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風を切り銀色の髪をなびかせ、昇る朝日を浴びながらサリュウはアウラスの王城を目指した。未だかつてないほどにこの身が軽く、精力が満ち溢れる。

これは、あの少女のもたらした魔力のおかげか。可愛い娘だった。彼女の甘い口付けを思い出すだけでゾクリと身が震え、下腹の疼きが今でも収まらない。

やっと故郷の街に辿り着いた。火の見櫓の兵士たちは、麗しき魔導師団長の帰還を悦び手を振って出迎えた。サリュウもまた部下たちに手を振ると、ひゅるると城壁を越え王宮の一角の館に降り立った。

「お帰りなさいませ、ご主人さま!」

急を聞きつけた従者のイザークが玄関から飛び出して来た。

「ただいま。留守の間、無事であったか?」

「はい、何事もございません!しかし、シグナス王太子殿下が昨夜よりご主人さまのお帰りをお待ちになっています。」

「シグナスが?」

ローブをイザークに預けると、館の応接間にズカズカと進んだ。ソファーに寝そべっていたシグナスは、サリュウの姿を観るとダッと立ち上がり両手を広げて抱きついてきた。

「サリュウ、無事だったのか!お前が大怪我をしながら王宮に舞い戻ったと、テオから知らせが届いたのだ。」

「心配を掛けて済まなかった。ほらこの通り、怪我も完治している。」

「本当だ、いったいどうやって怪我を治したのだ?命を危ぶむほどだったと聞いたぞ!」

シグナスは馴れ馴れしくサリュウの身体中を撫で回した。王太子であるシグナスと、侯爵家の跡取りでもあるサリュウは、幼ないころからの親友で、公の場でなければ敬語など使わない気楽な仲間である。

「ああ、帰還の途中で墜落し、たまたま居合わせた魔導師の少女が献身的に介抱してくれたおかげで我が身は救われたのだよ。とても可愛らしく優しい素晴らしい少女だった。」

「お前の口からは、どんな時も女の話ばかりが出るな。」

父親譲りの輝くような金色の巻き毛を揺らし宝石のような蒼い目を細め、クククとシグナスは笑い声を上げた。

「サリュウ!」

ドンとドアが開き、赤毛の男が飛び込んで来た。魔導師団の副長、グレアム・ナンネルだ。

「これは奇跡だ!あんなに酷い傷だったのに、どこにも火傷の痕が無い!全く、あんな怪我を負って、一人で王宮に戻る奴があるか!」

「済まない、一秒でも早く国王陛下に戦況を報告して、今度こそナハラインを叩き潰すお許しをいただきたかったのだ。」

「臆病者の父上は、躍起になって和平交渉を進めているところだよ。」

シグナスが腕組みし、フンと鼻を鳴らした。

「シグナス、今回は我らの到着が早かったから、国境の向こうへ敵陣を退けることが出来たが、このままではこの先もずっとナハラインの脅威を受け続けることになる。精鋭部隊が現地にいる今なら必ずや敵陣を根絶やしにすることも出来るはずだ。」

「そうです、今回は市街地にも戦火が飛び火し市民にも多数の死傷者が出ています。殿下からも是非国王陛下に進言をお願いします!」

サリュウはイライラと応接間を歩き回った。グレアムもまたキッとまなじりを上げている。

「血の気の多い魔導師どもだな。それより、サリュウを救った娘の話を聞こうじゃないか。」

ソファーにドカッと腰を下ろすと、シグナスはまたクククと笑った。

「はあ?女だと?何の話だ。」

グレアムは赤毛はと対照的な緑の瞳をギラリと光らせた。

「実は黒森シュヴァルツヴァルト山の山頂で、意識を失い墜落したのだ。そこに居合わせたのが、かの高名な薬師くすし、ユバレド殿の娘さんで……」

「あの偏屈で名高い爺さんか。それで?その娘に介抱されたのか?」

「そうだ、治癒魔導師だけが使える『闇』の力とやらで……我が身と彼女の身体を繋ぎ、彼女の素晴らしい魔力を存分に注ぎ込まれ、この身は完治したのだよ。」

「それって、ただの性交じゃあ……」

「女たらしで名を馳せたサリュウが浮かれるとは!そんなに床上手だったのかい?」

卑猥な想像をしてシグナスはクククと喉を鳴らした。

「いや、俺が初めての相手だった。大切な処女を捧げてまで俺を救ってくれたのだよ……そうだ、陛下にお許しを頂かなくてはならない。」

「お許し、何のだよ?」

「決まっている、俺とメリナの結婚だ。」

「バカを言うな!まだ逢ったばかりだろう!彼女にその気があるかも分からないではないか!」

「いやこれは運命の出逢いだ。あんなに素晴らしい経験は未だかつて無かった。きっと彼女も俺を受け入れてくれる!」

「まあ、お前のことを、厭う女はいないだろうよ。」

サリュウはうっとりと顔を赤らめ天を仰いでいた。グレアムは呆気に取られ、呑気に親友を眺めているシグナスの耳元で訴えた。

「殿下!笑っている場合じゃないですよ。今すぐ戦地に戻って決着を着けないと!」

「それもそうだ。」

可笑しそうに笑うと、シグナスはダッと立ち上がった。

「我が魔導師団の精鋭たちよ。国王陛下の御前に参ろうか。」

「御意のままに。」

シグナスの一言で、サリュウとグレアムはサッと跪き、深く頭を垂れた。



サリュウとグレアムは王太子に従い、国王に拝謁するため謁見の間に向かった。しばらくの間、待たされ、眠そうにあくびをしながらアウラス王国の現統治者、ヴィルヘルム三世エーリッヒ・ヴォルフガングが現れた。

