上 下
439 / 976

木漏れ日が差し込む白い部屋で 5

しおりを挟む
 連絡があったのはジョルジュと会った二日後だった。
 通路を覆い隠そうとする草を刈り取り、車を傷つけようとする草葉を遠ざけ、人間に種を運ばせようとする魂胆な性質から距離が取れる頃やってきた少し表情の硬いエドガーに連れて行かれた先は

「悪いね、こんな所に来てもらって」

 真っ白な壁の豪華な個室の病院だった。

「いえ、いろいろ体調の方は心配でしたので病院に居て貰う方が安心ですから」
 奥様に勧められた椅子に座れば
「入院されてる方に進めて良いのか判りませんが」
 飯田さんが朝から作っていたキッシュを急遽手土産にと用意してくれた物を出せば
「これはおいしそうだ。今は煩いのが居るから後で頂くとしよう。冷蔵庫に入れて置いてくれ」
 そう奥様に伝えるも黙ってうなずいて冷蔵庫に入れたと思えばそのまま部屋を出て行ってしまった。
 あまりよくない光景だと踏みとどまるしか出来なかった当時の俺を重ねる様に思い出せば
「すまないね。急に体調が悪くなったようでいきなり入院になってしまった」
 全身むくんだ姿は何も飽食の結果だけではないようだ。
「俺達の事より体を優先してください」
 ベット脇にぶら下がる空っぽの分厚いビニール袋を見て
「腎臓ですか?」
 聞くも肩を竦めるだけ。
「知っての通りもう長くない。治療は緩和ケアに切り替える事にしたよ」
 グッといろいろある言葉と共に息を飲み込んで耳を傾ければ
「君の意見を飲み込む事にした。
 バイオリンは二百三十万ユーロ、それにこれからの治療代を上乗せしてほしい」
「何気に高くなってますね?」
 思わず半眼で聞いてしまえばジョルジュは高らかに笑う。空元気と思うもそれはこれから先に待つ物だと冷静に次の言葉を聞き逃さないように集中をする。
「妻とバカ息子とバカ娘にだ。妻も家とそれだけの金額があれば何とかできる知恵もあるし、娘と息子だって働き盛りだ。自力で何とかするさ。オリヴィエにはバイオリンと君がいる。それにマイヤーも面倒を見てくれると言ってくれたんだ。あの子の心配はもうないと言えるだろう」
 俯きながら力なく吐く言葉に俺は何が心配はもうないんだと言いたかったが
「無事事務所も決まりマイヤーの弟子としても決まった。プロのバイオリニストとして生きるには十分な土台が出来た。これ以上はオリヴィエの才能を潰す事になる。独り立ちさせる事も師としての役目だ。
 マイヤーについてはあいつも先が長くないだろうが、私よりも長生きをする。
 目に見える金銭的な物は家族に与えるが、バイオリニストとして渡せる魂はすべてオリヴィエに。これが師弟と言う物だ」
 世界的著名な指揮者なら死にたくても死なせてくれないだろうと言う物かと思うもオリヴィエとジョルジュの関係がただの温かな物だけではない事を思い知らされた。少なからず俺はショックを受けるのをよそにジョルジュは歌う様に話しを続ける。
「あいつは私と違って健康マニアだからな。毎年病院でメディカルチェックを受けている。私のように病気に気が付いた時には末期と言う事にはならないだろう」
 そんな自虐的な笑い。笑えねえと話を聞き流していれば
「ブライアン」
 呼びかけにドアの外で待っていたブライアンが部屋の中へとやって来た。
「悪いが用意してもらった書類を」
 その言葉に従って机の上に並べられた書類はエドガーも知っていたのか俺が目を通すのを待ってから
「正式なものになります。
 エヴラール氏の希望とヨシノ氏の範疇の内容なので宜しければ金額を記入の後にサインを」
 俺は彼の希望道理の金額を記入するも
「あと入院と治療費の支払いはベクレル氏を代理人とする事を提案したい」
 そんな追加項目にジョルジュとブライアンと一緒に室内に戻ってきた奥様も「なぜ?」と首をかしげる。
 そこには俺も肩をすくめて
「経験、ではないけどそこに病人が食べれないはずの昼食代やら謎の長距離タクシー代が含まれる事がたびたびあるトラブルなんだ。
 当然それは治療費ではない」
 エドガーとブライアンに視線を向ければ二人は確かにと頷く。
「代理人としてベクレル氏として。
 彼への支払い義務が起きるのは当然俺の問題だが、そこはベクレル氏が請け負っていただければ問題は解決だ」
「はい、ヨシノ氏の依頼の一つとして承りましょう」
