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しおりを挟む「異界で魔王やってたレイルくん。今日から日ノ本の住人、俺達の仲間だ」
「レイルと申します。よろしくお願いします」
魔王がお辞儀とかどういうことだ。
(まてまてまてまて待て。何でアイツがここに?よ、嫁にしろってどういうことだ?待て、待ってくれ待ってくれ)
当時のことが全く思い出せない・・!!
長く続いた拷問生活のせいか、正直それ以前の記憶が薄れているふしがあるのは前々から理解できていた。ましてやあれから600年は経っている。記憶が薄れ、こちらでの色濃い記憶が上書きされて行くのだって仕方が無い。
俺はきっと皺の少ない脳をしている。
だから仕方ないと言えば仕方ない。だがあの魔王の顔は覚えている。
(覚えてはいるが結婚の約束なんてしただろうか・・・)
申し訳ない事に、自分が何故死ななければならなくなったのかも何故拷問されていたのかも全く覚えていない。
ただあの魔王の顔だけは覚えている。真っ白な肌も真っ白な髪も色んな光を反射して輝く銀色の瞳でさえ覚えている。
しかしながら、その先の記憶はぽっかりと抜け落ちてしまっていた。
(嫁・・?嫁と言ったよな・・?)
嫁、ということは結婚?
俺は元いた世界でも今と変わらぬ男だった筈だ。なのにあの男の姿をしている魔王と結婚?しかも嫁にしろというのか。
いや、申し訳ないが本当にこれっぽっちも何が何だが思い出せない。
「・・・何で、嫁?」
自分以外の家臣達は皆、彼に話し掛けて自己紹介をしている。
王様はまた違う世界に行かねばならないらしく皆に手を振って颯爽といなくなってしまった。もちろん、俺にも「じゃあな」と軽く手を上げてくださった。
この部屋に入る事を許されているメイドや召使い達も揃って元魔王・レイルの方を見て頬を赤らめているのが解る。
そりゃあそうだ。あんなに美しい容姿をしているし物腰柔らかくて丁寧で礼儀正しいと来ている。くらりと来ない者はいないだろうが、わかってはいるのだが、そんな完璧な男が何故俺に向かって「嫁にしてください」と言ったのだろう。
「訳が分からん・・・!!」
「おいユウゼン、せっかくの再会なのにそばに行かなくていいのか。嫁さんにすんだろ?一番会いたかったんじゃネーのか」
「うわっ」
後ろからその重たい腕でがっしりと肩を組んで来たのはドゥチカ。襟足を伸ばした長い銀色の髪が特徴的な男でとてつもなく目つきが悪い。家臣の中で一番の乱暴者だが民たちからは人気者だ。子供と遊んでくれるかららしいと前にソフィアが言っていた。
「いやあのな、嫁って言ったって・・ありゃあどう見ても男だろ」
「元いた世界が同性婚了解の世界だったんじゃねーのか?てっきり」
「違う、認められてはいなかった筈だ・・」
うーん、と悩む俺の姿を見てドゥチカは「しっかりしろよ」と呆れた声を出す。
「お前、手出しすぎて忘れてんじゃねーの?」
「いや抱いた女の顔は全部覚えてる」
「おいおい」
「イキ顔だけど」
「はー・・そんなんだからお前はいつ刺されてもおかしくねえんだよ・・この間だって刺されてたな」
「あー、あれは痛かったなあ」
つい先日、旅芸人一座の看板娘に手を出したらこの国から去る時に呼び出され背中をグサリとやられた。死ぬ訳は無いのだがさすがの痛さに半泣きで城へ帰って来たのに家臣達は全員大笑い、王様は不在だったがメイドや召使い達にも笑われたのは更に痛かった。
「うーん・・どうにも思い出せない。確かに面識はあるとは想うんだ。顔は覚えていたから・・でも何か、何か忘れているんだよなあ」
「・・・まあゆっくり思い出しゃあいいだろ。これからはあっちもこっちも寿命無しで、何の関係もなくたってこれからずっと付き合って行く事になるんだ。時間はいくらでもある」
「・・そうだなあ」
そこまで話し終わるとドゥチカは傍にいたライデリヒと連れ立って外へ向かった。城下の見回りの時間だろう。ライデリヒ。彼も家臣の内の一人で深い茶色の髪を肩上で切り、左側の髪を耳にかけている男だ。ドゥチカと違ってもの静かで口数が少なく、声も小さいから時々何を言っているのかが聞き取れない。ドゥチカとは歳が同じくらいでよく喧嘩をしている。お互いを「大嫌い」と言い合ってはいるのだが何故かよくつるんでいるを見る。
(ガキだなあ、そういうところ・・)
二人の背を見送りながらそう考えた。
「ユウゼン」
「ッ!!・・・は、はい?」
この声、と想って振り向けば、やはりレイルが目の前に立っていた。
「じゃ、ごゆっくり~」
「え?あ、ちょっと!!」
空気を読んだのか読んでいないのか。
