上 下
174 / 976

決意は口に出さずに原動力に変えて 8

しおりを挟む
 ゆっくりとぐい呑みに口を付けてそっと音を立てず吸う様に口に含む。さすが大吟醸。まろやかな口当たりと華やかな香りはカップ酒とは雲泥の差だ。そもそも比べるなと言うものだが、日本酒の味がわからないという奴はこれぐらいの差を味わえばどれだけ違うか理解できるだろう。
「所で離れの完成のめどが経ちましたどうします?」
「えーと、何が?」
 大吟醸の美味さに気を取られていれば飯田さんが何か言ってたけどしっかりと聞いてなくって、でも優しい飯田さんは忍耐強く言い直してくれる。
「お披露目のお料理です。何かご希望のお料理はありますか?」
 竈オーブンの完成と内田さんの九月中に完成との言葉に少しでも早く予定を立てておこうと言う所だろう。そして台所の主は思う存分調理を楽しむつもりのようだ。
「あー、これと言って特には。ただ、畑の野菜とか烏骨鶏を美味しく食べれればいいかな。そもそも俺そんなに料理詳しくないし」
「でしたら姿焼きとかぼちゃのスープは決定ですね」
「まぁ、まるでハロウィンとクリスマスが一緒に来たみたいね」
 コロコロ笑うお母様に
「盆と正月が一緒に来たノリで言わないでください」
 飯田さんは呆れているも
「ならお煮しめは必要だな」
「父さんまで」
 正月まで合わさってお節料理っぽくなってきた。
「だったら栗きんとん用に栗を冷凍しておこうか?」
 ますますお節化が加速する。
「いいえ、マロングラッセにします」
 これは断固として譲りませんと言う飯田さんに
「モンブランのケーキが美味しいかと思います!渋皮付きの奴で!」
「渋皮付きだったらお母さんもモンブランのケーキが良いわ」
 よくわかってらっしゃるお母様の援護にお父様はむっとしてしまった。栗きんとんなら任せろと言った所だろうか。でも我が家では多数決は絶対だ。
「でも栗羊羹も捨てがたいわ」
 お母様のどちらが良い?とのお言葉にまさかの追加案を俺に振られても何故か飯田さんとお父さんに睨まれてしまった。
「あー、黒豆もぼちぼちとれるから。黒豆の寒天も食べたいな」
 選択を増やせば
「黒豆を煮てその上に栗を飾ろう。寒天はその時の黒豆を使えばいい。虹鱒の稚魚がいただろう。甘露煮も作らないとな」
 このメニューも決定と言わんばかりにお父様はお酒をくいっと呑むのだった。
「黒豆って言えば面白い生体ですよね。
 取れた時は緑色の豆なのに鞘から外して陽に当てると黒くなるのだから」
「うん。二階の縁側で一日中たっぷり陽射しに二日ほど当てると綺麗な色合いになるよ」
 これには俺も驚いたが初めての年に一生懸命ざるの上でざるざると転がしていたのでそれ以降その仕事は俺の役目になっていた。今でこそ飯田さんが作ってくれる量しか作らないが、今年はお披露目の為に通常畝一列の所を五列ほどに増やして植えたので量は足りるだろう。この黒豆と言う奴は小豆と違ってそこまで実を付けないので食べるつもりなら気合を入れて育てなくてはいけない。
「なら私が煮豆を担当してやろう」
「父さんも来るのですか?」
 しんと静まる室内に
「お前が私より綺麗に豆が焚けるのなら問題はないがな」
「ちょっと、俺の楽しみなのに!」
 こればかりは経験値で勝てないだろうと笑う父親と何でと焦る息子に母親は笑う。
「ふふふ、あなたったら薫が羨ましいなら素直にそうおっしゃい」
「ああ、羨ましいな。今時窯で料理をお出しする機会なんて早々無い。出来る機会があればやると言うのが料理人だろう」
 当然だと言う物の
「それより腕の怪我の様子は大丈夫ですか?」
 そもそも怪我の療養と言う名目で来たのだ。職場から切り離したいと言うのが本音なのだろうが。
「多少は痛むが問題ない。私が若い頃は骨が折れてないのなら包丁を握れと言われてきたからな」
 骨の罅程度なら問題ないだろう。ましてや既にひと月ほど前の話し。もっと仕事をよこせ、仕事をさせろと言う所だろうか。
「そんなブラックな職場にはさせませんよ」
 お母様がちゃんとストッパー役として店を守っていらした。尊敬する眼差しを向けるもお父さんと何故か飯田さんもそっと視線を反らすのだった。
 飯田さん、貴方は何をやったのです?
