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いきなり異世界トリップ

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「奈緒、今日はもうあがっていいよ。あっ、このコーヒーだけ3番テーブルに運んでくれ」

「はーーい」

 奈緒は元気に返事をすると、業務用スマイルを張り付けて3番テーブルに向かいました。
 可愛らしいメイド服のコスプレを着ている奈緒は、下手なアイドルよりもずっと整った顔をしています。

「お待たせ致しました。ご主人さま。あったかーいコーヒーをお持ちしました。砂糖とミルクはどうしますか?」

 奈緒がにっこりとほほ笑むとお客様は、ちょっぴり気取って言います。

「ブラックでいいけど、魔法の呪文は忘れないでな」

「かしこまりました。御主人さま。とっておきの魔法の呪文を唱えますね。お・い・し・く・な・ぁ・れ。愛情たっぷりーー」

 奈緒が御主人さまの前で、指をまあるく回転させて、語尾にハートマークをくっつけると、御主人さまは大いに満足したようです。


「いやぁーー。奈緒ってホントに偉いよ。塩対応なんてしたことないでしょ」
 
 ロッカー室で私服に着替えていると、先輩メイドがそう言いましたが、奈緒にとってはこのバイトは生命線なのです。

 幼いころから児童養護施設育ちの奈緒は、実は最近は学校もサボっているし、施設へも帰っていない。
 お金がなければたちまち困ってしまうのだから、真面目に仕事をするのは当たり前でしょう。

「うーん。宮武先輩んところでも行ってみるかなぁ。うまくいけば今夜のねぐらがゲットできるかも」

 奈緒は中学時代の先輩で、妙に奈緒を気遣ってくれた女性の顔を思い浮かべました。
 施設に戻れば、高校にいかないことを責められて、下手をすればどこかの会社の寮に入れられるかもしれません。

 奈緒は歌手志望で、こっそりとオーデションを受け続けているのだから、管理の厳しい場所は困るのです。

 奈緒は今夜のねぐらのことを考えながら、メイドカフェの従業員出口を出たのですが、そんな心配なんて意味がないことになってしまいました。


 グラグラと眩暈に襲われて座り込んだ場所は、砂埃の舞い上がる路傍だったのです。

 東京育ちの奈緒にとって、この砂埃というのが既に未知のものだし、しかも夕方だったはずなのに、すでに日はどっぷりとくれてあたりは薄闇が包んでいます。

 通りかかる人々の服が、奈緒からみればおそろしくダサいのだから、ここは東京とは思えません。

「おい、道路の真ん中にしゃがみ込んだら邪魔だろうが。どうした気分でも悪いのか? 」

 そう声をかけてきた青年は金髪で青い目、がっしりとした体格に見えるのは奈緒が華奢な日本人であるからかもしれません。

「ありがとう。ちょっと目が回って。でも、もう大丈夫」
 
 奈緒が立ち上がるのに、青年が手を貸してくれました。

「目がまわったって、もしかして今日の仕事にあぶれて飯を食いそこねたのか? 黒髪に黒目なんて珍しいなぁ。お前ここに流れてきたの最近だろ。良ければオレらのチームに入らないか? 稼ぎは全部チームに渡す。そのかわり衣食住には困らないし、稼ぎに応じて小遣いも渡すから、壁外初心者なら条件はいい方だぜ」

 稼ぎを全部吸い取られるなんて冗談じゃないとは思ったものの、全く右も左もわからない場所で、仕事を見つけるのも困難だろう。

 どう考えても、ここは未知の世界だから、きっといわゆる異世界トリップをしたんだろうと奈緒はそう思いました。

 嫌になれば逃げだせばいい。
 奈緒はそう決めこむと、その青年の手を取ることにしたのです。


「よろしく頼むわね。私は水沢奈緒。奈緒が名前で水沢が家名よ。年齢は16歳。歌手をしているの」

「はん! ガキが背伸びすんな。どう見たっていいとこ6歳くらいだろうが。それから壁外で家名なんか持ち出すな。そのお綺麗な手や髪をみれば、出自がいいのはわかるが、ここにいるのは全員、身分なんぞない最底辺の人間だ。そこを弁えないと早死にするぞ!」

 そう言う男はカムイと名乗った。
 年齢は12歳だというけれど、どう見たって立派な大人にしかみえない。

 奈緒は自分が6歳児に間違えられたことといい、この男が12だと言うことといい、どうやらこちらの人間の年齢については日本とは、かなり違っているのだろうと思いました。
 
 ともかくカムイの方がどう見ても大人で、しかもチームのリーダーらしい。
 生きていくのに、それがわかれば十分です。

 カムイが案内してくれたのは、壁に寄りかかるように作られた掘立て小屋みたいなもので、中は布で間仕切りが作られていました。

「カムイ、どうしたの? また新しい子どもを拾ったの?」

 そう言いながら小屋の中に奈緒の場所をせっせと作ってくれたのは、栗毛と茶色の瞳を持つ奈緒とさほど年頃の変わらなそうな女の子です。

「ナオっていうのね。私はアリス。もう8歳になるからナオよりお姉さんね。なんでも聞いてちょうだい」

 そんなことを言っても、どっちかというと奈緒よりよほどふわふわとして、頼りなさそうに見えてしまうのです。
 奈緒は最初、アリスのことを栗鼠みたいだと思ったぐらいでしたから。
 
