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序章
初めての友人
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「・・・っはあ、はあ…」
額から滝のように汗が流れる。念のために、後ろを振り向くが…追いかけてくる姿は見えない。どうやら撒けたようだ。
「よし、撒いたな~・・・ん?大丈夫だか?体力ないな~アンタ」
「…ハア…っハア」
肩を上下に揺らし息を切らす俺の姿を見下ろし、ケラケラと茶髪男は笑っている。実際力仕事が嫌で牧師になったようなものだから、その言葉はトゲのように刺さる。助けられた恩がなければ蹴りでもいれてやったところだ…が、まあ結果的に助けてもらったため、大きなため息をつくだけで済ました。
「・・・はあ・・・とりあえず、えっと・・・」
「?」
「助かった、ありがとう」
「!!」
一応、礼はいった。それくらいの礼儀は俺にだってある。
(それにまあ・・・ちょっと感動したし、な)
あの時まさか誰かが助けてくれるなんて、思ってもみなかった。
「・・・・」
茶髪男は俺の言葉にかなり驚いたようで鳩が豆鉄砲を食らったようなすごい顔をしていた。なんだよ、失礼なやつだな。
「・・・なに」
「いや、喋れたんだなーって」
「当たり前だ喋れなくて牧師ができるか」
「へー牧師…」
じろじろと俺の体を見てくる。洗礼式用に用意した制服(白地に金の装飾が施された高そうな服)だったのでなかなかそれっぽいはず。着られてる感は否めないが。
「牧師ってじーちゃんとかがなるもんだと思ってたべ、キレーなねえちゃんもやるんだなあ」
「...おい。俺はルト・ハワード、男だ。」
「えっそうだったんか?てっきりおっちゃんに絡まれてるネエちゃんかと...」
「・・・・」
俺のどこが女だ。確かに背は160ちょいだし、肉体労働なんてほとんどしてないから小柄な方だと思う。でも声変わりしてるし、胸もないし、可愛いわけでもない。なのにどうしてそんな間違いをされなくちゃいけないんだ。ぶつくさ心でぼやく。
(まあ、でも、)
女性が困ってると思って助けた、ってのはいいじゃないか。反撃されるかもしれないのに赤の他人のために動く。それは、誰にでもできる事じゃない。
(俺なら絶対無理、スルーして逃げる)
こいつは唯一見て見ぬふりせず助けてくれたんだし...俺を女だと間違えたのは、その姿勢に免じて見逃してやろう。
「ルト?何難しい顔で考え込んでんだべ?こえーど?」
「あ、いや・・・じゃあ、そろそろ行くから」
「ん!待つべ!おらはダッツっ!この村の酒屋で働いてんだ、もしよかったらルト、飲みにくっべな、安くすっべ!」
「・・・酒屋?行ってやってもいいけど、お前持ちならな」
「っげげ!おらの財布が~」
頭を抱えて唸るダッツを見ていたらなんだか笑えてきた。
(賑やかなヤツ)
冗談のつもりだったが、本当に行ってやろうかな?なんて頭によぎったが、とりあえず今日は宿に戻って落ち着きたい。軽く挨拶を交わしダッツと別れて帰路についた。
そんな感じで、長い牧師一日目が終わった。
***
「悪魔とは人を惑わす害獣であり、肉体的精神的に苦痛を与えてくる邪悪な存在である。姿は高位のものになればなる程人に近づき、見分けるのが難しくなるので気をつけなければならない。
見分ける方法は一つ。...舌だ。
蛇のように先の割れた舌は悪魔の嘘の象徴、人間に化けてもそこだけは変えることができない。だが、なかなか舌を確認する事はできないため現実的な解決にはなっていない。さて、ここまでで質問は?・・・よろしい。では以上で今日の講義を終えます。皆さん、くれぐれも悪魔には気をつけるように。」
