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51.ウーンデキム祭(下)
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時の録を返してもらうとき、ルイーズ嬢はこう言ってた。
『この魔道具を使えるのは二時間程度だっていってたよね。だから、おもしろそうな気配がしたときだけ使ったよ』
庭園での表彰式の次に映し出されたのは、屋内だった。授賞式後の宴会かな。
アルバートがなにか話してる。王族だから、あいさつをしてくれっていわれたっぽい。彼は、ウーンデキム祭の盛況っぷりとかシャインフォード公爵への賛辞とかあたりさわりのないことを口にしたあと、一呼吸おいてこう言った。
『また、今回の受賞者のなかに私とおなじ学園に通う生徒がいることを喜ばしく思う』
アルバートの視線の先を魔道具が映す。人の輪から少し外れたところに、案の定エミリア嬢がいた。
『芸術を愛する者たちの栄えある集いに、五の月を冠する新たな賞が加わったこと、そしてそれを年若き者が成したことは、王立イスヴェニア学園さらに我らがイスヴェニア王国の盛栄と躍進を示すものである』
くちびるの両端をほんの少しだけ上げて、アルバートが上品にほほ笑んだ。それは最初にエミリア嬢によせられて、それから会場全体に向けられた。
エミリア嬢をおんなじ学園の生徒だって話すことで露骨なひいきや寵愛っていうかんじにはせず、でも功績を認めて、クィーンクェ賞をとった人間の顔をあらためて広めてみせた。それに、ほほ笑みひとつで会場中の人間にイスヴェニア王国民としての愛国心をかきたてた。
こういうのを不自然じゃなくやれるのは、素直にすごいや。
『私が「年若き者」というのは、少々抵抗があるがな。なにせ私は、クィーンクェ賞を授けられた者よりも若いのだから』
アルバートの冗談に、軽い笑いがおこる。
『ほう、ほう。クィーンクェ賞を受けた芸術家が若ければ、アルバート王子殿下はそれよりさらにお若いと。これは、もう年寄りの出番はありませんな。私は今年でおとなしく引退し、この催しも次の世代に譲ることにいたしましょう』
『シャインフォード公爵、私は今年の一の月にイスヴェニア国王陛下に貴公がなんと言ったかきいている。賢歴となる六十歳を祝う品への希望を問われると、貴公は敬歴の祝賀にも国王陛下においでいただく誉を望んだのだろう。次なる十二年を壮健に過ごすつもりの賢人が引退など、冗談にもならん』
アルバートの近くに立ってる銀髪の男性が、シャインフォード公爵らしい。背が高くて、肩幅があって、姿勢がいい。声には張りがあるし、すごく元気でカッコよさそうな人だ。
『私とともにからかわれた淑女が、驚いているではないか』
『おお、それは申し訳ない。人の悪い老人に慣れておられるアルバート王子殿下はともかく、純真なお嬢さんを驚かせるつもりはないですからな』
アルバートとシャインフォード公爵が、エミリア嬢に軽くうなずいてみせた。
『素晴らしい冠の出品をありがとう、心が若返るようだったよ。どうか心ゆくまで宴をお楽しみあれ、五の月に愛されし芸術家のお嬢さん』
シャインフォード公爵が、茶目っ気たっぷりにエミリア嬢に向かって片目を閉じた。
突然たくさんの人から注目されたエミリア嬢は、緊張のあまりこのとき卒倒寸前だったそうだ。
アルバートはさらに二言、三言添えてあいさつを終えた。次の貴賓が紹介される途中で、映像は切れた。
ウーンデキム祭の賞に、アルバートは介入していない。だからクィーンクェ賞をとったのは、純粋にエミリア嬢の実力だ。ただアルバートは、彼女が高く評価されることがあったら、そのときは後押しをするつもりでいたらしい。
後日アルバートは、事前にシャインフォード公爵に、あいさつのなかでクィーンクェ賞の受賞者についてふれるつもりだって話しておいたって教えてくれた。それにのっかって、公爵もエミリア嬢に声をかけたわけだ。
