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第八章「神の剣と知られざる真実」

失わない心

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夜――ブレドルド王国に現れた三人の盗賊による猛毒の矢で命を失った者達は教会の神父によって棺に収容されていった。多くの人々が集う中には、アイカとロロの姿もある。オディアンは事の全てを大臣に報告しようと謁見の間へ向かい、レウィシアとリランは犠牲者達の冥福を心から祈っていた。
「レウィシア。済まないが私は現状報告すべく、先に神殿へ戻らせてもらう。スフレの事は頼んだ」
「……解りました」
リランがその場から去ると、レウィシアは悲しみに暮れる人々の姿を見つつも、客室で安静にしているスフレの元へ向かった。


オディアンは謁見の間にて、大臣に事件の全貌を伝えていた。
「ぬぬぬ、魔物に続いて今度は賊による被害を生む事になるとは。陛下もいないこの国は一体どうなるというのだ……!」
重なる事件に不安が拭えず、大臣はひたすら頭を抱えるばかりであった。
「大臣。どうやら陛下はかつて起きた魔物による襲撃事件の黒幕となる男の元にいる模様です。奴は途方もない力を持つ恐るべき存在……今回現れた賊どもとの関連性は不明ですが、陛下を救うには奴を倒すしか他無いようです」
ブレドルド王の現状を伝えるオディアンだが、内心ではケセルの言葉に不安を抱いていた。王は魂共々我々のものになった。ブレドルド王の魂は暗黒に染められ、闇王の魂と融合したという言葉。王の魂はケセルを倒せば救われ、そして王として戻れるのだろうか。そう思いつつも、王を救う旅を続ける意向を示そうとする。
「オディアンよ。正直そなたにはこの国を守って欲しいものだが、どうやらそうもいかんようだな。そなたは陛下や民が認める英雄グラヴィルの闘志を継ぐ者。ワシに止める権利はない……」
「……申し訳ありません。陛下は必ず救い出してみせます」
深々と頭を下げ、大臣に見送られながらも謁見の間から出ようとするオディアンの元に部下の戦士達が集まり始める。
「お前達……」
「兵団長! 王国の方は我々にお任せを! 兵団長と陛下がお戻りになるまでは我々が全力でお守りします! 不覚を取ったとはいえ、今度は魔物であろうと賊であろうと全ての命を捧げるつもりで死守致します!」
戦士達の決意表明にオディアンは心を動かされる。
「……解った。不覚については咎めはせぬ。王国は任せたぞ」
「ハッ!」
オディアンは謁見の間を出ると、地下牢へ向かって行く。重罪人を収容する奥の地下牢には襲撃犯である盗賊三人が投獄され、厳重に拘束されていた。腕を切断された一人は苦痛に喘いでいる。オディアンは盗賊三人がいる牢にやって来る。
「……へっ、何だよ。何か用か?」
悪態を付く盗賊男。オディアンは険しい表情を浮かべつつも鉄格子の扉を開け、牢に侵入する。
「貴様等に聞きたい事がある。何が目的で我が国を狙った?」
戦斧を突き付けながら詰問するオディアンに盗賊男は恐怖を感じ、引き攣った表情を浮かべる。
「た……ただ金が欲しかったんだ。お、俺達は行き場を無くしちまった世界のはみ出し者で……そ、それでつい一生食っていける金が欲しくて……」
オディアンは戦斧を床に叩き付け、盗賊男の胸倉を掴む。
「それが理由か。罪無き者の命を奪う非人道な行為に手を染めてまで金が欲しかっただけなのか」
気迫に満ちた表情で更に問い詰めるオディアン。
「そ、それだけだ。お、王国の城だったらたんまり金があると思って……がっ! ごはあ!」
オディアンは盗賊男の顔面を何度も殴り付け、再び戦斧を手に取る。
「貴様等の背後には誰もいないのか。それとも、本当に貴様等独自での犯行なのか。答えろ!」
「だ、誰もいねえよ! 俺達だけで勝手にやった事なんだ! ほ、本当だって!」
戦斧を突き付け、殺気が込められた目を向けるオディアン。盗賊男の言葉に嘘はない様子であった。
「ではもう一つ問う。貴様等が所持していた矢には猛毒が塗られていたと聞く。何処から入手した?」
猛毒の矢の入手先はラムスの闇市場だと狼狽えながらも答える盗賊男。オディアンは怒りに震え、再び盗賊三人の顔面を殴り始める。その制裁には激しい怒りだけではなく、憎悪が込められていた。
「兵団長!」
見張りの兵士が駆け付けるが、オディアンは盗賊三人の顔面を殴り続けていた。その勢いは返り血が飛ぶ程であり、盗賊三人は既に気を失っていた。
「おやめ下さい、兵団長! 重罪人とはいえ、これ以上やっては死んでしまいます! どうか落ち着いて下さい!」
兵士が必死で止めに入る。兵士の言葉で我に返ったように制裁を止めたオディアンは息を切らせながらも、ぐったりした盗賊三人を鋭い目で見据えていた。拳からは血が滴り落ちている。盗賊三人の姿を見つめているうちに、オディアンの頭にある出来事が浮かぶ。


