上 下
104 / 163
3章

103 1-5

しおりを挟む

「会社の裏庭にさ、サクラを植えても良いかな」

 西国に戻って一年ほどが過ぎていた。
 ルカが義兄に声をかけたのは桜の苗木が届いてからだ。質問の形をとっているが、完全に事後承諾である。
 なかなか帰れそうにない東国の情勢を聞くにつれ、どうしても桜を見たくなったのだ。
 東国の品種と限定すると取り扱っているところがなく、いくつも園芸店を回り、ようやく桜を取り寄せる伝手のある店を見付けた。今後のメンテナンスも頼むという契約まで付け、どこに植えるかも話は付いている。
 ルカが今暮らしている姉夫婦の家に植えると、そのうち家を出る予定のルカは見えなくなってしまうため、会社にした。

 義兄は突然のルカの宣言に首をかしげた。

「サクラとは、どんな物だ」

「サクランボの木だよ。たぶん。でも実は食用じゃないから花木の品種なんだろうね」

 こっちへ来て桜を探す内に知った事を簡単に説明する。それを聞きながら、なぜと首をかしげた義兄に、ルカはゆるりと微笑んだ。
 脳裏に、正臣と見た満開の桜が誇る。
 泣きたいような感傷が込み上げたのを振り切って、なんでもないように続けた。

「……春のひとときだけ、とんでもなく綺麗な花を誇らせるんだ。東国でとても愛されている木だよ」

「へぇ」

「葉もなく花が咲くから、木全体が綺麗なピンク色になるんだ。花が散るときは、ピンク色の雪が降るみたいでね、その間は東国の人たちはお弁当を持って花の下でピクニックだよ。東国の春は、いろんなところがピンクに染まって、本当に楽しそうになるんだ」

 この時点でルカが譲る気がないのを察した義兄は、苦笑しながら「会社は責任持たないから自分で手入れしろよ」と釘を刺しつつ、許してくれた。

 そうして会社の裏の一角に、桜の若木が一本植えられた。植えたばかりのそれに花などない。貧相な木の棒が埋まっているかのようだ。だが、ルカはそれだけで心を躍らせていた。
 この木が大きくなるまでに、正臣の元に戻れるだろうか。桜の花がまぶたの裏に咲き誇る。この木は、ルカにとって正臣に会いに行くという誓いでもあり、彼を偲ぶためでもあった。

 彼はルカに何も残してくれなかった。

 そのことに気付いたのは、東国を離れてからだ。
 ルカはたくさんの物を正臣から与えられた。優しさも愛情も気遣いも。心に残るいろんなものを見せてくれた。桜も美しい料理も、いろんな人との関わりや町の景色も。店の軒先で食べるおやつに、町中に行かないと見られない見せ物、観劇もしたし、芸能も楽しんだ。殆どが一度きりしかできなかったけど、少ない時間の中で、色々なものを与えられた。
 けれど心に残るそれらは、どれも消え物や記憶に残るものばかりで、ルカの手に残るものは、なにひとつなかった。

 西国に帰ってすべての荷物を片付け終わった時、自身を疑った。
 彼を偲ぶ物は何もないなんて、そんなことはないだろうと記憶を探って、愕然とした。正臣は、ルカの手に残る物は何もくれなかったのだ。

 写真一枚撮りに行ったこともない。写真を撮りたいと言えなかったのだと思い出す。女装姿は残したくなかったし、男装で撮るわけにもいかない。写真館に誘うには、なんとも言えない後ろめたさがあった。
 正臣の情人として暮らすために買った日用品は、全て正臣の家に置き去りとなった。一緒に買った茶碗も箸も、ルカの手元にはない。カフスと一緒に買ったお揃いのマフラーと手袋こそあるが、それは自分が買った物だ。
 ルカの手の中にあるのは、正臣との思い出だけだ。

 気付いたとき、ひどい人だと、ぼんやりと空を眺めた。その空の先に、正臣がいるのに、詰ることも出来ない。
 きっと、正臣は意図して形に残る物をくれなかったのではないかと思った。
 忘れろと言われているようだと思った。

 だからルカは桜を植えることを決めたのだ。正臣がくれなかった彼との関係を示す形をあえて残すために。
 心に残る鮮やかなあの薄紅色の記憶を、形としてこの手の中に残してやるのだ。
 だからこの木は、誓いの木だ。
 必ず戻るから。首を洗って待ってろよ。絶対謝らせてやるからな。
 ルカは棒きれのような桜の木に誓った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

拾われた後は

なか
BL
気づいたら森の中にいました。 そして拾われました。 僕と狼の人のこと。 ※完結しました その後の番外編をアップ中です

双子は不吉と消された僕が、真の血統魔法の使い手でした‼

HIROTOYUKI
BL
 辺境の地で自然に囲まれて母と二人、裕福ではないが幸せに暮らしていたルフェル。森の中で倒れていた冒険者を助けたことで、魔法を使えることが判明して、王都にある魔法学園に無理矢理入学させられることに!貴族ばかりの生徒の中、平民ながら高い魔力を持つルフェルはいじめを受けながらも、卒業できれば母に楽をさせてあげられると信じて、辛い環境に耐え自分を磨いていた。そのような中、あまりにも理不尽な行いに魔力を暴走させたルフェルは、上級貴族の当主のみが使うことのできると言われる血統魔法を発現させ……。  カテゴリをBLに戻しました。まだ、その気配もありませんが……これから少しづつ匂わすべく頑張ります!