先程まで彼を取り囲んでいた家臣達や彼に見とれていた召使い達は気を遣って俺とレイルを二人きりにするべく部屋を出て行く。思わず手を伸ばしてしまったのだが、虚しく扉は閉め切られてしまった。
「ぁ・・・」
上から降り注ぐレイルの視線に、ゴキュ、と唾を飲み込む。どうしよう。どうしたらいい。
(君とのなれそめをこれっぽっちも覚えていないなんて面と向かって言えない・・)
サーッと自分の顔から血の気が引いて行くのが良く分かった。
まずい。多分再会になるだろうこの状況は感動的であるはずなのだ。相手からしてみれば尚更そうだろう。どうにもあの「嫁にしてください」は冗談ではなさそうだしそもそもこの目の前の男が冗談を言うようにも見えない。
ならば、この再会の場面で「覚えてない」で終わらせたらそれこそ彼を傷付ける事になってしまう。
(傷付けるのは・・・嫌だなあ)
見上げた先の目は、やはりじっとこちらを見ていた。
(・・綺麗な人だなあ)
こんなに綺麗な人を傷付けるのは、心が痛む。だがやはり顔に見覚えはあってもそれ以外のことに覚えは無い。まさか抱いたなんてこともないだろうし、ましてや抱かれた覚えも無い。
大体、元いた世界では色々と(主に性欲関係を)我慢して来た筈だ。こんな綺麗な人と関わっているならそれなりにすごくすごく気を遣っていると想うのだ。男だったとしても。
(ど、どう・・どうしたらいいんだ・・)
「ユウゼン、と言うのですね」
「え?」
ニコ、と優しく穏やかな笑みが降って来た。
「あの時は、名前すら聞く事が出来ませんでしたから」
「あ・・・」
あのとき・・?
「いや、あの、」
「私はレイルと言います。やっと会えましたね」
グッと手を握られる。
その温度の無い体に触れた瞬間、少しびくりとしてしまった。
「ああ、すみません。冷たかったですか」
「だ、大丈夫、なんだけど・・あの、ちょっと話を聞いてもらっても良いかなあ?」
傷付ける事になる、というのは十分解っているのだが、それでも聞いてもらわねば先に進めはしなそうだ。
意を決して、グッと喉に力を込める。
「さっき、嫁にしてくださいって言ったよな、君」
「はい。約束でしたから」
「それが・・その~、申し訳ないんだけどさ・・」
「?」
穏やかな笑みのまま、頭を傾けるレイルを見上げる。
ああ、本当に申し訳ない。申し訳ないのだが、それでも・・・
(あの拷問の日々以外、俺の頭に元いた世界の記憶はほとんどない)
正直、名前すら覚えてはいない。
ユウゼンというこの名前は、王様が俺にくれた初めての贈り物なんだ。
「俺は、君の事を顔以外覚えていないんだ・・・だからその、嫁にするしないっていうのがどういうことなのか・・まったく、記憶に無くてね」
また癖で、へらりと笑いながら言ってしまった。
「・・・・」
その瞬間の、酷く傷ついた彼の顔に、確かに胸はズキンと痛んだ。
(あれ・・?)
この上なく、痛む。息がし辛くなって、一瞬背中から耳の裏にかけてが焼けるように熱くなった。
「・・そういうことでしたか」
悲しげな声に、喉を締め上げられて行くようだ。
「レイル、・・本当に、すまない」
「・・・」
俺の手を握る大きな手が、フルフルと震えている。
(こんなになるほど、・・・)
こんなになるほど俺を想っていてくれた人なんていただろうか。
俺はあの世界で、どう生きていただろうか。
『この悪魔め』
「ッ・・・」
何度も思い出そうとした。けれどやはり、記憶の中にあるのはその声だけだった。
「ユウゼン、」
「本当に、すまない」
思い出せない。
「ユウゼン」
「え、」
スルリと頬に触れる掌は、やはり極端に温度が低い。
「れい、んっ、」
息吸う暇無く与えられた口づけが、更に喉を締め上げた。
視界が、彼でいっぱいになる。
「な、何して、」
「こんなに、」
「ンッ・・!」
ゴト、とテーブルの上に押し倒された体。見慣れた白い天井と、その手前に映るレイルの顔。
「あ、」
確かにこれも、見覚えがある。
「やめッ、」
「こんなに、待っていたのに・・!!!」
捕まえられた手首を爪が食い込む程握り込まれると、流石に痛みが走った。
「いッ・・!!」
伸し掛かって来る微かにしか感じない体温が、どこか懐かしいと想えた。
「こんなに、貴方を待っていたのに!!」
荒っぽい口づけは切ない程だった。それでも何も思い出せない自分にイラつきさえする。
俺は、この美しい人に一体なにをしてしまったのだろうか。
「レイ、ル・・!」
ああ、息が奪われて行く。
「んっ・・んん、」
絡み付いて来る舌さえも冷たい。
「ん・・・!!」
けれど焼ける程、胸は痛い。
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