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上司・M氏の失敗
4 まさかのM志望
しおりを挟む篠塚がひるむように身体を強ばらせた。
「う、嘘です。だって、課長は、俺にだけ、きつかったじゃないですか。俺にだけ、いつも駄目出しして……っ」
手の平を返したような好意を向けられて、受け入れられないのは当然なのだろう。めったにないうろたえる様子に、苦笑いする。
「お前の出来が良すぎたからなぁ。どこまで出来るか見たかった。お前が食らいついてくるから、楽しかった。……辛かったな、ごめんな」
さすがに、お前がかわいいからもっと関わりたかった……は言わないぐらいの自制が働いた。全部暴露していくつもりでも、さすがにそれは羞恥が勝った。さすがにおっさんからの構いたい宣言は気持ち悪いだろう。
そして今まで言いたくてもどう言えばいいか分からなかった謝罪が、ようやく素直に口を突いてでた。
傷つける言い方をして、ごめんな。いやみったらしい言い方になって、ごめんな。あんな行為に走らせるぐらい傷つけて、ごめんな。イヤミなおっさんの上司なんて、襲いたいわけがないのにな。
未だかつてない素直な俺の言動に、篠塚のうろたえ方は更に加速する。
いつも堂々とした自信満々のイケメンが動揺してる姿、めちゃくちゃかわいいな。やべぇ、謝っているのに、顔がにやけそうになる。こんな時まで篠塚がかわいすぎて、辛い。
にやけるのを必死で堪えるオレの顔を見て、びくっと身体を強ばらせた篠塚が苦しそうに顔を逸らせた。
「そんなわけ、ないっ、だって俺の仕事を見る時は、いつも不機嫌そうな顔をしていたじゃないですか。今だって……」
今? 今か。そうか。オレは今もまた不機嫌そうな顔になっているのか……どう言い訳する?
……いや、もう暴露しちゃおう。
「がんばってるお前がかわいいからって、ニヤニヤしていたら、性格悪そうに見えるじゃないか。あー……、その、な、笑うのを堪えていた。すまん」
「は? 笑うのを堪えて?! 馬鹿にしてるんですか……!」
あ、そう取っちゃうんだ! なんて言うかな……えーと、素直に思ったことを言葉に……。
「いや、かわいいな、と思って」
ってバカかオレは! 素直にといってもバカ正直に何でも言えばいいってもんじゃな……。
「なんですか、それ……。意味が、分かりません……」
うそん。
一瞬で怒りの勢いが衰えたんだけど。
責めながらもちらちらとこちらの表情を伺う姿は、甘えで拗ねているようにも見えて、思わず手を伸ばして前髪をさらっと撫でた。
すると反射的に篠塚が身体を引いてしまう。その反応にオレも驚いて手を引っ込めた。
やっべぇ、思わず欲望に負けた。
「な、なにっ」
「あぁ、悪い。以前から、撫でてみたかったんだ。……お前が、食らいついてくるの見るたび、つい撫でたくなっていた。いつも我慢していたから……それも不機嫌そうに見えたかもな」
それにしてもさっきからの篠塚の態度は、まるで脅える子猫のようだ。
興味はあるけど、怖い。
そんな風に見えて、嫌われているのをうっかり忘れて、もしかしたら関係を結び直せるかもと期待が膨らむ。謝ってる最中なのに、許されることばかり考えている。このまま和解して、真っ当な上司と部下として、仲良く笑って呑み交わせる日も来るかもしれないなどと。図々しくも思い描いてしまう。
篠塚はオレが触れた毛先を隠すように押さえながら、未だ驚きから立ち直ってない。
「は? 我慢って……。え? 俺のこと、撫でたかったんですか? いつも?」
直球だな、おい。照れるだろうが。
なんと言ったらいいか分からなくて、苦笑いでごまかす。
すると篠塚から表情が消えた。……さてはまたなんか勘違い?!
「……ま、そういうことだな」
慌てて言葉に出して篠塚の言葉を肯定する。やべぇ。根性入れて言葉にして答えていかないと今までの繰り返しだ。
「それは……俺が、課長を、……その、無理矢理……した後も、ですか?」
レイププレイのことか。
問いかけてくる声は低い。脅えているようにも、懇願しているようにも、怒っているようにも聞こえる。
その意味を考えようとして……やめる。考えてしまえば、また言葉を失ってしまう。篠塚がどう受け取るとしても、正直に答えていくことに決めた、それを実行しなければ、元の木阿弥だ。
「そうだな」
「……そうは、見えませんでしたけど」
疑り深い目を向けられて一瞬言葉に詰まる。
考えるな、勢いだオレ。ファイト!
「……オレがお前の仕事にいちいち口を出していた件だが……、あれは、お前が入社した当時からお前に構いたかったから……構い過ぎて嫌がられた典型だな」
なにから説明しようかと考えて、うっかり思考が遡りすぎて言わなくて良いこと言った、と気づいたのは、篠塚が過剰に反応した直後だ。
「え?!」
再びがばっと顔が上がる。驚いた篠塚の顔がオレの目に飛び込んできた。
OH……せっかく一度は隠し通せたものを、うっかり暴露しちまった……。だから勢いで喋っちゃダメだと、あれほど……! イヤでも今は勢いが必要で……ああー!
