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十三話 越前撤退戦

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織田家、しんがり木ノ下藤吉郎部隊は、兵力僅か三千。それに対して迫りくる朝倉軍は、総勢二万を軽く越えていた。


木ノ下部隊が朝倉軍を迎撃しようと準備を急いでいた頃、本隊である信長の元でも、兵たちの退却は困難を極めていた。

浅井軍の動きが予想以上に早く、信長軍の士気の落ちきった部隊では、追撃来る朝倉軍との激突は避ける事の出来ない事実と思われ始めていた。


しかし実のところ重治達の内通工作は功を奏し、それまで展開の早かった浅井軍の足は止まりつつあり、しかも退却するべき近江方面からの攻撃がないという知らせも持ち込まれ、本隊の退却の可能性が高くなったことで、木ノ下部隊の士気は、それまで死地に赴くために盛り上がりに欠けていたことが嘘のように、一気に高まっていったのである。



そして遂に、歴史に残る世紀の一戦が開始された。

早急の準備が整った木ノ下部隊に、敵朝倉軍二万人の第一陣、山崎長門守吉家軍が最初に襲いかかったのである。

退却を始めた織田軍背後を守る木ノ下隊は、両側を山に囲まれた、地形的優位にたつ谷合に陣を張っていた。

しんがり部隊が防戦一方になり反撃できないという常識を覆し、正面からの攻撃を受け止めて、両側の山あいに伏兵を配し、隙を付くという策を選択したのであった。


そんな策が用いられているとは知らない朝倉軍は、数にものをいわせ、津波のように一気に攻め寄せてきた。

藤吉郎隊は、二重、三重の防護柵を配し、敵の侵入を防ぎ、懸命にこらえていた。
伏兵の出現のタイミングをぎりぎりまで見極め、計っていたのである。


「大将、もうだめだ。こらえきれねぇだ」


「みんな頑張れ。あと少しの辛抱だ。頑張れぇ」


藤吉郎は、雑兵の一人一人にまで叱咤激励を飛ばし続けていた。



織田家のしんがり部隊の思わぬ抵抗に、朝倉家第一陣の将、山崎吉家は、しびれを切らし、自らが攻撃すべく、部隊の前面に進み出てきたのである。


「今だ。合図をだせ!」


木ノ下藤吉郎の陣中から狼煙があがると同時に、敵軍、両脇の茂みの中から雷のような激しく勇ましい雄叫びと共に伏兵に配した者達が飛び出してきた。

慌てふためく朝倉の兵士達。

相手の混乱に乗じて、一気果敢に攻め込む伏兵。

勝負は呆気ないほど簡単についた。

藤吉郎の配した伏兵は、敵の大将のみを狙って攻撃、大将を無くした朝倉第一陣の軍は、統率を崩し、退却を余儀なくされる事になったのである。

ここ若狭の地にて、藤吉郎により第二の桶狭間の戦いが再現されたのである。


「えい、えい、おぅー。えい、えい、おぅー」


「えい、えい、おぅー。えい、えい、おぅー」


朝倉軍を撃破した木ノ下部隊の勝どきが何度も何度もこだました。

絶対不利の状況下での圧倒的勝利であった。
兵士達の興奮は、絶頂に達していた。


そんな兵士達の興奮が冷めるには、しばしの時を要した。
その時間を藤吉郎は、一日千秋の思いで待ち続けた。


