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「よし!できたっ!」
やっとフラヴィオへのお礼のシャツが出来上がり、ティオは達成感と疲労感にぐっと背を伸ばした。昼間の出発までにはなんとか仕上げたいと思っていたので、ほぼぎりぎりの仕上がりだった。
フラヴィオは喜んでくれるだろうか。どんな反応を見せてくれるだろうか。不安と期待に胸を膨らませて、心躍りながらいつもの場所へ向かう。洗濯物のカゴとプレゼントが入った紙袋を持って。
今日の昼間に出発して家族の元へ帰ることになっている。しばらくフラヴィオと逢えないとやっぱり寂しいけど、すぐに会えると前向きに考える。
今日はいっぱいキスして抱きしめて、それで次会った時は――……
ぶわりと顔が熱くなる。こんな場所でなんて事を考えているのだろうとフラヴィオへの愛おしさが止まらない。ドキドキして、なんだか幸せな気持ちだ。
フランさん……大好き……。
そろそろかなと洗濯物を干しながら待っていると、不意に気配を感じた。反射的に振り返ろうとすると、突然口元を覆われてもう片方の手であっという間に草むらに引きずり込まれる。
だ、だれか――!
声をあげようにも口元を強く覆われて助けも呼べない。強い力で押さえられて身動きも取れない。どんどん視界がぼやけていく。口元を覆われた時に薬を嗅がされたようだ。でもなんとか姿だけでもと意地でも目を凝らすと、そいつの顔は見たことがあった。あの醜い伯爵の側近。用心棒の一人だった。
こいつ……まさか俺を連れ戻しに……
視界は強制的に暗転した。
*
昼前の中庭。ここにいるはずの愛しい恋人の姿が見当たらなかった。
「ティオ……?」
ベットシーツが干された物干し竿のすぐ近くには、まだ干されていない洗濯物がカゴの中に中途半端に残っていた。
一体どこに……
そのすぐ近くにはフラヴィオさんへと書かれたメモと、リボンにくくられた白いシャツが綺麗に畳まれていた。
それだけを見て凄絶に嫌な予感が走る。背筋がぞっと冷えていき、動悸が苦しくなると同時に脳裏に十数年前の失踪する前の姉の姿が思い浮かんだ。
あの時と酷似している。姉がいなくなった時と同じ……。
十数年前――
俺と姉は帝都の下町で仲良く二人で暮らしていた。両親は俺が生まれたばかりの頃に事故で亡くなり、歳の離れた姉は俺を母のように厳しくも優しく育ててくれた。正義感が強くて曲がったことが大嫌いで、俺が近所の悪ガキにいじめられているといつも助けてくれた。そんな姉が俺は大好きだった。
そんな楽しい二人暮らしの日々は唐突に終わりを告げる。近所の娘が羽振りのいい大柄な男にいい寄られているのを丁度俺が見つけたのが始まり。
大柄な男……グレイソンは当時、近所では人のいいおじさんという顔で下町に現れ、食べ物を恵んでくれたり、金銭の援助をしてくれたりと、それなりに下町の人々からは好かれていた。まだ外面だけはよかったため、旧伯爵を殺して伯爵の地位を略奪した悪漢だなんて誰もが思わないだろう。俺も騙されたクチだ。だが、グレイソンが娘にいい寄っている時の裏の顔に気づかせられた。
あの人のいいおじさんが醜く欲望にまみれた顔で女にいい寄っている。手籠めにしている。怖い。おじさんはあんな人だったのか。と、子供ながらに恐怖と胡散臭さを感じたのだ。
まだ幼かった俺は、その娘をなんとか助けたいと思いながらも臆病なせいで、間に入ることもできずにオロオロするばかり。あのままじゃあの女性が危ない。おじさんに酷い事をされてしまう。だから、困った時の姉に助けを呼んだ。
これが後に、大いなる災いを生むなんて思わなかった――。