(気をつけるって...見分けられないのに、どうやって気を付けるんだよ)
心の中で毒づきつつ、他の牧師たちが部屋を出ていくのを見守る。窓の外を見ればもう日も暮れていた。牧師としての教育実習中の俺は今日も色々忙しかった。実際に教会を訪れどう一日を過ごすのか見たあとは、お偉い牧師様のお話が4時間続いた。ただ座ってすでに知ってる話を延々と聞かされるのは苦痛以外の何物でもない(教会関係の事は牧師試験のときに大体覚えている)。今週はずっとこんなことばかりで、牧師見習いも大変だなと他人事のように思ってしまう。
人がまばらになり廊下に出ると不思議な絵画たちが迎えてくれた。これから特にやることもないし、ゆっくりと絵画をみていくとするか。
頭を垂れる聖女。
羊の群れを連れる少年。
角と羽の生えた男が眠る女性に襲いかかる絵。
(...悪魔か)
実際、そんなものいるのか?俺は生まれてこのかたそういうのは見たことがないし、急にそんなことを言われても笑ってしまう。人間の狂った成れの果てが悪魔ってオチとかじゃないか、どうせ。
「どちらにしろ、俺とは一生関係ないな」
欠伸を噛み殺しながら、時計を見る。そろそろ夕食の時間か。見習い牧師は同じ宿で過ごし一定期間教練を共にするが食事は場所も種類も自由だ。俺はイワン(あのヘンタイおっさん)に絡まれるのを避けたいから、なるべく外でとっている。
「...ダッツの酒屋に行くか」
あの事件から数日、まだ一回も奴の店に行っていない。牧師の教育もあと残り三日だし、そろそろ行っておかないと行けずに去ってしまいそうだ。そんな言い訳を自分にして、少し浮き上がる気持ちを押さえ込んで歩き出した。
店に入る前からガヤガヤと中の声が聞こえてくる。外にもベランダ席があって皆完全にできあがってる。
(おいおいまだ夕方だろ)
とげんなりしていると
「あ!ルトちゃんだべー!」
大きな樽を抱えながらダッツが店裏から顔を出した。重そうな樽を担いでこっちに走り寄ってくる。
「・・・ちゃん付けはやめろ」
「店、来てくれたんだべ?ささっ入って入って!!」
「いや、まだ行くとは言ってな...」
ズルズルと引っ張られる。下手に騒ぐと目立つので大人しく店に入ることにする。
「おお!客引きたあ気がきくじゃねえの、ダッツ!」
「うっす!腕力だけが取り柄じゃないべ!おら、樽おいてくるからルトはマスターに任せるべ」
「おうーほら嬢ちゃん、カウンター席座って座って。おめーら邪魔だー」
「客になんてこと言うんじゃガハハ!」
「...」
常連客らしい男達を押し退けてカウンター席を空けてくれる。
(なんだか楽しそうな奴ら)
五月蝿いのは嫌いだが、こういう空気は嫌じゃない。折角空けてもらったので有り難く座らせてもらう。
「...俺は嬢ちゃんじゃない、男だ。メニューは?」
「ハハハ!もちろんわかってるさ、ただそんなに色白で細身の男はここらじゃ見かけないもんでね、うちの女房よりよっぽどキレーだし!ガハハ」
特に悪びれもせず、笑いながらメニューの書かれた紙を渡してくる。山に囲まれた土地のため魚介はないようだ、残念...。
「ん、この“チーズ”ってなんだ?」
「おや、兄ちゃんチーズ知らんのか?牛の乳から作るもんで酒に合うぞ~」
「ふーん」
隣の客が肩を寄せながら説明してくれる。
「じゃあこのチーズとなんかお腹にたまるものを頼む。代金はダッツ持ちで。」
「ハハハ!ダッツもすげーの連れてきたなあ。メシは任せろ、うめーの食べさしてやるぜ」
酒屋で食事だけ頼むなんて無礼だろうに、マスターは嫌な顔一つせず楽しそうに作ってくれた。
(この店の賑やかな雰囲気はマスターのおかげかもな)