「皆の者、ご苦労であった。敵の退却したこの期に我らは後退を開始する。近江の国まで引くことができれば、間違いなく国に帰れるぞ」


「おぅー」


「皆のことを待っている人に会えるのだぞ。さあ、すぐに始めるのだ」


「おぅー」


最初の戦闘での被害を最小にくい留めることに成功した藤吉郎は、敵が一時撤退している隙に、さらなる戦いのために部隊の後退を開始した。


朝倉軍を一旦は撃退に成功した藤吉郎部隊ではあったが決してそれだけで、戦いが終わった訳ではない。

再び襲い来るであろう朝倉軍の攻撃は、前回とは違い油断のないより厳しい攻めをしてくる事は、難なく想像できた。


朝倉軍が態勢を立て直し、進軍して来るまでの時間は、ほんのわずかな時間しかない。

藤吉郎は、焦る気持ちを抑えつつ、兵士たちに移動を即座に終わらせるよう、自らが走り回り指示をだしていた。


負傷者を優先的に出発をさせる。そして、準備が終わったものから順に後退を始めさせた。

その移動する最後の者達の中、藤吉郎がいて、最後まで指示を出し続けていた。

次の陣に着いた時、藤吉郎がせねばならぬ事は、重治からの指示では何もない。
藤吉郎は、そのことに不安を感じながらも、次に用意されているという陣に向かって歩みを早めていった。


藤吉郎が次に向かう陣に先に着いた重治は、三人の忍びを使い、朝倉軍の次の動きを探らせていた。


全ての藤吉郎部隊の兵が移動を終えた頃、三人の忍び達が重治の元に報告に現れた。


「朝倉軍は、第一陣の大将を討ち取られた混乱から、いまだ立ち直っておらず、今しばしの猶予は有るものかと‥‥」


「うむ、わかった。ご苦労、ありがとう」


重治が待つ、その陣に着いた藤吉郎は驚いた。

その場所には、防護柵に、水、食料、武器までもがすでに準備されていたのである。
通常、退却戦においてしんがりの役目は、命を持って本隊を守り抜くこと。このように、しんがり部隊に至れり尽くせりの用意がなされることなど有りはしなかった。


これは先に撤退した本隊が、撤退経路に沿って、しんがり部隊のために用意したものであった。


重治は、藤吉郎がその陣に着くと、先ほど忍びから聞いた報告を藤吉郎に詳しく伝えた。


敵の攻撃からの備えが全て出来上がっているこの陣では、敵の攻撃までの時間を有効に使うことができた。

負傷者の手当てや食事の時間をとり、次への戦いに備えられたのである。


その間の重治といえば、再び、伊蔵たちに敵朝倉軍の情報収集を頼む事にしていた。
敵の次なる攻撃の出方など綿密な情報を得ようとしたのであった。


「伊蔵、頼む。‥‥今度もかなり危険を伴う仕事になる」


「はっ、お任せください」


「頼むぞ」


伊蔵ら三人の忍びは、軽く頭を下げた後、すばやくその場所から走り出した。

重治は、そんな三人の無事を祈って、その姿が見えなくなるまで見送っていた。


木ノ下隊の兵士達は、食事、休息をとった事、先の戦いでの大勝によって生まれた、大きな自信と余裕があった。

しんがり部隊に選ばれた当初は、今にも逃げ出さんばかりの弱腰の百姓兵の寄せ集めに見えた部隊が、たった一度の戦の勝利の経験によって、百戦錬磨の精鋭兵に見間違えるほどの部隊に生まれ変わっていた。