 料金表を提示して改めてバイオリンの件とは別に契約の書類をタブレットで見積もりを作ってくれる。
「ではこれでストラディバリウスの『エヴラール』はヨシノ様の所有としてで宜しいでしょうか?」
 ブライアンの言葉に俺がサインを入れてジョルジュも頷けば奥様が悲しげに背中を向けてしまった。
「おめでとうございます。これで『エヴラール』はヨシノ様の物でございます」
「ありがとう」
 様式美ではないがエドガーと握手をして
「では『エヴラール』をオリヴィエへの貸し出しの書類を作成を依頼したい」
 終わったそばからの新しい契約にエドガーは気持ちいい位の笑みを受けてタブレットを操作する。
「ではひな形は前にお話を頂いた時の物で宜しいでしょうか?」
「もちろん。オリヴィエに無期限無償の貸し出しを。
 彼への支援としての一環だ。『エヴラール』の銘を『ジョルジュ』に変更を」
 そんな提案にジョルジュも奥様も驚きに目を瞠り
「これから『エヴラール』の名はオリヴィエにとって邪魔にしかならないだろう。何せ、兄弟になったあの二人を見る限り仲の良い兄弟にはとても見えないから。それならいっそのこと師の持っていたヴァイオリンを受け継いだと言う形で師の名前を頂いた、それでいいじゃないか」
 名前の付け方のルール何てまでは調べていない。だけど今の所有者が俺なら少しは反映されても良いだろうとの提案。
「まぁ、悪くはないな」
 したり顔だけどどこか嬉しそうなジョルジュに視線を向ければ
「幾らマイヤーがオリヴィエを可愛がってもその手に『ジョルジュ』があると言うのは面白い」
 先に旅立つ事になってもオリヴィエとマイヤーの側にはジョルジュが居る、そんな寂しくもいつまでも忘れる事のない師弟関係。
「変更するのならさっさと準備に当れ。そして明日の夕方オリヴィエが戻って来た所で報告だ」
「もう戻って来るんだ」
「マサタカから連絡が来た。一度家に戻ってそれからマイヤーの所に行くと言う。
 その前に病院に来てもらう事になるが、家でまっていたかったのに可哀想な事をしてしまった」
 師弟としては厳しくも家族としては愛情を持って接している様子にそれが彼の線引きなのだろうと歯がゆくも納得しようと自分に言い聞かせるのは俺はただの友達だから。逆にそこまで受け入れたジョルジュのように俺はなれなくて、二人の関係に口を出す権利がない事を改めて思い知らされる。
「そう言えばアヤト、お前さんオリヴィエにこっちに来てる事を言ってないんだってな?」
 ふと思い出せばそう言えば言ってないなと視線を彷徨わせ
「折角だ。空港に迎えに行ってくれないか?絶対驚くと思うから」
 喜ぶぞ?なんて言われたらそうなのか、確かに驚くなとニヤリと笑ってしまう。
「じゃあ飯田さん、明日一緒に空港に行きましょう!」
 なんて誘えば
「はい。一緒に驚かせに行きましょう。
 そして契約が決まったお祝いの言葉をかけてあげましょう」
 俺の無茶を止めに来たはずなのに一切口を挟まなかった飯田さんはにっこりと笑いながらお菓子も用意して待ってましょうなんて久しぶりの再会を俺と同じく喜ぶのだった。
 たとえその後にジョルジュの体調の悪化を報告しなくてはいけなくても、その前に少しの元気を上げる事が出来ればいいなと思いながら、あまり長居はいけないので、正式な書類を明日の朝一にでもエドガーは守ってくると約束をしてと病室を失礼する事にした。

しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!

佐々木雄太
青春
四月—— 新たに高校生になった有村敦也。 二つ隣町の高校に通う事になったのだが、 そこでは、予想外の出来事が起こった。 本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。 長女・唯【ゆい】 次女・里菜【りな】 三女・咲弥【さや】 この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、 高校デビューするはずだった、初日。 敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。 カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!

