人生負け組のスローライフ

雪那 由多

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眠れぬ夜に戦う為に 1

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 サマースーツにネクタイを締めて一軒の店の前に立つ。
 どこか閑散として寂しさを感じる店からは活気がないと言う様にひともまばらだった。
 飯田さんに連れられてかつて働いていた恩人への恩返しで一ヶ月ほど出戻りしているレストランへと来ていた。
 話に聞いていた様子とは程遠いほどの静けさと、席に着くまでの間に見た店内は高級感はなく、ちょうど出された料理は青山さんのレストランの賄以下の仕上がりだった。お客様の顔には笑顔がなく、かつて三ツ星レストランだった面影はどこにもない。
 暇なギャルソン達は俺達の方に視線を投げて立ったままくっちゃべり、テーブルを飾る花は開店したばかりだと言う時間なのに萎れかけていた。
 飯田さんももう何も言えないと言う様にソムリエが今夜の料理の案内と共にワインの提案をしてくれる。申し訳ない顔で俺達にワインの説明をする今のオーナーと共にずっとこの店に留まったソムリエにアペリティフにシャンパンをお願いしてほぼ提案通りのワインを頂く事にした。メニューが決まった事でカトラリーが揃えられてきて、パンがテーブルに置かれた所から次々にオードブル、サラダと並べられていく。
 もうそこで勘弁してほしいと、折角てにしたカトラリーを動かすのが出来なくなってしまった。てにしたカトラリーを置いて残りのシャンパンを飲み干し
「所で飯田さん、オーナーには引退する様に言ってくれました?」
 今日は俺の案内と言う事でディナータイムは休みを貰っていた飯田だったが、働いている時は自分がしていただけに問題がなくなった欠点が露見してテーブルに肘をついて、手の甲におでこを押し当てて俯きっぱなしだった。
「このサラダ、事前に準備をしていたようですがいつの日のサラダでしょうね」
 苦笑と共に持ち上げたレタスの縁は赤く変色していた。そして薄い部分は少し透明度を持っていて……
「スーパーの値引きした奴じゃないんだよね……」
「すみません……」
「飯田さんが悪くないのに謝らないでよ。今日のディナーの時間はお仕事休みなんだから」
 食欲の失せたサラダは無視して何処か乾燥したオードブルをフォークの先ですくい上げて口へと運ぶ。青山さんの所では宝石のように目を楽しませてくれたオードブルも何だか定食屋の漬物の盛り合わせのような気がして心が躍らない。いや、まだ定食屋の漬物の方が大盤振る舞いで食べる気が湧く。
 残すのは俺の主義に反するが、知らない土地で腹を下すのも何なのでとりあえず下げてもらう。
 ウェイターは多分アルバイトだろう。愛想もなく、何で残したのかも聞かない彼らに飯田さんは再度「すみません」と頭を下げるのだった。
「飯田さん、オーナーはこの状況を知っているの?」
 聞くも苦々しそうな顔は見て見ぬふり。もうその段階じゃないのだろうとそっと溜息を零してしまう。
「もうこの店にはまともな従業員がやってこないくらい、噂が広がっているのです」
「まぁ、体面って大事だよね。泥船に乗り込むもの好きっていないしね」
 だからそんな事関係ない位遠く離れた場所からの応援に行けるのだと言うような飯田さんだったが
「それでいつ閉店をするの?」
 うぐっ…… と息を飲み込んだ辺り説得は進んでいないらしい。と言うか、説得をしているのだろうかと思うも
「まだやれると言って……」
 なんて話をしている間に少し離れた席の女性が声を荒げ先ほどのソムリエの人にひたすら罵声を浴びせていた。どうやら料理がお気に召さず、折角の結婚記念日が台無しだとそのまま席を立って支払いをせずに連れの男性と共に店を出て行ってしまった。
「ああ……」
 飯田さんは頭を抱えてしまえば、他の客も席を立ち、ワインの分だけ支払いをして出て行ってしまった。
「最近こんな事ばっかり?」
 聞けば俺がいる日はチェックしてからお出ししているのでこんな事なかったのにと言うあたり、居ない日はこんなのばかりなのだろう。
「とりあえず今日は閉店する事をお勧めするよ」
 いつの間にか誰もいなくなった店内で入口の所に立っていたギャルソンに声をかければ、なんだと言うような顔をされるも直ぐにソムリエの人が閉店の看板を掲げて入口の電気を落してくれた。
「綾人さん……」
「飯田さん、俺は経営コンサルトじゃないんだけど」
 何の助言も出来ない所かノウハウもない。そんな俺にアドバイスを求めないでくれと言う間に置くからどこかやつれたような人がやって来た。
 ふくよかな体なのにどこかやつれていて、苦悩の色が隠せないでいる。
 そしてその手には今日のメインになるはずだったワイン煮込みがあり
「今日はもう終わりだ。残り物だが食べてくれ」
 そのまま出されても文句なしの美しい料理にこの料理は彼が調理した物だと理解が出来た。
 ナイフとフォークで切り分けて口へと運ぶ。ほろりと肉の繊維がほどけて、しっかり煮込まれた複雑な味が溢れ出してきた。
 ああ、これが飯田さんが憧れて、尊敬して、目指した一品だったのか……
 高遠さんのビーフシチューに負けない所かこの濃厚なお味なのにしつこくなく、そしてソムリエが開けてくれたワインはこのビーフシチューに合わせてデキャンターしてくれていたどっしりとした赤ワイン。どちらにも負けずに、そして喧嘩する事無くお互いを高め合う様に口の中で完成する奇跡のような料理に俺は更に残ったスープの最後の一滴まで無言のままパンで拭い去って口へと運ぶ。
「これを食べに来ました」
 同じように食べていた飯田さんが静かに涙を落して、その背中を料理を持って来てくれた人がさすっていた。
「折角なので少しお話させてください」
 言えば何かを察したようにアルバイトの子達は帰らせて、古くから残るソムリエとギャルソンがこの場に残ってくれた。





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