朝倉家、第二波の攻撃は、その日の夕刻になってもなされることは無かった。

木ノ下藤吉郎隊の緊張は、徐々にではあるが緩みが生じ始めていた。



日が傾き夕暮れに染まり、日の沈もうとするほんの少し前、一つの影が重治の前に現れた。


「重治様、ご報告にあがりました」


それは、重治のみに仕える事を誓った、忍び三人のうちの最も足の速い末松であった。


「朝倉家、第二陣攻撃隊は、攻撃準備を終え、夜襲をかけるつもりで待機しております」


「うむ、やはりな……。 伊蔵と才蔵は、どうした?」


「はぁ‥‥、伊蔵、才蔵の両名は、敵部隊に潜入、潜伏しており、夜襲攻撃のさい、その敵部隊の正確な位置を知らせる合図を送るとの事です」


「なんて無謀な‥‥。敵陣の中で、その様な合図を送って、無事に済むとは思えない。何とかして二人を引き上げさせてくれ!」


「‥‥それは、いくら重治様の命令でも、ご無理な相談だとおもわれます」

「なぜだ。わたしは、あれほど、いのちを粗末にするなと、言っておいたはずだ!」


「‥‥重治様、そういうあなた様だからこそ、頭の伊蔵は、あえて敵陣に残る事を選んだんだと思います‥‥」


「どうして……」


重治は、言葉に詰まった。
それまでは、何一つ反論をみせず、すべての命に従っていた伊蔵が自らの判断で行動を始めたのである。


「我ら忍びは、死人にございます。あるじの、命令あらば、どんな事でもいたしまする」


「…………」


「そんな我らの、いのちを尊んで下さる重治様のためならば、例え、命令などなくとも、己の判断において、重治様に危険が及ばなくさせるのは、当然の事にございます」


重治は、何一つ返す言葉が見つからなかった。
自分の思いやりからでた言葉が、より危険な窮地へと、二人を向かわせるとは、重治には考えも及ばないことであった。


「‥‥では、私は、もう一度、敵陣に潜入し、夜襲の刻限を探ってまいりまする」


「待て!」


立ち去ろうとしていた末松ではあったが、重治の言葉に立ち止まり、ゆっくりと重治の方を振り向いた。


「末松。なんとしてでも伊蔵、才蔵の二人に伝えよ。死ぬ事だけは、決して許さないと。どんな事をしてでも戻ってこいと。この命令だけは絶対だ。よいな」


「はっ」


重治に返事を返した末松の表情には、小さな笑みがこぼれていた。


「お任せを」


そう言ったかと思うと、まばたき、1つする間にその場からいなくなった。
重治は、末松の走り去った方角を見つめがら、一つ、大きなため息をついた。


「どうか、なさりましたか?」


末松を特別な思いで見送る重治の後ろから声がかけられた。

重治は、声の聞こえた方をゆっくりと振り返った。
声の主は木ノ下藤吉郎の弟、小一郎であった。


「これは、小一郎様‥‥」


「ため息などつかれて、どうかなされましたか?」


「いえ、たいした事では‥‥。それよりも朝倉軍は、夜襲の準備をしている模様です。急いで迎撃の備えをしないと」


「な、なんと!真ですか!?それは、たいへん。すぐに、兄じゃに報告せねば」


末松からもたらされた最新の情報は、すぐに藤吉郎に報告され、早急の作戦会議が催された。