酒のおかげかはわからないが今日の食事は美味しく感じた。
「ハア。ほんとにおら持ちにするとはー」
空になった財布をしょんぼりと見てるダッツを横目に俺は樽に寄りかかった。店の外は流石に静かだった。
(食後の運動で少し歩くか)
俺が歩き出すと、当たり前のようにダッツも横に並んでついてくる。ちらりと視線を移せば、ダッツの茶髪の髪がサラサラと風に流されているのが見えた。
「・・・ダッツ、その」
「?」
俺はもごもごと言葉を途切れさせてしまう。
「えっと、」
俺はこういう大事なときいつも黙って俯いてしまう。それではだめなのはわかっているがどうしても素直になれないのだ。今回もそうやって黙り込むのかと他人事のように呆れていると
(だめだ、今回は・・・)
助けてくれたダッツには、素直になりたい。逃げたくない・・・そう思った。
「・・・ダッツ」
勇気を振り絞り顔を上げる。ダッツの視線とぶつかった。面と向かって誰かと視線を合わせたのは数年ぶりかもしれない。
「・・・ご馳走様、美味しかったよ」
「!」
「店を教えてくれて・・・ありがとな」
素直に美味しかった。店の雰囲気も良かったし、ここに滞在するのはあと三日しかないが、その間は毎日通いたいと思ってる。
「ルト・・・!」
ダッツは照れくさそうに頭をかいた。天然パーマの髪がよりモサモサになって面積を増した気がする。
「お、おう!マスターのメシは世界一うまいっべな!わははっ!」
一瞬の間のあと、ダッツは俺の肩をばんばんと叩いてきた。俺は叩かれた振動で頭を揺らしながら小さく頷く。
「うん、本当にうまかった。今度はきちんとお金を払って食べに来ようと思う」
「わはは、そんなに気に入ってもらえておらとしても嬉しいべ!」
それから、俺の背中を叩くのをやめたダッツは「なんか調子狂うな~」とか呟いて頭をかく。その顔がふと、強張った。何かを考えるように視線をさ迷わせたあと、俺のほうをジッと見てくる。
「そういえば、これからルトはすぐに帰るべ?」
「?まあ、別にこれといった用事があるわけではないけど」
「・・・」
「ダッツ?」
「・・・実はちょっと、来て欲しいとこがあるんだべな」
来て欲しいとこ?
「人手が足りないとかか?」
「ま、まあそんな感じ!」
「...」
さっき言ったように用事もないし、奢ってもらった恩もある。
「・・・少しぐらいなら」
「助かる!じゃあ早速行くべ!もう始まってんだー」
「?」
始まるって...何かのショーとかか?でもそんな大層なものないはず。山を挟んだ先に大都市があるとは言え、ここはかなりのド田舎だ。
(・・・ワインショーとか?いや、なんだそりゃ)
ま、悩んでも仕方ない。言ってみればわかることだ。
(あ、そうだ。)
「ダッツ、舌を見せてくれるか?」
「ん?あー(舌を見せる)」
「...」
うん、異常なし。先が分かれてるわけでも傷があるわけでもない普通の舌だった。って何やってんだ馬鹿馬鹿しい。悪魔なんてものは結局存在しないってその結論にさっき至ったじゃないか。実際そんな割れてる奴なんて見たことないし...うん、考えすぎだな。
「悪かった、ありがとう」
「んーん。ほらそんな事してる内に着いたべ!」
目の前には、大きな城が佇んで...いるわけもなく普通の小さな民家が立っていた。
「ここは・・・?」
「さ、入ろー」
「か、勝手に入っていいのか?もしやお前の家??」
「いや、違うべ。知り合いの。」
グイグイと背中を押され半強制的に家の敷地に入る。こんなことを言うと臆病者と言われるかもしれないが、寒気がするし不気味な雰囲気だし入りたくない。暗い部屋からは物音一つしないし、物陰から次の瞬間何かが飛び出してきそうだ...
