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第二章
ワンダーボーイ その②
しおりを挟むそれまで防戦気味だったBチームにチャンスが訪れたのは、試合開始から十五分が経過したときだった。
Aチームの選手たちがセンターライン付近でボールを回していた際、一人の選手がトラップをミス。
こぼれたボールをBチームの選手が奪いとり、そのままセンターラインを越えてAチーム陣内に攻め入ったのだ。
このときAチーム陣内にはディフェンスの選手が三人ほど残っていたが、攻めるBチームの選手は五人を数えた。
グラウンドの中央から三人、左右両サイドをそれぞれ一人ずつが攻めあがっていく。
ようやくめぐってきたチャンスに、Bチームの選手たちの顔にはこの好機を先制点につなげたいという気迫が満ちていたが、中でもこの男の顔には気迫をとおりこして執念の色が広がっていた。
「クロース! クロース! 俺にクロォォースッ!」
尾をひく猛り声をあげながら、ふたたび西城が左サイドを疾走してきた。
まるで阿修羅か般若のようなその形相は、むろん先制点への執念のあらわれであるが、それ以上に西城の気迫を駆りたてていたのは先刻の「汚名返上」であった。
味方の選手から正確なクロスボールが送られてきたにもかかわらず、得点につなげるどころかあっさりとボールを奪われてしまい、しかもその奪った相手というのがプロの選手でもなんでもない、まだ16歳の高校生という事実に直面したとき、日本人初のスペインリーガーのプライドはずたずたに裂かれた。
この恥ずべき「近過去」を自分の脳裏からだけではなくほかの選手、さらには試合を観ているクラブ首脳陣の脳裏からも完全に消去するには、この試合初の得点を自分が取るしかない。そう西城は考えていたのだ。
一瞬、西城は肩ごしにちらりと後背を見やった。
カメレオンを思わせるぎょろりとした眼球が向けられた先には、屈辱の記憶を植えつけた忌むべき高校生選手――涼の姿がある。
後方二メートルほどの距離を保ちながら、ぴたりとマークについている。
ほぼ全力疾走の自分に対し、表情にも走りにもまだまだ余力を残している涼に気づいたとき、西城のプライドは底知れぬ屈辱に爆発するものと思われたが、意外にもその面上にはどういうわけか愉悦めいた笑みが浮かんでいた。
「ふん、さっきはちょいと油断してやられたが、プロの世界に二匹目のドジョウなどいないことを教えてやるぜ」
ほどなく西城と涼は、ほぼ並んだ状態でペナルティーエリア内に駆け入ってきた。
その姿を視認したBチームの選手が、クロスボールを蹴り入れてくる。
高い弾道のボールがエリア上空を横切り、「ファー!」という無数の叫び声が交錯する。
「もらったぁぁぁーっ!!」
絶叫一番、西城は芝を蹴り、飛来してきたボールめがけて猛然とジャンプした。
その西城を阻止せんとAチームのディフェンダーの選手が二人、競りあうようにジャンプしたが、空中戦の強さには定評がある西城が頭ひとつ分勝り、強烈なヘディングシュートが炸裂した――と誰もが思った次の瞬間。
ボールをとらえたのは西城ではなく、むろんAチームのディフェンダーでもなく、西城の後背から音もなく跳躍してきた涼だった。
跳躍の速さと高さ、そして滞空時間。いずれも西城らを圧倒し、飛んできたボールをヘディングでふたたびエリアの外へはじきとばしたのだ。
「な、なんじゃあぁぁ!?」
目の前一メートルの宙空を、まるでただ一人だけ重力から解放されたように悠然と飛翔する涼を視認したとき。西城は驚愕のあまりバランスを崩し、顔からグラウンドに落下していった。
芝まみれの顔を両手で押さえながら悲鳴をあげて悶絶する西城には目もくれず、着地と同時に涼がグラウンドを駆けだす。
「ま、また、あいつだ!」
悲鳴にも似た声が重なりあがる中、涼はセカンドボールを拾った味方の選手からパスをうけると、そのままドリブルで駆けあがっていった。
たちまち前後左右からBチームの選手たちが、その突破を阻止せんと殺到してきたが、高速のドリブルに卓越したフェイント技術が加わったとき、もはや涼の快足を止めることができる者は皆無だった。
前方に立ちはだかった選手は横への俊敏なフェイントの前に声を出す間もなく抜きかわされ、横合いからスライディングタックルを仕掛けてきた選手はボールごとあっさりと宙空に跳びかわされ、後方から追いすがろうとした選手にいたっては、尋常ではないドリブルのスピードの前に追いつくどころかさらに距離をあけられる始末である。
「プロの選手がよってたかっても止められないとはな。いよいよこいつは本物かも……」
快走を続ける涼の姿を遠くに眺めやりながら、伊原はあごを指でつまみながら感嘆したが、そうそう感心してばかりもいられない。
