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15.ヒートの前兆

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「話は分かった。腕を放せ」
「なんだよ。お前がリリアを悪く言っていた気持ちがよくわかって親近感を覚えたんだ」
「勝手に親近感抱くな。お前がリリアにチョロすぎるバカなだけだろ」
「チョロっ……てめえな!もう少し言い方ってもんが……ん、お前、なんかいい匂いするな」
「……は?」

 突拍子もなく、オーガはパスカルの首筋や肩口をすんすんと匂いを嗅いでくる。

「ちょ、ちょっとなんなんだよお前!!ひっ!」

 不気味なオーガの手がパスカルの頬を厭らしく撫でた。鳥肌が立った。

「顔赤いなお前。もしかしてお前……」
「っ――!」

 ハッとして、考えてみればさっきからどんどん体が熱くて気怠さを感じる気がしていた。もしかしてヒートがきたのかもしれない。前兆痛の痛みがなかったので予想外だ。

 だったらオーガなんかに構っていられないと急いでその場から離れたいが、オーガは腕を放してはくれない。むしろ先ほど以上に力が込められているように思う。

「っ、いい加減に放せ!」
「俺達は同じ女にフラれた者同士だ。慰めあおうぜ」
「ふざけるなっ!お前なんかお断りだっ!」

 冗談抜きにして体がどんどん熱くなってきて、本能的に自分の身が危険だと察する。どんどん得体の知れないものが自分から垂れ流れ始めたのに気づいたら、目の前のオーガの目が据わっていた。

「パスカル……」
「っ、いやだ!」

 オーガの気持ちの悪い甘い声と瞳孔が開いた目に怯えた。そのまま一気に詰め寄ってきたオーガに力任せに押し倒されて、背中を強く打つ。

 痛みに涙目になるが、今にも獣のようにパスカルを貪ろうとするのを寸でのところで両手で防ぐ。相手は王国騎士団所属だ。力では絶対的に敵わない。

 このままじゃ自分もこのオーガのように理性を失ってしまう。性欲を欲しがるバカみたいになってしまう。押し問答をしあう力比べもやがては押し負けてしまうだろう。

「っ、だれか……っ!」

 周りを見ても誰も助けようとはしない。むしろ、ヒートを起こしかけているレアオメガに誰が近づこうというのだ。ベータ以外の者は一様にヒートに当てられないよう逃げ出していく。唯一なんともないベータも面倒事はお断りとでもいうのか見て見ぬふりだった。

 ああもうだめだ。理性が途切れる寸前――……



 オーガが吹っ飛ばされたのをかろうじて残っていた理性で察した。何が何だかわからないまま茫然としていると、体がふわりと浮いて突然の浮遊感に狼狽える。しかし、顔を見てすぐ安心してしまった。

「め、メル……っ」
「ボクは抑制剤を飲んでるから大丈夫」

 優しい声が心地よかった。口を開けてと言われたので、恐る恐る開けると錠剤のようなものが口の中に入ってきた。抑制剤を口に入れてくれたのだろうとホッとする暇もなく、メルの顔が近づいてきて唇を重ねられていた。

(え――。な、なんでキス!?)

 驚きながらもあまりの甘さに心酔しそうになる。キスというものはこんなにも甘くて気持ちのいいものだっただろうか。脳髄を痺れさせて、胸をぎゅっと鷲掴みにされるほど甘美なもの。


 心酔しそうになる中で、冷たいものが舌と一緒に入ってきた。水と入れ替わりにゆっくり離れていく唇に名残惜しさを感じながら、これは水を飲ませてくれている行為なのだとやっと気づく。

 緊急時だから仕方なく口移しなんだろう。それに妙に切なくなりながらこくりと喉を動かす。次第に視界がぼやけてきて力が抜けていく。

「即効性の抑制剤だよ。睡眠効果もある。だから、安心して眠っていいよ……パスカル」

 自分が持っていた薬とは違うものだけれどいいのだろうかとか、言いたい事がいっぱいあるが、メルの優しい声と心地のいい浮遊感に意識を飛ばした。



 次にパスカルが目を覚ますと、自室のベットの上だった。気怠くて熱っぽい体はまごう事なきヒートを起こしている。

 今まで自分はどうしていたのだろうと眠る前の事を思い出す。オーガに絡まれている最中にヒートがきてしまい、もうだめだという所でメルが助けてくれた事を。


「目が覚めた?」
「メルっ……」
「まだ、薬の効果は完全には出ていないからゆっくり休んでいて」

 メルがここまで運んできてくれたんだろう。メルはアルファだから、こんなフェロモン垂れ流しの自分を運ぶ際はとても苦労しただろうと思う。

「今夜あたりに本格的なヒートが始まると思う。ヒート中の姿なんて大体は見られたくないと思うから、鍵をかけておくようにね。あと、下にいるご両親から食事をあげてくれって。ここに置いておくね」

 サイドテーブルに置かれたトレーの上には、母親御手製のポトフとロールパンが湯気立っている。おそらく出来立てのものだ。

「じゃあ、行くね。ボクが抑制剤を飲んでるといっても、パスカルのヒートのフェロモンがすごくてクラクラしちゃうから。またヒートが終わった後に元気な姿を見せてね」

 そうしてメルが手を振って扉を閉められる寸前――……

「っ……いかないで……」

 思わず、口からそんな事を漏らしていた。顔をあげれば扉はもう閉まっていた。

「っ……おれ……どうかしてる……」

 独りぼっちの空間。これから辛い一週間のヒート。それらも含めて、妙に寂しさを感じてしまっていた。メルがそばにいなくなってしまう事に心細さと切なさと苦しさ。そして、肌恋しさに。

 数日経てばまた会える存在なのに、今がひどくメルの事を恋しいと思ってしまっている自分に戸惑う。感情の起伏がどうもおかしい。これもヒート中のレアオメガだからだろうか。涙があふれては止まらない。

 恥ずかしさと寂しさにシーツをぎゅっと強くつかんで頭からかぶった。きっと小声だったから聞こえていないはずだ。そう思って零れそうな涙をごしごし拭っていると、キィっと扉が再び開く音がした。

「少しだけなら……そばにいるよ……」

 背後から包み込まれるようにぎゅっと抱き締められた。

「め、める……ごめ……わがまま言って……」
「わがままじゃないよ。そう思うのは普通の事だよ。初めてのヒートだし不安で心細いと思うから」

 ゆっくりシーツから顔を出すと、熱に浮かされたようなメルの顔があった。それでもかろうじて笑顔を見せてくれている。

 きっと自分のヒートに当てられているのだろう。たとえ抑制剤を飲んでいてもレアオメガのフェロモンは普通のものより濃度が三倍以上濃いらしいので、それを耐えながら話しているメルも辛いだろうと思う。それなのにそばにいてくれている。

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