「こっち」
先に進むダッツが一際大きなタンスをずらしている。
(一体何があるんだ??)
俺が見守る先でダッツはタンスをずらし終えた。
「!」
タンスのあった場所には、一歩先は何も見えない地下への階段があった。
ゴクリ
ちらっと振り返ってタンスを元に戻しているダッツを見た。
「...ほんとに行くのか?」
「何だ、怖いんだべか?かっこだけじゃなくて心も女の子っぽいべな~」
「うううるさい!怖いわけじゃない、行けばいいんだろ行けば」
やけくそになって地下への階段を進み始める。それほど長い階段じゃないらしい。下の方から光が漏れ出してる。それを頼りに壁に手をついて奥に進んだ。
でも、色々とおかしくないか?
どうして民家に地下がある?
(ワイン倉庫にしては深すぎる)
ダッツは何を手伝わそうとしてるんだ?
一、二回しか会った事ない俺に何を求めてる??
俺の中にいるもうひとりの俺が、理性が、警報をあげてる。
―早く逃げろ―
―逃げないと大変なことになるぞ!―
考え事を吹き飛ばすように頭をふる。怖がる必要はない。ダッツに馬鹿にされたままでいるのは嫌だ。俺は確かに女々しい外見をしているかもしれない、でも、だからって中身まで女々しいと思われるのは絶対嫌だ。絶対見返してやる。ダッツにだけはちゃんと同じ男として扱ってもらいたい。
(・・・この土地に来て、初めて出来た友人なんだ)
「!!」
扉が見えてきた。ガラス窓から紫色の光が漏れ出してる。振り返ってダッツに確認しようとしたら
「?!いない…ダッツ、どこだ??」
ダッツの姿はそこになかった。先に行ってしまったのか?それとも忘れ物でもしたのか、どちらにしろもうここまで来たんだ。扉の中に入って待っていたほうがいいだろう。
コンコン
ノックしてみたが反応がない。もういい、入ろう。
がちゃり
「!!」
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
額から滝のように汗が流れる。念のために、後ろを振り向くが…追いかけてくる姿は見えない。どうやら撒けたようだ。
「よし、撒いたな~・・・ん?大丈夫だか?体力ないな~アンタ」
「…ハア…っハア」
肩を上下に揺らし息を切らす俺の姿を見下ろし、ケラケラと茶髪男は笑っている。実際力仕事が嫌で牧師になったようなものだから、その言葉はトゲのように刺さる。助けられた恩がなければ蹴りでもいれてやったところだ…が、まあ結果的に助けてもらったため、大きなため息をつくだけで済ました。
「・・・はあ・・・とりあえず、えっと・・・」
「?」
「助かった、ありがとう」
「!!」
一応、礼はいった。それくらいの礼儀は俺にだってある。
(それにまあ・・・ちょっと感動したし、な)
あの時まさか誰かが助けてくれるなんて、思ってもみなかった。
「・・・・」
茶髪男は俺の言葉にかなり驚いたようで鳩が豆鉄砲を食らったようなすごい顔をしていた。なんだよ、失礼なやつだな。
「・・・なに」
「いや、喋れたんだなーって」
「当たり前だ喋れなくて牧師ができるか」
「へー牧師…」
じろじろと俺の体を見てくる。洗礼式用に用意した制服(白地に金の装飾が施された高そうな服)だったのでなかなかそれっぽいはず。着られてる感は否めないが。
「牧師ってじーちゃんとかがなるもんだと思ってたべ、キレーなねえちゃんもやるんだなあ」
「...おい。俺はルト・ハワード、男だ。」
「えっそうだったんか?てっきりおっちゃんに絡まれてるネエちゃんかと...」
「・・・・」
俺のどこが女だ。確かに背は160ちょいだし、肉体労働なんてほとんどしてないから小柄な方だと思う。でも声変わりしてるし、胸もないし、可愛いわけでもない。なのにどうしてそんな間違いをされなくちゃいけないんだ。ぶつくさ心でぼやく。
