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10.過去
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※
起こるべくして起きた出来事だった。
正月に神社詣でに来た人間を見た時、千草の心は壊れた。
震度7の地震。
心の澱みは激しい慟哭と共に決壊し、咽び泣く千草の涙と一緒に妖力が溢れ出た。
神社を守っていた力の弱い狐は多く死んだ。
人間は、妖狐ほど多く死ななかった。
千草が無意識の内に人間達を狐力で包み、害を及ぼさないようにしたのだった。
それでも、参拝に来ていた者の2割は死に、怪我をしたものは8割に上った。
その後のことは記憶が曖昧だ。
八紘に拘束されたところまでは覚えている。
気がついたら手足に枷を嵌められ、猿轡をつけられた状態で牢に入れられていた。
「妖力の使い過ぎで気を失ったんだ」
鉄格子越しに八紘は千草に告げた。
口枷のせいで発する声は呻きにしかならない千草に、表情ひとつ変えることもなく八紘は何が起きたか淡々と語った。
狐力が暴走し、多くの狐と人間が死に、怪我をしたこと。
千草のいた神社は壊滅状態で復旧は容易でないこと。
多くの妖狐が人間の記憶からこの出来事を消去するべく動いていること。
そして……。
長老達の中で色つき狐のことをよく思っていない連中が、この責を死をもって償うようにと動いている、とも。
死、という言葉に目を輝かせた千草に、八紘は初めて感情を滲ませた。
「死刑にはさせない。たまきは俺の妻だ。お前を生かすためならこの立場、徹底的に利用させてもらうさ」
若い妖狐の長はそれだけを言い残し去っていった。
殺してくれ、と懇願する千草に言い渡された罰は、妖狐界からの数百年の追放だった。
「100年か200年耐えろ。ほとぼりが覚めたら呼び戻す」
人間界に向かう千草にすれ違い様囁いた八紘に、何も答えることはできなかった。
人間界に降りた千草が向かったのは、彼女が初めて任された小さな社だった。
「寂れてるな……。吾と同じ……か」
小高い山の上にある稲荷神社。村から離れているからか、参拝客も長い間来ていないようだ。
それでも妖狐がきちんと管理している稲荷は廃れない。任されている神社もきちんと見守ることすらできない程、そしてそのことに気づくこともできない程、千草には余裕がなかったのだ。
「ふふっ……。はは……。っ」
思わず笑いが込み上げて来た。乾いた笑いが誰もいない本殿の中に響く。いつしかその声が嗚咽混じりになっていたが、そのことに気づく者はいなかった。
何年、いや何十年経ったのだろう。
稲荷神社で廃人のように過ごしていた千草に参拝する人の気配が感じ取れるようになったのだ。
月に数回訪れるその少年は、必ず供え物を浅葱色の手拭いの上に置く。
握り飯やまんじゅう、花など様々なものが賽銭の代わりにその色の布の上に置かれていた。
「浅葱の手拭いしか持っておらぬのか」
いつものように供物を置き去ろうとする彼の背中に声をかけたのは、ほんの気まぐれだった。
一瞬驚いたようにビクリと肩を震わせた少年は、恐る恐る振り向いた。
その振り向いた動作とは一転、本殿の扉にもたれるように立つ千草を正面に捉えると嬉しそうにフワッと微笑んだ。
(ほう……、目を逸らさぬか)
妖狐の耳も尻尾も隠していない。妖力も抑えていない千草を見て怯えることもなく、しっかりと視線を絡ませてくる。
「浅葱の方がこの場所に映えると思いましたので」
少年と青年の境の年頃だろう。朱の鳥居が象徴の稲荷神社に真逆の色が似合うというその男に、千草は若干の興味をそそられた。
浅葱の手拭いの上に供えられたまんじゅうに手を伸ばしながら、千草は短く問うた。
「名は?」
「吾郎と申します、お狐様」
笑みを絶やさぬまま男――吾郎は名を告げる。返事もせず、まんじゅうを平らげた千草は手拭いを吾郎に押し付けるように渡すと、本堂へ戻る。
「また、お会いできますか?」
背中に問いかけた吾郎に、千草は返事はしなかった。
※
返事はしなかったのにも関わらず、吾郎は今まで通り月に数回訪れた。
変わらず浅葱の手拭いの上に何かを供え、千草がいるとは限らないのに本堂に向かって一言二言話しかけ去って行く。
神社に来る道すがら桜が咲いていたとか、今町では西洋のお菓子が大流行しているとか、他愛もない内容だ。
気が向けば暇潰しがてら本堂から出て、直接吾郎と言葉を交わす。
その頻度が10回に1回から、5回に1回になり、いつしか吾郎が来た際は毎度顔を会わせるようになった。
月に何度か隣町へ村で出来た特産物を納めに行っていた吾郎だったが、千草と顔を会わせるようになってからは町に行くとき以外も頻繁に神社を訪れるようになった。
「吾郎も暇だのう」
千草はそう言いながら、いつしか吾郎が神社に来るのを待ちわびるようになった。
最初は5回に1度。それが3回になり、そのうち毎回顔を合わせる。
仕事の合間のほんの一時。その中で吾郎は色々なことを千草に話した。
家業のこと。町で流行しているもの。自分の好きなものや趣味。
