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43.大倫の花

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 一脚の椅子のまわりに、三人の少女たちが集まっている。彼女たちは、あたえられた「素材」を興味津々といった様子でのぞきこんでいる。
 一人の少女が、「素材」の長い髪を手のひらにすくった。

「せっかくなら、凝った髪型にしたいです……」
「そうね、あなたの技を駆使しなさい」
「楽しみだなあ」

 キャッキャとおしゃべりをする三人の少女たち、すなわちエミリア嬢、オードリー嬢、ルイーズ嬢。
 そのネタにされている「素材」こと俺。
 女の子たちが集まってのオシャレ談議のはずなのに、三人にとりかこまれているのはオシャレに無関心な俺なのである。
 エミリア嬢が、呪いが解けたなら物が作れるようになったかどうかを確かめたいといった。それ自体はいい。だが、証明手段がなぜ俺の髪。しかもルイーズ嬢やオードリー嬢まで、髪型や髪飾りについて口をはさんできた。
 いま、テーブルには大量のピンやリボンや髪留めなんかがおかれている。

「長さを活かした編みこみがいいですね」
「派手で大振りな髪飾りより、エミリアの技術が映えるものを使いましょう」

 俺は知ってる。

「すごいね、さすが編むのが丁寧で速い」
「ルイーズさま、ここを押さえていただけるでしょうか」

 こんなときは、虚無になるのだ。

「こうかな」
「はい、ありがとうございます。あの、ノアさま、頭をもう少し右にかたむけていただけますか」

 俺はすでにいやというほど経験しているのだ。たとえば公式な集まりがあって、ちゃんとした格好をしなきゃならないとき、使用人たちはよってたかって俺をいじくりまわした。さっさと仕度を終えたティリーが混ざることもあった。俺より妹に手をかけてほしいと頼んでも、当の本人が「兄さまが正装する機会なんて、めったにないでしょ。わたしより、兄さまを着飾らせるほうが絶対おもしろいもの」というのだ。
 いや、おもしろいって、なにか違うだろうとは思った。思ったけど、そんな体験から学んだのは、下手に嫌がったり口だしすると、ただただ高速時間が長くなるということだった。石像になるのだ。なにも考えず、なにも言わず、ただの像となるのだ。それが、もっとも早くこの時間をやり過ごす方法なのだ。
 アルバートの気の毒そうな視線は無視だ、無視。

「ノアさまの髪は、さらさらなのにしっとりコシがあってとても編みやすいです」
「それなら、わたくしでも……」
「あっ、オードリーさま、そこをさわられるとだいなしに……あああっ」
「オードリー嬢は審美眼が優れているときいているよ。ここに、この髪飾りはどうだろう?」
「そうですわね、それも合いますが他にもっといいものがあったはずです。エミリア、ターニャさまの胸飾りに使った素材のあまりがあったでしょう。金の枠に赤や緑の絹を張ったものよ」
「それなら、作業部屋の右手前の棚に入ってます。上から八段目です」

 俺は虚無に徹した。
 以前と違って、エミリア嬢に髪をいじられても痛かったり頭皮を引きちぎられかけることはなかった。むしろ櫛で梳かれたり、髪をするするさわられるのは、わりと気持ちいい。俺が解呪したんだから疑ってはなかったけど、エミリア嬢の手先は本当に元にもどったんだなぁ。
 やがて「できました」と言われた。大きな姿見の前に連れていかれると、俺の前に両手で鏡を抱えたエミリア嬢がやってくる。
 鏡に映った後頭部をみて、声が出た。

「おい、なんだ、これは!」

 大きな花が二輪咲いてた。
 左右から一本ずつ斜め下に向けて編まれた髪が、頭の後ろで交差してる。それが三本あるから、合計三つのひし形の空間ができてる。ひし形の中の部分の髪は、薄紅の細いリボンと一緒にぐるぐるの輪にされてて、まるで大きな花のようだ。輪の中心には金の細工が差しこまれておしべとめしべみたいにみえる。おまけに頭のあっちこっちに、花びらや葉っぱにみえる指の先くらいの大きさの布が留められていた。
 髪の毛が、きれいな花になってた。
 まるで細かい刺繍みたいだけど、これは即席で髪を編んだだけなんだ。エミリア嬢の指先が作ったものなんだ。めちゃくちゃすごいじゃないか。

