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四十七話 剣豪VS重治

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「じやぁ、あれは、やっぱり……」


「はい」


重治のすぐ横を歩く伊蔵は、いつもの優しい微笑みを向け、事も無げにそう答えた。


祝宴の翌日、重治は、祝いに集まったたくさんの人たちに別れを惜しまれ信濃の地、真田荘をあとにしたのである。







「……才蔵、帰るぞ!!」


突然、嵐のように現れた信長は、またまた突然のように帰還を告げた。


『ええぇー』


才蔵は、全く表情を変えず、心の中を隠し信長に向かって頷いた。


信長は、懐から取り出した書状をそばにいた伊蔵に手渡すと、昌幸に軽く頭を下げた。

そうして、幸せそうに寝息をたてる重治に愛しげな視線をむけ微笑むと、威風堂々の、いつもの信長に戻り、大股で歩き出し、部屋から消えたのである。


それまで、見知らぬ余所者の登場に、遠巻きにして状況を見守った村人たちは、信長が退場したにも関わらず、事の成り行きに感動したのか、バカ騒ぎの祝宴に戻ることはなかった。







「師匠、‥ねえ、師匠、師匠ってば……」


「……………」


「ねえ、師匠、せめて行き先ぐらい教えてくださいよ」


先を急ぐ、早足の重治の周りを 駆け足の信繁が五月蝿いように纏わりつく。


「……信繁、お前はついてこなくていいと言っただろ」


重治は、あまりの鬱陶しさに、思わず声を荒げていた。



翌朝、二日酔いと寝不足とで、朦朧とする重治の頭を正常に戻したのは、信長が、伊蔵に手渡した一通の書状であった。


たった一日の新婚にして、その一日目の新妻を鈴木重秀にたくし、多くの見送りを受け、真田の荘を出た重治たちを追いかけてくる一人の人影があった。

それが、後の真田幸村。今は、まだまだ未発達、少年の信繁であった。






「…………」


突然、立ち止まってしまった信繁。
重治が、振り向いて見たその姿は、それまでの明るい賑やかなものとは打って変わって、俯き黙り、今にも泣き出しそうな情けない表情の信繁であった。


将来には、あの家康をも恐れ脅かす、知力、武勇を持って秀でた武将の真田信繁ではあるが、今はまだ、発展途上のただの少年でしかなかった。


いつまでも立ち止まったままで、今にも泣き出しそうな信繁のそばにまで戻った重治は、ぽんと信繁の肩の上に手をかけた。


「……す、すまん。‥‥言い過ぎた。……時間が無いんだ……」



重治が焦るほど、足を速め急ぐには当然、それなりの訳があった。



勝頼のために信長の元を離れて九ヶ月。重治は、この年の秋に、織田家と本願寺との間の力関係に大きな変化をもたらす出来事が起こることを 当然のように知り得ていた。


しかし、重治が越後に入って、継承問題にけりをつけ終わる頃には、それまで、うるさかったほどの蝉の声も僅かになり、夜には、虫の音が聞こえてくる季節へと移り変わり始めてしまっていた。