アルバートが、公爵の長話につきあわされてきたツケを払ってもらうっていってたのは、このことか。
さて、新しく再生板に現れたのは、小柄な男性だった。
歳は、俺の父さまより少し若いくらいかな。左右の端がピンと跳ね上がった黒い口ひげが目立つ。細い目とか薄いくちびるとか、傲岸そうなあごの上げ方とか、なんかこう全体的に面倒くさそうでこだわりが強そうだなあ。
ルイーズ嬢の声がきこえた。
『こっちだよ、パーマー卿』
『ふうむ、ルイーズ殿は、なにを企んでいるのやら』
『ひどいな、純粋に人を紹介したいだけなのに。ああ、いたよ』
時の録が、つまりそれをつけたルイーズ嬢がエミリア嬢に近づいていく。さっきの宴会場だろうな。偉い人たちのあいさつが終わって、歓談の時間に入ったみたいだ。
『エミリア・チャップマン嬢、受賞おめでとう』
『ルイーズさま、ありがとうございます』
見知った人間をみつけて、エミリア嬢が安心したように顔をほころばせた。
『五の月は、きらめく日射しの下で草が萌えつぼみが花ひらく希望に満ちた季節だね。いつも明るく愛らしいあなたに、もっともふさわしい月さ。今日、あなたがこの月の主になったのは至極当然というわけだ』
ルイーズ嬢は、エミリア嬢の手をとって甲にくちづけた。
『アルバート王子殿下同様、わたしもあなたとおなじ学園の生徒であることを誇りに思うよ』
『誇り、なんて! わたしは、いえ、まさかそんなっ……!』
ルイーズ嬢がもたらした安心感は、ルイーズ嬢によって破壊された。
そんなたいそうな人間じゃないってあわてるエミリア嬢をさらに褒めちぎってから、ルイーズ嬢は彼女を隣の小男に引き合わせた。
『彼はパーマー子爵という。ひねくれ者だから気をつけて。評論家で、この催しの審査員でもある。今回、エミリア嬢の冠に難癖をつけた人間の一人だよ』
『やあやあ! 貴殿が「泡沫の彩冠」を制作したのか。あの若さの極みのような、勢いだけの美的感覚と、底の浅い造形と、病的なまでの技巧! 美の泉の深さをつゆ知らず、それゆえその縁で跳ね踊ることができる軽率さ!』
『は、はじめまして、エミリア・チャップマンと申します』
エミリア嬢は、パーマー子爵の怒涛のしゃべりに気圧されてる。再生された映像をみてるだけの俺も、なんだこの人って引いた。
『いやはや、貴殿はいったいなんというものを出品したのかね。けしからん! おもしろい!』
『すみません! でも、あの、恐れ入りますが……、わたしは「泡沫の彩冠」というものを作ったおぼえはございません。他の方と、おまちがえではないでしょうか?』
『貴殿は、クィーンクェ賞を受賞したのだろう。そうであればまちがいない。登録名は、金冠だったか宝冠だったか? 冠の出品は他にもあり紛らわしいので、審査会でそう呼んだのだ。さて「泡沫の彩冠」だが、なんと軽い作品だ! 軽やかではなく、軽い。貴殿にはこの違いがわかるかね』
『軽い……?』
『まあ、わからんだろう。わかっていれば、あのような作品をつくるはずがない。つまり軽さというものは――』
パーマー子爵は、話す量が多いだけじゃなくてめちゃくちゃ早口な人だった。エミリア嬢に訊いてるけど、彼女が答えるまえにことばを重ねるから、結局ひとりでしゃべりまくってる。横のオードリー嬢は、芸術話だから自分が入っていいのかどうか判断できないみたいだ。
オードリー嬢が空気を読もうとしてるなか、エミリア嬢とパーマー子爵の会話に割りこんできた男がいた。
『エミリア、ここにいたのか』
うおっ、ロバートだ! こいつも参加してたのか。
エミリア嬢は反射的におどおどした目になって、オードリー嬢は汚物を見るような目をした。
『ウーンデキム祭に、チャップマン男爵家から二人も出品するとはな。ところで、なぜおまえは金の宿り木工房の名前で出さなかったんだ。単名にするとは、賞賛を自分が独り占めというわけか。あいかわらず常識のない意地汚いやつだ』
のっけからロバートが言いがかりをつけてきた。むしろ、なぜ金の宿り木工房の名前で出さなきゃならないんだよ。うん、常識がなくて意地汚いのはそっちだね!
