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36.オードリー嬢の最高礼

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 窓際によせた椅子に、少年が脚を組んで座っている。うつむいた視線は、手にした書類に向けられていた。窓から入る光が、半身を淡い金色に縁どる。
 オードリー嬢の魔力との接続を切って、完全に自分の体に意識をもどした。目を開けたら、仕事をしてるらしいアルバートがいた。くたくたの俺は、それをただぼーっとながめていた。
 終わった。
 初めて、グラン・グランの呪いを解いた。
 グラン・グランの呪いの魔術式を区分けして、オードリー嬢の魔力から引きはがして、消去した。その作業が終わったとき、俺にからみついてる魔術式の一部が効果をなくした。確認したら、解呪したのとまったくおなじ魔術式群だったから、俺のしたことが正解で成功したことが確信できた。オードリー嬢に後遺症はないはずだ。
 よかったああああ!
 達成感とか喜びとかより、とにかくなによりほっとした。安心したら、喉から「くきゅう」って変な音が出た。
 アルバートが、こっちに顔を向けた。目を細めて、くちびるの端を少し上げる。

「起きてたなら、声をかけてくれよ」

 アルバートが紙の束をテーブルに置いて、俺のほうにやってくる。俺は、だらっと椅子に座ったまま彼を見上げた。

「いまの状況は、ノア? 一休みかな」
「俺の能力をみくびるな。終わったぞ」

 アルバートが息を呑んで、オードリー嬢を凝視する。彼女の意識はまだもどしていない。

「完全に解呪できた、ということか?」
「俺が終わったといったんだ、成功したに決まっている! あの黄巻バネヅタに、もはや呪いは一魔術文字たりとも残っていない」

 アルバートが、両手で俺の右手を握った。

「ノア。君は、すごい」
「いまさらだな」
「君を疑っていたわけじゃない。だが、こうやって呪いを解いたのをみせられると、やはり驚きが勝つよ。国中の人間が必死になって解を探してもみつからないことを、君はやってのけたんだ」
「国を挙げてだと? 俺より優秀な魔法使いがいたら、連れて来てほしいものだな」

 知ってる、そんな人はいっぱいいる。ヴィクトリア塔長はその筆頭だ。ベイリーだって、変人だけど魔法の力も知識もすごい。というか、塔の人間は俺より魔法の知識があったり高度な研究をしたり、とにかくみんな優秀なんだ。俺が解呪できたのは、グラン・グランの呪いについてよく知ってたからにすぎない。
 あとさ、アルバートは俺を信用しすぎだぞ。

「おまえは単純すぎる。いくら俺が完璧だとはいえ、解呪できたといわれただけで信じるな。確認や検証をしないのは怠慢だ」
「それは、ノアだからだけどね。君は、こういうことにかんして嘘をついたり、とんでもなく間違ったりはしないだろう。といっても、たしかに確かめたい。オードリー嬢を起こしてくれるかい」

 そうだね、オードリー嬢の眠りを覚まそう。椅子から腰を浮かせたら、立ちくらみがした。ずっと座ってたから体が固まってるし、他人の魔力に接して解呪してたから精神面でもヘトヘトだ。
 しかたないから、座ったままでオードリー嬢の眠りの魔法を解いた。
 オードリー嬢のまつ毛が震えて、まぶたが上がる。体がぐらっと傾いたから、俺とアルバートが両側から支えた。
 目が覚めたオードリー嬢もフラフラしてた。テーブルの茶菓子は、途中で追加があったみたいだ。お茶と、ジャムが乗ったクッキーをオードリー嬢に差し出して、俺も飲み食いした。そうしたら気分が少しマシになった。
 アルバートが、オードリー嬢の隣に座った。