重治に仕える忍びの報告を下敷きに、熱のこもった軍議は進められていった。

そしてその軍議の結論は、すぐにすべての部隊の者に知らされた。

そして、敵の夜襲に備え、兵士たちによる迎撃準備が進められていったのである。


全ての準備をし終えた頃、息を切らせた必死の形相の忍びが一人、藤吉郎の陣に駆け込んできた。


「重治様、お知らせします。敵、朝倉軍 出陣。こちらに向かって進軍しております」


末松の知らせを受けた重治は、すぐに各小隊に伝令を走らせる。

弓、鉄砲隊にすぐにでも攻撃ができるように準備を急かせた。


奇襲を掛けてくる敵に、逆に先制攻撃を仕掛けるのである。

もちろんこれも、二人の忍びの命がけの行為による副産物の作戦である。


残りの槍部隊の者たちには、迎撃を受け混乱する敵兵に対し、追い討ちを掛ける手はずを整えていった。



朝倉軍を待ち受ける藤吉郎の陣中は、話し声、物音、何一つしない、静寂に包まれていた。

月明かりは、あるものの厚い雲の多いこの日は、暗闇となる時がほとんどを占めていた。

篝火のない陣外では、月明かりの無いときには、真の暗闇と化していた。



敵は、こちらの陣の中にある篝火を目標を頼りととしてやってくる。


敵の夜襲を事前に知っていようと、いくら注意力を高めようとも、暗闇の中の敵を発見するのは、困難、不可能な戦場であった。


陣中の緊張感は、頂点に達しようとしていた。
そんななか、暗闇の中から今までには聞こえてはこなかった小さな異音が耳に届いてきた。

敵の正確な位置はつかめないものの、確実に朝倉の兵士達は、この陣を目指し近づいている。


その時、異音のした方角から突然、火の手が上がった。


「弓矢隊、鉄砲隊、打ち方始めぇ。目標は、打ち合わせ通り、あそこに見える火の手だ」


命令が終わる前には、火の手に向かい攻撃が加えられていた。

敵の攻撃の前に、一気に決着を着ける。
全てが重治の想定の範囲のなかで行われていた。


「どうかいたしましたか、重治様?‥‥作戦は、大成功。このまま行けば今回の勝利も間違いなし。万々歳ですじゃ」


重治は、よほど不安げな顔をしていたのであろうか。
木ノ下藤吉郎がこの戦いの最中、大事な時にもかかわらず、わざわざ重治に声をかけてきたのである。


「‥‥いや、何でもないんです。さあ、混乱している朝倉軍に追撃の命令をださなくては」


重治の頭の中にあるのは、敵軍に潜入している二人の忍び、伊蔵と才蔵のの事。二人の安否でいっぱいであった。

重治は、頭の中の思いを振り払い、目の前の戦闘にのみ集中しようとした。

しかし、眼前に迫る暗闇の中からは、悲鳴、戸惑いの叫び、逃げ惑う者達の声が途絶えることなく聞こえ続いていた。


朝倉軍の夜襲に対しての迎撃は、大成功をおさめたのである。


「槍兵部隊、追撃開始じゃあ!」


暗闇からの叫び声が小さく遠ざかって行くのを確認した時、藤吉郎は、混乱する朝倉軍により大きな打撃を与えるため、槍兵たちに追撃を命じた。


先制攻撃、追撃に要した時間は、ほんのわずか一時間余りの戦いでしかなかった。
しかし、重治にとってのその一時間は、永遠に続くのではないかとさえ思われるほど長く長く感じられるものであった。