「おっ、お気に召しませんか」
「好き嫌いの問題じゃない。こんなことができるくせに、なにが才能がないだ、バカが!」
「ひっ、すみません!」
「謝罪するな、卑屈者!」
「ごめんなさいっ」

 俺とエミリア嬢のそんな心あたたまる一幕があったあと、彼女は自分の手を思うように動かすことができるようになったという事実を受け入れた。俺の虚無の時間は役に立ったのだった。
 エミリア嬢復活の証である俺の頭をみながら、オードリー嬢が悩まし気にため息をついた。

「エミリア、本当はウーンデキム祭であなたの名前を広めるつもりだったけれど、それは難しいわ。杯を作ってこちらの正当性を訴えても、金の宿り木工房が先に出品しているなら、正しい判断を下してもらえるかどうかわからない」
「訴えを起こした場合、兄と妹の盗作合戦だとまわりから好奇の目で見られるのは確実だね。金の宿り木工房は名の通った工房だけど、エミリアちゃんは残念ながら工房と準契約をしているだけの年若い見習い職人だから、世評的には不利になる。仮に審議の結果エミリアちゃんに軍配が上がったとしても、しばらくはエミリア・チャップマンの名に醜聞がついてまわることは避けられない。肉親間の争いなんて、暇な貴族の好物だからね」

 オードリー嬢は悔しくてたまらないように、ルイーズ嬢は淡々と話す。

「すべて覚悟して徹底抗戦するというなら、申し立てることはできるよ。けれど、早期解決は難しそうだね」
「ドクズが、いくらでも引き延ばすとほざいていたな」
「エミリアの成人の儀が過ぎれば、行き場がなくなるとたかをくくっているのでしょう」

 たとえ訴訟を起こしても、来年の一の月を過ぎてしまうとエミリア嬢は成人になる。無償では家にいられなくなるから、自分の下に来るしかないってロバートは思ってるんだろう。

「悔しいですが、金杯に時間を割いている余裕はありません。だからエミリア、先ほどルイーズさまがおっしゃったように、別の機会を探しましょう」

 もし訴訟を起こさなければ、金杯は利益も名声もすべてロバートと金の宿り木工房のものになる。かといって訴訟を起こしたら長い泥仕合を覚悟しなきゃならないし、その間にエミリア嬢の将来が決まってしまうかもしれない。つまりウーンデキム祭に金杯の意匠登録をした時点で、どっちに転んでもロバートにはうまみしかないってことだ。
 勝ち誇った男の顔がみえるようだった。
 俺が本物の女神さまなら、天罰を下してやりたいぞ!
 オードリー嬢は、不快感をみせながらもどうにか気持ちを切り替えようとしてる。でもエミリア嬢は、力なく頭を左右に振った。

「そんなことをして、意味があるんでしょうか」
「そんなこと?」
「わっわたしは、工房では本当に下っ端です。それに、これまでオードリーさまのご紹介で小品を作ったことはありますが、それだけです。……わたしなんかが作るものを、オードリーさまとは関係なく好まれる方が、本当にいるのかって……」
「何回、何百回いわせたら気がすむの! 『わたしなんか』じゃない、あなたの作品だからこそわたくしは世に認めさせたいし、自分の人生を賭けようと思ったのよ!」
「だからですっ」

 エミリア嬢がくちびるを固くむすぶ。こらえるように瞬きをしたけど、それは逆効果でぽろっと涙がこぼれた。

「わたしが独立して、売れなかったら? 誰も見向きもしなかったら? オードリーさまやウェントワース伯爵家のお名前まで汚すことになったら? ずっと、ずっと怖かった。わたしのせいで、ほかの方に迷惑をかけてしまうかもしれないのが、嫌なんです……!」

 どうやら、似たような話し合いはこれまでにもあったようだ。オードリー嬢がエミリア嬢の両腕をつかんで、「またなの? まだ、駄目なの」って揺すぶる。

「どうすれば、あなたはわたくしの言っていることを、自分の才を信じてくれるの!」

 声には絶望がにじんでいた。
 オードリー嬢には自信がない。自分には才能がないって、たぶん本気で信じてる。だけど、俺の髪型ひとつをとっても彼女が非凡だっていうのはわかる。俺だけじゃなくて、そもそもオードリー嬢が絶賛してるのに、なにがあってこうも考えを変えられないんだろう。
 もちろん、小さいころから周囲に虐げられてきたならしかたないのかもしれない。でも、理由はそれだけなんだろうかって考えてしまうくらいには、エミリア嬢はかたくなだった。
 静かになった部屋で、アルバートが誰に向けてともなく語りだした。

「私の知り合いに、面倒な男がいてね」

 みんなの視線が俺に集まった。
 アルバートが、ノアのことじゃないよって断りを入れる。なんでだ、俺はべつに面倒な男じゃないだろう!

