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執念と信念

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「立会人は僕の手下でよろしかったですか。今は竜宮家の軍門に下っている。中立といえば中立なのかもしれませんね。もっとも仲介といっても竜宮家が愛する形だけのものですが。僕は必要ないと思うんですよね。なにせこれから始まるのは仙術同士のぶつかり合い。動きに目が追い付けもしないだろうになにができるんだって話ですよ」
「立会は形だけではない。ちゃんとした意味が──」
「ああ、はいはい、小言はそこまでにしてください。実力でそんなものはないと証明して見せますから。それよりも僕が勝ったらちゃんと見逃してくれるんですよね? 父親たちの帰還までに時間を稼ぎ、上陸したらなし崩し的に取り押さえようなんて考えてませんよね?」
「私は竜宮家の人間として契約を結んだ。父といえど口出しはさせない」
「ははっ、馬鹿正直さは代々受け継がれるものだったか。せいぜい末代にならないよう気を付けるんですね」

 浦島は太刀を抜いた。

「甚平の顔なんぞ見たくない。とっとと終わらせてこの島と絶縁させてもらいますよ」
「ああ、決着を付けようか」

 乙姫は左腰に海神をぶら下げたまま拳を握る。

「姫様!? 刀を抜かないんですか!?」

 巻き込まれないよう、砂浜の片隅に避難する島民が声を上げる。

「素手で浦島さまに挑もうなんて無茶ですよ!」
「刀がないのであれば賊から取り上げればよろしいではないですか!」
「考え直してくださーい!」

 島民たちの言葉には一理あった。刀相手に拳で挑もうなど誰もが無謀に思える。
 しかし浦島の刀はかつて竜宮島に招聘した職人が作り上げた業物。さらに通常の刀よりも大きく頑丈に仕上がっている。
 そんな刀の前では賊たちが持つ、ろくに手入れもされていない拾い物のお古は木枝同然。

「心配ありがとう! だが私は剣よりも拳が得意なのだ! 皆もわかっているだろう!」

 後ろからの頼もしい声援を邪険にはしない。

「それはそうなんですが!」

 そこに水を差すは浦島。

「やめとけやめとけ。乙姫様は刀が怖いのだ。向けられるのも持つのもな」
「んもー! あんたって人は! 顔はいいのに意地が悪い!」

 島民たちはきぃきぃと文句を言う。
 乙姫はというと安い挑発には乗らず、

「皆の者! それよりも竜之助を見ていてくれ! 声かけでも構わない! 恩人を死なせないでやってくれ!」

 始める前に竜之助を回収した。驚くべき生命力で虫の息だが生きてはいる。耳元で声をかけても反応らしい反応を見せないため、意識があるかは不明。
 布をぐるぐる巻きにする、治療といえぬ治療でその場を凌いでいた。

(医者であるあかめは現在ばあやの治療に向かっていると聞く。まだ帰ってこないということはばあやはまだ生きていて治療するだけの体力が残っているということだ)

 あかめは医師として切羽詰まった場面では時に冷酷だが合理的な判断を下す。治療しても無駄だと分かれば息を引き取るのも待たずにその場を離れる。
 乙姫は彼女が姿を現すのをまだかまだかとそわそわしてしまっていた。

(いかんな……当主として命は平等として扱わなくてはいけないのに……典医の判断を尊重しなくてはいけないのに、早く治療を行ってくれないかと考えてしまう。このままでは負けてしまう)

 浦島の剣士としての技量は本物。余所見をしていては絶対に勝てない。
 そも必ず勝てる勝負でもない。果たし合いも絶対的な自信があって提案したわけではない。そうせざるをえない事情があった。

(怠け者のくせに大飯食らいとは……どこまでも伝家の宝刀か、海神め……)

 大きな力には代償が要るのが常。
 海神は先ほどの一撃で乙姫のほとんどの体力を食らっていった。
 あの海の形を変えるほどの一撃の後、海神は脇差の大きさに縮んでいた。ばれないように鞘に戻し、その場を凌いだが、もう同じような技ができないとわかる。ばれてしまえば賊たちが暴れ始め、島民に被害が及ぶ。

(やれやれ……当主というのは本当に……やることが多くて疲れるばかりだな……)

