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無限の迷宮(110〜)
116 黒い靄
しおりを挟む魔王とは、文字通り「魔の王」「魔物の王」の呼称である。
魔王は大陸の東側の瘴気の向こうにある城や塔に住まう──とされている。これまで幾度となく勇者に倒されているが、時が経てばまた現れて城や塔に住み始める。
魔王が現れたときは、ステータスの職業が〈聖女〉となっている珍しい女が「魔王が復活しました」と宣言するので分かりやすい。
聖女が魔王復活を宣言すると、勇者は旅支度を整え、魔王討伐のための過酷な旅へ出る。勇者が魔王を討ち取らないかぎり、魔王の配下で構成される魔王軍は際限無く調子付き、人に被害を与えるためのあらゆる努力を開始するから急務である。
──というのが王国内での常識であるが、果たしてその〈魔王〉は、本物の魔王なのか。魔王とは、何か。魔の王、魔物の王。「神」に対し「魔神」とも呼ばれる存在が、その魔王であるのだろうか。
さて、何故ここで唐突に魔王などの話を持ち出したのかといえば、今まさに魔王と名乗る者がレオハルトの眼前に現れたからである。
その姿は黒い靄に覆われていて見えない。というより、見えているのに「見てはいけない」と脳が認識しているようで、視覚からの情報が勝手に黒い靄に変換されていると思われる。
レオハルトの後ろには、腹部から血を流して倒れているギムナックの姿がある。魔王と名乗る靄が現れて、恐らくギムナックを一瞥した瞬間には既にギムナックは倒れていた。結界が弱すぎた、などとは考えもしない。もしもレオハルトが全力の結界を張っていたとしても無意味なものであることに変わりないからだ。
鬼面のオーガは、いつの間にか通路の片隅で膝を抱えて座っている。まるで虐められた大きな子どものようだ。
迷宮の通路は、時が止まったようになっている。ただし、レオハルトたちにとって、空気が重すぎる。上から岩で押さえ込まれているかのように異常な重さがある。
レオハルトはついに片膝をつき、止めていた呼吸を再開した。が、息が吸えない。過呼吸をおさめられない。全身から汗が噴き出し、口の中が渇き、そのくせ涎が汗に混じって顎を伝った。生理現象の一環のように目から涙が溢れ、苦しみに手で喉を押さえる。腕を上げるのが辛い。脚が震えて身体を支えられない。
「なんだか、妙なことになっているね」
床に這いつくばって苦しみに耐えようとするレオハルトが思わずはっとする程、透き通った声だった。少年とも青年ともつかないような若々しい男の声。これまで数々の画家に描かれてきた威厳ある不気味な姿の魔王像からは想像もつかない美しい声。とても穏やかで、爽やかで、のんびりした口調で、これが魔に関わるものとはつゆ思えない。
「我が主、あそこにミノタウロスの姿が」
魔王の配下らしき魔物が言った。一見すれば黒いマントに身を包んだ二足歩行の羊頭の魔物だが、よく見れば羊の頭と後頭部合わせに牛の頭も付いている。前後で計二つの頭を持つ奇妙な魔物である。
「行っておいで、アスモ。他のには触らないでね」
「心得ております、我が主。私めはとても物分りが良いのです。そうですよね、我が主?」
「まさしく、君は物分りの良い魔物だ」
「そうでしょうとも。私めは常々そう思っております。では行って参りますよ、我が主」
「ああ、行っておいで」
アスモと呼ばれた羊だか牛だかの魔物は、どうやら前についている羊頭が主導権を握っているらしく、牛頭はまるで飾り物のように物言わず、やはり二足歩行の羊が後頭部に牛の頭部をくっつけているだけのような風体で、蹄の音を鳴らしながらミノタウロスの方へ駆けていった。
レオハルトは、懸命に黒い靄を睨み上げようとしている。目に映るのは黒煙のような靄であるのに、それが自分を見下ろしたのがはっきりと分かる。
何故ここにと問いたいのに声が出せない。酸欠でいよいよ視界が霞む。
「道に──」
と、綺麗な声が言った。レオハルトは意識を保とうと手首に爪を立てながら必死にその声を聴いた。
「──迷ってしまったんだ。とんでもないのに追い掛けられて逃げていたら、困ったことになった。まったく、自分で作っておいて情けないったら。仕方ないから新しい出口を何個も作ってみたけど、どこにもたどり着けない。どうしてこんなに深い迷宮を作ろうと思ったのか、過去の自分に聞いてみたいよ」
なんとも飄々とした声色である。困ったと言いながら、ちっとも困っている風には聞こえない。しかし、とレオハルトはぼやける意識の中で思う。
(とんでもないのに追い掛けられた……? 魔王ともあろうものが……?)
しかも、この迷宮を作ったのは自分だという。作っておいて、後悔している。
何をどう考えて良いか分からなかった。黒い靄の綺麗な声と禍々しく圧倒的な存在感の整合性がとれない。それだけで混乱するには十分だというのに、さらに訳の分からないことをのたまっている──こいつは、本当に「魔王」なのだろうか?
力なく冷たい石床に頬をつけたレオハルトは、苛立ちさえ覚えつつ、だんだんと自分の視界が暗く閉じていくのを眺めていることしか出来なかった。
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