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第一章「眠れる魔物と魔法使いの少女」
第06話 陽気な侵入者
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「いやー、なかなか帰って来ないもんだから待ちくたびれちまったよ」
椅子に腰かけて部屋でくつろいでいたのは、まぎれもなく先程、燃え盛る家の中で陥没した床にのまれて炎の中に消えたはずのアルトだった。あまりの驚きにスピカは唖然とする。
「何で……だってあの時」
「生きてる生きてる。足もちゃーんとあるから。まあ、下の階に落ちた時は死ぬかと思ったけどな」
そう言って椅子から立ち上がり、足があることをアピールする。その体には火傷や怪我の類、それどころか服にも燃えたような跡は見えなかった。
「俺のことよりも、あんたの方こそ大丈夫なのか?」
「え?」
アルトが手の平を指し示す。
「落ちて来た梁を受け止めた時に火傷したんじゃないかと思ってさ。一応助けてくれたことだし、お礼にね」
「……結構よ」
そう言って、懐から傷薬を取り出したアルトからスピカは腕を組んで掌を見せないようにする。
「まあ、そう言いなさんな。自分を助けて女の子の肌に消えない傷を付けちまったなんて俺としても気分が悪いからさ、よく効く薬を持ってきたんだ」
「必要ないから大丈夫よ」
「ふーん、『必要ない』ね……」
アルトが腕組みをしてじっとスピカを見る。そして、突然手に持っている傷薬のビンを投げつけた。
「何を!?」
「おっと!」
咄嗟に手でビンを腕で防いだスピカにアルトが距離を詰める。驚く彼女の腕を取り、その掌を強引に自分の方へと向けさせた。
「……やっぱりな。治ってる」
スピカの掌は傷のない綺麗なまま。先程焼ける梁を受け止めて焼けただれた傷も、その痕も何も残っていなかった。
「なるほどね、これだけの回復力があれば火の中でも飛び込んで行けるよな」
「……いったい何が言いたいの」
「魔法使いだろ、あんた?」
その言葉にスピカの表情が強張る。手を振り払って距離を取り、出口を塞ぎ警戒の眼差しで睨みつける。だが、アルトは涼しい顔で返す。
「手荒なことはしない方がいいと思うぜ。正体がバレて困るのはそっちだろ?」
「くっ……」
アルトの言うとおりだった。自分が魔法使いであることを知られてしまっては宿から、いや、町からも追い出されてしまう。そうなれば苦労して得た山越えのチャンスもなくなってしまう。
「まあ落ち着けよ。あんたに聞きたいことがあるんだ」
「……聞きたいこと?」
「ああ、それさえ答えてくれれば、このことは誰にも言わない。一人で来たのだってそのためだ」
「……何を聞きたいの?」
スピカは警戒を解かず、アルトから距離を取ったまま問いかける。アルトもその場で指を二本立てて問いを発した。
「聞きたいことは二つ。まず、俺は捜している魔法使いがいる。その情報があったら教えて欲しい」
「魔法使いを?」
「ああ。捜しているのは、不死の研究をしている魔法使いだ。そいつに関する情報なら何でもいい。何か知らないか?」
「……知らないわ」
そもそも魔法使いはその絶対数が少ない。それはなるための方法が特殊であること、そして忌み嫌われた存在であるために世間の目から逃れるために自分の情報を隠すからだ。そのため、特定の魔法使いを見つけ出すのは相当に難度が高い。
「それじゃあ二つ目だ……あんた、魂喰いはするのか?」
ドクン……と心臓が高鳴った。魔物は人間の魂を喰らう事でその力を高めることができる。そして、魔法使いは人間がその力を持った存在でもある。彼女たちが人々に忌み嫌われている理由がまさにそこにあった。
「答えてくれ。あの時火事の中に飛び込んだのだって見方によってはあの子の魂を狙っていたからとも解釈できる。そして、そのためにあんたが火事を起こしたとも見ることだってできる」
昼間見たおどけた感じはなく、真剣なアルトの眼差しにスピカも息をのむ。もしかしてこちらの方が本当の顔なのか――ただ、はぐらかして答えるべきではない雰囲気を彼女もひしひしと感じ取っていた。
「しない……むしろ一度もしたことがない」
