花鬘<ハナカズラ>

ひのと

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2章

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その日の夕方、私はシュヴェルツと一緒に夕食を食べたいと申し出てみた。
昼間は何か微妙な雰囲気になってしまったので、その仲直りがしたいというか、うーん……一緒に夕食を食べて、いつものようにくだらない会話に付き合ってもらえば、昼間の微妙な雰囲気を忘れられるのではないかと思ったのだ。
お兄ちゃんや弟と喧嘩したときと同じだ。数時間前に殴る蹴る泣くの大喧嘩をしても、一緒に食卓を囲んで適当なバラエティ番組を見て、あれが面白いだのつまらないだの話している内に、喧嘩はすっかり無かったことになっている。
ごめんね、の言葉のひとつもない仲直りはいいのか悪いのかよくは分からないけれど、私たち兄弟の中では上手い具合に回っていたのだ。
だから、シュヴェルツともそういう風に仲直りできればと思ったのだけれど……

「その、リツ様、シュヴェルツ様は今日はご政務でお忙しいそうで、夕食はお召し上がりにならないそうです」
「……しゅべるつ、おしょくじ、いっしょ、ない?」
「はい、あの、それから、やはり忙しいので今晩はいつものようにこちらへは来られないと……」
「……はい」

夕食はおろか、最近は毎晩付き合ってくれていた“今日覚えた単語披露大会”まで断られ、私はさすがに落ち込んだ。
そんなことされたら、どうやって仲直りすればいいのだ。
考えていることがアリーには伝わってしまったのか、アリーはおろおろしてから、「あっ!」と声を上げた。

「リツ様、お手紙を書くというのはいかがでしょうか?今日のお花のお礼ですとか、労いの言葉ですとか!リツ様は最近文字を書くのも上手になられましたし!」
「おてまみ?」

何それ、と首を傾げる。
書く、って言ったよね?
お花、ありがとう(お礼)、文字、書く?―――あっ、手紙を書いたら?ってことか?

「かく?もじ?」
さらさらと文字を書くように手を動かすと、アリーはこくこくと頷いて、にっこり笑った。

「きっとシュヴェルツ様もお喜びになられます。いかがでしょう?」
「よろこぶ?」
「はい、きっと!」

シュヴェルツ、手紙を貰うと楽しくなるのか。まあ分からなくもないけど。
メールの時代だし、手紙ってちょっと嬉しくなるよね。うん。

「はい、わたし、かく!おてまみ!」
「お手紙、です。リツ様」
「おてがみ!」

ではすぐに準備いたしますね、とアリーの柔らかな声がかかり、メイドさんたちは紙や羽ペンを用意し始める。
さて、何て書こうかな?私は少しだけうきうきしながら、頭の中で文章を作り上げていった。




そうして手紙を書き終わった頃には、すでに夕食の時間で、私のお腹はぺこぺこだった。
一番最初に書いた、思いの丈を綴った手紙は、メイドさんたちの「な、何て書いてあるのだろう……」という雰囲気を感じてボツになったが、メイドさんたちの助言を受けながら数度の書き直しを経て、おそらくシュヴェルツが読んで理解できるレベルの文章にはなったのではないかと思う。
アリーは綺麗な封筒にその手紙を入れ、蝋で封をしている。
その光景を見つめつつ、ふと、考えた。

―――今の手紙、ちゃんと私の言葉で書いただろうか。

最初に書いたときには十分自分の気持ちを込めて、自分の言葉で書いたと思うのだが、それは勿論文法なんて一切無視の文章だった。
しかし、親切なメイドさんたちはあれやこれやと修正をしてくれたおかげで、おそらく一般的な、綺麗な文章の手紙を書けたのだと思う。
けれど、そこに自分の気持ちはちゃんとあるのだろうか、と疑問に思ったのだ。
いや、別に書いてあることをまるっと変更されたわけではなくて、「しゅべるつ、ごめんね」が「シュヴェルツ様、先程はたいへん申し訳ありませんでした。心配していただいたというのに、わたくしったら……」になったくらいだとは思うのだけど。

でも、と思う。
何か嫌だな、と思う。
私の言葉だけど、私の言葉じゃない。
これをシュヴェルツに渡すのは何だか違う気がする。

アリーが「では届けて参りますね」と微笑んでドアを開けるのを見て、私は慌てて「とまる!」と声を上げた。
待って、の言葉が届いたアリーはきょとんとしてこちらに向き直る。

「どうかなさいましたか?」
「わたし、わたし、おてがみ、……い、いや」

やっぱりやめておこうかなぁと思って、なんて曖昧な言葉は知らず、嫌の言葉を口にすると、アリーはちょっと目を見開いて、それから首を傾げた。
手紙を書くのを手伝ってくれたシャナは「リツ様、お上手に書けていらっしゃいましたよ?」と多分褒める言葉を口にした。

「ありがとうございます。わたし……おてがみ、ない。いう、いい」
やっぱり手紙じゃなくて直接話がしたい。
あれだけ手伝ってもらったのに今更こんなこと言うなんてわがままだと思うし、今日は忙しいから無理だと言われたのだけど、でも。

「しゅべるつ、かお、みる、いう。おてがみ、ください」
顔を見て直接言いたい気がする。
もごもごと言葉を口にすると、メイドさんたちは顔を見合わせ、少し困ったような表情をした。