しかしロバートは、表情は不気味なくらいにこやかで親し気にエミリア嬢に話し続ける。成り行き上、彼女は兄のことをパーマー子爵に紹介した。
『ロバート・チャップマンと申します。金の宿り木工房の工房長を務めております』
『ほう』
『パーマー子爵でいらっしゃいますね。子爵の芸術へのご慧眼については、かねがねうかがっておりました。いつかお目にかかりたいと願っていた次第です』
ひじょうに低姿勢のロバートである。
俺からしたらしゃべり魔の変なおじさんだけど、考えてみるとルイーズ嬢がわざわざエミリア嬢に紹介したんだよな。審査員だともいってたし、芸術関係では名が売れてる人なのかな。
『パーマー子爵のお眼鏡にかなったものはあまねく世間の耳目を集め、鋭利な舌鋒に切り刻まれたものは無残な骸と成り果てるといわれています。評論家として名高い子爵とことばを交わせることは、金の宿り木工房長として身にあまる光栄にございます』
『ほう』
『今回のウーンデキム祭に、私も出品いたしました。左翼第三室の「実り豊かなる季節の鳥杯」です』
『ああ、あれか』
『ご覧いただけましたか! あの杯は、私がとくに技術の粋をもって作り上げた作品なのです!』
パーマー子爵は、どうやら辛口の芸術評論家として名をはせているらしい。ロバートはエミリア嬢を足がかりにして、子爵に自分を売りこもうとしてるのか。金の宿り木工房は、この祭りでなんの賞も受賞しなかった。だから、ここでどうにかしようと必死なんだろう。
『子爵の御目に留まったとは、我が生涯の誉です』
『そうだな、印象に残っている』
『光栄です! あの杯は、シャインフォード地方の伝説を元にした思想あるものなのです。私は、歴史を学び、得た知識を造形に反映させること、つまり思想をもって作ることが重要であると考えております。思想なき若輩者の小手先の技術は人目を引くかもしれませんが、歳月を経ても残る作品は、やはり思想のあるものでしょう。思想に重きをおかれるパーマー子爵のお考えに、私は強く共感する次第です』
思想、思想って、うるさいぞ。賭けてもいい、ロバートに思想はない。ただパーマー子爵がそう言ってるからのっかってるだけだろう。思想があったら、エミリア嬢の案を盗むわけがない。
とはいえ、ロバートの舌はよく動く。口下手なエミリア嬢と並んだら、作品の出来とは別に彼のほうに注意が向いてしまう。そうやって自分を良くみせるのは上手いんだな。
パーマー子爵は、しゃべり続けるロバートにひとこと言った。
『なんともちぐはぐな作品だったゆえ、印象に残っておる』
『ちぐはぐ、ですか?』
『才能のかけらは、ほのみえる。しかしそれは、凡庸さという泥に覆われている。作品にこめられた意思があちこちで違う方向を向いていて、一貫した主張がない。優美さを理想としているのに、線が雑だ。主題である鳥を、羽ばたかせたいのか縛りつけたいのかがまったくわからん。しかも、繊細な造りなのに使われている石が無粋きわまりない。せめて、悪趣味にゴテゴテ飾りつけられた宝石をとりのぞくべきだな。そうすれば、本来の形状の意図が多少は現れるかもしれん』
ロバートの愛想笑いが、だんだん引きつっていく。
子爵は、ピンと立った口髭の先をひとさし指でなでた。
『ひとことで称するなら、迷走した駄作であるな』
『なっ!』
怒鳴りそうになったロバートだけど、さすがに相手と場所が悪いって判断したらしく口を閉じた。そんな彼に興味を失くした様子で、子爵はエミリア嬢に向きなおった。
『さて、クィーンクェ嬢。貴殿の作品には、このかたち、この表現でしかありえないという信念がみえる。線の曲がる角度ひとつをとってみても、わずかたりとも足しも引きもできないこれなのだと訴えておる。ああ、もちろん信念がありさえすればいいというものではないがね』
『パッ、パーマー子爵! エミリアは、金の宿り木工房の職人です。今回の出品作も、私の工房の技術を注ぎこんだものです。そうだな、エミリア』
『え……ええと……』
『ありえませんわ』
エミリア嬢だけなら、ロバートにまるめこまれたかもしれない。でも、その場にはオードリー嬢がいた。思想がどうとかって話のときは遠慮してたようだけど、ここは自分の出番だとばかりに声を上げた。
『はじめまして、パーマー子爵。わたくしはオードリー・ウェントワースと申します。とても興味深いお話でしたので、出しゃばってしまいましたわ』
