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【番外編1】:仕事とデートと夜のドライブ
2 課長
しおりを挟む人生で初めてお化け屋敷に入った。
オレの子供時代はおそらく相当に無味乾燥な物だったと思う。
男の権威を振りかざし母を虐げる父は、オレに対して能力は求めても愛情を与えることはなかった。そして小学生の頃、母はオレを捨てて父の元から逃げた。
今思うとちょっとおかしくなっていた母の状態を思い出せば、身体的虐待の前にむしろよく逃げ出したと思う。あのままだと完全に心を病んで虐待からの無理心中までいってもおかしくなかった。だが当時のオレとしてはたまったもんじゃない。
だから当時は連れて行けよと思ったりもしたが、それはそれで共倒れコースだっただろう。二十歳そこそこで閉じ込められるように主婦になった女が、三十過ぎて自尊心も踏みにじられて、病んだ状態で子連れでまっとうな社会生活を送るのは厳しい。結果論ではあるが、一人で逃げるのがお互いが生き延びる最善の選択だったのかもしれない。
そんなわけで、逃げる直前は既に育児放棄になっていた母が、オレを遊びに連れて行く余裕などあるはずもなかった。不幸にもオレは父親に似ていたことだし、関わりたくなかったのか、それとも関わればきつく当たるのを堪えられなくなるからだったのか。
父はというと、オレに興味がなかったから当然遊びに連れて行ってくれることもなかった。
おそらく愛人のもとに入り浸っていたであろう父は、母の不在に気付くことなく数日に一度帰ってきてもオレの話も聞かず、また出て行く。ついに家に残っていた食材も金も底をつき、空腹を抱えながら考えた末、父方の祖父母に生活に困っている旨を伝える電話をした。
オレはそのまま祖父母に引き取られたが、さすが父を育てた人間だと言うべきだろう。外面がよく、孫は自慢できる存在でいるべきで、ひたすら礼儀正しく、優秀で、見栄えの良い存在でいることを求められた。
ただ、祖母だけは父の有り様を少し不満に思っていたのか、それとも孫がただかわいかったのか、それとも普通の状態でオレが満足のいく基準に達していたのか……それなりに、普通にかわいがってくれることもあった。
けれど、良くも悪くも、オレの記憶力はそれなりに良い。幼児期に母が無条件にオレをかわいがってくれていた記憶も残っていた。
「条件付き」と「無条件」の隔たりを理解できる程度には、少し冷めた子供だったのだろう。時折思い出したようにかわいがる程度の祖母に、何かを求めることはなかった。
なので、アグレッシブな子供の遊び場には、行ったことがない。
祖父母に生活を管理されていたオレが、友達とそういった場所に行く機会もなく、青年期は既に堅いイメージも付いてしまい、またオレのコミュニケーション能力は育てられることなく底辺を突き進み、そしてこの強面である。
一体誰が「おい、松永、一緒にお化け屋敷行こうぜ」って誘ってくれるというのか。
遊びに誘われたことなんか、なかったんだよ……!! オレなりに仲良くなりたいアピールを頑張ってみたけど、ことごとく期待と逆向きの結果に終わった。
この顔が恐ろしいと知ったのは、その頃である。
涙なしには語れない過去だ。ふざける友達がいないから寂しいなんて、思ってないし……っちょっと目から汗が流れてるだけだしっ
そう、そんなわけで、つまり、これは……初・お化け屋敷!
さすが篠塚!! こんなところに躊躇わずさらりと入っちゃえるその能力、かっこいいな!! オレ、この年だし、何か照れくさくって興味あっても入れなかったんだよな!
初めてのお化け屋敷にテンションが上がる。
しかも何かもっともらしい事言って、手を繋いでくれるその優しさに、オレもう、惚れ直すしかないよね!! 引っ張ってくれないと、いい年したおっさんが浮かれて入るなんて……っていう気持ちになって絶対断ってしまうもんな。無理矢理に入る理由作ってくれる篠塚が好き!