だからスピカは正直に答えた。それが、自分が魔法使いであると言う事を肯定するという意味があるとわかっていながら。
「じゃあその手の治療は魂喰いでやったことじゃないんだな?」
「そうよ……信じてくれないかもしれないけど」
魔法使いが外傷を治療する手段は多い。一つは人間と同じ医療による治療、一つは回復魔法による治療、一つは魂喰いによる生命エネルギーの充填による回復だ。
「じゃあ回復魔法か、特性ってことか」
「……それ以上は言えないわ」
「だろうな」
そしてもう一つ、手段があるとすれば「特性」と呼ばれる特殊な能力だ。魔法使いはそれぞれこの特殊能力を独自に持つ。これによって身体機能や自然治癒力の変化が起きることは有り得る。だが、それを魔法使いが口外することはない。それは魔法使いにとって最も秘匿しなくてはならない情報の一つだからだ。
「もちろんあなたを殺す気もないし、私が魔法使いであることは、あなたに黙っていてとお願いする事しかできない……虫のいい話だと思うけど」
「……いいさ、信じるよ。それに魔法使いだってことも黙っておくさ」
アルトが息をついて体の力を抜く。その様子に張りつめていた空気が緩んだ。意外なほどにあっさりと信じてくれたことにスピカは正直面食らった。
「……ずいぶん簡単に信じるのね」
「本当に魂を喰らう気ならあの時、俺たちを助ける必要なんてなかった。それでもあんたは怪我をするのも構わずに飛び込んで来ただろ。あれで十分さ」
「あ……」
今思い出したと、スピカが間の抜けた声を出す。思わずアルトは笑ってしまった。
「そのことを言わずに『信じてくれ』だろ。これは嘘がつけない奴だなって思ったんだよ」
「……苦手なだけよ、嘘が」
ひとしきり笑った後、アルトは表情を引き締める。そしてスピカに対して深々と頭を下げた。
「俺も山越えに同行することになったんだ。明日から一緒に行動するんだし、できるだけ不安な要素を残したくなかった。こんなことして悪かったな」
「……当然よ。誰だって魔法使いと一緒になんていたくないもの」
「そうか? あんたみたいな奴なら俺は構わないって思うぜ」
俯くスピカにアルトは右手を差し出す。その手に少し戸惑う。
「……え?」
「握手だよ」
「……気にならないの?」
「魂喰う気はないんだろ?」
魔法使いに関する悪評は多く、手を触れるだけで魂を喰われるという誤解すら存在するくらいだ。だから、スピカは魔法使いと知られてから自分に触れようとした人は覚えている中にはいない。
「何となくだけど、あんたは悪い奴には思えなくてな。魔法の力を持っていてもその使い方には信念があるような気がするんだ。絶対に悪用だけはしない。そんな奴を嫌う理由なんてないだろ?」
「……うん」
恐る恐るスピカも手を伸ばす。どこかで拒絶されるのではないか、そんな思いが彼女の動きを鈍らせていた。そんな彼女に、アルトがさらに踏み込んで手を取る。
「あ……」
「明日から少しの間だけど、よろしくな」
「……よ、よろしく」
魔法使いと知っても偏見無く接してくれる人など、果たしてこの世界にどれだけいると言うのか。屈託のない笑顔を向けて来るアルトに、少しだけスピカは心が軽くなった気がした。
「……さて、明日も早いからそろそろ寝るか」
「あ、ねえアルト……」
「そうそう、もっと気楽に話してくれよ。どうせ年齢もそんなに違わないだろ?」
「うん、アルト……ありがとう」
「……こいつは礼を言われるほどのことじゃないさ。それじゃ――」
手を振って部屋を出て行くアルト。だが、突如かかった声にその歩みが突如止まった。
「スピカちゃん、まだ起きているかい?」
「エニフさん?」
扉の向こうからエニフの声が聞こえた。
「伝え忘れていたことがあってね、ちょっといいかい?」
「はい、ちょっと待ってくださ――」
「バ、バカ!?」
扉を開けようとしたスピカの前にアルトが慌てて割り込んで制する。
「なに?」
「今のこの状況をエニフさんにどう答える気だ?」
「あ」
言われてスピカも気づく。年頃の男女が夜中に同じ部屋に二人きりで密談。間違いなく誤解される状況だ。
「ちょっと、私まで誤解されるじゃない!」
「俺もそんなつもりはねえよ!」
「スピカちゃん、誰かいるのかい?」