『議論への参加は、どなたでも歓迎しますぞ』
パーマー子爵が人の悪そうな目つきになる。ロバートがぎろっとオードリー嬢をにらんだけど、彼女に威嚇は効かなかった。
『では、おことばに甘えまして。「泡沫の彩冠」は、エミリアが独力で作りました。金の宿り木工房など、わずかたりともかかわっておりません』
『え、いえ、私だけじゃなくてノ……』
『魔法について知人から助力を得ましたが、それだけですわ』
エミリア嬢がバカ正直に俺の協力を話そうとしたのを、オードリー嬢が切って捨てる。俺のことを説明するとややこしくなるから、これはオードリー嬢が正しい。
『パーマー子爵、エミリアは金の宿り木工房に「見習い職人」として所属しておりますが、わたくしがみたところその才をまったく活かされておりません。まあ、エミリアの成人の儀がくれば、その契約も打ち切る予定ですけれど』
『オードリーさま、これは工房のことです。エミリアはうちの職人だ。オードリーさまは関係ございません』
『そうですわね、わたくしと金の宿り木工房にかかわりはない。くり返し申し上げますが、同様に「泡沫の彩冠」も、あの工房と一切関連はございません』
水色の瞳が、たっぷりの軽蔑をこめてロバートの向けられる。
『もしエミリアが少しでも金の宿り木工房の影響を受けていたら、「泡沫の彩冠」は、もっと「凡庸」で「雑」で「宝石が悪趣味にゴテゴテ飾りつけられた」ものになっていたでしょうね』
パーマー子爵の金杯への批評を、オードリー嬢が引用してみせる。一部始終を遠巻きにみていた人たちのあいだで失笑が広がった。
『幸い「泡沫の彩冠」は、人の成果を横どりすることしかできない人間とは関係なく作成され、栄誉あるクィーンクェ賞をいただくことができましたわ』
『中傷はやめていただこう!』
『あら、わたくしは人の成果を横どりするような卑劣な人間がいるとお話ししただけで、それがどなたかは申し上げておりません。ああら、そんなに怒られるなんて、金の宿り木工房長はなにか心当たりがおありなのかしら』
『しらじらしい、私と私の工房を貶めようとしているのは明白でしょう』
『それは誤解ですわ』
オードリー嬢がにこっと笑う。
『貶められるには、まず高みにいなければなりません。わたくし、あなたがそのようなところにいるのをみたことがありませんもの』
『いわれもない侮辱をッ』
『根拠ですの? この素晴らしきウーンデキム祭において、新しい賞を設けるほど評価されたのはエミリアの「泡沫の彩冠」ですわね。それで、ご自慢の金の宿り木工房が出されたものの結果は、どうでしたの?』
とうとうオードリー嬢は、ホホホと声を上げて笑いだした。これまでの鬱憤をここぞとばかりに晴らしてる。コワイ。
『私は礼節をもってお話をしているというのに、そちらが侮言しか返されないのでは、どうしようもありませんね!』
『礼節ですって?』
オードリー嬢の片方の眉がピクッと上がった。
『もし、あなたにほんのわずかでも礼節とやらがあれば、最初にエミリアに祝いのことばを述べたでしょう。あなた、今日ひとことでもエミリアに祝辞をおくられまして? ねえ、金の宿り木工房長殿。あなた、歳のはなれた妹を踏み台にして成り上がろうと媚びへつらう以外に、ウーンデキム祭でなにかされたのかしら』
好奇の視線が二人に集中する。
まわりの人たちがもらすのは、もはや失笑じゃなくて嘲笑だ。ロバートが憤りに体を震わせるごとに、どこからきこえてくるのかわからないクスクス笑いが大きくなる。
オードリー嬢は、ロバートがなにを言おうと動じない。それなら自分の脅しが通じる妹はと、兄があせったように周囲を探す。
エミリア嬢は、舌戦に飽きたパーマー子爵につかまってた。彼女は、ロバートとオードリー嬢をとりまく人の群れの外で、しゃべくり攻撃にあってるようだった。
ロバートが宣伝したい相手は、もうここにいない。残ってるのは、大人の大男が少女に嘲笑されてるのをいい見世物だって楽しんでる人間だけだ。
『くそッ』
ロバートは歯ぎしりをすると、人波をかきわけてパーマー子爵に突進していった。
映像は、そのあたりで途切れた。
あとからルイーズ嬢にきいたら、ロバートはそれから何度もパーマー子爵の注意を自分に向けようとしたけれど、子爵からまるでそこにいないかのようにあつかわれたそうだ。それでもしつこくしがみつこうとして、最後には露骨に追い払われた。