「えい、えい、うおぅー。えい、えい、うおぅー。えい、えい、うおぅー」


藤吉郎部隊で、二度目の勝利の勝どきが、重治の目前で上げらた。すべての者たちの喜びにもかかわらず、その声はどこか遠くで聞こえてくる声のように感じらる重治であった。


「重治様、お休みになられなくてはいけませぬ」


重治に仕えてくれている三人の忍びの一人、末松が、睡眠を取ろうとしない重治の身を案じて声をかけてきた。


「まだ、二人が戻って来ない……。今、しばらく‥‥待っている……」


途切れ途切れの重治の声は重く沈み、今にも泣き声に変わりそうであった。


「大丈夫。あの二人なら……。兄じゃの伊蔵も才蔵も、殺しても死ぬようなヤワではありませぬ。大丈夫‥‥」


「………」


「………」


「………」


「‥‥誰が、殺したって、死なないだって」


重治と末松の見つめている暗闇の中から声がした。
そしてその声のした暗闇から、二つの影が現れいでたのである。

もちろん重治には、その声の主が誰だかすぐにわかった。
何故ならその声の主は、ずっと待ちわびていた者たちのものであったからだ。


重治は、現れた伊蔵に駆け寄り抱きついた。

抱きついた重治は、泣きじゃくり、話しかける言葉はまるでわからない。
それでも伊蔵は、そんな解らない重治の言葉に、何度も何度もうなずき答えるのだった。


「死なないと、言ったじゃないですか……」


「うん‥‥」


「約束だったでしょ」


「うん‥‥」


「無事だったんだから、もう、泣かないで」


「うん‥‥」


「さあ、もう泣き止んで」


「うん‥‥」


「……………」


「うん……」


緊張から一気に解放され、安心しきった重治は、伊蔵の胸に顔を埋ずめたまま、深い眠りに落ちていった。


翌日早朝、木ノ下隊は、撤退経路上に既に設けられた、次の陣地に向かって出発を開始した。


「‥‥おはよう」


重治は、照れくさげに伊蔵に声をかけた。


「おはようございます。重治様。皆さん、移動を始めました」


「‥‥うん。……これからも、よろしくたのむ」

「何をおっしゃいますか。我らが主は、重治様、ただ御一人。何があってもお守り、申し上げまする」


「‥‥う、うん。……さ、さあ、行こうか。」


そんな、ぎくしゃくとしたやり取りの中、重治たちも、急いで次の陣に向かい、先行する者たちの後を追った。


移動の途中重治は、朝倉軍の次の出方、及び、現在の浅井軍の動きを偵察するよう伊蔵に指示を出した。

重治の命を受けた三人の忍びたちは、それぞれの目的地に向かって消えていった。


その後、重治は、先頭を行く藤吉郎に急いで追いつき、共に次の陣地へと急いだのである。


次の陣地に入って重治が目にして驚いたのは、そこに、織田家がこれまでに集めてきた鉄砲のほとんどが残されていたということであった。


陣地の周りには、浅いながらも壕までが張り巡らされ、防護柵も三重仕立てで強固なものである。

ここは、若狭から近江に抜けるための撤退経路、若狭側の最終地点に位置していた。朝倉軍の追撃を振り切る為には、どうしても負けられない戦場である。


先行して撤退していった織田信長が、しんがり部隊の最終決戦の地点と考えたうえでの最高のプレゼントであった。

織田軍が持ちうる最強の武器、大量の鉄砲を重治に託したのである。




木ノ下藤吉郎隊のすべての兵士の移動がすむより先に、陣中の一画では幕が張り巡らされ、周りからは遮断された場所が作り上げられた。
そんな幕内では、今後の戦いについて重治からの秘策が告げられていた。



突然に、藤吉郎が叫んだ。


「何ゆえにです。射撃の訓練ならばわかります。しかし、玉込めの訓練など見たことも聞いたこともない。いくら重治様のおっしゃる事であっても、この貴重な時間をそんな訳のわからんことに使う事は出来ませぬ」


「まあ、待て、兄じゃ。重治様の説明を聞かない事にはだな……」


重治が突然に提案した秘策を理解しきれず藤吉郎は、凄い剣幕で重治に食ってかかった。


「確かに、貴重な時間である事は承知しております」


「では、なぜだ?重治様ともあろうお方がなぜそのような事を」


必死で落ち着かせようとする小一郎の甲斐があったのか、藤吉郎は何とか平静を取り戻し、ようやく、話しを聞く気になりだしていた。


「今までの鉄砲を使った戦い方は、弓矢の使い方と同じで、遠方の敵に手傷を与える為の物で、鉄砲のみで敵を倒す事はできませんでした。」


「その通り。だからわしは、この陣に着いたとき、大量の鉄砲を見て、退却に邪魔で捨て置かれたのかと思ったのだ‥‥」


「いえ、そうではないのです。大量の鉄砲があればこそ、今までにない新しい戦術が使うことできるのです」


重治は、これまでと違う鉄砲を用いた戦いを藤吉郎に事細かに説明していった。

一度、発砲したあと、次に撃てるようにするために必要とする時間を、隊列を三重にする事で、その時間を短縮して、連続攻撃を可能とする新しい戦法、三段撃ちなのであると。

その戦術を使うため、信長がわざわざ壕を巡らし、防護柵を三重とした強固な陣を築いたのだという事まで重治は、事細かく説明していった。


「すばらしい‥‥。小一郎、なにをぐずぐずしておる。皆を集めてすぐに訓練開始じゃ」


藤吉郎は、勝利が確約されたかのように、はしゃぎながら小一郎に命令を下した。

はしゃぐ緊張感の薄れた藤吉郎に対して重治は、注意を促した。


「藤吉郎様、よくお聞き下さい。この新しい鉄砲による戦術が成功すれば、全く被害を受けずに勝利する事ができます」


「うむ、その通りじゃな」


「はい。そしてその圧倒的勝利が朝倉家には、織田家に決して勝つことは出来ない事を知らしめ、心に恐怖を植え付けるという役割もあるのです」


「‥‥うむ、わかった。この戦い、必ず勝利しようぞ」



藤吉郎の部隊のように百姓、雑兵中心の部隊では、鉄砲すら触った事の無い者も多く、苦肉の策として重治は、撃ち手、運び手、玉込めの三重の隊列とする事にした。
そして、三つの部隊の連携が繋がるようにと、時間一杯をかけた訓練を続けていた。


