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バーサス 8

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 大林多紀、六十五歳。
 中堅と呼ばれた時代を超えて気づけばそれなりに大御所と呼ばれる映画監督になっていた。
 ただひたすら映画を作り続けた人生。小さい作品からあまり評価を得れなかった数もあるが、いつも浴びせられた酷評はいつの間にか独特の世界観と言われるようになり、五十を超えたあたりから大御所と呼ばれるようになって年齢関係なく俳優や女優から映画に出させてくれと言われるようになったりまた一緒にお仕事しましょうと声もかけられる事になった。それに伴う知らない人達からも声を掛けられるようになったが、いつの間にかあまり声を掛けられる事も無くなりまた映画に没頭する事が出来た。
 そして気が付けば大概の事は言えば叶えられる環境になっていて、そんな環境に違和感を感じる事無く享受し、いつもと同じように映画を作っていたつもりが、人前でいい年の男に泣きながら説教されてしまった。
 教師だと言う男だったが、教師のような小難しい言葉ではなく、ただストレートな堰を切るような感情だった。
 だけど一つ分かった事は、僕のこのより良い映画を求める好奇心は今人を殺そうとしていると言う事らしい。
 さすがに若造が何か言ってると思っていた言葉達だったが、最後の感情に頭の中がクリアになった。

「参ったなあ……」
 心からの本音。
 この芸能の世界にはいわくつきの子供達は数ほどいる。
 有名になる為に、モテる為に、お金を稼ぐために、そんな思いでこの世界に飛び込んでくる子供もいるが、心に何かを抱えて居場所を求めてやってくる子供もいつの時代も必ずいる。
 綾人を見た時そう言った子供達との出会いの多さからこの子もかと思ったが、意外と普通で、相当賢いのかこの年の差をものともせず軽口も叩き合う。あの山奥に一人閉じこもっていると言うだけで何かあるとは思っていたが、こうやって守る人間がいるぐらいにここまで何かを抱えているようには思えなかった。
 いや、多分自分を偽るのがとても上手な子供だったのだろう。
 多少は波瑠からも聞いていたとはいえあれだけの大人達との交流があるのだ。自身の命まで蝕む何かを抱えているようにはとても見えなくて、どこまで許容されるか試していたと言うのもあるが……既に周囲が忠告をしに来る具合だとはさすがに思わなかった。
 波瑠の話しでは一月ほど前に一度倒れており、それから回復するまでにまだ時間は経ってなかったと言う事だろう。
「参ったなあ……」
 何度目かの溜息と共に零れた反省の気持ちは電話番号を交換したはずの助手すら拒否られている始末。番号はもぎ取ったが連絡は当然のように着かない。さすが東京生まれ。この程度の警戒はちゃんと持っていたか。
 無事だといいのだがと見舞いに行く事もやめた方が良いと言われ、代理を送るも手土産を持ち帰らせる始末。
「こんなはずではなかったのに」
 頭を抱えながら既にひと月近く経ってしまった。
 もうすぐこの地でのロケも終わり、スタジオに籠る日々に戻るのだ。
 帰るまでに一度挨拶と謝罪、そしてそんなつもりはなかったとは言えないが、また会いたいと言う言葉を残すのも難しい環境となっていた。
 