十数年前のある日、王国に住む一人の娘が誘拐される事件が起きた。誘拐犯となる賊一味は巧みに道に迷いし旅人と偽りながらも各地から美しい娘を浚い、身代金要求だけでは留まらず、浚った娘達を食いものにするという行為に出る程の愚劣な集団であった。賊一味はオディアンと戦士達、そしてブレドルド王によって一網打尽となったものの、浚われた娘の中には殺されている者もいた。その有様を見たオディアンは怒りに震え、賊一味を自身の剣で次々と斬りつけていく。それを制した王はオディアンに鉄拳を振るい、こう言った。


人として許されざる罪に手を染める罪人でも、裁くのは一人だけではない。全ての民だ。

お前の行いが正義によるものでも、怒りに捉われる余り自我を失い、心を失う事になればその行いは正義ですらなくなる。民を守る使命を受けた騎士は、決して己を失ってはならぬ。

何事においても、己を失うな。そして肝に銘じろ。正義による行いは、必ずしも正しいものではないという事を。


過去の出来事で聞かされた王の言葉が脳裏に浮かび上がると、オディアンは俯き加減で血に染まった拳を震えさせる。額は多量の汗で滲んでいた。
「済まない。私とした事が……。止めてくれて感謝する」
制裁を加えている間、過去の自身のように自我を失いかけていた自分を止めてくれた兵士に詫びつつも感謝の意を述べるオディアン。自身を戒めるように拳を壁に叩き付け、盗賊三人に顔を向ける。
「……貴様等は罪無き者の命を数人奪った。私利私欲の為に罪無き者の命を奪う事がどれ程の大罪なのかは、その痛みだけでは済まされぬもの。貴様等の残る命は牢獄の中で尽きるものだと思え」
そう言い残し、牢から去るオディアン。兵士は何も言えず、去り行くオディアンを見送りながらも鉄格子の扉を閉める。


