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後日談

課長が踏み出してしまった一歩の話1

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 三井さんもこの電車だったのか。

 少し離れたところに先日配属された新人が自分と同じ電車に乗っているのを見つけた。
 ずいぶんと早いな、と思ったのは、自分が乗っている電車は会社に一時間以上早く着く物だったからだ。
 けれど、彼女は少し早めに出社するとはいえ、ここまで早くなかったはずだ。
 首をかしげる先で、彼女は二駅手前で電車を降りていく。
 どうやらそこから歩いているらしいと気付くまで、時折観察するようになったのが、彼女を気にするようになったきっかけだった。




「課長、これですが……」

 今日中に提出予定の書類を持って質問に来た彼女に目をやる。

「ああ、ここはね……」

 いつも通りを装って受け答えをするが、彼女のわずかに上気した頬や、緊張しつつも一生懸命な様子、何より淡く滲ませた好意を向けられて、ほだされないわけがない。可愛い部下を微笑ましく見つめる時期はとおに過ぎて、彼女からにじみ出る好意が、ゆっくりと染みこむように浸透してきて、気がつけば彼女を女性として好ましく思うようになっていた。

 一緒に電車に乗っていることに彼女はいつ気付くだろうと、少し楽しみに彼女の様子を毎朝眺めていたのだが、一向に気付く気配がない。

 もしかしたら服装のせいもあったかもしれない。
 通勤時、俺の服装は基本的に私服だった。スーツは堅苦しくて苦手なため、会社にスーツを常備し出勤してから着替えるようにしている。
 普段から、プライベートと会社仕様では、印象が違うと言われることが多かった。会社ではコンタクトをしてきっちりとスーツを着て、髪も後ろに流してあり、相応に落ち着いている印象があるらしい。仕事には関係のない友人が会社仕様の俺を見ると、「誰」と指を指して笑われたことがある。
 プライベートは極めてカジュアルな物を好んで着る。会社の人間にプライベートであったとき、「課長、ジーパン履くんですね」と言われ、何が珍しいのか理解に苦しんだ。ジーパンもカーゴパンツも、ハーフパンツもジャージも普通にはく。ただオンとオフを切り替えているだけだが、まるでコスプレでもしているかのような反応をされるのは、少しばかり納得しがたい。
 加えて、会社でコンタクトを入れているが、通勤の時は眼鏡をかけ、髪も整えることなく前髪が落ちているので、顔の半分が隠れて人相も違って見えているのかもしれない。

 その事に気付き、ますます、彼女がいつ気付くのか試したくて、声をかけることなく、彼女の指定の場所近くで彼女が乗るのを待つようになった。

 それにしても彼女は鈍かった。すぐそこに密着して俺がいるというのに、全く気付かない。あまり顔を上げて電車内の人の顔を見ている様子がないせいもあるかもしれない。電車では、彼女がスニーカーを履いているためか、いつもより低い位置に頭がある。見上げる角度が違えば、見え方に差があったりするのだろうか。

 思い当たる原因をつらつらと考えながら俺に気付かずにすぐそばにいる彼女に触れる。触れ合っても気にする必要がないのは、満員電車の特権かもしれない。
 俺がすぐそばにいて、毎日見ていたと知ったら、彼女はどんな反応をするだろう。
 満員電車にゆられながら、少しだけ彼女を周りの圧迫から守るのが、密かな楽しみだった。

 以前は、時折スーツで出社することもあったのだが、スーツで出社すると彼女にばれるかもしれないと思い、時には満員電車の中スーツを携帯しての出社になることもあった。
 ばかばかしいことをしていると思うが、彼女のそばで、彼女がなんの気兼ねもなく、電車の人混みに押されてぴったりと身体をくっつけてくるこの楽しみは捨てがたかった。

 気がついたときには、彼女のことが気になって仕方がなくなっていた。彼女の好意にほだされただけではない。時折眠そうに小さくあくびをする少し幼い表情や、うつむき加減に足を踏ん張って電車の揺れに立ち向かうようにしている姿や、無防備な彼女の様子がことごとくツボにはまった。
 部下だと思い、そういう対象に見るつもりはなかったが、元々が好みだったのがいけなかった。そうなると仕事中も彼女の何気ない様子が微笑ましく目がいってしまう。
 末期だ。
 そんな自分を苦笑する。彼女が可愛くてたまらない。「三井さん」と名字で呼ぶのすらもどかしい。名前を呼んでこちらを振り向かせたい。「香奈」と呼んだなら、彼女はどんな顔をするだろう。それだけで頬を染めてうつむきそうだ、などと想像してにやけてしまう始末。
 重傷だ。




 その日も、彼女のすぐ脇に場所を陣取って、二人並んで満員電車にゆられていた。
 カーブの時、いつも踏ん張る彼女が珍しく足下のバランスを崩したようで、俺の方に倒れるようにもたれかかってきた。反射的に抱き留めるように動くと、腕の中で彼女がぴくりと震えた。うつむき、耳が赤くなっていくのが目に映る。

「すみません」

 小さく呟いてこちらの顔を見ることもなく、けれど少しだけこちらに顔を向けペコリと頭を下げる。満員電車で体重かけられて謝られたのは初めてだ。電車の揺れに身をまかせるのになれていないのか、それとも支えるように動いたことに気付かれたのか。そんな様子さえ微笑ましい。

「どういたしまして」

 さすがに気付くかな、と、囁くように声を返してみれば、びくんと体を震わせただけで、こちらを向くことなく、うつむけた頭を少しかしげて答えるのみだった。

 これでもまだ気付かないのか。

 苦笑しつつも、そんな一方的な掛け合いを楽しむ。
 今日はもう気付くことはないだろうと、回した腕を納めようとしたときだった。
 少し早めの時間帯、満員電車といっても、それなりに動く余地はある。それでも動けば人に触れてしまう程度には密度が高い。そんな状態で腕を動かすと、意図せずに彼女に触れることになった。
 それがどうやら彼女の臀部にあたったと気付いたのは、彼女がぴくんと震え「ぁ……っ」と小さな悲鳴を上げたせいだった。

「……」

 満員電車もいい仕事をしてくれるなどと思ったのは一瞬。斜め後ろから見る彼女の顔も頬も真っ赤になっているのを見て、ぴんと来た。
 反応した自身を恥じているのではないか、と。
 手に触れた彼女のおしりの柔らかさを思い返す。口元がほころびるように弧を描くのを自覚する。

 彼女は、触れられたことに、感じたからこそ恥じている。
 それを確信したところでこらえきれないイタズラ心が込み上げてくる。もう少し触れてみたら、彼女はどんな反応をするのかと。
 理性は駄目だと訴えてくるが、赤くなって震えている彼女を前に、どうしようもなく嗜虐心が刺激される。
 収めかけた腕を再び伸ばし、先ほど触れた臀部の丸みへと指を滑らせてみる。
 再びぴくんと彼女が震えた。

 ゾクゾクとした興奮が込み上げてきた。してはいけないことをしている背徳感、これは犯罪だという現実への忌避感、けれどだからこそ欲しくなるのは人の性か。震える彼女に浮かんでいるのが嫌悪感でないことが拍車をかけた。赤くはなっているが、もじもじと動く姿は、居心地の悪そうでありながら、感じている様子がたまらない色気となって俺を突き動かす。

 香奈。

 ずっと呼びたいと思っていた彼女の名前を心の中で呼びかける。

 ねぇ、俺を感じて。俺の指で気持ちよくなって、俺を欲しがって。

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