 ふむ、気合を入れて昼食後少し散歩してくると言って合宿している旅館を出た。
 古い一軒家の川沿いの旅館は一日中川のせせらぎが聞こえ、一般住宅を旅館に変更した落ち着きのある佇まいはホテルの缶詰とは違い周囲の音が聞こえてほっとする。神経質な者には不評だが、今回の映画ではこのような古い家での生活をするのだ。出演する者達にこの不便な生活を馴染ませる為にも共同生活をしているのだが、多紀が育った家もこんな戦争を生き残ったような古い家だったので懐かしく思いながらも隙間風に身を震わせていた。
 そんな宿から出てスマホを頼りに導かれて一軒の建物の前に立って居た。
 全国似たようなものばかりだなと想像する学校のイメージの代表のようなこの土地の名前を戴く高校の校舎は凡庸としか言えないほどありふれたものだった。
 昼休みの時間だからか活気付いた声は校舎の外まで響き、今も校門前のベンチに屯する高校生と目があって、警戒気味に会釈された。
「すまないが職員室はどちらにあるのかな?」
 黒い詰襟のよくある制服を纏うまだ幼さを残す面立ちの男子学生三人組は
「そこの職員用下駄箱で靴を履き替えてからすぐ横の事務局で応対をお願いします」
 今時不審者は入れてくれないと言う事だろうか。と言う以前に既にここまで侵入してしまってる段階で事務局に行くのは儀礼的なものなのだろうと考えを改めて
「すみません。約束はないのですが、高山先生は会う事はできますか?
 わたし映画監督をしており間ます大林多紀と申します」
 素性を明かせば事務員の何名かが気がついてくれて喜色の悲鳴をあげて居た。
 自分の名前がどれだけ影響があるか理解はしている。だけど申請書に名前と連絡先を書けばすぐに連絡を繋いでくれて、薄暗い廊下の奥からカーディガンを羽織りスーツの上着を脱いで高山先生が僕を見て顔を顰め
「先日はどうも」
 愛想は山の上に置いてきたと言わんばかりの顔での会釈。
 なかなか様になるなと思ってる間に来客用の応接間に案内してくれた。
 エアコンをつけて部屋を温めてくれる間に事務員の方がお茶を持ってきてくれた。その間話は全くしなかったが
「次の授業の準備がありますので」
 一息でお茶を飲み終わらせた瞬間の言葉に綾人君の言葉の切り返しの祖を見つけた気がした。
 躊躇いもなく僕を置いていこうとする彼を見上げ
「今週で引き上げる目処がついた」
「それはおめでとうございます」
「そこからの作業が長いんだが、帰る前に綾人君に
お詫びとお別れを言いたいのだが」
「詫びをもらう理由と別れを言う間柄でもないでしょうし、気になるのなら私の方から伝えておきましょう」
 寒々しい会話。藪の中から姿を表した時のような熱はもう向けてもくれないらしい。
「そうですか。
 ですが僕もこう見えても立派な大人のつもりです。直接会って謝罪するのが筋だと思うので。東京に戻る前に必ず会いに行くと伝えてください。
 こちらからの連絡は全て断られているので申し訳なく思いますが先生を使うのはこれで最初で最後になるでしょう」
「そうですか。ですが先に言っておきます。この季節あの山の上に行くのはおすすめしません」
 立ったまま見下ろす視線が感情が読めない。こう言った顔もできるのかとあの時の熱血教師の様な顔とは全く違う顔をする男を面白い素材だなと品定めをしながらなぜだい?と首を傾げて理由を促せば
「これからしばらくの間あそこは人の住む場所ではなくなるので」
「そう聞かされると俄然やる気が湧く。よし、今度の週末こそ会いに行くからと伝えて欲しい」
 言えばなんの感情を浮かべない顔のままドアを開けて
「そこまでですがお見送りをします」
「いや、授業の準備があるのだろう?ここで十分だよ」
「いえ、事務所に退出の連絡の義務がありますので」
「そう?」
言いながらスリッパから靴に履き替えれば先生はそこに置いてあった草履に履き替えて見送ってくれるのかと思えば僕が出たところでドアを閉めご丁寧に鍵をかけて来客の方はインターフォンをお使いくださいとの看板までかかげるのだった。
「うわー」
 なかなかの塩対応。
 会釈すらなく事務所に顔を出してすぐに去っていった背中を見送ればなかなかに面白い素材だと、俳優はやる気はないのかなあ何てぜひ映画に出てほしいと見当違いな事を考えてしまう大林多紀六十五歳。
 まだまだ綾人が住う山の過酷さは想像の世界のファンタジーから抜け出せないでいた。
 

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