(まあ、でも、)
女性が困ってると思って助けた、ってのはいいじゃないか。反撃されるかもしれないのに赤の他人のために動く。それは、誰にでもできる事じゃない。
(俺なら絶対無理、スルーして逃げる)
こいつは唯一見て見ぬふりせず助けてくれたんだし...俺を女だと間違えたのは、その姿勢に免じて見逃してやろう。
「ルト?何難しい顔で考え込んでんだべ?こえーど?」
「あ、いや・・・じゃあ、そろそろ行くから」
「ん!待つべ!おらはダッツっ!この村の酒屋で働いてんだ、もしよかったらルト、飲みにくっべな、安くすっべ!」
「・・・酒屋?行ってやってもいいけど、お前持ちならな」
「っげげ!おらの財布が~」
頭を抱えて唸るダッツを見ていたらなんだか笑えてきた。
(賑やかなヤツ)
冗談のつもりだったが、本当に行ってやろうかな?なんて頭によぎったが、とりあえず今日は宿に戻って落ち着きたい。軽く挨拶を交わしダッツと別れて帰路についた。
そんな感じで、長い牧師一日目が終わった。
***
「悪魔とは人を惑わす害獣であり、肉体的精神的に苦痛を与えてくる邪悪な存在である。姿は高位のものになればなる程人に近づき、見分けるのが難しくなるので気をつけなければならない。
見分ける方法は一つ。...舌だ。
蛇のように先の割れた舌は悪魔の嘘の象徴、人間に化けてもそこだけは変えることができない。だが、なかなか舌を確認する事はできないため現実的な解決にはなっていない。さて、ここまでで質問は?・・・よろしい。では以上で今日の講義を終えます。皆さん、くれぐれも悪魔には気をつけるように。」
(気をつけるって...見分けられないのに、どうやって気を付けるんだよ)
心の中で毒づきつつ、他の牧師たちが部屋を出ていくのを見守る。窓の外を見ればもう日も暮れていた。牧師としての教育実習中の俺は今日も色々忙しかった。実際に教会を訪れどう一日を過ごすのか見たあとは、お偉い牧師様のお話が4時間続いた。ただ座ってすでに知ってる話を延々と聞かされるのは苦痛以外の何物でもない(教会関係の事は牧師試験のときに大体覚えている)。今週はずっとこんなことばかりで、牧師見習いも大変だなと他人事のように思ってしまう。
人がまばらになり廊下に出ると不思議な絵画たちが迎えてくれた。これから特にやることもないし、ゆっくりと絵画をみていくとするか。
頭を垂れる聖女。
羊の群れを連れる少年。
角と羽の生えた男が眠る女性に襲いかかる絵。
(...悪魔か)
実際、そんなものいるのか?俺は生まれてこのかたそういうのは見たことがないし、急にそんなことを言われても笑ってしまう。人間の狂った成れの果てが悪魔ってオチとかじゃないか、どうせ。
「どちらにしろ、俺とは一生関係ないな」
欠伸を噛み殺しながら、時計を見る。そろそろ夕食の時間か。見習い牧師は同じ宿で過ごし一定期間教練を共にするが食事は場所も種類も自由だ。俺はイワン(あのヘンタイおっさん)に絡まれるのを避けたいから、なるべく外でとっている。
「...ダッツの酒屋に行くか」
あの事件から数日、まだ一回も奴の店に行っていない。牧師の教育もあと残り三日だし、そろそろ行っておかないと行けずに去ってしまいそうだ。そんな言い訳を自分にして、少し浮き上がる気持ちを押さえ込んで歩き出した。
店に入る前からガヤガヤと中の声が聞こえてくる。外にもベランダ席があって皆完全にできあがってる。
(おいおいまだ夕方だろ)
とげんなりしていると
「あ!ルトちゃんだべー!」
大きな樽を抱えながらダッツが店裏から顔を出した。重そうな樽を担いでこっちに走り寄ってくる。
「・・・ちゃん付けはやめろ」
「店、来てくれたんだべ?ささっ入って入って!!」