そんなとき、近江方面に向かっていた末松が偵察を終えて報告に帰還した。


「浅井軍に特に怪しい動きはございません。約束を取り付けた3将に動く気配は全くありませんでした」


「ご苦労でした。これで後は、峠さえ越えてしまえばとりあえず安全という事か……」


重治にとっての気がかりは、これで一つ解消された。

あとは、鉄砲による新戦法が成功するかどうかである。幸いにして、今のところ天候が崩れる様子は全くない。


この時代の鉄砲は、火縄銃であり、天候とは切っても切れぬ関係にあった。

雨天時の戦闘には、鉄砲の種火を消さぬための用意も必要となってくるのである。



迎撃の準備は整った。

兵士達は、何度もの練習によってそれなりの形にはなり得た。あとは、実践で成果を試すだけである。


重治の頭の中にある知識のなかに、信長が武田の騎馬隊に対して用いた戦術であり、結果を残していることが記憶されていた。


しかし、その出来事は、これより何年も後の話であり、この退却戦で鉄砲が用いられたという事実が、歴史書、古文書で記されているものは、どこにもなかったはずである。


重治は、この朝倉・浅井との戦いに置いて、歴史の流れにない、逆らうと言ってもよい行為をとったのかもしれない。

この戦いの結末が未来でどう書き残されていくのか、重治にとって、人に決して相談できない、最大の心配事となってしまっていた。



木ノ下藤吉郎隊は、緊張と集中を保ちながら、敵朝倉軍の来襲を待った。

昼が過ぎ、日がやや傾き始めた頃、重治の手足となって働く忍び、伊蔵と才蔵が役目を終えて戻ってきた。


「重治様、ご報告いたします。敵朝倉軍がまもなく、攻め込んでまいります。伏兵を警戒しながらのゆっくりとした進軍であります」


「ご苦労さま。あとは、こちらの仕事。伊蔵達は、ゆっくりと休息を取っていてくれ」


「はっ。何かあれば何なりと御命令くだされ」


重治は、心に重い荷物を背負いこんだまま、朝倉迎撃のための準備に走り回った。


やがて、伊蔵達の報告通り、朝倉の兵士達はゆっくりと、重治達のいるこの陣を目指しやってくるのが確認できるようになった。


「鉄砲隊!まえぇへ!!」


「いそげぇ、いそげぇ、急ぐんだ」


命令、かけ声の飛び交う中、訓練通り、兵士達は準備を終えた。
あとは、『撃て』の命令を待つだけになった。


「あわてるなぁ。敵を十分に引きつけろ」


「まだだぁ、まだだぞぉ」


「もう少しだぁ。準備は、いいかぁ」


藤吉郎は、敵が鉄砲の射程距離の内に入るまで、鉄砲隊に構えたままで、出来うるギリギリの距離まで待機をさせた。

兵士達の緊張はぐんぐん高まっていく。

敵の浅井軍が鉄砲の射程内に入りきったとき、藤吉郎は、大声で叫んだ。


「いまだぁ、撃てぇー!!」


凄まじい程の轟音と煙、硝煙の匂いが漂う中、第一陣の鉄砲の一斉発射から二陣への発射のために素早い鉄砲の交換が行われる。


「かまえー。‥‥うてぇー!」


続けて藤吉郎は、鉄砲発射を命じた。

撃ち終わった鉄砲は、後方に待機した兵士が玉込めの作業行う。

鉄砲による攻撃が途切れる事はなかった。


第二弾、三弾、四弾、五弾目の攻撃の終わる頃には、目前には、死体のやまができあがっていた。

間髪入れない、途切れる事のない攻撃に、朝倉家の兵士たちは為すすべもなく銃弾に倒れていった。

まったく、手の打ちようのない朝倉軍の残された道は撤退か玉砕。
朝倉軍は、一方的な被害を出しただけで、やむを得ず撤退を開始した。

決着は、あっけないほど簡単に着くことなった。


圧倒的勝利を織田軍、木ノ下藤吉郎隊は納めることとなったのである。