私刑は騎士として道理に反するものだと理解していても、俺はどうしても怒りが抑えられなかった。

奴らは私利私欲の為に罪無き者の命を奪った悪魔。人間の形をした悪魔でしかない。

そしてこれは正義の為では無く、人として許せぬという思いから出た怒りだった。

だが、怒りで我を見失ってはいけない。怒りを憎悪に変えてはならない。非道な愚者を前にする事があっても、英雄の闘志を汚す事はあってはならぬ事。

俺は、あの時のように再び自我を失いかけていた。陛下が仰っていたように、己を失ってはいけない。今の俺には、戦う使命があるのだから。


その頃、レウィシアは客室にてベッドで眠るスフレを見守っていた。
「……うっ……」
意識を取り戻し、目を覚ますスフレ。
「スフレ……気が付いたのね?」
レウィシアが声を掛けると、スフレは辺りの様子に戸惑いを覚える。
「此処は……あたし、あの時……」
スフレは状況を整理する。アイカの父親を殺した犯人である盗賊三人を城で発見したものの、盗賊が放った猛毒の矢に撃たれ、毒によって意識を失い、ベッドに運ばれていたという現状を把握して溜息を付く。
「あたし、結局何も出来なかったっていうの……」
怒り任せで悪党に挑んだものの、無様にやられてしまい、何も出来なかった自分の有様を痛感したスフレは情けない気持ちになり、恨めしそうな目でレウィシアを見つめる。
「あなたを助けたのはリラン様とオディアンよ。お礼なら彼らに言って」
「そう……あんたもあたしを連れ戻しに来たってわけ?」
「それもあるけど、あなたに言いたい事があるから来たのよ。誤解を解く為に」
「誤解?」
レウィシアはスフレと向き合う。
「聞いて欲しいの。私の話を」
詰め寄るようにレウィシアが言う。
「何なのよ。話って」
スフレは目を逸らして言うものの、レウィシアは引き下がろうとしない。
「スフレ。あなたが私を目の敵にしているのは、ヴェルラウドの事なんでしょ?」
思わず鋭い目を向けるスフレ。レウィシアは動じる事なく顔を寄せる。
「あなたはこんな風に誤解しているんじゃない? 私とヴェルラウドが特別な関係なんじゃないかって」
言葉を続けるレウィシアに、スフレは表情を強張らせる。
「真剣に聞きなさい。私とヴェルラウドは決してそんな関係じゃない。私にとって彼はあなたと同様、共に戦う仲間。それ以上の関係なんて望んでいないわ。それは彼も同じ事よ」
至近距離で目線を合わせ、そして真剣な表情でレウィシアが言う。その目には偽りを感じさせない真摯さが秘められていた。スフレは反論しようとしたものの、レウィシアの目を見て思わず躊躇してしまう。
「私がヴェルラウドに近付いた事は謝るわ。でも、変な誤解だけはしないで。あなたも知っていると思うけど、彼は守るべき大切な人を二度も失っている悲しみを抱えている。私は彼の抱えている悲しみが解るから、彼の力になりたい思いがある。それは彼に対して特別な感情を抱いているとかじゃない。『共に戦う仲間だから、全ての悲しみを受け止めて、仲間として助けたい』という感情よ。私だって、大切な人を守れなかったから……何かを守れなかった悲しみを抱く人がいたら、その人の悲しみを分かち合い、力になってあげたいという気持ちがあるのよ。それがあなたであっても同じ事。あなたは……彼が今、何を思っているのか解っているの?」
スフレの眼前で全ての想いを打ち明け、涙を流すレウィシア。
「……私はあなたが思うような特別な関係なんて望んでいないし、考えてもいない。誰かの力になるのは、仲間として当然の事だと思っているから。もしあなたも何かを守れなかった悲しみを抱えているのなら、その悲しみを分かち合い、あなたの力にもなりたい。あなたも……共に戦う仲間だから……」
涙が止まらないまま、目線を合わせつつも言葉を続けるレウィシアを前にしたスフレは何も言えず、黙り込んでしまう。
「私の言いたい事はここまでよ。神殿に戻ったら、ヴェルラウドと真摯に向き合って話し合いなさい。彼の事が好きだというのなら……彼の気持ちを聞いてあげて!」
レウィシアは客室から去る。スフレはレウィシアの言葉を受け、ヴェルラウドの事を考えつつも自分の言動を振り返り、レウィシアの言葉の意味、そしてヴェルラウドから頬を叩かれての一言の意味を考え始める。