『クィーンクェ嬢、先ほどから外野がうるさくてかなわん。談話室に行こうではないか。あそこは、身の程知らずが入ることはできないからな。私の知人たちも、すでに何人かあちらに退散しているはずだ。ご友人のオードリー嬢もご一緒されるかな。そう、ルイーズ殿もそのうち来るだろう』
『パーマー子爵、ぜひ兄である私も』
『ではクィーンクェ嬢とオードリー嬢は、こちらへ』
見事に無視されたロバートは、屈辱に顔を赤黒くさせた。けれど三人についていくことは許されず、使用人たちに止められた。結局彼は、コソコソと逃げるように宴会から退出した。
この宴会で、金の宿り木工房の評判は失墜した。
他方エミリア嬢は、期待される若手の宝飾師として一日にして有名になったのだった。
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あと2話で一区切りになります
『この魔道具を使えるのは二時間程度だっていってたよね。だから、おもしろそうな気配がしたときだけ使ったよ』
庭園での表彰式の次に映し出されたのは、屋内だった。授賞式後の宴会かな。
アルバートがなにか話してる。王族だから、あいさつをしてくれっていわれたっぽい。彼は、ウーンデキム祭の盛況っぷりとかシャインフォード公爵への賛辞とかあたりさわりのないことを口にしたあと、一呼吸おいてこう言った。
『また、今回の受賞者のなかに私とおなじ学園に通う生徒がいることを喜ばしく思う』
アルバートの視線の先を魔道具が映す。人の輪から少し外れたところに、案の定エミリア嬢がいた。
『芸術を愛する者たちの栄えある集いに、五の月を冠する新たな賞が加わったこと、そしてそれを年若き者が成したことは、王立イスヴェニア学園さらに我らがイスヴェニア王国の盛栄と躍進を示すものである』
くちびるの両端をほんの少しだけ上げて、アルバートが上品にほほ笑んだ。それは最初にエミリア嬢によせられて、それから会場全体に向けられた。
エミリア嬢をおんなじ学園の生徒だって話すことで露骨なひいきや寵愛っていうかんじにはせず、でも功績を認めて、クィーンクェ賞をとった人間の顔をあらためて広めてみせた。それに、ほほ笑みひとつで会場中の人間にイスヴェニア王国民としての愛国心をかきたてた。
こういうのを不自然じゃなくやれるのは、素直にすごいや。
『私が「年若き者」というのは、少々抵抗があるがな。なにせ私は、クィーンクェ賞を授けられた者よりも若いのだから』
アルバートの冗談に、軽い笑いがおこる。
『ほう、ほう。クィーンクェ賞を受けた芸術家が若ければ、アルバート王子殿下はそれよりさらにお若いと。これは、もう年寄りの出番はありませんな。私は今年でおとなしく引退し、この催しも次の世代に譲ることにいたしましょう』
『シャインフォード公爵、私は今年の一の月にイスヴェニア国王陛下に貴公がなんと言ったかきいている。賢歴となる六十歳を祝う品への希望を問われると、貴公は敬歴の祝賀にも国王陛下においでいただく誉を望んだのだろう。次なる十二年を壮健に過ごすつもりの賢人が引退など、冗談にもならん』
アルバートの近くに立ってる銀髪の男性が、シャインフォード公爵らしい。背が高くて、肩幅があって、姿勢がいい。声には張りがあるし、すごく元気でカッコよさそうな人だ。
『私とともにからかわれた淑女が、驚いているではないか』
『おお、それは申し訳ない。人の悪い老人に慣れておられるアルバート王子殿下はともかく、純真なお嬢さんを驚かせるつもりはないですからな』
アルバートとシャインフォード公爵が、エミリア嬢に軽くうなずいてみせた。
『素晴らしい冠の出品をありがとう、心が若返るようだったよ。どうか心ゆくまで宴をお楽しみあれ、五の月に愛されし芸術家のお嬢さん』
シャインフォード公爵が、茶目っ気たっぷりにエミリア嬢に向かって片目を閉じた。
突然たくさんの人から注目されたエミリア嬢は、緊張のあまりこのとき卒倒寸前だったそうだ。
アルバートはさらに二言、三言添えてあいさつを終えた。次の貴賓が紹介される途中で、映像は切れた。
ウーンデキム祭の賞に、アルバートは介入していない。だからクィーンクェ賞をとったのは、純粋にエミリア嬢の実力だ。ただアルバートは、彼女が高く評価されることがあったら、そのときは後押しをするつもりでいたらしい。