「え、ええっと、いえ、その……ごめんアルト!」
「……はい?」
「てやあーっ!」
「おわーっ!?」
スピカの謝罪が聞こえた次の瞬間、アルトの体が綺麗に宙に弧を描いた。床に叩きつけられる音を聞き、何事かとエニフが扉を開いた。
「騒々しいね、いったい何をして……何してるんだい?」
扉を開けたエニフが表情を引きつらせる。彼女が見たのは床にアルトの顔を押し付け、腕を取って関節を極めているスピカの姿だった。
「痛だだだだ! 何すんだおい!?」
「うっさい! か弱い乙女の部屋に忍び込んだのは事実でしょ!」
「いやそうだけど、よりにもよって、その扱いはないだろ!?」
「……ごめん」
慌てていたとはいえ、アルトを部屋に忍び込んだ――事実そうなのだが――変質者として取り押さえていることにしてしまったことを、スピカは小声で謝罪した。
「えっと、エニフさん。ご用は?」
ジタバタと暴れるアルトを押さえつけながらスピカはぎこちない笑顔を作って振り向く。
「あ、ああ。いや、そこの坊やが生きていたってことをあんたに伝えようと思っていたんだけど……その必要はなさそうだね。で、夜這いでもかけられて叩きのめしていたってところかい?」
「そ、そんな所です」
「違ああああう!」
パニックになっているスピカは機転の利いた言葉を返せず、口を開くほどにアルトは立場を悪くしていた。アルトは気づく。スピカは「嘘が苦手」と言ったが、あれは間違いだと。彼女は嘘が下手なのだ。しかも恐ろしいまでに。
「……まあ、明日に支障が無いようにね」
「は、はい。腕の一本くらいで済ませておきます」
「ちょっと待って!?」
呆れながらエニフは部屋を後にする。組み敷かれた体勢のまま、アルトは大きくため息をついた。
「……あんたのせいで俺の名誉が大変なことになったんだが」
「あはは、ごめん……つい」
「まったく……しかし、なんつー馬鹿力だ。自称”か弱い乙女”が出す力じゃないだろこれ」
「……なんですって」
ゆっくりとスピカが体重をかける。彼女に「馬鹿力」の一言は禁句だ。
「待って待って! ぎゃー、折れる!? マジで折れるから!」
「ごめんね。腕一本で済ませてあげるから」
「やめてーっ!?」
アルトの悲鳴が響く中、夜は更けていくのだった。
椅子に腰かけて部屋でくつろいでいたのは、まぎれもなく先程、燃え盛る家の中で陥没した床にのまれて炎の中に消えたはずのアルトだった。あまりの驚きにスピカは唖然とする。
「何で……だってあの時」
「生きてる生きてる。足もちゃーんとあるから。まあ、下の階に落ちた時は死ぬかと思ったけどな」
そう言って椅子から立ち上がり、足があることをアピールする。その体には火傷や怪我の類、それどころか服にも燃えたような跡は見えなかった。
「俺のことよりも、あんたの方こそ大丈夫なのか?」
「え?」
アルトが手の平を指し示す。
「落ちて来た梁を受け止めた時に火傷したんじゃないかと思ってさ。一応助けてくれたことだし、お礼にね」
「……結構よ」
そう言って、懐から傷薬を取り出したアルトからスピカは腕を組んで掌を見せないようにする。
「まあ、そう言いなさんな。自分を助けて女の子の肌に消えない傷を付けちまったなんて俺としても気分が悪いからさ、よく効く薬を持ってきたんだ」
「必要ないから大丈夫よ」
「ふーん、『必要ない』ね……」
アルトが腕組みをしてじっとスピカを見る。そして、突然手に持っている傷薬のビンを投げつけた。
「何を!?」
「おっと!」
咄嗟に手でビンを腕で防いだスピカにアルトが距離を詰める。驚く彼女の腕を取り、その掌を強引に自分の方へと向けさせた。
「……やっぱりな。治ってる」
スピカの掌は傷のない綺麗なまま。先程焼ける梁を受け止めて焼けただれた傷も、その痕も何も残っていなかった。
「なるほどね、これだけの回復力があれば火の中でも飛び込んで行けるよな」
「……いったい何が言いたいの」
「魔法使いだろ、あんた?」
その言葉にスピカの表情が強張る。手を振り払って距離を取り、出口を塞ぎ警戒の眼差しで睨みつける。だが、アルトは涼しい顔で返す。
「手荒なことはしない方がいいと思うぜ。正体がバレて困るのはそっちだろ?」
「くっ……」