姉に助けに呼ぶと、正義感の強い姉はすっ飛んで行っていい寄られていた娘を守るように立ち、伯爵である豚相手でも毅然とした態度で接した。強くて勇敢で、正義の味方。その時は誰よりも格好よく見えて、さすが姉さんだなって誇りに思えた。
豚は現れた姉と最初は口論になっていたが、急に大人しくなっていつものいいおじさんの顔をしだした。先ほどの気持ちの悪い一面を見てしまっているので、俺はやっぱり胡散臭さを拭えなかったし、姉も不審がっていた。不気味だとは思いながらも、この男の本心がまだ見えてこないのでなんとも言えない。そのまま奴は、急用を思い出しましたと言ってその場をあっさり引き上げて行った。
ただ、去っていく時に「綺麗な女だな」と一言残したのがいろんな意味での前触れだった。
その翌日、洗濯物を干してくると言って姉は外に出た。俺も用事があったのでそこで姉とは別れた。それが俺にとって生きている姉を見た最期の姿だとも知らずに。
同日夕刻頃、用事から帰宅しても姉の姿が見えないと庭へ出ると、そばに転がっている洗濯カゴには中途半端に干されていない洗濯物がそのままになっていた。
これはどういう事だろうと俺が茫然としていると、そのすぐ近くに落ちている毛糸の帽子に気づいた。後に姉が俺の誕生日に送ろうとしたであろうプレゼントだと知る。
姉さん……一体どこに……
その日を境に、姉は失踪。
姉はどこへ行ったのか。どこへ失踪したのか。
俺は必死で探した。引っ込み思案ながらも大人達に姉の手がかりを聞きこんで、近所どころか帝都中を幼馴染のレオと探してまわった。誰もが知らないと口をつぐんだ。というより、言いたくない様子だった。一切関わりたくないとばかりに。どうして。
探し出して数日後、奴隷として買われて行ったのだと大人達がコソコソと話していたのを偶然聞いた。
幼い俺には酷だからとあえて黙っていたのだろう。連れて行かれた理由はただ綺麗だから。いい女だからと男としてモノにしたいからだと言っていた。しかも相手はあのいいおじさんだった伯爵が攫ったのだと言う。やっぱりアイツだった。
そもそも奴隷?モノにしたいってどういう事だろう。幼いながらも必死で考えて、難しい辞書で調べて愕然とした。あの男は姉さんをおもちゃにする気だったんだ、と。
だから俺はいろんな大人達に姉を助けてくれと、あの男を逮捕してくれと訴えたが、ただの平民が伯爵相手にどうこうする事など無理な話で、逆にこちらが不敬にされて悪者にされるだけだと一蹴された。
そして後日、変わり果てた姉が無惨な姿で川に打ち捨てられていた。その光景が今でも脳裏に鮮明に焼き付き、己の心の傷として残り続けていた。
「っ……は……姉さんっ……ティオ……っ!!」
次第に過呼吸になりかけたが、ティオの安否が心配でたまらずになんとか持ち直す。こんな場所で休んでられない。
「フラン!」
「レオ……っ!」
「ひどい顔だな……ってそれよりだ。ティオにつけていた護衛が殺されていた」
「っ……!」
あの豚の手の者が近くにいる事を見越してティオに隠れて護衛をつけていたが、その護衛自体が殺されてしまったようだ。
「あの豚にはさらに強力な護衛がついているらしい。殺された護衛が受けた太刀筋は全く無駄がなくすっぱり斬られていた。血をほとんど出さずにな」
相当な手練れがそばにいるらしい。だが、そんな事は関係ない。
「ティオが奴に攫われた!この場にいる兵隊を今すぐ全員集めろ!あの豚の居場所を一刻も早く突き止めるために!!」
もう何も躊躇わない。あの時のようにはさせない。あの時の二の舞はもうたくさんだ。
グレイソン伯爵っ!!