……仲間……か……。

そうだよね……馬鹿は、あたしの方よ。大体、あたしが一方的に近付いてるだけなのに。あたし達はあくまで共に戦う仲間という関係だけに過ぎないのに。

ヴェルラウドとレウィシアの関係がどうしても気になってヤキモチを焼いて、それでレウィシアのお姫様として、女としての完璧さに妬んだり、ヴェルラウドとレウィシアが二人きりで話し合っているところを見て、あたしはレウィシアに対抗心を抱いて目の敵にして。ヴェルラウドはその事であたしに……。

第一、ヴェルラウドは守りたい人を目の前で二度も失っている。その事も聞かされていたのに、あたしは……。

自分の勝手な思い込みによる嫉妬で、あたしは自分を見失っていたんだ。レウィシアにはあんな酷い事まで言ったり。本来の自分を失う程、あたしの心は醜くなっていたんだ。


「……ヴェルラウド」
スフレは自然に溢れ出た一筋の涙を軽く拭い、深呼吸をして心の整理をする。
「全部……あたしが悪いんだから。ヴェルラウドに……レウィシアにも謝らなきゃ」
心の整理が付いたスフレは立ち上がり、客室から出る。部屋の前にはオディアンが立っていた。レウィシアは謁見の間にて大臣に挨拶をしているところであった。
「もう大丈夫なのか、スフレよ」
オディアンが様子を窺う。
「何とかね。レウィシアとリラン様は?」
「レウィシア王女は今大臣にご挨拶をなさっている。リラン様は現状報告すべく神殿へお戻りになられたとの事だ」
「そう……また今回もあなたに助けられたみたいね。ありがとう、オディアン」
「礼には及ばぬ。お前が無事だったのはリラン様の御力があってこそだ」
そうだ、リラン様にもお礼を言わなきゃと思いつつも、スフレはオディアンに感謝の笑顔を向ける。
「ところで、レウィシアが戻ったらちょっと付き合って欲しい事があるの」
スフレの言う付き合って欲しい事とはアイカの件であった。何の事かと尋ねるオディアンに、アイカとの経緯を一通り話すスフレ。そこで大臣に挨拶を済ませたレウィシアがやって来る。
「あ、レウィシア」
スフレは今謝っておくべきかなと考えてしまう。
「スフレ。私の事は気にしなくていいから、まずヴェルラウドと話を付ける事を考えて」
レウィシアがそう言うと、スフレは却って戸惑ってしまう。そこでオディアンがスフレの用事の事をレウィシアに話す。
「何て酷い……その子を助けてあげなきゃ。あの悪党達にお父さんが殺されたんでしょう?」
「うん。このままだと可哀想だから何とかしてあげないとね」
レウィシア達はアイカを探し始める。人だかりの中、ロロがスフレの元へやって来る。
「この子はアイカの犬……アイカは?」
スフレがアイカを探そうとした瞬間、ロロの後を追って来たアイカが現れる。
「あ、スフレお姉ちゃん……」
アイカは悲しそうにスフレを見つめていた。スフレはそっとアイカを抱きしめ、頭を撫でる。
「……あたしがもっと早く来ていたら、お父さんがあんな事にならなくて済んだのに……」
「スフレお姉ちゃん……」
「ごめんね……ごめんね……あたし……何もしてやれなかった……」
何とかしてあげたいと思っていた矢先、父親までも自分の力では助けられなかった悔しさと無力感を痛感し、涙を流すスフレ。アイカはスフレの胸の中で泣き出してしまい、レウィシアとオディアンは沈痛な思いのまま黙って見守るばかりであった。スフレはレウィシア、オディアンと共にアイカを家まで送り届けようと、アイカの家に向かう。アイカの家には、見知らぬ初老の女性がいた。
「あ、ベティおばさん」
女性は、アイカの叔母であった。
「アイカ、無事で良かったよ。そちらにいるのはもしかしてオディアン兵団長?」
「はい。事情は一通りお聞き致しました。ご親族の件、お悔やみ申し上げます」
オディアンが哀悼の意を表すと、ベティはレウィシア達を快く迎える。
「あの人、親戚の叔母さんなの?」
「うん。時々クッキーを作ってくれるんだ」
ベティは両親を失ってしまったアイカを引き取る為に訪れた事を話すと、スフレはこの人なら大丈夫かなと思いつつも、出された紅茶を飲む。
「良い親戚の方がいたのが幸いですな。感謝せねば」
「そうね」
オディアンとレウィシアも紅茶を口にし、心を落ち着かせる。
「スフレお姉ちゃんはすてきな賢者さまなんだ。スフレお姉ちゃんはあたしのこと、ずっと守ってくれたから」
アイカはスフレを慕いつつも、ベティに全ての出来事を話す。
「す、素敵な賢者様って……やーねぇ。そんな大した事出来てないのに!」
照れ臭そうにスフレが小突く。
「まあ、そうだったの。そういえば様々な賢者が集う神殿があるって聞いた事あるけど……」
「はい。私は賢者の神殿を治める賢王様に仕える賢者です」
スフレが礼儀正しく自己紹介をする。
「私はクレマローズ王国の王女レウィシア・カーネイリス。スフレの旅仲間です」
続いてレウィシアが自己紹介すると、アイカは興味深そうにレウィシアを見つめている。
「王女さま? お姉ちゃんって、お姫さまなの?」
「お姫様……そんなところかな。お城の人から姫様って呼ばれているから」
「わーすごい! スフレお姉ちゃん、兵団長やお姫さまとお友達だったんだね!」
アイカの言葉にスフレはつい苦笑いしてしまう。
「そ、そうそう。このスフレお姉ちゃんはお姫様や兵団長とお友達なのよ! 凄いでしょ?」
「うん、すごいよ! わたしもスフレお姉ちゃんみたいになりたい!」
スフレはアイカの無垢な瞳を見ているうちに心が和らぐのを感じた。そして、今自分がすべき事について改めて考える。