そうしたそんな虫の音の響くようになった長月(九月)を迎えた、ある月の綺麗な夜、重治の知る史実、荒木村重の不穏な動向が、末松により報告されていた。





「……スイマセン……ワタシガ……わたしが、はしゃぎ過ぎて…………」


そう言うと信繁は、着物の袖で流れる大粒の涙を拭った。


「……信繁。いくぞ、全速力で。伊勢の九鬼殿の所まで……。ついてまいれ、遅れるな」


重治は、信繁に子供にでも言って聞かせるように、優しく、そして、はっきりと、そう告げていた。


「‥‥ハはいぃ」


再び、涙を拭った信繁の顔は、何とも情けないくらいの泣き笑いの複雑怪奇なものとなっていた。


信濃をたった重治たちが急いで向かう先、それは、信長から手渡された書状の送り主の待つ、伊勢志摩国にある九鬼水軍の主、九鬼嘉隆のもとである。




重治、伊蔵、末松のいつものメンバーに、おまけの信繁を加えた四人の旅は、大きなトラブルもなく、信濃の国境を越える峠にまでさしかかっていた。



「しかし、師匠って、ほんと凄いですよね‥‥」


「……」


「お館様をはじめ、上杉の景勝様。それに、あの信長様にまで、頭を下げさすなんて」


ついぞ先ほどまで、泣いていた者とは思えないほど、にこやかに、隣を歩く末松に話しかける信繁であった。

そんなどこまでも緊張感に欠ける信繁が元気を取り戻しはじめた時、それまで、早足をつづけていた重治の足が徐々に遅くなり、遂には止まった。


話しに夢中だった信繁と末松も、そんな重治にぶつかりそうになりながらも辛うじて停止した。


「どうかしましたか!」



それまで信繁との会話に夢中で緊張感を欠いていた末松は、慌てて辺りを見回した。


末松の必死の行動をよそに重治は、ただ黙って、歩いてきた道、信濃・越後の方角に振り向いて、ゆっくりと深く頭をさげた。






「では、どうしても……上杉の家督を継いでは貰えぬのか……」


「もう、私がいなくても、景勝様と勝頼様の二人が手を結び、協力しあえば、北条に脅かされる心配もなくなると思います」


「ならば、重治‥‥さま、もう少し、もう少しの間、わしのそばにいてはくれぬ……」


勝頼の言葉に重治は、ゆっくり、そして、大きく左右に首を振った。


この時、重治の心の中には、真田屋敷で楽しく過ごした日々の思い出と、それとは異なる大きな後悔が渦巻いていた。


極力、歴史の流れに関わらないように、動くときは、敬愛して止まない信長のためだけにと、強く心に決めていた重治であった。


しかし、いくら成り行き上の事とはいえ、上杉、武田の両家の中心に関わり、結果的には、歴史の流れを大きく変えずにすんだものの、今回は少し出過ぎの感がどうしても否めなかったのである。


「……景勝様、‥‥勝頼様。……何かあった時には、‥‥必ず、必ず、お助けに参りますから……」


重治は、景勝と勝頼を前にして、頭を深く下げた。



関わってはならないと思う気持ちと、二人に対する友情ににも似た不思議な思いが交錯、葛藤するなか、重治の口から自然に溢れ零れ出た素直な言葉であった。




上杉家と武田家の同盟が成立すると、景勝から勝頼に莫大な軍資金と信濃国と越後の国境にある上杉家の領地(景勝の出身地)を譲り渡されている。

この事が、勝頼の武田家の内部での権力強化、安定に役立ち、勝頼の武田家での地位の確保の助けとなっていくのである。




「それじゃ、頑張って行こうか」


頭を上げた重治は、何事もなかったかのように、唖然とする二人を後目に、再び歩き出した。


『さらば、信濃に越後!…………俺って、かっこいいかも』


歩き出した重治の一瞬漏らした笑みを見て、にっこりと微笑む伊蔵もまた、重治に続いて、止めていた足を動かし始めた。


「待って、くださいよぉ」


置いてけぼりを食った形の二人の言葉が、きれいに重なりあって、周りの山々にこだまするのであった。



予想された伊賀の国での襲撃もなく、重治、伊蔵、末松、信繁の四人の旅は、順調そのものであった。


唯一の重治の気掛かりは、九鬼水軍に依頼していた新型の軍船の完成の遅れが、歴史通り、毛利の水軍との実践に間に合うかどうかである。

しかし、そんな危惧も史実の通りの事実が起こるならば、心配も取り越し苦労に終わる筈であった。





『旅路は、九十九里をもって半ばとする』、そんな言葉を どこかで聞いたようだなどと思い出しながら、重治は、左手に持った刀の柄に右手をゆっくりと添えた。


既に、伊賀の里からは、随分と離れ、九鬼砦まであと少しの所にまでたどり着いて、一安心という雰囲気になっていた時であった。


「‥‥信繁、ぬかるな!」


「?えっ、‥‥は、はい!」


重治の様子の変化に、意味もわからず、少し緊張ぎみに強張った返事を信繁が返した時、鋭い風切り音とともに、四方八方から矢が雨霰のように降り注ぎ重治達を襲った。


「‥‥くっ、大丈夫か、信繁?」


「もっちろん‥‥」


重治の心配をよそに信繁は、そんな状況下にもウキウキと楽しげに返事を返した。


信繁と出会って、九ヶ月。

暇さえあれば、時ところを構わずに、暇さえあれば、伊蔵ら三兄弟に、立ち替わりにしごき抜かれた信繁の武芸の技量は、持って生まれた才能もあったのであろう、今では、超一流の武芸者のレベルにまで達していた。