後日アルバートは、事前にシャインフォード公爵に、あいさつのなかでクィーンクェ賞の受賞者についてふれるつもりだって話しておいたって教えてくれた。それにのっかって、公爵もエミリア嬢に声をかけたわけだ。
アルバートが、公爵の長話につきあわされてきたツケを払ってもらうっていってたのは、このことか。
さて、新しく再生板に現れたのは、小柄な男性だった。
歳は、俺の父さまより少し若いくらいかな。左右の端がピンと跳ね上がった黒い口ひげが目立つ。細い目とか薄いくちびるとか、傲岸そうなあごの上げ方とか、なんかこう全体的に面倒くさそうでこだわりが強そうだなあ。
ルイーズ嬢の声がきこえた。
『こっちだよ、パーマー卿』
『ふうむ、ルイーズ殿は、なにを企んでいるのやら』
『ひどいな、純粋に人を紹介したいだけなのに。ああ、いたよ』
時の録が、つまりそれをつけたルイーズ嬢がエミリア嬢に近づいていく。さっきの宴会場だろうな。偉い人たちのあいさつが終わって、歓談の時間に入ったみたいだ。
『エミリア・チャップマン嬢、受賞おめでとう』
『ルイーズさま、ありがとうございます』
見知った人間をみつけて、エミリア嬢が安心したように顔をほころばせた。
『五の月は、きらめく日射しの下で草が萌えつぼみが花ひらく希望に満ちた季節だね。いつも明るく愛らしいあなたに、もっともふさわしい月さ。今日、あなたがこの月の主になったのは至極当然というわけだ』
ルイーズ嬢は、エミリア嬢の手をとって甲にくちづけた。
『アルバート王子殿下同様、わたしもあなたとおなじ学園の生徒であることを誇りに思うよ』
『誇り、なんて! わたしは、いえ、まさかそんなっ……!』
ルイーズ嬢がもたらした安心感は、ルイーズ嬢によって破壊された。
そんなたいそうな人間じゃないってあわてるエミリア嬢をさらに褒めちぎってから、ルイーズ嬢は彼女を隣の小男に引き合わせた。
『彼はパーマー子爵という。ひねくれ者だから気をつけて。評論家で、この催しの審査員でもある。今回、エミリア嬢の冠に難癖をつけた人間の一人だよ』
『やあやあ! 貴殿が「泡沫の彩冠」を制作したのか。あの若さの極みのような、勢いだけの美的感覚と、底の浅い造形と、病的なまでの技巧! 美の泉の深さをつゆ知らず、それゆえその縁で跳ね踊ることができる軽率さ!』
『は、はじめまして、エミリア・チャップマンと申します』
エミリア嬢は、パーマー子爵の怒涛のしゃべりに気圧されてる。再生された映像をみてるだけの俺も、なんだこの人って引いた。
『いやはや、貴殿はいったいなんというものを出品したのかね。けしからん! おもしろい!』
『すみません! でも、あの、恐れ入りますが……、わたしは「泡沫の彩冠」というものを作ったおぼえはございません。他の方と、おまちがえではないでしょうか?』
『貴殿は、クィーンクェ賞を受賞したのだろう。そうであればまちがいない。登録名は、金冠だったか宝冠だったか? 冠の出品は他にもあり紛らわしいので、審査会でそう呼んだのだ。さて「泡沫の彩冠」だが、なんと軽い作品だ! 軽やかではなく、軽い。貴殿にはこの違いがわかるかね』
『軽い……?』
『まあ、わからんだろう。わかっていれば、あのような作品をつくるはずがない。つまり軽さというものは――』
パーマー子爵は、話す量が多いだけじゃなくてめちゃくちゃ早口な人だった。エミリア嬢に訊いてるけど、彼女が答えるまえにことばを重ねるから、結局ひとりでしゃべりまくってる。横のオードリー嬢は、芸術話だから自分が入っていいのかどうか判断できないみたいだ。
オードリー嬢が空気を読もうとしてるなか、エミリア嬢とパーマー子爵の会話に割りこんできた男がいた。
『エミリア、ここにいたのか』
うおっ、ロバートだ! こいつも参加してたのか。
エミリア嬢は反射的におどおどした目になって、オードリー嬢は汚物を見るような目をした。
『ウーンデキム祭に、チャップマン男爵家から二人も出品するとはな。ところで、なぜおまえは金の宿り木工房の名前で出さなかったんだ。単名にするとは、賞賛を自分が独り占めというわけか。あいかわらず常識のない意地汚いやつだ』
のっけからロバートが言いがかりをつけてきた。むしろ、なぜ金の宿り木工房の名前で出さなきゃならないんだよ。うん、常識がなくて意地汚いのはそっちだね!