この戦いにおいて朝倉軍は、織田家との力の差を痛感させられる。そしてそれは、今後の戦いに大きな影響を及ぼす事になっていくのである。


「えい、えい、おぅー。えい、えい、おぅー」


「えい、えい、おぅー。えい、えい、おぅー」


何度も何度も歓声が上がった。
しんがり部隊の大将である藤吉郎は、満足げにその様子をながめていた。


「兄じゃ。今のうちに峠を越えて近江の国に引き上げましょうぞ」


「うむ、そうじゃな。小一郎、各部隊に命令を告げて参れ」


「はっ、ただちに」



藤吉郎は、全ての部隊に連絡を行き渡らせ、即座に撤退を開始した。

近江との国境の峠まで、さほどの距離はなく、圧倒的、力の差を見せつけられた浅倉軍からの追っ手が現れる様子はなかった。


誰の目から見ても、撤退は順調にすすんでいるように思われた。

ちょうど藤吉郎の本隊が峠にまでたどり着き近江の国にさしかかろうとしたその時であった。



それは、突然に、雷鳴のように響き、山々を木霊した。


『ダッダーン!』


茂みの中から発射されたその一発の銃弾は、藤吉郎目指し一直線に向かっていった。


それは、朝倉軍のせめてもの報復、織田の大将首、藤吉郎を狙撃せんがための銃声の音であった。

馬にまたがり藤吉郎と共に歩んでいた重治には、なぜか、それが白い糸を引き、ゆっくりと藤吉郎目掛け近づく様が、鮮明に目で追う事ができていた。


「危ない!!」


重治は、白い糸筋に気づいた瞬間、本人さえ意識する前に、乗っている馬を走らせていた。

藤吉郎の馬にぶつける事で、銃弾と藤吉郎の間に入り込んだのである。

藤吉郎に向かって一直線に飛んできていた銃弾は、入り込んだ重治に目標を変えていた。


「重治さまぁー」


間に入り込んだ馬上の重治に銃弾は命中。
重治は、馬上より、もんどりうって落下した。

駆け寄る、忍び三人。

藤吉郎は、重治の乗る馬に体当たりをされた事でバランスを崩しており、何が起こったのかさえ判らずにいた。


「重治さま。重治さまぁ!」


そんな絶叫に返る言葉はなかった。

一時は混乱をきたした藤吉郎ではあったが、その重治の様子を見て、すぐに状況を把握した。藤吉郎は、すぐに、そばにいる兵士たちに、この近辺の探索を命じ、辺りに更なる危険がないかを確認させていた。


駆け寄ってくる藤吉郎。少し離れた場所にいた小一郎も、この異変に気がつき、慌ててやってくる。


「重治様。重治様ぁ。重治様ぁ」


「重治様ぁ。重治様。重治様ぁ」


「重治様ぁ。重治様ぁ、しげはるさ……」


何度も何度も、重治に呼びかける、伊蔵、才蔵、末松。
しかし、いくら叫んで呼びかけても、重治は何も答えてはくれない。


藤吉郎、小一郎、伊蔵らの見守る中、誰もが重治は息を引き取ったものと、死を感じとっていた。

誰もがあきらめかけたその時、重治の腰に刺されたていた小いさな刀が輝きを放ち始めたのである。


その輝きは、最初、誰一人、気づく者がいないほどの弱い淡い光であった。徐々に徐々に、輝きを増していくその光はやがて見つめる事すらできないほど強い輝きを放っていた。

その白く、まばゆく強烈な光は、どんどん大きくり、気がつけば重治のすべてを包み込むまでに成長していた。
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桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

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