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#14 2500年後の涙
#1 恋の奴隷
しおりを挟むどこで道を間違えたのだろうか。
ずっと暗闇の中を歩き続け、何かを探している。それは、ここがどこで、何で歩いているのか、何故俺は歩いているのか。その全てが分からない、と思いながら闇を彷徨っている男がいた。いやいや、男といっても若い男性ではなく、全国どこにでも居る『おっさん』である。その『おっさん』にとってこれは青天の霹靂、決して誰かのサプライズとは思えない程、夢であれば今すぐにでも覚めてほしい悪夢のようなものだった。
(なんなんだこれは。どうして俺が……)と繰り返し念仏のように唱えるが、この状況を理解しようにも情報は何一つ有りはしない。分かることといえば、真っ暗で、どこまでも広そうな場所に居ることぐらいだろう。そこでおっさんの脳裏に真っ先に浮かんで来たことは己の『死』である。
(ああ、俺は死んでしまったのかもしれない)と、おっさんがこの状況でそう思ったとしても、何ら不思議はないだろう。しかし、死んでしまうような出来事が有ったのどうか、とんと記憶に無いおっさんである。
土曜日の夕方、自宅近くの遊歩道を散歩していただけで、そこに命を落とすまでの危険は無かったはず、と最後の記憶を振り返るが、まあ、死んでしまったものは仕方ないと諦めるのも早かった。それは、おっさんの為に涙を流すような奇特なお方は居なかったせいもあるだろう。ならばと、どこかに急いで向かう必要は無いはずで、いずれ迎えが来るだろうと歩みを止めたおっさんである。それに、死んでしまった以上、もう働く必要もなく、何かを心配したり些細な事に振り回される事の無い、ある種の開放感さえ込み上げてきたようだ。
そう思うと、次は誰が迎えに来るのだろうか、という事に関心が移ったおっさんである。しかし、お迎えとなればそれは親族か何かであって、決して知らない人物ではないはず。それは、特に逢いたい人が居る訳ではなく、きっと祖先の婆ちゃんが、「ほれ、こっちに来んさい」とかなんとかで手招きしてくるのだろうとしか想像できなかったおっさんである。
(いやいや、そんな詰まらないことを想像してどうするんだよ、俺)と、浮かんできた光景をかき消すおっさん、最後だけは俺の望みを叶えてくれよと必死で何かを探しまくるのであった。
そして漸と思い付いたこととは、美しい神様と出会い、勇者として異世界に転生する、といった、ちょっとおっさんには似合わない願望を抱いたようだ。ふむ、このおっさんは、もしかしたら唯のおっさんではなく、『オタクのおっさん』だったかもしれない。それとも『夢見るおっさん』か。それでも基本属性としての『おっさん』は不変である。
◇
暗闇の中で妄想を膨らませるおっさんの眼に一筋の光が飛び込んできた。その光を見た途端、虫が光の虜になったかのように走り出した。それは希望の光、未来への扉、それは全ての答えに思え、全力全開、全てを捧げるかのようにアスリートと化したおっさんである。恐らくこれ程の全力疾走したのは小学生以来だろうと、幼少の頃を思い浮かべたが、何故そんな古い記憶を今思い出したのかは本人でも分からないようだ。それは多分、『走る』ということこで童心に帰ったのではなかろか推測しておこう。そこで、『少年の心を持ったおっさん』の称号も与えておくことにする。
光に向かって走るおっさんではあるが、万物の法則により、走れば走るほど遠ざかり、立ち止まればそれは一際光輝を放つもの。そう容易く手に入れられては困ると言わんばかりに、どこまでも遠く、それでも近寄れそうな距離感がむず痒い。きっとこれを考えた者は、どこかが捻じ曲がっているに違いな、と怒りを覚えるおっさんである。そう、いい加減にしやがれ、この野郎である。