転生したら乙女ゲームのモブキャラだったのでモブハーレム作ろうとしたら…BLな方向になるのだが

松林 松茸
BL
私は「南 明日香」という平凡な会社員だった。 ありふれた生活と隠していたオタク趣味。それだけで満足な生活だった。 あの日までは。 気が付くと大好きだった乙女ゲーム“ときめき魔法学院”のモブキャラ「レナンジェス=ハックマン子爵家長男」に転生していた。 (無いものがある!これは…モブキャラハーレムを作らなくては!!) その野望を実現すべく計画を練るが…アーな方向へ向かってしまう。 元日本人女性の異世界生活は如何に? ※カクヨム様、小説家になろう様で同時連載しております。 5月23日から毎日、昼12時更新します。

第十王子は天然侍従には敵わない。

きっせつ
BL
「婚約破棄させて頂きます。」 学園の卒業パーティーで始まった九人の令嬢による兄王子達の断罪を頭が痛くなる思いで第十王子ツェーンは見ていた。突如、その断罪により九人の王子が失脚し、ツェーンは王太子へと位が引き上げになったが……。どうしても王になりたくない王子とそんな王子を慕うド天然ワンコな侍従の偽装婚約から始まる勘違いとすれ違い(考え方の)のボーイズラブコメディ…の予定。※R 15。本番なし。

悪役令息に誘拐されるなんて聞いてない!

晴森 詩悠
BL
ハヴィことハヴィエスは若くして第二騎士団の副団長をしていた。 今日はこの国王太子と幼馴染である親友の婚約式。 従兄弟のオルトと共に警備をしていたが、どうやら婚約式での会場の様子がおかしい。 不穏な空気を感じつつ会場に入ると、そこにはアンセルが無理やり床に押し付けられていたーー。 物語は完結済みで、毎日10時更新で最後まで読めます。(全29話+閉話) (1話が大体3000字↑あります。なるべく2000文字で抑えたい所ではありますが、あんこたっぷりのあんぱんみたいな感じなので、短い章が好きな人には先に謝っておきます、ゴメンネ。) ここでは初投稿になりますので、気になったり苦手な部分がありましたら速やかにソッ閉じの方向で!(土下座 性的描写はありませんが、嗜好描写があります。その時は▷がついてそうな感じです。 好き勝手描きたいので、作品の内容の苦情や批判は受け付けておりませんので、ご了承下されば幸いです。

だからっ俺は平穏に過ごしたい!!

しおぱんだ。
BL
たった一人神器、黙示録を扱える少年は仲間を庇い、絶命した。 そして目を覚ましたら、少年がいた時代から遥か先の時代のエリオット・オズヴェルグに転生していた!? 黒いボサボサの頭に、丸眼鏡という容姿。 お世辞でも顔が整っているとはいえなかったが、術が解けると本来は紅い髪に金色の瞳で整っている顔たちだった。 そんなエリオットはいじめを受け、精神的な理由で絶賛休学中。 学園生活は平穏に過ごしたいが、真正面から返り討ちにすると後々面倒事に巻き込まれる可能性がある。 それならと陰ながら返り討ちしつつ、唯一いじめから庇ってくれていたデュオのフレディと共に学園生活を平穏(?)に過ごしていた。 だが、そんな最中自身のことをゲームのヒロインだという季節外れの転校生アリスティアによって、平穏な学園生活は崩れ去っていく。 生徒会や風紀委員を巻き込むのはいいが、俺だけは巻き込まないでくれ!! この物語は、平穏にのんびりマイペースに過ごしたいエリオットが、問題に巻き込まれながら、生徒会や風紀委員の者達と交流を深めていく微BLチックなお話 ※のんびりマイペースに気が向いた時に投稿していきます。 昔から誤字脱字変換ミスが多い人なので、何かありましたらお伝えいただけれ幸いです。 pixivにもゆっくり投稿しております。 病気療養中で、具合悪いことが多いので度々放置しています。 楽しみにしてくださっている方ごめんなさい💦 R15は流血表現などの保険ですので、性的表現はほぼないです。 あったとしても軽いキスくらいですので、性的表現が苦手な人でも見れる話かと思います。

僕は本当に幸せでした〜刹那の向こう 君と過ごした日々〜

エル
BL
(2024.6.19 完結) 両親と離れ一人孤独だった慶太。 容姿もよく社交的で常に人気者だった玲人。 高校で出会った彼等は惹かれあう。 「君と出会えて良かった。」「…そんなわけねぇだろ。」 甘くて苦い、辛く苦しくそれでも幸せだと。 そんな恋物語。 浮気×健気。2人にとっての『ハッピーエンド』を目指してます。 *1ページ当たりの文字数少なめですが毎日更新を心がけています。

処理中です...