この子はあたしの事を凄く慕っている。何もしてやれなかったのに、誰よりも純粋にあたしを慕ってくれる。この子の想いに応える為にも、あたしはもっと頑張らなきゃいけない。だから……前に進まなきゃ。その為にも……!


スフレはそっとアイカを抱きしめて、頭を撫でる。
「……アイカ、ありがとう。あたし、もっと頑張るからね。あなたが笑顔になれるように」
目を潤ませるスフレ。
「スフレお姉ちゃん……だいすき」
アイカはスフレの胸の中で呟く。その姿を見ていたレウィシアは不意にネモアとルーチェの事が頭に浮かび、自分を姉と慕うネモアやルーチェと過ごした日々を振り返っていた。
(……ネモア……ルーチェ……)
感傷に浸るレウィシア。ネモアは死に、ルーチェが浚われた今、自分もスフレや仲間達と共に戦わなくてはならない。此処にいるアイカという小さな少女の命を守る為にも。


翌朝――神殿前ではテティノがマチェドニルの指導で飛竜カイルを操る練習をしていた。カイルはライルと同様人の言葉が理解出来る賢い飛竜であり、テティノの命令でも忠実に動いていた。
「ふむ、その様子ではすぐに慣れそうじゃの」
カイルを操っているテティノを見ていたマチェドニルが呟く。
「全く、こいつが賢い奴で良かったよ。元々飛竜の扱いに手慣れている僕だったら問題ないさ」
「そうか。それは良かった」
テティノはカイルに慣れようと、カイルに乗ったまま飛び回っていた。
「しかしながら、まだ戻らんのか……」
予めリランから事情を聞かされていたマチェドニルは、一晩経過してもスフレ達が戻らない事を気に掛けていた。

神殿内では、リランがブレドルドでの経緯を含め、スフレの事をヴェルラウドに話していた。
「そうか……無事なんだな?」
「うむ。だが、君も解るだろう? 今はお互い仲を拗らせている場合では無いと。あれからもう一晩経っているんだ。スフレが戻ったら話し合って頂きたい」
内心躊躇したものの、スフレと直接話し合うように言うリラン。ヴェルラウドは振り返り、俯く。
「……解っているさ。俺も、至らないところがあったからな」
そう言い残し、ヴェルラウドは部屋から出る。リランは後を追わず、黙ってヴェルラウドの背中を見つめていた。廊下を歩くヴェルラウドは、スフレから与えられたお守りであるスファレライトのブローチを握り締めていた。


