心配になってしまうくらいだもん
「なるほどね、あの人の唯一の弱点はやっぱりお姉さんってわけだ」
病室の天井を仰ぎ見るようにしてつぶやいたうみくんの口調は明らかに棘があった
しかも
「やっぱり…ってどういう意味?」
ゆっくりとこちらを向いて、真っ直ぐわたしを見つめたうみくんの瞳は氷のように冷たくて
「隠してるより面白い展開になりそうだから正直に言うよ」
「なんのこと?」
「お姉さんを銃で撃ったの、ボクなんだ」
えっ?
「嘘…だって、そんな」
「誤解しないで欲しいんだけど、ナナちゃんは全く関係ないからね。純粋にお姉さんを守りたくてボクを呼んだだけ…ああ見えて情に厚くて優しいんだよ」
言葉を失ってしまったわたしの頬を、再びうみくんの指がなぞり始める
「あいつを苦しめるには、お姉さん殺すのがいちばんだって思ったんだ。海外に行く度に趣味で射撃をしてたから自信があったんだけど、お姉さんが急に体を捻るもんだから心臓に当たんなくてガッカリしちゃった」
「あ…あなた、いったい」
「焦らないでよ、詳しいことは今度じっくり教えてあげるから…ただし、ふたりだけの秘密だけどね」
※次回に続きます
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