そんなおっさんに、ある名案が浮かんだようだ。それは、近づこうとすれば離れて行くのだから、その手に乗らなければいい。つまり、光に対して無関心を装ううことにしたおっさんである。これならこの仕組みを考えた奴はきっと悔しがるに違いない、伊達におっさんをしている訳じゃないぞと、その者、神に挑む、若しくは逆らうおっさんである。それこそが若者には持ち得ない『おっさんの称号』なのであろう、うん。
ということで、おっさんの読みは的中し、光の方から『見て見てー』と近寄ってきたではないか。ところが、だ。その光を見つめていた『おっさん』の頭は目眩でクラクラになり、立っているのも『やっと』の状態に陥る。それもそうだろう、使い古した目玉は、許容範囲を遥かに超える光源によって堅焼き状態。おいおい、歪んだ顔、その口から涎まで垂れてきたぞ。そこで『おっさん』であることを証明をしなくてもよいだろう。ほら、もう膝がガクガクではないか——と言ったそばから崩れるように倒れたおっさんである。
そんな『おっさん』にお構いなく、光がドンドンおっさんに近づいてくる。それは、小さな点だったものが、今ではおっさんを飲み込んでしまいそうなくらい『でっかく』成長し、畏怖の念を抱かせるには十分な代物と成りつある。どうする? おっさんである。そして、その光の中、若しくは光の向こう側に何があるのか、という興味本位だけで動くおっさんの眼は既に機能不全。これで、役に立たなくなった部位がまた一つ増えたようである。
しかしここで、何かが開きかけている。見たいのに見れないおっさんは、興味本位を別のものに置き換え、何かを見ようと必死に、いや、捉えようとしているようだ。それでもそれは無駄な努力、どこかで『無駄』の連呼が耳鳴りのようにおっさんを抑えつけようとするが、何かが開こうと頑張っている。それは下心と理性の最終決戦に似ている、ように思える。駆け引きか、それとも強行突破か。または戦略的撤退を考慮すべきか。それらを選択している余裕は無いはずなのだが、おっさんの欲は止まる所を知らない。
そうしてやっと、とうとう、遂にと言うべきか、何かが開いた、開いだぞおおお。と、おっさんは叫んだ。正確には心の叫びというやつである。『おっさんの称号』を持つおっさんが、そうそう無闇矢鱈と大声で叫ぶような下品な振る舞いをする訳がない。況して恥ずかしいとか、大きな声を出せないなどの言い訳は無用である。
だが、ここで少々詫びておこう。何かが開いた、開いたのだが、それは一体なんなのか。それは、それは、おっさんの『瞼』である。そう、眼の上にあって、眼を覆う『あれ』である。きっと誰にでも標準装備されているであろう『あれ』だ。
なんだと! と思われるかもしれないが、それは全て、おっさんの妄想が悪いのだ。暗闇を這いずり回り、近づけば遠ざかる光を求めて彷徨った『おっさん』である。淋しかったであろう、辛かったであろうと、おっさんの心情を汲み取れば情状酌量の余地が微かではあるが存在するはずだ。それに、瞼が開いたということは、何かが見えた、ということでもある。さあ、何が見えたのか、その先が、気になる、気になったので、話を進めよう。
おっさんは瞼を開ける前から倒れていた。それは妄想ではなく現実に倒れていたのだ。だから見えてきたのは下から見上げた光景である。そこから見えてきたのは数メートル先にある『人の足』である。それも微妙に細い(かもしれない)綺麗な(かもしれない)素足である。勿論おっさんは一瞬でそれが女性の脚であることを称号に賭けて見抜いたようだ。そしてその脚は左足を上にして組まれており、腰のあたりに若々しい(かもしれない)両手が可憐に(かもしれない)添えられていた。
おっさんの妄想は暴走しかけていたが、それをぐっと抑えこみながらワザとゆっくりと視線を上に移していく。勿論それには理由があるのだが、もしそれが若い女性でなかったら、絶対、『ふざけるな!』と抗議してやる、と誓ったようだ。しかし、そんなおっさんのお楽しみを奪うかのように、
「陽一、あなたはこれから13号となります。そして13号は現時点を以て私の……、私の……奴隷になりました。私の命令に従ってください、いえ、従いなさい。なお、従わない場合や抵抗した場合、即座に処分されますので気を付けて下さい……気を付けなさい」と、おっさんをいとも簡単に蹂躙した女性である。
