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冒険の書1:おお、死んでしまうとは何事だ!

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けたたましいサイレンの音。
取り囲む大勢の警察官や群衆と。
張り詰めた空気がビリビリと肌を刺す。
膠着状態を打ち破ったのは、目の前に突如広がった催涙ガスの煙幕だった。
思わず怯んだ隙をついて、一瞬のうちに腕に抱えていた獲物が逃げ出す。
慌てて伸ばした片腕は虚しく空を掴むだけに終わり、追いかけようと翻した全身を次の瞬間、無数の銃弾が容赦なく撃ち抜いたのが分かった。
流れ出る涙で霞む視界は、青と赤と、それ以上の鮮烈な白光に埋め尽くされて。
崩れ掛けた身体を両脚で踏ん張り耐える。
見えない目で、獲物が逃げた方へ手を翳す。
美しい少女だった。
勿体ない事をした。
俺が殺すはずだったのに。
喧騒と狂乱の中、声にならない声を無意識に喚く。
――まだ足りない。
男も女も、子供だって殺した。
甚振り、犯し、恐怖に泣き叫ぶ顔が死を願う程の絶望に歪むまで。
充分に楽しんだかもしれない。
シリアルキラーとして名を馳せ、世間を恐怖に陥れられたのだから。
力を失った膝が崩れ、頭からアスファルトに叩き付けられる。
あれほど騒がしかった音が遠い。
真っ白だった目の前は次第に黒へと変わり、何もかもが消えていくような感覚が支配する。
これで終わりなのだと。
不思議と落ち着いた気分で受け入れながらも、一方で諦めきれぬ思いが唇を動かす。
ああ、もっと――。

「殺したかった……」

最期に未練を口にして、俺の意識は闇に沈んだ。



***



意識が覚醒すると同時に目が開く。
寝起きのような気怠さと、強烈な違和感に襲われ、しばらく放心状態で固まったまま。
確か、自分は、警察に撃たれて死んだはずでは。
それとも一命を取り留めたのだろうか。
それにしては身体の痛みは無く、そもそも撃たれた感覚すら消えている。
ゆっくりと左右に首を振って見渡せば、どうやら石造りの部屋にいるようだ。
窓は無く、灯りはと言えば天井からぶら下がるランプだけ。
薄暗い室内にあるのは廃材で作ったかのような簡素な机と椅子、そして自分が寝ているぼろいベッドしかない。
身体にかかっていたカビ臭い布をめくり上げ、両足を床に下ろしてぎょっとした。
およそ人とは思えない灰緑色の肌と、赤黒く尖った足の爪。
薄汚れたその肌は、足から腹へ、胸から腕へ、そして目の前で広げる両手へと続いている。

「な、……これ……は、」

俺、なの、か――。
震える掌で顔の輪郭をなぞる。
異様に大きい三角の耳、鋭い牙と突き出た鼻。
確かに認識出来たのは、明らかに人では無い己の姿だった。
あまりに突飛な状況を受け入れられず、愕然とベッドに座り込む。
もしかしてここは地獄なのだろうか。
やはり自分は死んでいて、罪人として異形へと変化させられたのだろうか。
そうだとしても、肌で感じるじめっとした冷気も、鼻をつくすえた臭いも、確かに動く己の胸の鼓動も。
感じる全てが、あまりにも現実的過ぎるのだ。
拳を握ったり開いたりしながら、この身体が自分の意思で動く事を改めて確認する。
のろのろと立ち上がるも、ただ立ち尽くすだけ。
迷子のように為す術も無い俺の耳に、不意に声が届いた。

「目が覚めたか、転生者」

若い男の、それもよく通る声。
顔を向けて、壁の切れ目に気付く。
どうやら隣の部屋から聞こえてくるようだった。
そうっと首を伸ばして様子を窺えど、人影は見えない。
広くは無い室内には壁付けのカウンターと、長いテーブルだけ。
所狭しといろんな容器が並べて置かれ、中には液体や植物、得体の知れないいろいろな物が入っている。
さながら魔女か錬金術師の実験室のような様相だ。

「どうやら、無事に魂が定着したようだな」

再び届く声。
やはり人影は見えず、きょろきょろとする俺に、呆れたような苛立ちを含んだ声が続く。

「……目の前にいるだろう。お前の目は節穴か」
「え、……ぅわっ!」

その言葉に顔を正面に向け、不覚にも思わず悲鳴を上げる。
さすがの俺も、これには度肝を抜かれるのもしょうがないだろう。
卓上に置いてあるアーチ型のガラス容器。
声の主は、その中に鎮座する男の生首だったのだ。
年は二十代前半くらいだろうか、まさしく美丈夫と言った整った目鼻立ちに、瓶底に触れる程に切り整えられた黒髪。
艶やかな髪の隙間からは細長い耳が伸び、この青年が人では無い事を教えた。
視線をずらし、置いてある鏡台に映る己の姿を見て取る。
ファンタジー知識は子供の頃に少しかじったテレビゲーム程度に浅いが、これは俗に言うゴブリンとエルフ、と言うやつではないのだろうか。

