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後編

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「・・・・・・うそ」
 レイザから十歩ほど離れた距離にいたのは、二本足で立つ熊――否、熊の姿をした獣人だった。レイザよりもはるかに大きな体を覆う毛並みは艶やかに日差しを弾き、美しく輝いている。
 獣人種が住まう地。つまりここは。
 熊の獣人の背後には、更に数十人の獣人種が控えていた。狼や犬など、見覚えのある特徴を備えた彼らは全員が二本足で立ち、手には物騒な獲物えものを握っている。
 潮風に混じった獣臭がレイザの鼻先をかすめる。魂を揺さぶる匂いに、レイザの頭がくらりと揺れた。心臓が早鐘を打ち、全身が急激に熱を帯びる。
 レイザはごくりとつばを飲み込んで答えた。
「あたしはレイザ。聖女としてここへつかわされました」
「何の為に?」
 間髪入れず問われて答えにきゅうする。まさか馬鹿正直に『獣人種の浄化を命じられて来ました』とは言えない。
 黙り込むレイザに、獣人種達が殺気を強める。レイザは頭を高速回転させて知恵を絞った。
「ええと、あの・・・・・・実は『聖女の力で悪しきものを浄化する為、世界を巡って欲しい』と命じられて」
 完全に口から出任でまかせだが、かと言って真っ赤な嘘でもない。王子が『悪しきもの』と考えている獣人種を『浄化』する目的で追い出されたのだから、趣旨しゅしは間違っていないはず。
「聖女ともあろう者が、ともも付けず一人で?」
「それはその・・・・・・トラブルで船から落ちちゃって。あたしだけがここに流れ着いて」
 結果だけを見ればこれも本当だ。
「適当な事を言うな!」
 怒声どせいと共に石槍いしやりが投げつけられる。やっぱり駄目だったか!とレイザは身をすくませて固く目をつぶった。
 ところが。
 キンッ!と固い音が耳を打つ。おそい来るはずの痛みがいつまでたってもない事をいぶかしんだレイザが恐る恐る目を開けると、石槍は真っ二つに折れて転がっていた。
「聖女というのは嘘ではないらしいな」
 感嘆かんたんにじむ声で、熊の獣人が呟く。
「聖女の言い伝えを知ってるの?ええと、貴方・・・・・・」
「リドだ。獣人種が聖女を知っているのはおかしいか?」
 リドと名乗った熊の獣人が言う。レイザは躊躇ためらいがちに頷いた。
「そもそも聖女は獣人種にあらわれる力だった・・・・・・なんだ、人間はその事も知らないのか?」
 驚きの表情を見せるレイザに、リドが片眉を上げる。レイザは再度頷いた。
「じゃあ、あたしも獣人種の血を引いてるって言うの?」
「その可能性が高いな。聖女は滅多に現れないし、人間の国はいくさ頻発ひんぱつするから正しく伝わらなかったんだろう」
「それが、ここでは正しく伝わっていると?」
「人間サマが我々をここへ追いやってくれたお陰で、争いとは無縁でいられたからな」
 皮肉混じりの口調にびびりつつ、それでもレイザが抱いたのは納得感だった。
 確かに、聖女は『伝説』扱いされる存在だ。それほどまでに数少ない存在なら、戦時中に口伝くでんや書物が散逸さんいつして正確な情報が残っていない可能性は高い。
「そもそも聖女は敵意を弾くが、有効範囲は自分の周囲だけだ。亀の甲羅みたいなものだな」
「え、そうなのっ?」
 驚きの事実である。
 でも言われてみれば思い当たる節はある。初めて邪悪な獣を退けたあの時も、レイザの力が及んだのはほうきで直接、打撃を加えた時だけだった。
 どうやら人間側は聖女の力を『一国いっこくをも守り切れる強大な力』に違いないと都合良く解釈していたらしい。
「で、お前はこれからどうするつもりだ?」
 問われて、しばし考える。
 聖女と認められた事で、獣人種達の敵意も薄まった。
 国へ戻る船は、おそらく望めない。
 それならば。
 レイザは両手を握り締め、頬を紅潮こうちょうさせて言った。
「あたしを、ここに置いてもらえませんか?」

「レイザ、また手紙が届いたぞ」
 そう言って、リドがガラス瓶を手渡す。受け取ったレイザは中身を取り出して文面に目を走らせると、元通りに丸めて瓶へ押し込んだ。
「助けを求められても、ここから国へ渡る手段がない以上、あたしにはどうにも出来ないから」
 レイザがここに辿り着いてから約一年が過ぎ、獣人種との生活にも馴染んできた。
 最近になって、こうして手紙が流れ着くようになった。内容はいつも同じ。
『国が危機に瀕している。聖女よ、もし生きてこの手紙を読んでいるなら戻って来て欲しい』
 ご丁寧にギーツ王子の署名入りだ。
 自分の都合で追い払っておきながら、危険が迫ったら過去の所業しょぎょうをなかった事にしてすがろうなんて、図々しさを通り越していっそ清々しささえ覚えて感動してしまう。勿論もちろん悪い意味で。
 しかしリドにも告げた通り、レイザには国へ戻る方法がない。せめて船が来てくれれば・・・・・・と思うのだが、人間の非力さでは最果ての孤島に辿り着くのは難しいのか、聖女の加護なしではここへ近付く事すら不可能なのか、迎えが来た事は一度もない。届くのは流されて砂浜に打ち上げられる瓶詰めの手紙だけ。
「人間の事は人間同士で解決出来ますよ、きっと」
 言って、リドの腕に手を添える。てのひらから伝わる毛並みの感触と体温が心地良くて、うっとり目を細めた。
 リドから『聖女なら獣人族の血を惹いている可能性が高い』と教えられた時は半信半疑だった。
 しかしリドを初めて見た時、そのたくましい体躯たいくから放たれる獣の気配に心を奪われた。人間の男性相手には全然覚えなかった胸の高鳴りを、獣人種の男性にはいだく。
 それはやはり自分に獣人種の血が流れている事に起因きいんしているのだろうと、今なら受け入れられる。
 リドがやんわり手を離そうとするから、レイザは逆に力を込めて抱き付いた。リドは一瞬巨体を硬直させて視線を彷徨さまよわせーー慎重な動作でレイザの肩を抱く。二人の眼差しが交わり、微笑み合う。
 溢れんばかりの愛しさと幸福感を伝えたくて、レイザはリドの腕に口付ける。ちらりと視線を上げると、そこには照れて熱を持ったリドの顔があった。
 リドは壮年そうねんの年寄りだとおのれ卑下ひげするが、年齢を重ねた者が持ちうる風格や余裕は、レイザにとってこの上なく魅力的に映る。
 最初はすげない態度だったリドも、レイザが好意全開で押して押して押しまくった結果、今では彼女を女性として意識してくれる様になった。
「今日の夕食は何にしましょうか?」
 今夜こそ『お前を食べたい』と言わせたい!
 期待を込めた眼差しで、レイザはリドを見上げた。
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