正午前の時――レウィシア、オディアン、スフレが神殿に帰還する。仲間達は既に神殿内に集まっていた。その中にはヴェルラウドの姿もある。三人は仲間達の集まる部屋にやって来る。辺りは静まり返り、重苦しい空気に包まれていた。スフレは気まずさを感じつつも、ヴェルラウドの前に歩み寄る。
「……あの……ヴェルラウド。昨日の事は……ごめんなさい。あたしが身勝手だったから、あなたに心苦しい思いをさせてしまって……」
ヴェルラウドと真摯に向き合い、詫びるスフレ。
「あたし……何ていうか、レウィシアの事を妬んでいたせいで、あなたと一緒になっていたところでヤキモチを焼いたりして、それで……」
スフレは涙ぐみながらも頭を下げる。
「……本当に……ごめんなさい。ヴェルラウド……あたしは……」
ヴェルラウドは涙を見せつつも詫びるスフレに戸惑いの表情を浮かべつつも、そっとスフレの涙を指で軽く拭う。
「……もういいんだ。謝らなくても。俺の方こそ、思いっきり引っ叩いたりしてごめんな。痛かっただろ?」
「え……」
「俺は、自分のせいで何かがいがみ合ったり、大切な人を失ったりするのが辛かったんだ。それで特別な関係は作りたくなかった。お前がもし俺と仲間以上の関係を望んでいるってなら、残念ながら俺にはその期待に応えられそうにない。だが、これだけは聞いてくれ。俺が思い悩んでいた時や、あの試練の時だって、お前が俺を助けてくれた事はずっと忘れないし、今でも心から感謝している。お前が戻るまでは、ずっとこれを持っていたんだからな」
ヴェルラウドはスファレライトのブローチを胸ポケットから取り出す。
「ヴェルラウド……」
スフレはヴェルラウドの想いを感じ取ると、自然に涙が溢れ出す。
「スフレ……お前だって、俺の大切な仲間だ。俺が生きて帰って来れたのも、お前のおかげなんだ。俺は仲間を守る騎士として戦う身だから、お前を守るべき時が来たら……俺が守る」
至近距離でヴェルラウドが想いを告げると、スフレは嗚咽を漏らし始める。
「……ごめんな」
詫びの一言でスフレは堪えきれなくなり、ヴェルラウドの胸に顔を埋める。
「うわああぁぁぁんっ……うっ……ううっ……」
ヴェルラウドの胸で号泣するスフレ。そんなスフレをそっと抱きしめるヴェルラウド。仲間達が見守る中、スフレはずっとヴェルラウドの胸の中で泣いていた。