「一度しか説明しないから、よく聞け」

少しずつ状況を理解し始めた俺に、目の前の生首野郎が矢継ぎ早に言葉を続ける。
どうやらここは死後の世界では無く、元いた世界とはまた別の世界である事。
このゴブリンの前の持ち主、つまりは宿っていた魂が摩耗し消滅した為、ちょうど身体を失った俺の魂を引き寄せたとの事。
そしてこの世界での俺の役割は、召喚された魔物を用いて罪人を裁く刑吏だと言う事。
何故ゴブリンなのかは、ゴブリンのような下等種に虐げられるのがより屈辱を煽るからと言う、なんともまぁ人間らしい考えからのようだ。
語られる内容はおよそ信じ難いものだったが、俺にとっては僥倖以外の何物でも無かった。
これはつまり願ってもいない、まさに天職ではないか。

「案内する。百聞は一見に如かず、だ」

生首エルフが、もとい、名前はリーシュだったか、指し示す目線の先の扉に気付く。
喜び勇んで足早に向かう背後から、

「……私を置いて行ってどうする、うすのろ」

棘を含んだ声音に振り返れば、綺麗な顔を不機嫌に歪め、軽蔑を浮かべた表情がそこにはあった。

***

両腕でガラス容器を抱えながら地下通路を歩く。
所々壁に嵌め込まれた石が発光し、仄かに全体を照らし出している。
実際はもっと暗いのだろうが、この身体が持つ性質のせいか、薄暗がりでも十分に見えやすい。
しばらく歩き突き当りを曲がったところで、思わず足を止めた。
一本道の両側に連なる幾つもの鉄格子。
その奥に潜む苦悶に呻く大勢の気配を。

「お前が裁く罪人達だ」

切れ長の目を細め、何等感情も無く淡々と言葉が続く。
牢に入れられた彼等には皆、咎人の烙印が押され、刑吏である自分には逆らえないと。
処刑を待つまでの間、拷問しようが嬲ろうが、好きにして良いそうだ。
さながら亡者を甚振る地獄の小鬼のようだと内心笑う。
再び歩き始めた俺達に向けて、格子の隙間から縋り付くように伸ばされる何本もの細い腕。
枯れた喉から漏れ出る怨嗟の声が耳に心地良い。
悠然と進みながら、ふいと視線を横にやれば、怯えの滲んだ瞳を見開かせ囚人が跳ねるように壁際へと逃げ隠れる。
よく見れば年齢や性別だけではなく、人間とは異なった種族もいるようだ。
これはまた一味違った殺し方を見出せるかもしれない。
沸き上がる好奇心を止められず、くつくつと笑い声を漏らす俺を、ガラス越しにエルフが蔑んだ目で見上げ小さくため息を吐く。

「なるほど……身体の持ち主に似合うだけの、下種な魂だな」

見下げた台詞とは裏腹に、どこか満足そうな笑みを口元に浮かべているのは、元より、そのつもりで相応しい魂を呼び寄せたのだから当然とばかりに。
そのまま地下牢を抜け、階段を進む。
上がり切った先は頑丈な鉄扉が行く手を塞ぎ、その両側には槍を手にした衛兵が立っていた。
俺達の姿を見てとめると無言で開く。
重く擦れる音と共に、隙間から一瞬にして太陽光が射し込み視界を奪う。
眩しさに顔をしかめながらも、真っ白な外の世界へと足を踏み出した。

「ここは……」

慣れるにつれはっきりと輪郭を持ち始める景色。
青空の下、円形に広がる平面の向こうに見下ろすように連なる幾つもの階段を。
たぶんにこの場所は競技場、いや、この世界に合わせれば闘技場だろう。
言うなれば古代ローマのコロシアムだ。

「ここがお前の舞台だ」

大勢の観衆の下、罪人にどんな極刑を与えるか。
全ては俺が望むがまま、演出のままに。
ただ自分は求めに応じた魔物を召喚するだけだと、リーシュが言葉を続ける。
人々で埋め尽くされた光景を頭に浮かべながら、俺は改めて己の役割を理解した。
中世において処刑は大衆にとってうってつけの娯楽だったが、それは異世界においても同じなのだ。
立ち位置的には、かの有名なパリの死刑執行人サンソンにも引けを取らないのではないか。

「早速だが、明日の午後に処刑が予定されている」
「……あぁ。それは、楽しみだ」

買物にでも行くくらいの軽さで予定を告げると、もういいだろうとばかりに目線を来た道に向けるリーシュに、俺は膨らむ期待で上の空のまま返事をしたのだった。
 
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