「その男は、幼いころから剣を得意としていた。けれど後見人で武人の叔父から才能がないと言われ続け、恥さらしだからと訓練以外では人前で振るうことを許されなかった。彼は、叔父さえいなければ自分の剣は世の中に認められるはずだと憤っていた。さて、彼が十五歳のとき、転機がやってきた。剣の勝ち抜き試合に出場する権利を得たんだ。有象無象が参加する試合だが、いい成績を残せば彼の腕が優れていることが証明できる」

 唐突に、誰とも知らない男の話が始まった。でも、アルバートのことだから意味があるんだろうって、みんな耳を傾けてる。さすがだなあ、ここで俺が「きさまらにはもったいないが、面倒な男の話をしてやろう。感謝して、ひとことも聞き漏らさないようにするがいい」とでも言ったら、オードリー嬢あたりはすぐエミリア嬢とおしゃべりを始めそうだ。

「だが、彼は試合に出なかった。どうしようもなく怖かったんだ」
「なんだその腰抜けは。剣での試合を恐れるとは、叔父のほうが正しかったということだな」
「少し違う。彼が恐れたのは、試合をすることでも怪我をすることでも、負けることでさえなかった。彼はね、自分の剣の腕がどの程度かを明らかにされてしまうことを恐れたんだ」
「はあ? それこそ、その腰抜けが望んでいたことだろう」

 ひょっとして、とんでもなく弱いのをうすうす自覚していて、それを叔父に知られたくなかったんだろうか。そう訊ねたけど、アルバートは首を横に振った。

「彼は、剣の才能があると思っていたよ。しかしなにしろ経験がないからね、本当に自分が世間で通用するのかどうかはわからなかった。だから初めての試合に臨もうとしたとき、ひょっとしたら自分にはたいして才がないかもしれない、それが証明されてしまうかもしれないと怯えたんだ。確かめなければ、いつまでも『自分には剣の才があるのに、叔父のせいで活躍できない』と言い訳ができるからね」

 俺は「面倒な男」の気持ちを想像しようとした。だけど早々に匙を投げた。

「腰抜けの思考なぞ、理解できるわけがなかった。己の程度を知らなければ、次に進むべき道もみえん。それを自ら放棄とはな」
「ノアさまは、できなかったり、自分の才能を疑ったことがないから……」

 ぼそっとエミリア嬢がつぶやいた。たぶん無意識だったんだろう、慌てて両手で自分の口を押える。

「なんだと! 魔法に関しては、俺はできないことばかりだ。あたりまえだろう、できることしかなければ学ぶ必要はない。才能だと? フン、己に才能があると信じればすべて上手くいくなら、この世はうぬぼれ屋の天国だな」

 たしかに俺は、普通の人とは違ったやりかたで、普通の人よりは魔法を使えるんだろう。でも、知れば知るほど「魔法」のほんの一部しかみえてないって実感するんだ。それに新しい魔術式や魔道具の実験では、よく失敗してるぞ。

「正論だけどさ。ノア君にはみえないものも、あると思うよ」

 ルイーズ嬢が苦笑する。
 俺だって、自信作の魔術式を披露するときは怖いぞ。まったく役に立たないっていわれたり、こてんぱんに反論されたり、設計を根本から否定されるかもしれないじゃないか。誰にもいってないけど、そんな目に遭って心が折れて泣いたことは何度もある。ずっと取り組んでたけど、上手く構築できなくて挫折した魔術式だっていろいろある。でも、だからといってなにもしなかったら、もっといい魔術式を構築することはできないじゃないか。
 ルイーズ嬢が言いたのは、いま俺が思ってるようなことじゃない気はする。だけど「面倒な男」の怖さは、俺にはピンとこないものだった。
 他の人も、わかってないんじゃないだろうか。

「わたしがその方みたいだと、アルバートさまはおっしゃるんですね」
「エミリア嬢と彼がおなじだと言いたいわけではない。ただ、思い出しただけだ」
「でも、たしかに、そうかもしれません。わたしは……怖いのかもしれないです……」

 エミリア嬢はわかってた!