 日夜厳しい鍛錬を積み、体力を培った彼女でも気が緩めば足がふらつく。

(しかし竜之助はこれよりももっと辛い中、戦い抜いたのだ……私も負けてはいられぬ)

 呼吸を深め、仙術の準備に入る。

「両者よろしいですか……」

 仲介が乙姫と浦島を見る。二人とも問いかけには言葉で応じなかったが目で戦う意思を示した。
 仲介は空気を読めない男ではなかった。
 準備が整ったものと判断し、歴史的瞬間を見届けられることに光栄と緊張を感じながらも、開始を告げる。

「それでは、はじめ!」

 開始を告げたその瞬間、

「……」
「……」

 両者、にらみ合い。互いに出方を窺った。

「おや、奇遇ですね。まさか譲り合いになるとは」
「目下に先手を譲ってやるぞ?」
「一刻も早く忌々しいこの島と決着を付けたいのは山々ですが、お相手は乙姫様だ。事は慎重に進めなければ」
「遠慮しなくともいいのに」

 互いが先手を譲り合う。

(攻撃に出ないのも無理はない。先に刀を振るえば一気に不利になるからな)

 乱取りで何度もぶつかり合っている間柄。お互いの力量や戦法は知り尽くしている。
 乙姫は剣筋をギリギリまで見切り、出来た隙に最大火力の反撃カウンターを得意としているが拳という都合上、射程は短く、攻めにも出にくい。
 一方の浦島は一撃一撃を重く速く繰り出す剣術を得意としている。太刀を釣り竿のようにしならせて振るう。ただしむらっ気が多く、時に付け入る隙ができると散々指導を受けている。

(だが彼女は、何度も乱取りした私だからこそわかることだが、あまり褒められはしないが守りも巧い。まるで亀の甲羅のように攻撃をはじき返す。私から絶対に攻めてはならない)

 仙術使いとしてなら乙姫が上、戦士としてなら浦島が上。
 勝率は五分……にまで届けば良いほうだ。

「僕は臆病風に吹かれるお前とが違う」

 先に動くは浦島。ウミウシのようにじわりじわりと前へと進む。

(浦島が先に動くとは……上に立つ者が動かないのかとか挑発するとばかり……)

 どう攻め込むかいくつもの案を考えていたが、すぐさま全部破棄し、攻撃に備える。

「ふっふっふ……」

 浦島はいやらしく刃先を左右に振るう。

「……っ」

 乙姫は弱さを抱えながらも立ち上がった。しかし弱点を完全に克服したわけではない。
 怖いものは怖い。刀をいやでも見せつけられれば背筋に悪寒が走る。

「……それで私が逃げるとでも思ったか」

 その代わり目を背けない。怖くとも絶対に目を離さない。

「ははっ。泣いてびくつくと思ってましたが少しは成長されたようだ……しかしそれも読み通りですよ」

 途端、上を向いたはずの刃先が下を向く。
 まだまだ剣が届く間合いではない。
 何もないはずの足元に刀を振るう。

 キィン!

 鋭い金属音。

(あれは、まきびしか!?)

 回収されずに砂に埋もれていたまきびしが飛んでくる。

(掴み取るには棘が多すぎる、ここは避けるが無な──)

 直後、乙姫は左手の甲でまきびしを弾き飛ばす。

「浦島! 島の皆を狙うとは卑怯だぞ!」

 怒りに血濡れた拳を固く握る。
 あのまま避けていれば島民の誰かが怪我を負っていた。

「あははは! 勝てばいいのですよ、勝てば!!」

 まきびしを弾いたその時から浦島は間合いを詰めていた。ここぞとばかりに攻め込む。
 蜂が飛び交うような目では追えない素早い連撃。音を聞き分け、方向と向きを察知し、回避に専念する。

「この剣裁き、稽古では手を抜いていたか!?」
「ええ、そうですよ! ずっと本気で打ち込みたくてうずうずしてましたよ!」

 我慢を晴らすように剣は加速していく。

「お前を葬ったら後ろの全員も鏖殺してあげますよ! 冥土でも寂しくないようにね!!」
「貴様ー!!!」

 付け入る隙を探すが剣の嵐はなかなか通り過ぎない。
 むらっ気があるとされた剣に雑念は消えていた。乙姫への殺意の一色に染まっていたからだ。長くは続かないはずの仙術が絶えず続いている。
 仙術使いとして上であっても、やはり戦いにおいては浦島に分があった。
 荒々しい剣を搔い潜りながら乙姫はいまさらになって悟る。