俺のティオに何かしてみろ。貴様を嬲り殺してやる――!!
やっとフラヴィオへのお礼のシャツが出来上がり、ティオは達成感と疲労感にぐっと背を伸ばした。昼間の出発までにはなんとか仕上げたいと思っていたので、ほぼぎりぎりの仕上がりだった。
フラヴィオは喜んでくれるだろうか。どんな反応を見せてくれるだろうか。不安と期待に胸を膨らませて、心躍りながらいつもの場所へ向かう。洗濯物のカゴとプレゼントが入った紙袋を持って。
今日の昼間に出発して家族の元へ帰ることになっている。しばらくフラヴィオと逢えないとやっぱり寂しいけど、すぐに会えると前向きに考える。
今日はいっぱいキスして抱きしめて、それで次会った時は――……
ぶわりと顔が熱くなる。こんな場所でなんて事を考えているのだろうとフラヴィオへの愛おしさが止まらない。ドキドキして、なんだか幸せな気持ちだ。
フランさん……大好き……。
そろそろかなと洗濯物を干しながら待っていると、不意に気配を感じた。反射的に振り返ろうとすると、突然口元を覆われてもう片方の手であっという間に草むらに引きずり込まれる。
だ、だれか――!
声をあげようにも口元を強く覆われて助けも呼べない。強い力で押さえられて身動きも取れない。どんどん視界がぼやけていく。口元を覆われた時に薬を嗅がされたようだ。でもなんとか姿だけでもと意地でも目を凝らすと、そいつの顔は見たことがあった。あの醜い伯爵の側近。用心棒の一人だった。
こいつ……まさか俺を連れ戻しに……
視界は強制的に暗転した。
*
昼前の中庭。ここにいるはずの愛しい恋人の姿が見当たらなかった。
「ティオ……?」
ベットシーツが干された物干し竿のすぐ近くには、まだ干されていない洗濯物がカゴの中に中途半端に残っていた。
一体どこに……
そのすぐ近くにはフラヴィオさんへと書かれたメモと、リボンにくくられた白いシャツが綺麗に畳まれていた。
それだけを見て凄絶に嫌な予感が走る。背筋がぞっと冷えていき、動悸が苦しくなると同時に脳裏に十数年前の失踪する前の姉の姿が思い浮かんだ。
あの時と酷似している。姉がいなくなった時と同じ……。
十数年前――
俺と姉は帝都の下町で仲良く二人で暮らしていた。両親は俺が生まれたばかりの頃に事故で亡くなり、歳の離れた姉は俺を母のように厳しくも優しく育ててくれた。正義感が強くて曲がったことが大嫌いで、俺が近所の悪ガキにいじめられているといつも助けてくれた。そんな姉が俺は大好きだった。
そんな楽しい二人暮らしの日々は唐突に終わりを告げる。近所の娘が羽振りのいい大柄な男にいい寄られているのを丁度俺が見つけたのが始まり。
大柄な男……グレイソンは当時、近所では人のいいおじさんという顔で下町に現れ、食べ物を恵んでくれたり、金銭の援助をしてくれたりと、それなりに下町の人々からは好かれていた。まだ外面だけはよかったため、旧伯爵を殺して伯爵の地位を略奪した悪漢だなんて誰もが思わないだろう。俺も騙されたクチだ。だが、グレイソンが娘にいい寄っている時の裏の顔に気づかせられた。
あの人のいいおじさんが醜く欲望にまみれた顔で女にいい寄っている。手籠めにしている。怖い。おじさんはあんな人だったのか。と、子供ながらに恐怖と胡散臭さを感じたのだ。
まだ幼かった俺は、その娘をなんとか助けたいと思いながらも臆病なせいで、間に入ることもできずにオロオロするばかり。あのままじゃあの女性が危ない。おじさんに酷い事をされてしまう。だから、困った時の姉に助けを呼んだ。
これが後に、大いなる災いを生むなんて思わなかった――。