コミュ障のトークスキル、辛い。おっさんの構いたい宣言とか、気持ち悪いよなー。ごめんなー。
現実を見たくなくて遠い目になる。
「え、え? え、その、だから、それは、無理矢理、した、後も?」
「ん? ああ」
篠塚の疑り深い目が痛い。信用なんてされるわけないんだけど、ほんとにオレはお前に構いたかったんだよぅ。
言葉にしても伝わらない悲劇。
だが待てよ。信用されなくても辛いが、よくよく考えれば、信用されても、それはそれでおっさんの構いたい宣言が伝わる現実……どっちに転んでも、痛いな。
ああ、人間関係って本当に難しい。仕事では困ったことないのに、どうしてプライベートになるとここまで駄目になるんだ。
ふと気づくと、篠塚が怒っているように見える。いや怒るというより、悔しそうな? 悲しいのを怒りでごまかしているような……?
「……あんな事されて、どうしてそんなことが言えるんですか……! 俺を、引き留めるため、ですか? それでそんな嘘、つくんですか? それとも……」
なんでそうくる?! いやいやいやいや。待て。絶対お前、今ろくな事考えてないだろう。
くっそ、意思疎通、ほんと難しいな。
思わず真顔になってしまう。真顔はやばいと薄々気付いているというのに。
なぜならオレの顔は怖いから。分かってる、自覚してる。オレだって好きでこんな厳つい顔してない。オレ泣いちゃう。
が、オレの真顔が効果を発揮したのか、威勢の良かった篠塚が黙り込んだ。そのことにほっとして、とりあえず全力で説明しようと頭をフル回転させる。
ええと、強姦されたのに、どうして引き留めるか、だよな。あれ? 違うか? まあいいや、さっきも言ったかもだけど、まずはそっから。
「……落ち着け。まずオレは、お前を引き留めるための嘘はついてない」
「でも」
「まあ聞け。お前はもっと上を目指せる男だ。だからこの会社にとどまる必要はない。ただ、オレのせいでやめる必要はない。引き留めたのは、オレがお前を傷つけるだけ傷つけて、放逐するような真似をしたくなかっただけだ。お前に責任があると思わせたくなかったからだ。責任は、オレにある。だからオレがやめる」
篠塚の表情が苦しそうに歪む。
「でも、俺のしたことはっ」
「反省はしろ」
言いつのろうとする篠塚の言葉を、溜息がてら遮った。
「お前のやったことは間違いなく犯罪だからな。でもそれはオレがいいと言っているんだ。とはいえ、やった内容は常識的に考えて許されることじゃないから、行動の反省はしろ。それで十分だ。何度も言うが、オレとお前との間に起こったことの、全ての責任と原因は、オレにある。お前は自分のやった行為の反省だけすれば良い。そこの責任を取る必要はない。だから引き留めた」
「……納得いくわけがないでしょう。あんな行為、俺は……っ」
あ、違う。
苦しそうな篠塚の表情を見ていて、唐突に気付いた。
篠塚が気にしていたのは引き留めた理由とかじゃなくって、どうしてオレが強姦を許せるのか、なんだ。
つまり、篠塚自身が、自分のやったことが許せないんだ。篠塚がオレをレイプしたことを悔いているんだ。自分を許せなくて、苦しんでいるんだ。
篠塚は許されたいんじゃない、きっと、責められたいのだ。
まさかのM志望。なんということだ。だが、すまん篠塚。オレ、責めプレイは顔芸が限界(不本意)。
篠塚はやったことを罪として償いたいのかもしれない。許されるのはその先にある物で、何もせずに許されるのは、自分が許せないのかもしれない。
反省すべきは、オレだった。分かってたけどつくづく実感する。これは、レイププレイヒャッハーとか思ってる場合じゃなかった……。
オレは見誤った。
オレなんかのために篠塚が傷つくわけがないと感じていたのだ。篠塚がこれまでの行為を反省したとしても、せいぜいちょっとした黒歴史だったり、汚点だったり、思い出したくない記憶になるぐらいだと思っていた。だから最終的にはプライドが少々傷ついて、鼻をへし折られて、むしろ良い薬になるんじゃないかぐらいに、軽く捉えていた。
篠塚にはちょっとかわいそうだけど、ちょっとぐらいオレの欲望を優先しても大丈夫だと、オレは無意識に計算をしていた。
オレは篠塚に嫌われているから、篠塚が本格的に傷つくことはないと。
そんなわけ、ないのにな。
これが、オレがコイツを止められなかった結果だ。オレがちゃんと早く止めてやれなかったから、オレが望んでしまったから、ツケをコイツが払っている。
腹をくくれって事か。
やめる覚悟はしてるけど、……きっついなぁ。言いたくないなぁ。でも、それ以外、篠塚を納得させる方法、ないよなぁ……。
「……篠塚。オレが仕事を辞める。お前は残れ……話は終わりだ」
「ですから……!!」
席を立つと、机を廻って篠塚の前に立つ。苦しそうな顔でオレを見上げてくる篠塚に笑ってみせる。
そしてネクタイを掴むとそのまま頭を引き寄せ唇を押しつけた。
「え、かちょ……っ」
噛みつくようにキスをして、舌をねじ込んでやる。
最後だ。思い出代わりに、キスぐらいさせろ。オレからの、最初で最後のキスだ。
篠塚の身体を突き放すようにしてキスを終わらせると、もう、どうとでもなれと精一杯笑ってやる。
「オレはゲイだ。お前に惚れている。だから問題ないんだよ。お前に罪はない、償う必要もない。……じゃあな」
呆然と椅子に座り込んでいる篠塚の顔から背を向ける。
答えは聞かない。……聞ける訳ねぇだろ、ねぇよ!! そんなおっそろしい勇気なんかないわ! 逃げる一択に決まってんだろ!
ドアを閉める瞬間、「課長……!」と躊躇いがちな声がしたが無視した。振り返る勇気なんかないってばよ!
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