(復讐に命を燃やす行いを、私は愚かだと思っていた……それと同じように、お前も私を愚かだと思っていたのだな……)

 どんな形であれ、どんなに賛同を得られず反感を買う目標でも、脇目も振らず打ち込む命がけの者は強い。

(ならば、私も相応の勇気を見せなくてはだな……)

 付け入る隙が無いのであれば作るほかない。
 作るとなれば刀を止めるしかない。
 闇雲に掴もうとしてはいけない。
 剣を誘い込む。
 飛ぶ蝶よりも花にとまる蝶が捕まえやすいように。

 シュッ!
 シュッ!

 刃を皮を切りつけ始め、血が噴き出る。

「乙姫様!!?」

 悲鳴を上げる島民たち。

「観念したか、乙姫!!」

 浦島はますます勢いづく。
 乙姫は剣を受け止める態勢に入った。

(私の実力では剣を追いかけられない。ならば視点を変えるべきだ。葉ではなく、木を。剣ではなく、剣術を)

 高い殺意を持っている。おそらくは一撃で屠るに来ると睨む。
 乙姫は左によろめく振りをする。わざと右をがら空きにする。剣士であれば大好物の隙。

(さあ乗ってこい。この態勢なら拳での反撃は無理だ。殺しに来い)

 右からくれば肘と膝で受け止める狙いだった。
 まんまと浦島は乗る。

「隙を見せたな、乙姫!!」

 しかし持ち手を変え、乙姫の身体を左から切り込もうとする。

「仕掛けがバレバレ。そんなのでは魚も釣れないよ」

 負傷した左手では刀は受け止められない。
 浦島はありったけの執念ちからを込める。

「死ねえええええええええ乙姫えええええええええええ!!!」

 刀は乙姫の胴を捉えた。

 キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!

 人肉を切り裂くにしては甲高い金属音が響き渡る。

「なんだ、この音は……鎖帷子を切ってもこんな音はしないぞ……」

 浦島の手が震える。

「なんだこの感触は……人の肉を切ってもこんなに痛くはなかった……どうして手が、岩を叩いたように痛むんだ……」
「その答え、私が教えてやろうか」

 乙姫は喋る。

「ど、どうしてしゃべれる!? お前は今、ぼくが切ったはずじゃ」
「あいにくだが……お前は何一つ切れていない……賭けは私が勝ったんだ……」

 乙姫は浦島からも見えるように左手を上げる。

「仙術で身を固めたとはいえ、お前の一撃、なかなかに堪えたぞ……」

 そこにはヒビが入った太刀と傷一つ入らない海神。

「ま、また信仰が、信仰が邪魔したんだな!? おのれ龍神、海神! 呪われた島、竜宮め!」
「勘違いするなよ……お前に立ちはだかったのは私の信念だ。神様はお前になにがなんでも勝とうとする私に少しばかりの力を貸してくれたに過ぎないいつつつ」

 喋ると脇腹に激痛が走る。

「痛いな……痛い……でも、拳を握れないほどではない」
「ふふっ、ははっ、そんなふらふらの状態で僕とどうやって戦うつもりだい?」
「まだ気づかないのか? 今の剣戟でお前の手は限界を超えたのだ」
「何を言って……」

 どすん。

 目下で物音。
 視線を落とすと太刀が砂浜に転がっていた。

「おっと、僕としたことが」

 刀を拾おうとするが震えた手では拾うどころか握れもしなかった。彼女の手は限界を超えていた。

「ちがっ、ぼくはまだやれる! ぼくは、剣士だぞ! お前なんぞ剣さえあれば、剣さえあれば……!」
「浦島……いや桐生。私からお前にやれる言葉は一つだけだ」

 乙姫は元主君として引導を渡す。

「歯食いしばれ」

 そして歯を食いしばる暇も与えずに綺麗な顔面に右拳を叩き込んだ。
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