しかしロバートは、表情は不気味なくらいにこやかで親し気にエミリア嬢に話し続ける。成り行き上、彼女は兄のことをパーマー子爵に紹介した。
『ロバート・チャップマンと申します。金の宿り木工房の工房長を務めております』
『ほう』
『パーマー子爵でいらっしゃいますね。子爵の芸術へのご慧眼については、かねがねうかがっておりました。いつかお目にかかりたいと願っていた次第です』
ひじょうに低姿勢のロバートである。
俺からしたらしゃべり魔の変なおじさんだけど、考えてみるとルイーズ嬢がわざわざエミリア嬢に紹介したんだよな。審査員だともいってたし、芸術関係では名が売れてる人なのかな。
『パーマー子爵のお眼鏡にかなったものはあまねく世間の耳目を集め、鋭利な舌鋒に切り刻まれたものは無残な骸と成り果てるといわれています。評論家として名高い子爵とことばを交わせることは、金の宿り木工房長として身にあまる光栄にございます』
『ほう』
『今回のウーンデキム祭に、私も出品いたしました。左翼第三室の「実り豊かなる季節の鳥杯」です』
『ああ、あれか』
『ご覧いただけましたか! あの杯は、私がとくに技術の粋をもって作り上げた作品なのです!』
パーマー子爵は、どうやら辛口の芸術評論家として名をはせているらしい。ロバートはエミリア嬢を足がかりにして、子爵に自分を売りこもうとしてるのか。金の宿り木工房は、この祭りでなんの賞も受賞しなかった。だから、ここでどうにかしようと必死なんだろう。
『子爵の御目に留まったとは、我が生涯の誉です』
『そうだな、印象に残っている』
『光栄です! あの杯は、シャインフォード地方の伝説を元にした思想あるものなのです。私は、歴史を学び、得た知識を造形に反映させること、つまり思想をもって作ることが重要であると考えております。思想なき若輩者の小手先の技術は人目を引くかもしれませんが、歳月を経ても残る作品は、やはり思想のあるものでしょう。思想に重きをおかれるパーマー子爵のお考えに、私は強く共感する次第です』
思想、思想って、うるさいぞ。賭けてもいい、ロバートに思想はない。ただパーマー子爵がそう言ってるからのっかってるだけだろう。思想があったら、エミリア嬢の案を盗むわけがない。
とはいえ、ロバートの舌はよく動く。口下手なエミリア嬢と並んだら、作品の出来とは別に彼のほうに注意が向いてしまう。そうやって自分を良くみせるのは上手いんだな。
パーマー子爵は、しゃべり続けるロバートにひとこと言った。
『なんともちぐはぐな作品だったゆえ、印象に残っておる』
『ちぐはぐ、ですか?』
『才能のかけらは、ほのみえる。しかしそれは、凡庸さという泥に覆われている。作品にこめられた意思があちこちで違う方向を向いていて、一貫した主張がない。優美さを理想としているのに、線が雑だ。主題である鳥を、羽ばたかせたいのか縛りつけたいのかがまったくわからん。しかも、繊細な造りなのに使われている石が無粋きわまりない。せめて、悪趣味にゴテゴテ飾りつけられた宝石をとりのぞくべきだな。そうすれば、本来の形状の意図が多少は現れるかもしれん』
ロバートの愛想笑いが、だんだん引きつっていく。
子爵は、ピンと立った口髭の先をひとさし指でなでた。
『ひとことで称するなら、迷走した駄作であるな』
『なっ!』
怒鳴りそうになったロバートだけど、さすがに相手と場所が悪いって判断したらしく口を閉じた。そんな彼に興味を失くした様子で、子爵はエミリア嬢に向きなおった。
『さて、クィーンクェ嬢。貴殿の作品には、このかたち、この表現でしかありえないという信念がみえる。線の曲がる角度ひとつをとってみても、わずかたりとも足しも引きもできないこれなのだと訴えておる。ああ、もちろん信念がありさえすればいいというものではないがね』
『パッ、パーマー子爵! エミリアは、金の宿り木工房の職人です。今回の出品作も、私の工房の技術を注ぎこんだものです。そうだな、エミリア』
『え……ええと……』
『ありえませんわ』
エミリア嬢だけなら、ロバートにまるめこまれたかもしれない。でも、その場にはオードリー嬢がいた。思想がどうとかって話のときは遠慮してたようだけど、ここは自分の出番だとばかりに声を上げた。
『はじめまして、パーマー子爵。わたくしはオードリー・ウェントワースと申します。とても興味深いお話でしたので、出しゃばってしまいましたわ』
『議論への参加は、どなたでも歓迎しますぞ』
パーマー子爵が人の悪そうな目つきになる。ロバートがぎろっとオードリー嬢をにらんだけど、彼女に威嚇は効かなかった。
『では、おことばに甘えまして。「泡沫の彩冠」は、エミリアが独力で作りました。金の宿り木工房など、わずかたりともかかわっておりません』
『え、いえ、私だけじゃなくてノ……』
『魔法について知人から助力を得ましたが、それだけですわ』
