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37.離れる決意

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 それからシェルターへの入居手続きを両親にしてもらい、パスカルは日に日に進む病魔の進行を受け入れながら生活していた。医者の見立てでは、余命あと数か月と宣告される。意外に早いなと思いながらも、オメガ肺炎はオメガ・セロトニンの数値により死期が決まるのでそんなものだろう。早い人は半月や数日で亡くなる人もいるらしい。自分はまだまだマシで遅い方かもしれない。

 どんどん止まらなくなる咳に喉や肺の辺りが痛み出し、やがては痰に血が少し混じるようになっていた頃、シェルターの入居日が明日と迫っていた。

「う……ん」

 鎮静剤が効いていたのかしばらく寝ていたようだ。そばにはメルが優しい顔をしてこちらを覗き込んでいる。両親が気を利かせてメルと逢えるのも今日で最後だからと呼んでくれたのだろう。シェルター入居日前日なので、どうあがいても本当に今日が最後なのだ。

 両親にはシェルターに入ることは言うなと口止めしてある。だからメルは何も知らないはず。その方が都合がいいからだ。


「おはよう。お見舞いに来てた」

 彼の衣服はパスカルが贈り物としてあげたセーターを着用している。それが地味に嬉しくて心の中がじんわり温かくなる。

「メルの手……温かい」
「パスカルの手が冷たいから握ってたんだよ。それにパスカルが作ってくれたこのセーター……とっても温かいから」

 優しい手つきで手を握り絡められる。ずっと握っていたいほど、温かくて安心する手。でも、それももう今日で終わり。

「ありがとう……そのセーター着てくれて。マフラーも身に着けてくれたんだね」
「パスカルがオレのために作ってくれたんだ。着ないわけないじゃん。生涯のお宝にする」
「生涯のお宝だなんて大げさだよ……」
「大げさじゃないよ……。今まで、どんなにいっぱい贈り物をもらっても嬉しくもなんともなかったのに、パスカルからの贈り物は本当に嬉しくてたまらなかったんだ。幸せ者だなって思ったくらい」
「メル……」

 自分なんて何もメルに幸せなんて与えていないのに。物を差し上げるくらいでしか喜ばせてあげられなかった。

「マフラーもセーターも大切にするね。離れている時は、これをキミだと思って抱いて寝るようにするから」
「………」
「……パスカル?」


 そう言われて満足感はあるのに、もの悲しい気持ちは止まらない。何であれどうであれ、彼とは今日限りでお別れなのだから。

 彼は皇太子だ。オメガ肺炎にならなくても、平民の自分と一緒になんてなれない。貴族や姫みたいな高貴な婚約者の人と結ばれる。所詮は初めから決まっていた報われない恋。そもそも、男の自分などメルの候補に入るわけがないのだ。

 彼は皇太子として世継ぎのために誰かの子供を産んで、やがては自分の事など忘れて国のために尽くしていくのだろう。自分の存在はたかが平民のパン屋で、歴史にも残らないレアオメガの一般ピープル。レアオメガの命はこの世界では儚いものだけれど、忘れてくれた方がいい。

 自分の事など忘れて、立派な皇帝陛下として生きてほしいと思う。


「ごほっごほっごほっ」

 叶わぬ想いの果てに忘れてほしいと願ったせいか、とうとうメルの前で咳が止まらなくなった。この咳のせいでまた一段と体が弱ったのを感じた。

「大丈夫?水、持ってこようか」
 
 心配そうにメルが背中を何度もさすってくれる。相変わらず優しい人だ。

「平気、だよ。ごめん……風邪……長引いてるみたいだから」

 いなくなりたい――と、心の底からそう思ってしまっているメンタルは、確実に弱まっている証拠だ。

 明日からシェルターに入ってしまえば孤独になる事はわかっている。死ぬ時は一人ぼっち。この秘めた気持ちがもう報われる事はないし、メルとの関係も終わり。

 だったら、もうきっぱり離れて忘れてもらおう。
 離れる事が出来たらきっと割り切って、嫌でもこの恋心を忘れられるはず――。
 

「優しくしないでよ」
「え……」
「メルの優しさが……辛いよ」

 背中をさするメルの手を拒絶してそう口にした。メルは少し傷ついた表情を浮かべたが「そっか」と、苦笑いを浮かべていた。それに罪悪感を覚えるもこうでもしなきゃ離れられない。忘れられない。忘れてはくれない。

 これ以上この報われない感情に思い悩んでシェルターに入るくらいなら、幻滅されて失うものが何もなくなった状態で死に場所へ向かう方がいい。心残りが何もない状態でシェルターに入ってしまわなければ、きっと後悔するから。


 
「メル……ううん。メルキオール皇太子殿下。申し訳、ありません……」
「っ、やっぱり……もうわかってたよね。オレが、皇太子だって事」
「……はい……」

 パスカルからその名称で呼ばれるとは思わなかった。他人行儀に呼んでほしくはなかった。


 
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