他愛のない会話。だが、千草にとっては狐界で起きた苦しい出来事を暫し忘れることができる貴重な時間であった。
起こるべくして起きた出来事だった。
正月に神社詣でに来た人間を見た時、千草の心は壊れた。
震度7の地震。
心の澱みは激しい慟哭と共に決壊し、咽び泣く千草の涙と一緒に妖力が溢れ出た。
神社を守っていた力の弱い狐は多く死んだ。
人間は、妖狐ほど多く死ななかった。
千草が無意識の内に人間達を狐力で包み、害を及ぼさないようにしたのだった。
それでも、参拝に来ていた者の2割は死に、怪我をしたものは8割に上った。
その後のことは記憶が曖昧だ。
八紘に拘束されたところまでは覚えている。
気がついたら手足に枷を嵌められ、猿轡をつけられた状態で牢に入れられていた。
「妖力の使い過ぎで気を失ったんだ」
鉄格子越しに八紘は千草に告げた。
口枷のせいで発する声は呻きにしかならない千草に、表情ひとつ変えることもなく八紘は何が起きたか淡々と語った。
狐力が暴走し、多くの狐と人間が死に、怪我をしたこと。
千草のいた神社は壊滅状態で復旧は容易でないこと。
多くの妖狐が人間の記憶からこの出来事を消去するべく動いていること。
そして……。
長老達の中で色つき狐のことをよく思っていない連中が、この責を死をもって償うようにと動いている、とも。
死、という言葉に目を輝かせた千草に、八紘は初めて感情を滲ませた。
「死刑にはさせない。たまきは俺の妻だ。お前を生かすためならこの立場、徹底的に利用させてもらうさ」
若い妖狐の長はそれだけを言い残し去っていった。
殺してくれ、と懇願する千草に言い渡された罰は、妖狐界からの数百年の追放だった。
「100年か200年耐えろ。ほとぼりが覚めたら呼び戻す」
人間界に向かう千草にすれ違い様囁いた八紘に、何も答えることはできなかった。
人間界に降りた千草が向かったのは、彼女が初めて任された小さな社だった。
「寂れてるな……。吾と同じ……か」
小高い山の上にある稲荷神社。村から離れているからか、参拝客も長い間来ていないようだ。
それでも妖狐がきちんと管理している稲荷は廃れない。任されている神社もきちんと見守ることすらできない程、そしてそのことに気づくこともできない程、千草には余裕がなかったのだ。
「ふふっ……。はは……。っ」
思わず笑いが込み上げて来た。乾いた笑いが誰もいない本殿の中に響く。いつしかその声が嗚咽混じりになっていたが、そのことに気づく者はいなかった。
何年、いや何十年経ったのだろう。
稲荷神社で廃人のように過ごしていた千草に参拝する人の気配が感じ取れるようになったのだ。
月に数回訪れるその少年は、必ず供え物を浅葱色の手拭いの上に置く。
握り飯やまんじゅう、花など様々なものが賽銭の代わりにその色の布の上に置かれていた。
「浅葱の手拭いしか持っておらぬのか」
いつものように供物を置き去ろうとする彼の背中に声をかけたのは、ほんの気まぐれだった。
一瞬驚いたようにビクリと肩を震わせた少年は、恐る恐る振り向いた。
その振り向いた動作とは一転、本殿の扉にもたれるように立つ千草を正面に捉えると嬉しそうにフワッと微笑んだ。
(ほう……、目を逸らさぬか)
妖狐の耳も尻尾も隠していない。妖力も抑えていない千草を見て怯えることもなく、しっかりと視線を絡ませてくる。
「浅葱の方がこの場所に映えると思いましたので」
少年と青年の境の年頃だろう。朱の鳥居が象徴の稲荷神社に真逆の色が似合うというその男に、千草は若干の興味をそそられた。
浅葱の手拭いの上に供えられたまんじゅうに手を伸ばしながら、千草は短く問うた。
「名は?」
「吾郎と申します、お狐様」
笑みを絶やさぬまま男――吾郎は名を告げる。返事もせず、まんじゅうを平らげた千草は手拭いを吾郎に押し付けるように渡すと、本堂へ戻る。
「また、お会いできますか?」
背中に問いかけた吾郎に、千草は返事はしなかった。
※
返事はしなかったのにも関わらず、吾郎は今まで通り月に数回訪れた。
変わらず浅葱の手拭いの上に何かを供え、千草がいるとは限らないのに本堂に向かって一言二言話しかけ去って行く。
神社に来る道すがら桜が咲いていたとか、今町では西洋のお菓子が大流行しているとか、他愛もない内容だ。
気が向けば暇潰しがてら本堂から出て、直接吾郎と言葉を交わす。
その頻度が10回に1回から、5回に1回になり、いつしか吾郎が来た際は毎度顔を会わせるようになった。
月に何度か隣町へ村で出来た特産物を納めに行っていた吾郎だったが、千草と顔を会わせるようになってからは町に行くとき以外も頻繁に神社を訪れるようになった。
「吾郎も暇だのう」
千草はそう言いながら、いつしか吾郎が神社に来るのを待ちわびるようになった。
最初は5回に1度。それが3回になり、そのうち毎回顔を合わせる。
仕事の合間のほんの一時。その中で吾郎は色々なことを千草に話した。
家業のこと。町で流行しているもの。自分の好きなものや趣味。
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