アルトの言うとおりだった。自分が魔法使いであることを知られてしまっては宿から、いや、町からも追い出されてしまう。そうなれば苦労して得た山越えのチャンスもなくなってしまう。
「まあ落ち着けよ。あんたに聞きたいことがあるんだ」
「……聞きたいこと?」
「ああ、それさえ答えてくれれば、このことは誰にも言わない。一人で来たのだってそのためだ」
「……何を聞きたいの?」
スピカは警戒を解かず、アルトから距離を取ったまま問いかける。アルトもその場で指を二本立てて問いを発した。
「聞きたいことは二つ。まず、俺は捜している魔法使いがいる。その情報があったら教えて欲しい」
「魔法使いを?」
「ああ。捜しているのは、不死の研究をしている魔法使いだ。そいつに関する情報なら何でもいい。何か知らないか?」
「……知らないわ」
そもそも魔法使いはその絶対数が少ない。それはなるための方法が特殊であること、そして忌み嫌われた存在であるために世間の目から逃れるために自分の情報を隠すからだ。そのため、特定の魔法使いを見つけ出すのは相当に難度が高い。
「それじゃあ二つ目だ……あんた、魂喰いはするのか?」
ドクン……と心臓が高鳴った。魔物は人間の魂を喰らう事でその力を高めることができる。そして、魔法使いは人間がその力を持った存在でもある。彼女たちが人々に忌み嫌われている理由がまさにそこにあった。
「答えてくれ。あの時火事の中に飛び込んだのだって見方によってはあの子の魂を狙っていたからとも解釈できる。そして、そのためにあんたが火事を起こしたとも見ることだってできる」
昼間見たおどけた感じはなく、真剣なアルトの眼差しにスピカも息をのむ。もしかしてこちらの方が本当の顔なのか――ただ、はぐらかして答えるべきではない雰囲気を彼女もひしひしと感じ取っていた。
「しない……むしろ一度もしたことがない」
だからスピカは正直に答えた。それが、自分が魔法使いであると言う事を肯定するという意味があるとわかっていながら。
「じゃあその手の治療は魂喰いでやったことじゃないんだな?」
「そうよ……信じてくれないかもしれないけど」
魔法使いが外傷を治療する手段は多い。一つは人間と同じ医療による治療、一つは回復魔法による治療、一つは魂喰いによる生命エネルギーの充填による回復だ。
「じゃあ回復魔法か、特性ってことか」
「……それ以上は言えないわ」
「だろうな」
そしてもう一つ、手段があるとすれば「特性」と呼ばれる特殊な能力だ。魔法使いはそれぞれこの特殊能力を独自に持つ。これによって身体機能や自然治癒力の変化が起きることは有り得る。だが、それを魔法使いが口外することはない。それは魔法使いにとって最も秘匿しなくてはならない情報の一つだからだ。
「もちろんあなたを殺す気もないし、私が魔法使いであることは、あなたに黙っていてとお願いする事しかできない……虫のいい話だと思うけど」
「……いいさ、信じるよ。それに魔法使いだってことも黙っておくさ」
アルトが息をついて体の力を抜く。その様子に張りつめていた空気が緩んだ。意外なほどにあっさりと信じてくれたことにスピカは正直面食らった。
「……ずいぶん簡単に信じるのね」
「本当に魂を喰らう気ならあの時、俺たちを助ける必要なんてなかった。それでもあんたは怪我をするのも構わずに飛び込んで来ただろ。あれで十分さ」
「あ……」
今思い出したと、スピカが間の抜けた声を出す。思わずアルトは笑ってしまった。
「そのことを言わずに『信じてくれ』だろ。これは嘘がつけない奴だなって思ったんだよ」
「……苦手なだけよ、嘘が」
ひとしきり笑った後、アルトは表情を引き締める。そしてスピカに対して深々と頭を下げた。
「俺も山越えに同行することになったんだ。明日から一緒に行動するんだし、できるだけ不安な要素を残したくなかった。こんなことして悪かったな」
「……当然よ。誰だって魔法使いと一緒になんていたくないもの」
「そうか? あんたみたいな奴なら俺は構わないって思うぜ」
俯くスピカにアルトは右手を差し出す。その手に少し戸惑う。
「……え?」
「握手だよ」
「……気にならないの?」
「魂喰う気はないんだろ?」