羞恥心から、仕方なくお前が引っ張るからだぞ、みたいなふりをしながら、テレビでしか見た事のない純和風な作りのお化け屋敷をまじまじと観察する。
よくできてるなー。この暗さとか光のバランスとか、良い感じに作り物臭さをぼやかしてるんだろうなー。
篠塚と手を繋いでいるテンションを押さえつつ、楽しく薄暗い道を進んでゆく。
時々、大きな音や、突然の動きにびびらされることはあったが、こういう経験がほとんどないから、なかなか楽しい。少し進んで、何となく驚かせるパターンみたいなのがつかめてきて、そろそろ来るかなと身構えるのも楽しい。
「……課長、全然驚きませんよね……」
面白くなさそうに篠塚がつぶやく。
確かに男二人が手を繋いで、黙々と歩いているだけなのだ、そりゃ面白くないだろう。
ごめんな、いい反応出来なくて。
篠塚に申し訳なくて、しょんぼりとする。驚かすポイントで、お互い一瞬「おお」と身じろぎをする程度で「なるほどな」とか、静かな声で「これは驚きますね」とか淡々と会話をしながら歩いているのだ。反応としてはいまいちだろう。
でも、びくってなるの、驚いているのバレバレで結構恥ずかしいんだよな。これ以上は、無理!
とはいえ、オレが楽しんでいるのは伝えたい。オレはこのお化け屋敷の良さを伝えるべく必死に頭を働かせた。
「……驚いてはいるぞ。気の緩みや予想外な場面で驚かせるポイントをよく突いている。さすが、こういう施設はよくできているもんだな」
お化け屋敷のスタッフさん、ちゃんと楽しんでいるからねー! 篠塚も連れてきてくれてありがとな、オレ、めっちゃ楽しい!!
がんばって喜びを伝えてみるが、「……そうですね」と、何となく篠塚がしょんぼりしている。
いやだって、オレみたいなのが「きゃあぁぁぁ!」ってしがみつくのも、わざとらしいのも、さすがに嫌って言うかさぁ?
時々、仕掛けに胸を高鳴らせつつ、ついつい楽しくて立ち止まるオレを誘導する篠塚に「かっこいい!」と感動して繋いだ手を眺めつつ楽しんでいたが、突然、暗がりに奇声と共に近づいてくる白装束の男が出てきた。それまでの仕掛けとは違う生身感にぎょっとする。
おお。最後はこう来るのか。
思わず観察していると、「ここは逃げるところですよ」と、笑った篠塚が、オレを引っ張って走り出す。
なるほど。そうやって楽しむのか。なかなか奥が深いな、お化け屋敷。
走り出すと、なるほど白装束のお化けは距離をつめて走ってきはじめた。
「ははっ」
これはなかなか楽しい。篠塚と手を繋いで走る。ちらりと後ろを振り返ると追いかけてくる白装束。
繋いだ手が、オレを引っ張って、何となく守られているような気分を味わう。
もう少し、このまま……と、思ったところで、出口にたどり着いた。
「あー! くっそ! 課長全然驚かないんだもんな!」
出口で篠塚がそう言って笑った。
「いや、驚いたぞ」
「俺、びびる課長を引っ張っていこうと思ってたのに、いつの間にか、お化け屋敷観察する課長を引き離す係になってる気分でした」
篠塚は笑って繋いだ手を上げる。
思わずオレも笑って、名残惜しいと感じつつも手を放す。
デート時間はおしまいである。
「お前のおかげで興味深かったよ。取引先の関わってるところを探すのも面白かった」
そう言った瞬間、篠塚が固まった。
「……え。そんなとこまで見てたんですか。……俺、そこまでは見てなかったんで、後で教えて下さい……」
「……その為に入ったんじゃないのか、お前は」
篠塚は笑ってその場をごまかした。かわいいから許す。
****
「あのリーマン二人組、ぜんっぜん反応しないのな! 特に背の低い方。すごい観察されてたんだけど、あれ、もしかして敵情視察じゃないの?」
「違うと思うよ、入り口ではいる入らないで問答してたし。背の高い部下君がおもしろがるから、しぶしぶつれてかれたってかんじ。あの強面の人がびびってたら面白そうだったのに、全然だったんだw」
「全然だよ。最後気合い入れたのに、無表情でまじまじ観察されて、妙に迫力あってオレの方がびびったし。マジでオレどうしようかと思ったもんな……。立ち止まられると、追いかけることできないじゃんよ! 長身の方が笑いながら「逃げるところですよ」とか言ってようやく走ってくれたけどさー、気を使って走られたのは初めてだよ……」
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