 アリスはどこか小動物を思わせる可愛らしさがありました。


「カムイ。私は今日5銅貨稼いだわよ。それにリムばあさんが芋をわけてくれたわ」

「へぇ、けっこう稼いだな。オレは30銅貨だ」

 そう言いながらアリスとカムイは銅貨をテーブルの中央に積み上げていきます。
 奈緒は自分が何も渡せないので、しょんぼりとしてしまいました。

「そうしょんんぼりするな。お前、今日からチームに入ったのか? 随分小さいのによく壁外まで辿りついたな。その根性があれば、壁外でだって生きていけるわよ」

 ふわっと、背中から奈緒に誰かが抱き着きました。
 胸が奈緒の背中に押し付けられたから、女性でしかも赤毛みたいです。
 ふわふわの赤い髪が、奈緒の首にあたりで揺れていました。

「あっ、シリルおかえり」

 アリスがそう声をかけましたから、この豊かな胸の持ち主はシリルという名前みたいです。

「今日は20銅貨だ。ソルが50銅貨稼いだみたいだけど、今日のショバ代としてメルバの旦那んとこに持っていくってさ」

 そうしてテーブルの上には55銅貨が積み上がりました。

「50銅貨だなんて、ソルの野郎いい仕事にありついたな」

 カムイがそういうと、ちょうどそこにソルらしい男が帰ってきました。

「いやぁ、メルバの旦那のところで厄介事があってよ。今日は用心棒として雇われたんだ」

 ソルっていう人は用心棒をやるだけあって、とってもごつい身体をしていました。
 けれど鳶色の目はやさしくて、穏やかな熊さんみたいな人です。
 茶色の髪をしていましたが、ここには茶色の髪や茶色い瞳の人が多いようです。


「こいつはどうやら自分の年齢を知らないらしい。16歳だなんてぬかしてやがったからな」

 カムイがそう暴露したので、奈緒はみんなから可哀そうな子供を見る目をされてしまいました。

「そうねぇ。まぁ5~6歳ってところでしょう。そろそろ仕事を覚えてもいい年頃ね。ナオあなたしばらくはアリスについて家事をしたり、リムばあさんの八百屋を手伝ったりなさい。ナオがアリスの代わりが出来るようになれば、そろそろアリスには壁内の仕事を回してもらうから」

 せっせと食事の支度をしながら、シリルはそう言いました。
 みんなで稼いだのが全部で105銅貨。
 その内、毎日50銅貨がショバ代で持っていかれて、残りは55銅貨です。

 いったい1銅貨あれば、何が買えるのか教えて貰ったところ、大き目のパンが1つ買えるそうです。
 日本だと100円位なのでしょうか?

 古着で5銅貨から10銅貨。靴も同じくらいだといいますから、やっぱりそんなものかもしれません。

 
 奈緒は真剣にこれからのことを考えて、自分が異世界から来たことを打ち明けることにしました。
 見知らぬ子供を拾ってくれるあたり、彼等はきっとお人よしです。
 
 たぶん奈緒は、とっても運の良い出会いをしたんだと思うのです。
 だったら、ちゃんと正直に話しておこうと奈緒は思いました。

 別に奈緒は彼等を信頼しきってしまうつもりも、なれ合うつもりもありません。
 奈緒は、そこまで人を信頼できるような、甘い育ち方はしていません。

 けれども奈緒は、秘密を隠し持つのが苦手なのです。

 嘘をつくよりも本当の事を言う方が楽だから、奈緒はそんな単純な理由で自分の運命をこの壁外でささやかながらも必死で生きている若者たちに委ねてしまいました。

 彼等の夕食はアリスが作ったスープと、それに固いパンです。
 パンはスープにいれて、ふやかして食べます。

 その上、今日の夕食にはリムばあさんから貰った芋で、アリスがマッシュポテトを作ってくれたので、いつも以上にお腹にたまる食事だったのです。

 だから奈緒の話も、すっかり満腹した若者たちにとっては、それほど重大な打ち明け話だとは思いませんでした。

 若者たちも壁外に流れつくには、様々な事情を抱え込んでいました。

 普通なら農民であれ、商人であれ国に戸籍があって、税金を支払ったり国から保護して貰ったりします。

 どこの国だって村や町には大きな城壁があって、盗賊や敵の襲撃から身を守ることができます。

 壁外にいる人間というのは、税金が払えなかったり、他国から亡命してきたりして戸籍のない人々なので、国だって保護なんてしてくれません。

 税金を取り立てることもありませんが、その代わりに保護もしません。
 そうはいっても壁外の安い労働力は魅力なので、毎朝壁外には女衒と呼ばれる男たちが人手を募ります。

 仕事をするという証明書さえあれば、壁外の人間だって壁内に入ることができますし、給金の一部は税として支払いますから、本当は壁外の人だって税金は払っているんですけれども。

 そんな雇用の安全弁として、安価で便利な労働力としてしか見られていない若者たちにとって、ナオがどこから来たってあんまり関係がなかったのです。

 仲間たちがそんな風でしたから、奈緒だって自分がそれほど重要な人間だとも思う事もなく、日々を過ごしていたんです。

 あの悪意に満ちた囁きを受け止めることになった、あの日までは……。
 
 
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