裏路地古民家カフェでまったりしたい

雪那 由多
大衆娯楽
夜月燈火は亡き祖父の家をカフェに作り直して人生を再出発。 高校時代の友人と再会からの有無を言わさぬ魔王の指示で俺の意志一つなくリフォームは進んでいく。 あれ? 俺が思ったのとなんか違うけどでも俺が想像したよりいいカフェになってるんだけど予算内ならまあいいか? え?あまい? は?コーヒー不味い? インスタントしか飲んだ事ないから分かるわけないじゃん。 はい?!修行いって来い??? しかも棒を銜えて筋トレってどんな修行?! その甲斐あって人通りのない裏路地の古民家カフェは人はいないが穏やかな時間とコーヒーの香りと周囲の優しさに助けられ今日もオープンします。 第6回ライト文芸大賞で奨励賞を頂きました!ありがとうございました!

家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!

雪那 由多
ライト文芸
 恋人に振られて独立を決心!  尊敬する先輩から紹介された家は庭付き駐車場付きで家賃一万円!  庭は畑仕事もできるくらいに広くみかんや柿、林檎のなる果実園もある。  さらに言えばリフォームしたての古民家は新築同然のピッカピカ!  そんな至れり尽くせりの家の家賃が一万円なわけがない!  古めかしい残置物からの熱い視線、夜な夜なさざめく話し声。  見えてしまう特異体質の瞳で見たこの家の住人達に納得のこのお値段!  見知らぬ土地で友人も居ない新天地の家に置いて行かれた道具から生まれた付喪神達との共同生活が今スタート! **************************************************************** 第6回ほっこり・じんわり大賞で読者賞を頂きました! 沢山の方に読んでいただき、そして投票を頂きまして本当にありがとうございました! ****************************************************************

アマツバメ

明野空
青春
「もし叶うなら、私は夜になりたいな」 お天道様とケンカし、日傘で陽をさえぎりながら歩き、 雨粒を降らせながら生きる少女の秘密――。 雨が降る日のみ登校する小山内乙鳥(おさないつばめ)、 謎の多い彼女の秘密に迫る物語。 縦読みオススメです。 ※本小説は2014年に制作したものの改訂版となります。 イラスト:雨季朋美様

ハッピークリスマス !  非公開にしていましたが再upしました。           2024.12.1

設樂理沙
青春
中学生の頃からずっと一緒だったよね。大切に思っていた人との楽しい日々が この先もずっと続いていけぱいいのに……。 ――――――――――――――――――――――― |松村絢《まつむらあや》 ---大企業勤務 25歳 |堂本海(どうもとかい)  ---商社勤務 25歳 (留年してしまい就職は一年遅れ) 中学の同級生 |渡部佳代子《わたなべかよこ》----絢と海との共通の友達 25歳 |石橋祐二《いしばしゆうじ》---絢の会社での先輩 30歳 |大隈可南子《おおくまかなこ》----海の同期 24歳 海LOVE?     ――― 2024.12.1 再々公開 ―――― 💍 イラストはOBAKERON様 有償画像

透明な僕たちが色づいていく

川奈あさ
青春
誰かの一番になれない僕は、今日も感情を下書き保存する 空気を読むのが得意で、周りの人の為に動いているはずなのに。どうして誰の一番にもなれないんだろう。 家族にも友達にも特別に必要とされていないと感じる雫。 そんな雫の一番大切な居場所は、”150文字”の感情を投稿するSNS「Letter」 苦手に感じていたクラスメイトの駆に「俺と一緒に物語を作って欲しい」と頼まれる。 ある秘密を抱える駆は「letter」で開催されるコンテストに作品を応募したいのだと言う。 二人は”150文字”の種になる季節や色を探しに出かけ始める。 誰かになりたくて、なれなかった。 透明な二人が150文字の物語を紡いでいく。 表紙イラスト aki様

窓を開くと

とさか
青春
17才の車椅子少女ー 『生と死の狭間で、彼女は何を思うのか。』 人間1度は訪れる道。 海辺の家から、 今の想いを手紙に書きます。 ※小説家になろう、カクヨムと同時投稿しています。 ☆イラスト(大空めとろ様) ○ブログ→ https://ozorametoronoblog.com/ ○YouTube→ https://www.youtube.com/channel/UC6-9Cjmsy3wv04Iha0VkSWg

処理中です...