それでも信繁に心配があるとするならば、実戦経験の少なさからくる慢心ぐらいかも知れなかった。


伊蔵、末松、信繁、重治の四人は、雨霰と降りしきる矢を見事なまでのステップと、目にもとまらない鋭い刀裁きで、いとも簡単にかわしていった。


いったいどれくらいの攻撃が続いたであろうか。

永遠に続くかと思われた長い長い攻撃による、空から舞い落ちる流星雨のような矢も、徐々に減り始め最後には消え失せていった。


「大丈夫か、信繁!?」


「‥‥ふう……」


重治のかけた言葉に、肩で大きく一つ息をした信繁は、笑ってみせることでそれに応えた。

重治たち四人の立つ、それぞれの場所を中心とする画かれた真円は、まるで、その場所を禁域に設定したかのように、たった一本の矢でさえ、その禁域内には存在しなかった。





「……竹中重治殿と、お見受けもうす」


重治は、矢の攻撃の次に来るであろう波状攻撃に備え、辺りに全神経を集中していた。

そんな中、重治の警戒網をかいくぐり、声をかけた人物があった。


「拙者は、上泉信綱と申す。そなたに、恨みが有るわけでないが、この年寄りの我が儘と‥‥、一手、手合わせ願えまいか……」


その上泉信綱と告げた年配の人物は、そう一気に話すと、にこやかに重治に微笑みかけた。


『剣豪』もしもこの言葉に相応しい人物の名前ををあげるとしたならば、宮本武蔵、佐々木小次郎、柳生石舟斎、他多々いろいろな名前があげられるだろう。

しかし、剣豪と呼ばれた最初の人物は誰かと聞かれたならば、上泉伊勢守信綱と言う名前が、最初にあげられるのではないであろうか。

柳生石舟斎の師でもあり、新陰流の祖でもあるとされる上泉信綱。
その生涯での達人たる逸話は、数えられないほど、数々残されている。

そんな、上泉信綱が、今、重治の前に現れたのである。



『上泉信綱?』どこかで、確かに聞いた名前である。しかし、この時にはまだ、信綱の名前を重治は思い出す事はできない。

手に持った刀を杖代わりに、腰が曲がっているという事まではないけれど、とても刺客が務まるような歳には見えない。


「何だ、貴様は!?年寄りからとて、無礼は許さんぞ!!」


じりじりと、地に突き刺さった矢を避けながらも相手に徐々に迫る信繁は、声を張り上げ相手を恫喝してみせた。


「……かっぁつ!」


そんな信繁に対し、信綱が叫んだ。

信綱にしてみれば信繁の恫喝は、全く意味を成さないものであった。


信綱のたった一言で怯んで、へたり込んでしまった信繁に、もはや信綱とやりあう気力は消え失せていた。


まるで大人が赤子の腕を捻る容易さをもって、たった一言で、戦意を消失させた信綱は、重治の方を見て、一瞬、にやりと口元に笑みを浮かべた。


「‥‥では、改めて重治殿。一手、御手合わせ願えまいかな」


再び、重治に手合わせを願い出た信綱に対して、重治は、静かに頷いた。


重治は、禁域となっていた自らのサークルをゆっくり踏み出し、折れ散った弓矢の僅かな隙間を信綱にむかって歩き出した。



重治は、折れ散って地に突き刺さった矢の林を信綱に向かってゆっくりと近づいていく。

その重治の歩み、その間合いに合わせて、相手の信綱は、矢の乱立する林から遠ざかりながら、足場に障害のない戦いに適した場所へと重治を導いていった。



重治と信綱の間、周りに障害がすべて無くなったとき、二人の動きは、止まった。


今、重治の前に存在する信綱からは、決して強い闘気、殺気を感じ取る事はできない。
しかし、重治には、じっとりと汗の噴き出す手のひらから、相手の信綱の力が、とても尋常のものではないという事を強く感じさせていた。



「では、重治殿。参りますぞ」


信綱は、最初、杖にしていた左手に持った大刀を鞘からゆっくりと抜きはなち、にやりと笑った。



重治は、信綱の笑いに、ぞくりと背中に悪寒が走るのを感じた。

ブルリと武者震いをした重治は、信綱に合わせて、慌てて愛刀を鞘から抜き出して、正眼へと構えた。

重治の正眼の構えに対して信綱は、特に特別の構えをとるわけでもない。
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