それから、レウィシア達は改めて作戦会議を行う。聖都ルイナスへ向かうメンバー、ヒロガネ鉱石を手に入れる為に手掛かりを求めて闇の都市ラムスへ向かうメンバーの二手に分かれて行動するという案で、当初の予定通りルイナスへはスフレ、リラン、オディアンが向かい、ラムスへはレウィシア、ヴェルラウド、ラファウス、テティノが向かう事に決定した。スフレはレウィシアとヴェルラウドが同行する事について否定の意を示す事は無く、皆と共に無事で帰って来る事を願うだけであった。出発は翌日となり、この日は休息を取る事となった。
「あ、ねえ。ヴェルラウド」
スフレがヴェルラウドに声を掛ける。
「何だ?」
「ちょっと、レウィシアと二人きりで話したい事があるから邪魔しないでよね。別に変な意味でとか、悪い話とかじゃないから」
ヴェルラウドは一瞬不安を覚えるものの、スフレの真っ直ぐな瞳を見ていると決して悪い方向の話ではないと察し、快く了承する。
「解ったよ。明日に備えて早く寝ろよ」
「うん!」
ヴェルラウドが去って行くと、スフレはレウィシアがいる部屋に向かう。
「あら、スフレ。どうしたの?」
部屋には白い服に着替えていたレウィシアが窓の前に立っていた。
「えっと、何ていうか。この前のお詫びでもと思って」
心に抱えている蟠りが解けていない事もあってか、何処か余所余所しそうな様子でスフレが言う。
「お詫びなんていいわよ。過ぎた事でしょう?」
「いえ。あなたには色々酷い事言ってしまったし、全部あたしの思い込みから始まった事だから……謝らなきゃ気が済まないのよ」
スフレは改めてレウィシアの前で頭を下げる。
「改めてお詫びします。ごめんなさい、レウィシア」
頭を下げつつも詫びるスフレに、レウィシアはそっと手を差し伸べる。
「もういいの、スフレ。顔を上げて。解ってくれたらそれでいいんだから」
穏やかな笑顔を向けるレウィシア。スフレは自分に手を差し伸べてくれるレウィシアの優しさに惹き付けられるように、そっとその手を取る。
「あたしの事……許してくれるの?」
「許すも何も、あなたは仲間だからよ。私だって、あなたとヴェルラウドが無事で仲直り出来る事を祈っていたし、あなたの力になりたいから」
レウィシアはスフレを抱きしめる。
「レウィシア……」
スフレはレウィシアの胸の中で、心が安らぐような優しい香りと温もりに満ちた体温を感じる。レウィシアに抱きしめられている中、スフレの目に涙が浮かび上がる。自分が感じた事のない感覚――生まれて初めて触れた母性を肌で感じ取り、物心つく前からいなかった母親の事を考えてしまう。


この暖かさ……この優しい匂い……今まで感じた事のない感覚。ずっとこうして甘えていたくなるこの安らぎ。これが、母性なの?

生まれて一度も母性に触れた事がなかったから、こんなに安らぎを感じるのかな。

ついこの前まで対抗心を抱いて追い払おうとしていたのに。まるでお母さんのように、包み込むように抱きしめてくれる。

まるで、太陽のような優しさと温もりに満ちたお姫様。全てを温かく包み込み、そして全てを守る力強さを感じる太陽。それが、レウィシアなんだ。


スフレはレウィシアの胸の中で涙を零す。レウィシアはスフレの涙の感触を感じ取り、スフレの頭を優しく撫でる。
「いい子ね……」
母性溢れる優しさでスフレを包み込むレウィシア。それはネモアやルーチェに与えた母性愛そのものであった。
「……レウィシア……ありがとう……」
スフレはレウィシアに感謝の言葉を漏らしつつも、レウィシアの胸で涙を流していた。


こんなあたしでも、受け入れてくれる。

レウィシアがまるでお母さんのように見えた。

本当のお母さんがどんな人なのか知らないけど、あたしのお母さんもこんな人なのかもしれない。

自分勝手な思い込みで馬鹿みたいに妬んで対抗心を燃やして、辛く当たっていたかつてのあたしを思いっきり殴りたい。

もう、あたしは自分を失いたくない。そう、自分を失ってはいけないんだ。仲間がその事を教えてくれたから。


あたしを慕ってくれるあの子の為にも……もっと頑張らなきゃ。



ヴェルラウドは、オディアンと二人きりで部屋に佇んでいた。
「ヴェルラウドよ。お前に伝えておくべき事がある」
「何だ?」
「……如何なる事があっても、己を見失うな。己を失う事は、己の破滅へと繋がる。それを忘れるな」
オディアンの言葉に、ヴェルラウドは思わず自身の心を捨てた闇王の姿を思い浮かべてしまう。
「解った。スフレの事は頼んだぜ」
「うむ。お前も気を付けるようにな」
部屋から出るヴェルラウド。オディアンは今後の旅の事を考えつつも、熱い茶を啜った。


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