「世に出ることをあなたが怖がっていたなんて、わたくし、考えたこともなかったわ」

 オードリー嬢もわかってるみたいだ!
 えっ、この場でアルバートのたとえ話を理解できてないのって、俺だけなのか。なんでってあせってるあいだに、エミリア嬢が長く息を吐いた。

「わたし、自分が試されるのが怖くてたまらない……かも……です。だから、作品が自分の名前で出なくていいって思ってたのかもしれません。作ったのがわたしだって知られて、それで貶されたり笑われたら……。やっぱり、工房の人たちが言ってるとおりだってわかってしまったら、どうしようって……こわい」

 だけど、って彼女は続けた。

「いましゃべって、わかりました。わたしはたぶん、それ以上に、オードリーさまを巻きこんでしまうことが……、一番怖いんです」

 眉毛も肩も力なく下げて、エミリア嬢がオードリー嬢に笑いかけた。

「オードリーさま、宝飾品や宝石店のためにわたしと結婚するなんてやめてください……。オードリーさまに犠牲を払わせるのも、また見捨てられるかもしれないって思うのも、どっちもわたしはもう嫌なんです」

 これまでで一番前向きな発言かもしれない。だけどオードリー嬢の眉は、エミリア嬢のしょんぼり眉毛とは逆に吊り上がった。
 怒鳴ろうとしたんだろう。でもそれを封じるように、アルバートが彼女の名前を呼んだ。だからオードリー嬢は、吸い込んだ息を吐きだして答えるしかできなかった。

「はい、アルバートさま」
「君は、さっきエミリア嬢に求婚したね。それは、彼女を職人として成功させたいためだけか?」
「違います! いえ、たしかにそれも理由の一つです。けれど、決してそれだけではありません」
「では、ほかにどんな理由があるのだろう」

 おだやかに訊ねられて、答えを考えてるあいだに、怒りを暴発しかけてたオードリー嬢が少しおちついたようにみえた。

「エミリア嬢は、『また見捨てられる』といった。職人としての腕がおちたり自分の目に適うものが作れなくなったら、オードリー嬢は彼女に背を向けるつもりかな」
「そんなわけが。そんなこと、いたしません!」

 エミリア嬢が、怖いことを想像したみたいに自分の腕で自分を抱きしめた。
 そうか。エミリア嬢は、呪われたオードリー嬢から、どっかにいけって突き放された。オードリー嬢の話だと嫌ったわけじゃなかったけど、されたほうはそんなのわからない。昨日まで学園をやめろって怒鳴ってた相手が、急に「そんなつもりじゃなかった」「好きだった」といったって、それを信じてくれというのは虫のいい話なのかもしれない。それに、オードリー嬢の状況をエミリア嬢が頭で理解できたとしても、心が怯えることだってあるだろう。
 オードリー嬢が結婚をもち出したのが仕事のためだけなら、働けなくなったら切られてしまう。きっと、それもまたエミリア嬢にとっての怖いことなんだ。

「エミリア嬢をみていると、呪われて以降オードリー嬢がしたことは、才能がなくなれば見限ると宣言したようなものだろう。厳しい言い方かもしれないが、客観的にそうみえるということだ」

 アルバートは、非難してるんじゃなくて事実を確認するだけだっていう雰囲気で話していく。エミリア嬢はうつむいてるけど、アルバートのことばを否定しないのが彼女の答えなんだろう。
 オードリー嬢は、お腹のあたりで両手を組んでる。指が、血の気をなくすくらい強く握りしめられてる。
 沈黙が重い。
 オードリー嬢は彼女はエミリア嬢の作品に惚れこんでるし、自分の中で職人としてのエミリア嬢とそうでないエミリア嬢を区別することは難しいのかな。それとも、いまの自分に言えることがなくて思い悩んでるんだろうか。
 長く口を閉じたあと、オードリー嬢はぽつぽつと語りだした。

「わたくしがエミリアに初めて会ったのは、五歳のときでした」
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