魔法使いに関する悪評は多く、手を触れるだけで魂を喰われるという誤解すら存在するくらいだ。だから、スピカは魔法使いと知られてから自分に触れようとした人は覚えている中にはいない。
「何となくだけど、あんたは悪い奴には思えなくてな。魔法の力を持っていてもその使い方には信念があるような気がするんだ。絶対に悪用だけはしない。そんな奴を嫌う理由なんてないだろ?」
「……うん」
恐る恐るスピカも手を伸ばす。どこかで拒絶されるのではないか、そんな思いが彼女の動きを鈍らせていた。そんな彼女に、アルトがさらに踏み込んで手を取る。
「あ……」
「明日から少しの間だけど、よろしくな」
「……よ、よろしく」
魔法使いと知っても偏見無く接してくれる人など、果たしてこの世界にどれだけいると言うのか。屈託のない笑顔を向けて来るアルトに、少しだけスピカは心が軽くなった気がした。
「……さて、明日も早いからそろそろ寝るか」
「あ、ねえアルト……」
「そうそう、もっと気楽に話してくれよ。どうせ年齢もそんなに違わないだろ?」
「うん、アルト……ありがとう」
「……こいつは礼を言われるほどのことじゃないさ。それじゃ――」
手を振って部屋を出て行くアルト。だが、突如かかった声にその歩みが突如止まった。
「スピカちゃん、まだ起きているかい?」
「エニフさん?」
扉の向こうからエニフの声が聞こえた。
「伝え忘れていたことがあってね、ちょっといいかい?」
「はい、ちょっと待ってくださ――」
「バ、バカ!?」
扉を開けようとしたスピカの前にアルトが慌てて割り込んで制する。
「なに?」
「今のこの状況をエニフさんにどう答える気だ?」
「あ」
言われてスピカも気づく。年頃の男女が夜中に同じ部屋に二人きりで密談。間違いなく誤解される状況だ。
「ちょっと、私まで誤解されるじゃない!」
「俺もそんなつもりはねえよ!」
「スピカちゃん、誰かいるのかい?」
「え、ええっと、いえ、その……ごめんアルト!」
「……はい?」
「てやあーっ!」
「おわーっ!?」
スピカの謝罪が聞こえた次の瞬間、アルトの体が綺麗に宙に弧を描いた。床に叩きつけられる音を聞き、何事かとエニフが扉を開いた。
「騒々しいね、いったい何をして……何してるんだい?」
扉を開けたエニフが表情を引きつらせる。彼女が見たのは床にアルトの顔を押し付け、腕を取って関節を極めているスピカの姿だった。
「痛だだだだ! 何すんだおい!?」
「うっさい! か弱い乙女の部屋に忍び込んだのは事実でしょ!」
「いやそうだけど、よりにもよって、その扱いはないだろ!?」
「……ごめん」
慌てていたとはいえ、アルトを部屋に忍び込んだ――事実そうなのだが――変質者として取り押さえていることにしてしまったことを、スピカは小声で謝罪した。
「えっと、エニフさん。ご用は?」
ジタバタと暴れるアルトを押さえつけながらスピカはぎこちない笑顔を作って振り向く。
「あ、ああ。いや、そこの坊やが生きていたってことをあんたに伝えようと思っていたんだけど……その必要はなさそうだね。で、夜這いでもかけられて叩きのめしていたってところかい?」
「そ、そんな所です」
「違ああああう!」
パニックになっているスピカは機転の利いた言葉を返せず、口を開くほどにアルトは立場を悪くしていた。アルトは気づく。スピカは「嘘が苦手」と言ったが、あれは間違いだと。彼女は嘘が下手なのだ。しかも恐ろしいまでに。
「……まあ、明日に支障が無いようにね」
「は、はい。腕の一本くらいで済ませておきます」
「ちょっと待って!?」
呆れながらエニフは部屋を後にする。組み敷かれた体勢のまま、アルトは大きくため息をついた。
「……あんたのせいで俺の名誉が大変なことになったんだが」
「あはは、ごめん……つい」
「まったく……しかし、なんつー馬鹿力だ。自称”か弱い乙女”が出す力じゃないだろこれ」
「……なんですって」
ゆっくりとスピカが体重をかける。彼女に「馬鹿力」の一言は禁句だ。
「待って待って! ぎゃー、折れる!? マジで折れるから!」
「ごめんね。腕一本で済ませてあげるから」
「やめてーっ!?」
アルトの悲鳴が響く中、夜は更けていくのだった。
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