「オードリー嬢、あなたのアレはソレされた。自分でわかるだろうか」

 水色の瞳が、パシッとみひらかれた。大きな目は部屋のどこも見ていない。自分の内側を探るように、右手が胸にあてられる。その腕が、だんだん小刻みに震えてきた。
 俺も呪われてるからわかる。呪いは体内、正確には魔力に巣くってて、意識を向ければすぐに反応が返ってくる。俺の場合だと、「神のように振る舞う」呪いがかかってるって感覚だ。加えて、それが主旋律だとすれば、副旋律のように「他人が呪いの内容を知れば一生解けなくなる」、「王暦一〇〇〇年一月最終日に呪いが離れる」なんかが流れてる。俺だけは、ほかにも他人の呪いが反響みたいにざわざわ騒いでるけどね。
 オードリー嬢なら、主旋律は「好きな対象が自分とそっくりになる」だ。そして、いまは主旋律も副旋律もわいてこないことを感じたんだろう。

「わ……わたくし……ほんとうに? ああ、ええ、はい! 呪われているという、あの感覚が……ありません……!」

 オードリー嬢が立ち上がって、アルバートに礼をした。膝を床について、腰から先を倒して頭を深く垂れる。これ、最高礼だ。国王陛下や神に正式な礼をとる必要があるときにするもので、それ以外だと家の名誉や命を救われたとか、ものすごく恩義をかんじた相手にならとることがあるかもしれない。それくらい稀なものだ。
 その姿勢、もちろん俺も習ってる。けっこう筋肉を使うし、バランスをとるのが大変で、難易度が高いんだよ。いまのオードリー嬢だと、相当キツイんじゃないか。

「わたくし、オードリー・ウェントワースは、アルバート王子殿下に心より感謝申し上げます。このたび賜りました御厚情には、生涯の忠誠をもって応える覚悟でございます」
「頭を上げよ、ウェントワース伯爵令嬢。……いや、解呪については気にしないでいい。長時間座っていたんだ、まだ本調子ではないだろう。楽にしてほしい」

 反射的に王子さま対応をみせたアルバートが、そんな自分に気がついて後半は意識して学生アルバートの口調に切り替えた。

「気にしないなど、できるものですか!」
「それについてだが、あと一つしなければならないことがある」

 アルバートはオードリー嬢に手を差し伸べて、椅子に座らせた。三人でテーブルをかこむと、静かに問いかける。

「君の呪いが向かった先は、エミリア嬢だね?」
「……はい。そこまでお見通しだったのですね」
「君は、エミリア嬢に自分の呪いについて話すのか。それとも隠匿するのか」

 オードリー嬢が、一瞬泣きそうな表情になった。これまでの印象では、彼女は気が強くて、だけど感情を抑えることができる貴族令嬢だ。その彼女が、少しであっても不安と罪悪感をみせた。
 これは、暴言とかで邪魔しちゃいけない流れだよな。
 空気が読める俺は、よけいな口をはさまないために残りの茶菓子を食べ続けた。決して腹が減ってたとか、それだけが理由じゃない。

「断っておくけれど、エミリア嬢に教えるかどうかについて口出しをする気はない。ただ、オードリー嬢がどうするつもりなのかを訊いておきたい」
「わたくしは、あの子に……すべて話すつもりです。あの子は、宝飾品が作れなくなって本当に苦しんでいました。それがわたくしのせいだったことを、わたくしがあの子の未来を潰すところだったことを、話さなければなりません」
「それでいいんだね?」

 アルバートが確認して、オードリー嬢がうなずく。

「わかった。では、まずエミリア嬢を解呪しよう。話すのはそのあとにすればいい」
「エミリアを解呪? あの子も呪われているのですか!?」

 あっ、オードリー嬢は自分の呪いがどう波及したのかを知らなかったのか。アルバートがそっとこっちをうかがってきたから、前に教えたことを話せばいいってうなずいた。

「オードリー嬢の呪いは、エミリア嬢に作用したね。そのとき彼女の中にも、なんらかの魔術式が組み込まれたはずだ。元の呪いが解かれたから、そちらは消滅したか、少なくとも効力はなくなっただろう。それを確認しなければならないんだ」

 そう、解呪はまだ完全には終わってないんだ。
 オードリー嬢が使用人を呼んで、エミリア嬢を呼ぶように命じた。ついでに俺は、茶菓子のおかわりを所望した。
 まだ顔色の悪いオードリー嬢には甘い物がいるだろうって思ったからで、俺のためではない。いや、まだ食べたりないけど、絶対に自分のためだけではないのだ。
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