「いや、まだ行くとは言ってな...」
ズルズルと引っ張られる。下手に騒ぐと目立つので大人しく店に入ることにする。
「おお!客引きたあ気がきくじゃねえの、ダッツ!」
「うっす!腕力だけが取り柄じゃないべ!おら、樽おいてくるからルトはマスターに任せるべ」
「おうーほら嬢ちゃん、カウンター席座って座って。おめーら邪魔だー」
「客になんてこと言うんじゃガハハ!」
「...」
常連客らしい男達を押し退けてカウンター席を空けてくれる。
(なんだか楽しそうな奴ら)
五月蝿いのは嫌いだが、こういう空気は嫌じゃない。折角空けてもらったので有り難く座らせてもらう。
「...俺は嬢ちゃんじゃない、男だ。メニューは?」
「ハハハ!もちろんわかってるさ、ただそんなに色白で細身の男はここらじゃ見かけないもんでね、うちの女房よりよっぽどキレーだし!ガハハ」
特に悪びれもせず、笑いながらメニューの書かれた紙を渡してくる。山に囲まれた土地のため魚介はないようだ、残念...。
「ん、この“チーズ”ってなんだ?」
「おや、兄ちゃんチーズ知らんのか?牛の乳から作るもんで酒に合うぞ~」
「ふーん」
隣の客が肩を寄せながら説明してくれる。
「じゃあこのチーズとなんかお腹にたまるものを頼む。代金はダッツ持ちで。」
「ハハハ!ダッツもすげーの連れてきたなあ。メシは任せろ、うめーの食べさしてやるぜ」
酒屋で食事だけ頼むなんて無礼だろうに、マスターは嫌な顔一つせず楽しそうに作ってくれた。
(この店の賑やかな雰囲気はマスターのおかげかもな)
酒のおかげかはわからないが今日の食事は美味しく感じた。
「ハア。ほんとにおら持ちにするとはー」
空になった財布をしょんぼりと見てるダッツを横目に俺は樽に寄りかかった。店の外は流石に静かだった。
(食後の運動で少し歩くか)
俺が歩き出すと、当たり前のようにダッツも横に並んでついてくる。ちらりと視線を移せば、ダッツの茶髪の髪がサラサラと風に流されているのが見えた。
「・・・ダッツ、その」
「?」
俺はもごもごと言葉を途切れさせてしまう。
「えっと、」
俺はこういう大事なときいつも黙って俯いてしまう。それではだめなのはわかっているがどうしても素直になれないのだ。今回もそうやって黙り込むのかと他人事のように呆れていると
(だめだ、今回は・・・)
助けてくれたダッツには、素直になりたい。逃げたくない・・・そう思った。
「・・・ダッツ」
勇気を振り絞り顔を上げる。ダッツの視線とぶつかった。面と向かって誰かと視線を合わせたのは数年ぶりかもしれない。
「・・・ご馳走様、美味しかったよ」
「!」
「店を教えてくれて・・・ありがとな」
素直に美味しかった。店の雰囲気も良かったし、ここに滞在するのはあと三日しかないが、その間は毎日通いたいと思ってる。
「ルト・・・!」
ダッツは照れくさそうに頭をかいた。天然パーマの髪がよりモサモサになって面積を増した気がする。
「お、おう!マスターのメシは世界一うまいっべな!わははっ!」
一瞬の間のあと、ダッツは俺の肩をばんばんと叩いてきた。俺は叩かれた振動で頭を揺らしながら小さく頷く。
「うん、本当にうまかった。今度はきちんとお金を払って食べに来ようと思う」
「わはは、そんなに気に入ってもらえておらとしても嬉しいべ!」
それから、俺の背中を叩くのをやめたダッツは「なんか調子狂うな~」とか呟いて頭をかく。その顔がふと、強張った。何かを考えるように視線をさ迷わせたあと、俺のほうをジッと見てくる。
「そういえば、これからルトはすぐに帰るべ?」
「?まあ、別にこれといった用事があるわけではないけど」
「・・・」
「ダッツ?」
「・・・実はちょっと、来て欲しいとこがあるんだべな」
来て欲しいとこ?