姉に助けに呼ぶと、正義感の強い姉はすっ飛んで行っていい寄られていた娘を守るように立ち、伯爵である豚相手でも毅然とした態度で接した。強くて勇敢で、正義の味方。その時は誰よりも格好よく見えて、さすが姉さんだなって誇りに思えた。
豚は現れた姉と最初は口論になっていたが、急に大人しくなっていつものいいおじさんの顔をしだした。先ほどの気持ちの悪い一面を見てしまっているので、俺はやっぱり胡散臭さを拭えなかったし、姉も不審がっていた。不気味だとは思いながらも、この男の本心がまだ見えてこないのでなんとも言えない。そのまま奴は、急用を思い出しましたと言ってその場をあっさり引き上げて行った。
ただ、去っていく時に「綺麗な女だな」と一言残したのがいろんな意味での前触れだった。
その翌日、洗濯物を干してくると言って姉は外に出た。俺も用事があったのでそこで姉とは別れた。それが俺にとって生きている姉を見た最期の姿だとも知らずに。
同日夕刻頃、用事から帰宅しても姉の姿が見えないと庭へ出ると、そばに転がっている洗濯カゴには中途半端に干されていない洗濯物がそのままになっていた。
これはどういう事だろうと俺が茫然としていると、そのすぐ近くに落ちている毛糸の帽子に気づいた。後に姉が俺の誕生日に送ろうとしたであろうプレゼントだと知る。
姉さん……一体どこに……
その日を境に、姉は失踪。
姉はどこへ行ったのか。どこへ失踪したのか。
俺は必死で探した。引っ込み思案ながらも大人達に姉の手がかりを聞きこんで、近所どころか帝都中を幼馴染のレオと探してまわった。誰もが知らないと口をつぐんだ。というより、言いたくない様子だった。一切関わりたくないとばかりに。どうして。
探し出して数日後、奴隷として買われて行ったのだと大人達がコソコソと話していたのを偶然聞いた。
幼い俺には酷だからとあえて黙っていたのだろう。連れて行かれた理由はただ綺麗だから。いい女だからと男としてモノにしたいからだと言っていた。しかも相手はあのいいおじさんだった伯爵が攫ったのだと言う。やっぱりアイツだった。
そもそも奴隷?モノにしたいってどういう事だろう。幼いながらも必死で考えて、難しい辞書で調べて愕然とした。あの男は姉さんをおもちゃにする気だったんだ、と。
だから俺はいろんな大人達に姉を助けてくれと、あの男を逮捕してくれと訴えたが、ただの平民が伯爵相手にどうこうする事など無理な話で、逆にこちらが不敬にされて悪者にされるだけだと一蹴された。
そして後日、変わり果てた姉が無惨な姿で川に打ち捨てられていた。その光景が今でも脳裏に鮮明に焼き付き、己の心の傷として残り続けていた。
「っ……は……姉さんっ……ティオ……っ!!」
次第に過呼吸になりかけたが、ティオの安否が心配でたまらずになんとか持ち直す。こんな場所で休んでられない。
「フラン!」
「レオ……っ!」
「ひどい顔だな……ってそれよりだ。ティオにつけていた護衛が殺されていた」
「っ……!」
あの豚の手の者が近くにいる事を見越してティオに隠れて護衛をつけていたが、その護衛自体が殺されてしまったようだ。
「あの豚にはさらに強力な護衛がついているらしい。殺された護衛が受けた太刀筋は全く無駄がなくすっぱり斬られていた。血をほとんど出さずにな」
相当な手練れがそばにいるらしい。だが、そんな事は関係ない。
「ティオが奴に攫われた!この場にいる兵隊を今すぐ全員集めろ!あの豚の居場所を一刻も早く突き止めるために!!」
もう何も躊躇わない。あの時のようにはさせない。あの時の二の舞はもうたくさんだ。
グレイソン伯爵っ!!
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