「こんなに早くから何事だね。」

「うっ!」

サリュウは思わず呻いた。国王の後ろから、王の姪であるクラウディアもついてきたからだ。

「クラウディア、何故お前がこの場にいるのだ。」

憮然として、シグナスが尋ねた。

「酷いわ、お従兄にいさま。愛しいサリュウに逢うためよ。」

羽根扇をゆらゆらと揺らし、クラウディアはオホホと笑った。

「サリュウはお前に興味は無い。潔く諦めろ。」

「そんなことをおっしゃらないで、ワタクシの想いに答えてくださいな。」

「畏れ多きお言葉にございます。」

サリュウは深く頭を下げたまま、クラウディアとは目を合わせないようにした。

「それで何の用だ。そなたたち魔導師団の精鋭部隊は国境の警備に赴いていると聞いたが。」

「国王陛下、なにとぞ我らの願いをお聞きください。ナハラインの横暴は目に余る所業です。この機会に奴らの息の根を止めましょう!」

サリュウはキッと国王を見つめた。ドキリと身を震わせ、国王は狼狽した。

「ダ、ダメだ!ナハラインは祖父王の時代よりの友好国である。国境の小競り合いなどいつもの利権を争う盗賊どもの仕業であろう?それを理由に友好を断絶させる訳にはいかぬ!」

「全く、腰抜けめ……」

シグナスはチッと舌を鳴らした。

「サリュウ、あなたは伯父さまより賜った首飾りチョーカーをどこへやったの?」

クラウディアの問いかけに、皆がハッとサリュウの首元を見つめた。彼の象徴でもある大鷲と翼のある獅子の紋章が刻み込まれたチョーカーはそこに存在していない。

「チョーカーは、私の未来の花嫁に託しました。彼女は数日のうちにこの王宮を訪れます。国王陛下、どうか、私とその女性の婚儀をお認めください。」

「なんと、サリュウが結婚だと?それは目出たい。よしよし、そのチョーカーを持参した女とそなたの結婚、しかと認めるぞ!」

先ほどまで怯えた様子だった国王は急に元気を取り戻した。それを聞いたクラウディアはニンマリとほくそ笑んだ。



「どうする、このまま膠着状態を続ける気か?」

館に帰り、応接間のソファーに並んで腰掛け、サリュウとグレアムは重い吐息を吐いた。シグナスは腕組みをし唸りながら己の部下たちを見おろした。

「父上のことは俺に任せろ。先ほどのお前たちの話を聞いては和平を進める気にはならぬ。必ず説得してみせる。」

「頼むよ、シグナス!」

サリュウは立ち上がり、パンとシグナスと手を合わせた。しかし、途端にもじもじと思案し始めた。

「それでは、その前に、俺は……」

「何をする気だ?」

黒森シュヴァルツヴァルト山まで未来の花嫁を迎えに行って来る。王宮に来るように言ってあるのだが、待ち切れない!」

「お、おま……今がどんな状況か、分かっているのかっ!?」

頬を染めるサリュウを、グレアムは怒気を孕んで睨みつけた。

その時、応接間の窓にドオオオンと衝撃が走った。魔導師団のもう一人の副長、テオドール・ヴァイスが激突しバルコニーに転がり倒れ込んでいた。サリュウとグレアムは慌てて彼に駆け寄った。

「テオ!どうしたのだ!」

「こ、こんのおおおおっ!」

テオの背後から、小柄な白髪の男が飛び出してきてサリュウに殴りかかった。勢い余って尻もちを突き、キッと睨み返してサリュウは唖然とした。その男は、メリナの父ユバレドだった。

「あ、あなたは、お義父さま!」

「お前に『お義父さま』などと呼ばれる筋合いは無いっ!娘を、メリナをどこへ連れ去ったのだっ!」

サリュウの胸倉に掴みかかり、ユバレドはあらん限りの力で揺さぶった。

「メリナが、我が花嫁が、どうしたのです!」

「これを置いて、夜明けのうちに家を出て行ったのだ……」

一枚の紙切れを突き出して、ユバレドは泣き崩れた。

そこには、『サリュウさんに逢いに王宮へ行きます。メリナ』と可愛らしい文字で記されていたのだった。

「メリナが、家出……行方不明……?」

ガクリと膝を突き、サリュウは頭を抱えた。

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