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8.雑煮

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星野から連絡が来たのは、元日のお昼頃だった。
家族とおせちをつまみつつ、正月特番を見ていた。
毎年年明けすぐにメッセージが来ていたから、今年も同じだと思っていたが彼からは朝起きても何も届いていなかった。
楓は若干拍子抜けしつつも、起きぬけの働かない頭で、新年の挨拶を書く。
同期として。決してそれ以上の意味はない。……きっと。
楓は自分に言い聞かせるように頷くと送信ボタンをポチリと押した。

星野から来ていたのは、おめでとう、今年もよろしく、とシンプルに新年の挨拶だけの文章と、添付されていた雑煮の写真。

半分に箸で割ったのだろう、断面が見えている餅の中には黒っぽいものが間に挟まっている。
見たことはある。だが、雑煮に入れる餅?
楓の頭にはてなマークが浮かんだ。
「あんこ餅?」
呟いた途端、家族の視線を浴びる。同時に手の中の携帯が震えた。
「えっ!あっ……と!」
ポスっと膝の上に落ちた携帯を掴み、とっさに通話をオンにする。
会社の同僚、と早口で言うと電話を耳に当てた。
「……もしもし?」
『あけましておめでとう。今年もよろしく』
星野の声がいつもよりくぐもって聞こえるような気がするのは、千葉と香川で物理的な距離があるからか。
楓は興味を失ったようにテレビの駅伝に視線を戻した家族に片手で詫びると立ち上がる。廊下に出て一呼吸置くと、新年の挨拶をする。
「あけましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
『今大丈夫なの?』
「少しなら」
『あんこ餅って思った?』
見ていたような星野の口調に楓は吹き出した。
「見てたの?」
『そうそう。俺、透視できるから』
「透視って。ホッシーがそんなことできるとは知らなかった」
『すごいやろ?』
「すごいねー」
『うわー、棒読みやん。初笑いしてもらおうと思ったのにスベった』
おちゃらける言い方に楓はとうとう吹き出した。と、同時に星野との会話で肩の力がフッと抜けるのを感じる。

あぁ、楽だ。

星野との会話が。
妹家族が同居してすっかり彼女たちの気配が濃くなった実家にいるよりも、今の自分をよく知っている星野と話す方がよっぽど楽しい。
そして、同時に寂しくなる。この場所が「居場所」じゃなくなっている現実に。

『用はなかったんだけどさ。少しだけ寂しくて、山下の声が聞きたくなったんだ』
「寂しい?星野くんに似合わない言葉だね。どこ行っても楽しそうに過ごすから」
楓はコートを肩に羽織り、玄関から表に出る。ほうっと吐く息が白く染まる。
昔なじみの道を歩きながら、星野に問いかけた楓にしんみりした声が続く。
『そりゃあ、俺も感傷に浸ることもありますよ』
「どしたの?」
いつもと違う星野に楓は真剣な声で尋ねる。
星野は聞き流してよ、と軽い口調で話し始めた。
『……なんていうのかな。当たり前だけど、こっちも俺が家を離れている間にも時間が流れててさ。周りもどんどん変わっていってて。毎年帰るたびに記憶の中の実家と、今の実家がズレてきててさ』
一旦言葉が切れた。彼にしては珍しく言葉を選んでいるような気配がする。
楓は電話口で息を飲んだ。全く同じことを先程まで自分も思っていたから。
フッと星野が息を吐く。ため息か、それとも笑ったのか。
電話だから、楓はうかがい知ることはできない。
「ホッシー?」
『あぁ、ごめん』
柔らかな返答で星野が笑っていることが伝わる。少しだけホッとした楓は、ゆっくりと歩みながら星野の言葉を待った。
『で、考えてみたら進学で実家出て10年だからそりゃあ変わるよなって』
「そうだね。私も社会人になってから一人暮らししたけど、5,6年で大分変わったもん、地元」
『やろ?……んでさ、思ったんよ』
「何を?」
『山下に惚れて5年かぁって。俺の一人暮らし歴の半分は山下のこと想っとたんやなぁって』
「なっ……」
突然の告白に楓は絶句する。まさか、話がそこに飛躍するとは思わなかった。
楓の様子が手に取るようにわかるのだろう。電話口で爆笑している星野が今は憎たらしい。
『少しはドキッとした?』
とっさに電話をブチッと切ってしまった。
しまった、と思い詫びのメッセージを打つ楓だったが、星野のほうが一足早かった。
『お土産渡すから会社始まる前に会おうよ。さっきのブッチはそれでチャラね』

一本取られた。
楓は大きなため息をつき、返事をする。
答えはもちろん、イエスしか選択できなかった。




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