なにしろテストの審査員であると同時にBチームの一員であり、そのゴールを死守する立場でもあるのだ。
涼にいいように突破を許し、浮き足だつ自軍の選手たちに指示を出すのも伊原の役目なのである。
伊原はひとつ息を吸い、声もろとも吐きだした。
「エリア内のマークを確認しろ。クロスが飛んでくるぞ!」
まさに伊原が指摘したとおり、ハーフラインを10メートルほど超えた地点で涼はドリブルを止め、と同時にペナルティーエリア内にロングボールを入れてきた。
エリア内に散在する両チームの選手たちがにわかに動きだす。
一瞬、伊原もゴール前を飛びだし、自らパンチングでボールをはじきとばそうという判断に駆られたが、その動きは芝の上を二歩踏みだしただけで止まった。
エリア内に向かって宙空を飛来してくるボールにバックスピンがかけられていることに気づいたのだ。
「バックスピンだと? まさか……!?」
直後、まさに伊原が予測したとおり、ボールはエリア上空にさしかかったところで急に失速し、ほぼ垂直に落ちていった。
すべてはゴールキーパーの自分をゴール前から誘いだすため、わざとボールにバックスピンをかけて失速させたことを察したとき、涼の底知れぬセンスとテクニックに伊原は本心から驚嘆せずにはいられなかった。
総勢五人からなる空中戦を制したのはBチームの選手だった。
高い打点のヘディングで落下してきたボールを再度、エリアの外へとはじきとばす。
だがクリアーされたボールを拾ったのは味方の選手ではなく、相対するAチームの選手――涼だった。
目の前に転がってきたボールをキープすると同時に、ペナルティーエリア内に視線を走らせて中の状況を確認する。
エリア内にいる味方の選手全員にマークがつき、パスが出せない状況であることを涼が認識するまで時間は3秒とかからなかった。
(だめだ、全員にマークがついている。これじゃパスは無理だ……ならば!)
涼はパスを断念し、ドリブルを始動させた。
颯爽という表現がぴたりとはまる軽快なドリブルで迫ってくる涼の姿に、伊原が声をはりあげた。
「マークをはずすな。もう一度、パスが来るぞ!」
味方の選手からマークをはずすための囮りのドリブル。そう伊原は看破した――つもりであったが、その10秒後、発した指示は無意味なものとなった。
ドリブルでそのままエリア内に駆け入ってくるものと思われたその寸前。エリアの外二メートルほどの地点で涼は突然ドリブルを止めると、間髪入れずミドルシュートを打ってきたのだ。
やや高めの弾道、コースはキーパー伊原の真正面である。
「ははっ、今度ばかりはコースを狙えなかったようだな」
だが、軽い笑いが口もとをかざったのも束の間。伊原はふいに口を閉ざし、両目を糸のようにすっと細めた。
ゴールめがけて一直線に飛んでくるボールが、ゆらゆらと不規則に揺れ動いていることに気づいたのだ。
さらによく見ると、ボール自体がまったく回転していないことにも気づいた。
「無回転だと? まさか……!?」
伊原の表情が一瞬の変化を見せた。
揺れ動きながら飛んでくる無回転のボールに、脳裏の深淵にしまいこんであった古い記憶を思い起こしたのだ。
ブラジル留学時。現地で一度だけ目撃したことがある、特殊な変化を見せるシュートのことを。
そのシュートの名が喉もとにまでこみあがってきた、まさにその瞬間。それまで水平飛行を続けていたボールが突然、伊原の視線の先から消えた。
否、落下したのだ。
まるで強力な重力に一瞬で引き落とされたかのように、前触れもなく軌道上から落ちたのである。
「な、なにぃ!?」
ボールに生じた急激な変化に伊原はおもわず心身を凝固させたが、そこは歴戦の元代表ゴールキーパー。
瞬時に自己を回復させると持ち前の反射神経を発揮し、とっさに右足を振りあげて落下してきたボールを蹴りあげようとする。
だが、一瞬の差でボールは振りあげられた伊原の右足をするりとかわして、そのままグラウンドに落下した。
足下で勢いよく跳ねあがったボールに、伊原が体勢を崩しながらも長い腕を突きだす。
なおもゴールを防ごうとするあたりは伊原のゴールキーパーとしての執念を感じさせたが、その執念も一歩およばなかった。
バウンドしたボールはその腕さえもかわし、バランスを崩して横転した伊原をあざ笑うかのようにゴールマウスの中に吸いこまれていったのだ。
得点を告げるホイッスルの音が響きわたる中、芝の上に這ったままネットにからみついたボールを呆然と見つめていた伊原は、失った言葉を取り戻すまでじつに数十秒の時間を必要としたのである。
「ナ、ナックルシュート……!?」
試合開始から20分。Aチームが先制した。
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