「人手が足りないとかか?」
「ま、まあそんな感じ!」
「...」
さっき言ったように用事もないし、奢ってもらった恩もある。
「・・・少しぐらいなら」
「助かる!じゃあ早速行くべ!もう始まってんだー」
「?」
始まるって...何かのショーとかか?でもそんな大層なものないはず。山を挟んだ先に大都市があるとは言え、ここはかなりのド田舎だ。
(・・・ワインショーとか?いや、なんだそりゃ)
ま、悩んでも仕方ない。言ってみればわかることだ。
(あ、そうだ。)
「ダッツ、舌を見せてくれるか?」
「ん?あー(舌を見せる)」
「...」
うん、異常なし。先が分かれてるわけでも傷があるわけでもない普通の舌だった。って何やってんだ馬鹿馬鹿しい。悪魔なんてものは結局存在しないってその結論にさっき至ったじゃないか。実際そんな割れてる奴なんて見たことないし...うん、考えすぎだな。
「悪かった、ありがとう」
「んーん。ほらそんな事してる内に着いたべ!」
目の前には、大きな城が佇んで...いるわけもなく普通の小さな民家が立っていた。
「ここは・・・?」
「さ、入ろー」
「か、勝手に入っていいのか?もしやお前の家??」
「いや、違うべ。知り合いの。」
グイグイと背中を押され半強制的に家の敷地に入る。こんなことを言うと臆病者と言われるかもしれないが、寒気がするし不気味な雰囲気だし入りたくない。暗い部屋からは物音一つしないし、物陰から次の瞬間何かが飛び出してきそうだ...
「こっち」
先に進むダッツが一際大きなタンスをずらしている。
(一体何があるんだ??)
俺が見守る先でダッツはタンスをずらし終えた。
「!」
タンスのあった場所には、一歩先は何も見えない地下への階段があった。
ゴクリ
ちらっと振り返ってタンスを元に戻しているダッツを見た。
「...ほんとに行くのか?」
「何だ、怖いんだべか?かっこだけじゃなくて心も女の子っぽいべな~」
「うううるさい!怖いわけじゃない、行けばいいんだろ行けば」
やけくそになって地下への階段を進み始める。それほど長い階段じゃないらしい。下の方から光が漏れ出してる。それを頼りに壁に手をついて奥に進んだ。
でも、色々とおかしくないか?
どうして民家に地下がある?
(ワイン倉庫にしては深すぎる)
ダッツは何を手伝わそうとしてるんだ?
一、二回しか会った事ない俺に何を求めてる??
俺の中にいるもうひとりの俺が、理性が、警報をあげてる。
―早く逃げろ―
―逃げないと大変なことになるぞ!―
考え事を吹き飛ばすように頭をふる。怖がる必要はない。ダッツに馬鹿にされたままでいるのは嫌だ。俺は確かに女々しい外見をしているかもしれない、でも、だからって中身まで女々しいと思われるのは絶対嫌だ。絶対見返してやる。ダッツにだけはちゃんと同じ男として扱ってもらいたい。
(・・・この土地に来て、初めて出来た友人なんだ)
「!!」
扉が見えてきた。ガラス窓から紫色の光が漏れ出してる。振り返ってダッツに確認しようとしたら
「?!いない…ダッツ、どこだ??」
ダッツの姿はそこになかった。先に行ってしまったのか?それとも忘れ物でもしたのか、どちらにしろもうここまで来たんだ。扉の中に入って待っていたほうがいいだろう。
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