 お父さんも不思議そうに飯田さんを見ていたがいかにも誤魔化しますと言わんばかりに
「父さん、そろそろ熱燗をいかがです?」
「ん?ああ、頂こう」
 どうやら息子さんを助ける事にしたらしい。奥さんの呆れた溜息だけが静かに響けば牡蠣もちょうどいいと取り皿に取ってくれた物を俺は受け取って、更に熱燗も頂くのだった。
 ふーっ、ふーっ。そーっと息を吹き付けてからゆっくりと口を付ける。
 唇で上澄みを舐める様に口をつけて熱が加わる事で華開く香りを楽しみながら口の中に広がる美味さを楽しむ様に目を瞑ってゆっくりと体温に馴染む様に時間をかけて喉に滑り落として行く。そこに食道があると言う事を主張するかのように伝い、僅か一口の酒が胃の形を教える。
「んあっ!熱燗にすると効くう!」
 む、はーっと酒精を吐きだせば同じように楽しんでいるお父さんも俺よりもぐびぐびと呑んでお替りを貰っていた。
 知ってたけど強すぎるだろうと飯田さんも手酌で楽しみながらお楽しみの牡蠣を食べるのだった。ふっくらと炊けた牡蠣に飯田さんは殻の縁に味噌を置いて味噌も焼きながら香りを引き立て、牡蠣から出た水分と合えてたっぷりと付けて食べていた。牡蠣と味噌合わないわけないよね!と、ありがたい事に貝柱を外してくれていたので俺も真似してつるんと食べる。
 ふっ、ふっ、あふっ!!!
 冷ましたつもりが全然冷めてなく、追い打ちかのように香ばしい味噌が口の中でねっとりと広がって行く。思わずと言う様に伸ばしたお酒もまだ熱くて思わず涙目になってしまった。旨いに隠された飯田トラップに今回も全部ハマりましたと悶えていれば
「あらあら?冷の方が良いかしら?」
 お母さんは新しいぐい呑みに日本酒を注いで俺に渡してくれた。俺は今口を開けたら大変な事になると黙って受け取って一気に煽った。
「ありがとうございます」
 ほっとした後に出た言葉にお母さんは品よく笑っていたが俺はあまりの熱さにいまだに目尻に涙が溜まっているけどお構いなしにもう一杯貰って今度はゆっくりと口に含む。
「ふふふ、綾人さんの反応ってほんとかわいいわね」
 再度恥ずかしくなって身体を小さくしてしまうも
「それに比べて我が家の男共はまったく、もう!」
 お怒りの様子に視線を向ければお父さんは大根おろしをアツアツの牡蠣の上に置いてたっぷりのポン酢ともみじおろしを乗せて飲み物のように食べていた。そして飯田さんは牡蠣を齧ってはくいっとぐい呑みを傾ける始末。牡蠣も熱燗も水じゃないんだから……そんな食べ方に確かにご立腹になる理由は十分だと思う。
「二人は放っておいて綾人さんは私と一緒に楽しみましょうね?」
「え、あ、はい……」
「やーん!照れちゃって可愛い!
 薫もこんな風に照れてみなさいよ」
 ペシペシと背中をむける息子の背を叩く母親にこれは何だ?これが絡み酒か?
 視線を合わせないようにしている飯田さんは
「俺が言っても可愛いと思います?」
「ん―……思わないかも?」
 それはそれで酷いのでは?と思うもお父さんまで背中を向けて焼けた牛タンを楽しんでいた。
 なんとなくお父さんが一人で部屋呑みをしたり、飯田さんが一緒に食事をしない理由を察することが出来て……ここは一つ俺が犠牲になろう。この夢のようなひと時にひびを入れない為にもそう決意してお母さんにお酌をするのだった。



しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

後悔はなんだった?

木嶋うめ香
恋愛
目が覚めたら私は、妙な懐かしさを感じる部屋にいた。 「お嬢様、目を覚まされたのですねっ!」 怠い体を起こそうとしたのに力が上手く入らない。 何とか顔を動かそうとした瞬間、大きな声が部屋に響いた。 お嬢様? 私がそう呼ばれていたのは、遥か昔の筈。 結婚前、スフィール侯爵令嬢と呼ばれていた頃だ。 私はスフィール侯爵の長女として生まれ、亡くなった兄の代わりに婿をとりスフィール侯爵夫人となった。 その筈なのにどうしてあなたは私をお嬢様と呼ぶの? 疑問に感じながら、声の主を見ればそれは記憶よりもだいぶ若い侍女だった。 主人公三歳から始まりますので、恋愛話になるまで少し時間があります。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...