それに、(はあぁ?)と心の中で思いながら、それでもそれは形ばかり。女性の言った言葉の意味よりも、(お前はいくつなんだよぉ)と一気に顔を上げたおっさんである。もし、声だけ若くて実際は◯◯だったら、おっさんの心は確実に折れていたことだろう。いや、一体何を期待しているのか、とてもおっさんの胸の内は分からないが、顔を上げたことで周囲の状況を的確な視線移動で確認し始めたおっさんである。因みに『陽一』とはおっさんの名前であったが、改名して13号になったらしい。
では、おっさんの視線を順に追っていこう。まず、見えない部分で一瞬、視線が止まったが、それを相手に悟られない術をおっさんは心得ている。次は待望の上半身になるが、おっさんの期待が裏切られることはなかったようだ。俺よりも10、いや15、いやいや20若いと言っても良いだろうと見立てたところで満足したようだ。ただ、女性の顔に何やら見覚えがあるような、そんな気がしてならないようだが、そこは保留とし、その女性は3人掛けソファーの中央に座り、慎ましいが、隠しきれない緊張した様子が滲み出ているのをおっさんは見逃さなかった。そんな女性の居る部屋は洒落た間接照明だけで、まるで高級ホテルを思わせるような雰囲気を演出していた。そしてその後ろには大きな窓ガラスがズラッと並び、更にその向こうには、かなり高さのありそうな建物が幾つか見て取れる。それらと比較対比すると、相当な高層階ではなかろうか。そうなると、ここは高層マンションの一室、リビングといったところか。
これらの情報を職業柄、瞬時に読み取ったおっさん、それを(何時ものことさ)と鼻高々で悦に入るが、その職業とは泥棒のことだろうか。それはともかく、周囲の状況を確認したところで、次はおっさん自身のことである。おっさんは最初も今も床に倒れたままなのだが、それは『ずた袋』のような袋に入っていたからである。それもその袋から頭だけがチョコンと飛び出す程度の、それは大きな袋である。そして、やけにスースーすると思い、体を摩って見ると、あらやだ、一糸纏わぬ姿ではないか。思わず袋に入った裸のおっさんを想像するだけで、かなりヤバそうである。そのおっさんも自分で袋の中を覗く気にはなれないようだが、おや、待てよ、首の辺りに何か有るようだ。どうやらそれは、首に巻き付いているようで、その形状や位置からするとネックスレス、と思いたいが、恐らく首輪の類だろう。
こうして、あらかた状況を把握した裸のおっさんは、顔を赤らめながら、こうなった経緯を考え始めた。
俺がこんな袋に入れられていることと、女が言ったことを考え合わせると、つまり俺は奴隷商人に拉致され、知らぬ間に売り飛ばされたのだろう。そして俺を買った女は、言うことを聞かないとタダでは済まないぞ、と脅している訳だ。だがな、ようよう、奴隷商人といい、この女といい、何か勘違い、致命的なミスをしてないかと問いたい。何故なら、ふふっ、分かるだろう、俺がここで狼に変身したら、買主であるこの女は俺様の格好の餌食、ではないのか。それにこんな袋に閉じ込めたつもりなんだろうが、へへっ、笑わせてくれるじゃないか。こんなの、何時でも飛び出すことなんて簡単なことだろう。だが、しかしだ。それは飽くまで普通の奴が思い付くこと出会って、俺は、俺は、紳士なんだ。ちょっとだけ想像しただけなんだ。だから、俺は、そんなことは、しない、はずだ。しない、つもりだ、——場合による。
裸のおっさんはアレコレと考えたようだが、とどのつまり、奴隷だ裸だと言われようが、この部屋に出現した瞬間、一目で女性に惚れてしまったようである。ということは、正真正銘、恋の奴隷といったところか。それで、おっさんが納得するのなら、全ては丸く収まったことになるのだが、どうだろうか。
◇
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