エミリア嬢がバカ正直に俺の協力を話そうとしたのを、オードリー嬢が切って捨てる。俺のことを説明するとややこしくなるから、これはオードリー嬢が正しい。
『パーマー子爵、エミリアは金の宿り木工房に「見習い職人」として所属しておりますが、わたくしがみたところその才をまったく活かされておりません。まあ、エミリアの成人の儀がくれば、その契約も打ち切る予定ですけれど』
『オードリーさま、これは工房のことです。エミリアはうちの職人だ。オードリーさまは関係ございません』
『そうですわね、わたくしと金の宿り木工房にかかわりはない。くり返し申し上げますが、同様に「泡沫の彩冠」も、あの工房と一切関連はございません』
水色の瞳が、たっぷりの軽蔑をこめてロバートの向けられる。
『もしエミリアが少しでも金の宿り木工房の影響を受けていたら、「泡沫の彩冠」は、もっと「凡庸」で「雑」で「宝石が悪趣味にゴテゴテ飾りつけられた」ものになっていたでしょうね』
パーマー子爵の金杯への批評を、オードリー嬢が引用してみせる。一部始終を遠巻きにみていた人たちのあいだで失笑が広がった。
『幸い「泡沫の彩冠」は、人の成果を横どりすることしかできない人間とは関係なく作成され、栄誉あるクィーンクェ賞をいただくことができましたわ』
『中傷はやめていただこう!』
『あら、わたくしは人の成果を横どりするような卑劣な人間がいるとお話ししただけで、それがどなたかは申し上げておりません。ああら、そんなに怒られるなんて、金の宿り木工房長はなにか心当たりがおありなのかしら』
『しらじらしい、私と私の工房を貶めようとしているのは明白でしょう』
『それは誤解ですわ』
オードリー嬢がにこっと笑う。
『貶められるには、まず高みにいなければなりません。わたくし、あなたがそのようなところにいるのをみたことがありませんもの』
『いわれもない侮辱をッ』
『根拠ですの? この素晴らしきウーンデキム祭において、新しい賞を設けるほど評価されたのはエミリアの「泡沫の彩冠」ですわね。それで、ご自慢の金の宿り木工房が出されたものの結果は、どうでしたの?』
とうとうオードリー嬢は、ホホホと声を上げて笑いだした。これまでの鬱憤をここぞとばかりに晴らしてる。コワイ。
『私は礼節をもってお話をしているというのに、そちらが侮言しか返されないのでは、どうしようもありませんね!』
『礼節ですって?』
オードリー嬢の片方の眉がピクッと上がった。
『もし、あなたにほんのわずかでも礼節とやらがあれば、最初にエミリアに祝いのことばを述べたでしょう。あなた、今日ひとことでもエミリアに祝辞をおくられまして? ねえ、金の宿り木工房長殿。あなた、歳のはなれた妹を踏み台にして成り上がろうと媚びへつらう以外に、ウーンデキム祭でなにかされたのかしら』
好奇の視線が二人に集中する。
まわりの人たちがもらすのは、もはや失笑じゃなくて嘲笑だ。ロバートが憤りに体を震わせるごとに、どこからきこえてくるのかわからないクスクス笑いが大きくなる。
オードリー嬢は、ロバートがなにを言おうと動じない。それなら自分の脅しが通じる妹はと、兄があせったように周囲を探す。
エミリア嬢は、舌戦に飽きたパーマー子爵につかまってた。彼女は、ロバートとオードリー嬢をとりまく人の群れの外で、しゃべくり攻撃にあってるようだった。
ロバートが宣伝したい相手は、もうここにいない。残ってるのは、大人の大男が少女に嘲笑されてるのをいい見世物だって楽しんでる人間だけだ。
『くそッ』
ロバートは歯ぎしりをすると、人波をかきわけてパーマー子爵に突進していった。
映像は、そのあたりで途切れた。
あとからルイーズ嬢にきいたら、ロバートはそれから何度もパーマー子爵の注意を自分に向けようとしたけれど、子爵からまるでそこにいないかのようにあつかわれたそうだ。それでもしつこくしがみつこうとして、最後には露骨に追い払われた。
『クィーンクェ嬢、先ほどから外野がうるさくてかなわん。談話室に行こうではないか。あそこは、身の程知らずが入ることはできないからな。私の知人たちも、すでに何人かあちらに退散しているはずだ。ご友人のオードリー嬢もご一緒されるかな。そう、ルイーズ殿もそのうち来るだろう』
『パーマー子爵、ぜひ兄である私も』
『ではクィーンクェ嬢とオードリー嬢は、こちらへ』
見事に無視されたロバートは、屈辱に顔を赤黒くさせた。けれど三人についていくことは許されず、使用人たちに止められた。結局彼は、コソコソと逃げるように宴会から退出した。
この宴会で、金の宿り木工房の評判は失墜した。
他方エミリア嬢は、期待される若手の宝飾師として一日にして有名になったのだった。
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