「ですが、シュヴェルツ様はお忙しいようですし……お手紙なら空いた時間に読んでいただけますよ?」
何て言われたのかよく分からないが、多分「いいからとりあえず手紙を渡しておけって」みたいなことを言われたのだと思う。メイドさんたちの表情はそんな感じだ。
でも、と言おうとしたけれど、うまい言葉が見つからない。
それに、メイドさんたちが「こうしろ」と言っていることを拒否するのも億劫になって、私は結局頷いてしまった。

「おてがみ、おねがいします」

別におかしなことが書いてあるわけではないのだ。そこまで拒否しなくてもいい。
そう自分に言い聞かせて、アリーに手紙を届けてもらうようにお願いする。
アリーは今度こそにっこり笑って、承知いたしました、と膝を折った。









そうして一人っきりの夕食を摂り終え、お風呂に入ったり何だりして、いつものようにネグリジェに着替えさせられた。
私がベッドに入ると、最後まで付いていてくれたアリーも「お休みなさいませ」と部屋から出て行く。
そうしてベッドの中でしばらくごろごろして、今日の出来事を色々と思い出して、すっくと身を起こした。

やっぱり、ちゃんと話そう。

何を話せばいいのかよく分からないが、とりあえず何でもいいから話そう。今日覚えた単語を聞いてもらおう。
そう思い、ベッドから降りて戸棚から鍵を取り出す。シュヴェルツの部屋へと繋がるドアの鍵だ。
それを持ってシュヴェルツの部屋へと繋がるドアへと近づき、かちゃりと鍵を差し込む。
ドアにぴたりと耳をあてたけれど、向こう側からは何の音もしなかった。
まだ仕事中か?どうやら忙しいの言葉は嘘ではなかったらしい。

勝手に人の部屋に入るのはどうかと思ったが、ううーん、緊急事態ということで許してもらえないだろうか。
ドアに向かって「ごめんなさい」をしてから、ぐいぐいとドアを押し開ける。
やはり、シュヴェルツの部屋には誰も居なかった。
灯りの無い暗い部屋だ。
悩みつつ、とりあえずベッドに腰掛ける。

いつ戻ってくるのだろうか。
まあ、もう夜も遅いし、もう小一時間もすれば戻ってくるだろう。

そういう適当なことを考えつつ、私は退屈を紛らわせるために、とりあえずベッドにころんと横になった。
勿論眠ろうなんて思っていなかったけれど、ううむ、肌寒い。
よし、ちゃんと布団を被ろう。そう思い、シーツの間に潜り込む。
ふわりと軽い羽布団はあたたかく、眠るつもりはないのに、ゆっくりと瞼が落ちていく。
まあいいか、シュヴェルツが戻ってきたら、起きればいいのだ。その間にちょっと目を瞑るだけだから―――そう自分に言い訳して、私はそっと目を閉じた。







***






「……リツから?」

メイドが届けに来たという、リツからの手紙を受け取り、僅かに眉を寄せる。
あの汚い文字で綴られた文章は、自分に解読できるだろうか。それが問題だった。
しかし、何故か、本当に僅かだが、ふっと笑みが零れる。
まるで疲れたときに一杯の温かい紅茶を飲んだときのような、そんな心地だった。

しかし、蝋で封をされたそれを開いて、書かれた文章に目を通した後、私はそれを適当なところに放った。
整然と並ぶ文章は、おそらくメイドの一人がリツに教え、綴ったものなのだろう。ありきたりな謝罪の文章が並ぶそれを丁寧に読む気分にはなれなかったし、そんな暇もない。
リツからの手紙の存在は、すぐに脳内から取り払われた。

そうして夜も更け、さすがにそろそろ休むかと席を立つ。
机の隅に放られたままのリツからの手紙を見つけ、ああ、そういえば、と思いだした。
面倒だが、こちらも適当な返事を出すべきだろう。
さっとそれを手に持ち、執務室から退出する。
廊下には月明かりが差し込み、穏やかなそれを浴びつつ、私は部屋へと足を向けた。
早くベッドに入って休みたい、その欲求を叶えるために。



そうして部屋に戻り、夜着に着替えて、ベッドに腰を下ろす。
そのままいつものように布団を捲ってそこに倒れこむと、「ぎゃう!」という猫の尻尾でも踏みつけたときのような声が自分の体の下から聞こえた。
ぎょっとして身を起こし、そこにいるものを見つけて、目を見開く。

「……リツ?」
呟いた名前の通り、そこにはリツがいた。
ネグリジェを身に纏ったリツからは、 ううう、と悪鬼のような唸り声が漏れている。
どうやら自分が潰してしまったらしいことに気付き、慌てて抱き起こした。

「リツ?おい、どこか痛むのか?リツ?」

さすがにそれほど体重はかけていなかったとは思うのだが、相手はリツだ。
動物でも子供でも、小さな生き物というものは大抵が脆弱だ。骨が折れたなどということもありえなくはない。

「リツ?おい!」
それほど苦しいのか、リツは「うー」とだけ言って、体を丸める。
灯りの無い部屋では顔色も確認できない。
数分前、何も確認せずにベッドに横になろうとした自分の行動を責めると同時に―――いや、だがどう考えても、自分のベッドに他人が寝ているなどとは普通は思わないだろう!―――、さっとベッドの傍のベルを取り、医師を呼ぶためにそれを鳴らそうとした。
しかし、そのベルは鳴ることがなく、代わりに『さとちゃん重い!』と言う言葉と小さな拳が顎に打ち付けられたのだった。







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