ある時計台の運命

丑三とき

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旅路

ある時計台の話

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長風呂でほてった体を冷ます。

ジルさんは風呂上がりの飲み物を用意してくれた。半透明のそれはレモンのような酸っぱさが喉を爽やかに刺激して、ふわっと甘みが鼻に広がる。軍では訓練後など体を動かした後に飲む人が多いらしい。スポーツドリンクのようなものかな。

体調もだいぶ良くなってきた。明日皆さんの足手纏いになっては大変だから、すぐ出発できるよう荷物くらい整理しておかなければ。といっても着替えくらいしか持って来ていないけど。

トランクを開いてそれとなく着替えをまとめる。家族旅行は行ったことが無いし修学旅行も特に思い出は無い。最近した外泊といえば会社に泊まり込みか出張くらいだ。
今までで最もワクワクする遠出に、つい浮き足立って意味もなくトランクを開けたり閉めたり服を広げたり畳んだりしてしまう。

トランクの底、着替えの下にはたくさんの紙が入っていた。声が出るようになったからもう使うことはないけど、今まで書いて来たやつは大切にとっておかないと。


そうこうしているうちに、あれよあれよと消灯の時間を迎えてしまった。二つあるベッドの一つに腰掛けて、灯りを消そうとするジルさんの手を目で追いかける。


「あの」


僕の声に反応した手がピクっと止まる。
僕はこれから自分について話そうとしている。本当に話すのだろうか?話したらどうなる?もしかしたら不法侵入者として裁かれるかもしれない。純粋な人間はもうこの世界にいないって言ってたから、物珍しさに人体実験されるかもしれない。
それでも、この人を目の前にすると不思議と勇気が湧いてくる。自分のことを包み隠さず伝えたいと思ってしまう。


「僕、ジルさんに話さなければいけない事があるんです」

「その前に、一つ尋ねても良いか」

ジルさんは隣に座って来て、やっとのことで奮った僕の勇気に制止をかける。
やめてくれよ。踏み留まってしまいそうになるじゃないか。

「君のことを知りたいという私の言葉を気にして、無理をしてはいないか?今すぐでなくともいいのだぞ?私はいつまでも待つ」

最初に石頭と評した彼の人物像は、大体当たっているのだということを最近確信しつつある。

「僕が話したいと思ったんです。ジルさんが背中を押してくれたんです」

軽くなった心で再び覚悟を決めた。

「ジルさんは僕のこと、戦争の影響で教育を受けられていない民間人だと思って、色々と教えてくれましたよね。何を聞いても嫌な顔せず教えてくれて、何というか、幸せでした」

ジルさんが少し微笑んでいる。

「でも本当は、多分、きっと、間違いなく、僕は違う世界から来た人間です」

目を逸らしてはいけない。
紫色の瞳は真っ直ぐにこちらを捉えてくれる。とても心強かった。

「最初は夢でも見ているのかもしれないと思いました。自分の部屋で寝ていたはずなのに目が覚めたらあの地下室に居て、状況が良く分からなくて。でも、この感覚は夢ではなくて現実。何より非常識的な事が多過ぎる。ここは違う世界だということをはっきりと認識しました」

一度スタートを切ってしまえば、堰を切ったように言葉が流れ出ていく。

目の前の表情は驚愕と緊張を含んだ複雑なものに変わってしまった。
「この人の感情が読み取れるようになること」、と小さく定めた目標は達成間近を示唆している。

「助けてもらってからあの小屋で生活し始めて、この短い期間にたくさんの優しさや感情をもらいました。
何が起きてこんなことになったのか分からないけど、あなたの恩に報いたい。そのためにこの世界で、何が何だか分からないけれど取り敢えず生きてみようと思いました」

紫色の目に再び穏やかさが戻る。


「でも最近、分からなくなる時があるんです。
美味しいとか楽しいとか嬉しいとか、そういう気持ちを共有したりするのが初めてだから。
幸せすぎて、本当に自分が生きているのか分からなくなる時があるんです。
誰か別の人の人生を歩んでいるんじゃ無いかと思ったり、やっぱり夢なのかなって思ったり。本当にここに存在するのか分からなくなる事があるんです」

喋っているだけで喉がツンとつっかえ、目が熱くなる。胸がむせ返るほどの波にさらわれそうになる。


「ジルさん、僕は、ちゃんとここに居ますか?」

話が明後日の方向にいってしまった。こんな事を言いたいんじゃないのに、ありがとうとごめんなさいをいっぱい伝えたかったのに、言うつもりじゃなかったことばかり口からポロポロと流れ出してしまう。

自分が今どんな気持ちなのか分からない。感情が目に見えない事がこれほど心細いと思ったのは初めてだ。

突如、体に大きな圧力が押し寄せた。
なんか、こんなこと前にもあった気がする。肩がぎゅうっと締め付けられて、背中まで抱え込まれて、頬も大きな胸に押しつけられて、とても痛いけどやっぱり幸せな気持ちになるんだ。


「アキオ、君はここにいる。ちゃんと存在している。今日、自分の体を躊躇なく傷つける私の事を叱ってくれたのが君だ。先程優しい手つきで背を流してくれたのが君だ。今、私の腕の中で涙を流しているのが君だ」

言われて初めて泣いていることに気がついた。自覚したらもう止まらなくなる。

「アキオはちゃんとここに居る」

あたたかい光が体中に広がっていくようだった。

「ふっ、ううぅ」

「我慢するな」

今までのことが頭を駆ける。
心をできるだけ無にして生きていたこと。そのおかげで地下室での屈辱的な日々に耐えられたこと。ジルさんにスープを飲ませてもらったり風呂に入れてもらったり、頭を撫でられたり叱られたり抱きしめられたり。
もしこの幸せに慣れた今、再びあの地下室で過ごすことになったとしたら、恐らくその辛さにとてもじゃないが耐えられないだろう。


「よく話してくれた。勇気が要っただろう。ありがとう」

これからどんなことが待ち受けてるんだろう。
異世界の扉が閉ざされたこの世界で間違いなく異端である僕はどうなってしまうのだろうか。

ジルさんは腕から僕を解放し、再びこちらを見据える。発せられる優しい声に耳を澄ませる。

「下手に気を遣っても不安にさせるだけだろうから、正直に言う」

「・・・はい」

「個人的には、『信じられない』というのが本音だ。
以前伝えた通り、6000年以上も前に異世界への扉となる時計台は封印された。召喚魔術もだ。しかし、それからも時計台は作られ続けたのだ」

「始祖がせっかく破壊したのに?」

「自分たちの先祖が大切にして来たものを守り続けたいと思ったのだろう。実際、今でも時計台はこの世界の象徴とされていて、歴史教育では自国の時計台について学ぶ国も多いと聞く」

そっか。始祖人は始祖にも敬愛を持っていたんだもんね。始祖が叡智の象徴として大事にしてたものを後世にも伝えていきたいと思ったんだろう。

「始祖人や人間が築く時計台は、遠い昔に始祖が築いたそれと比べて、異世界へ繋がることは稀だった。恐らく魔力の大きさが関係しているのだろう。
いくつかの時計台は、別の世界の『時間を示すもの』、例えば陽の動きを観測する岩や一定時間で水が落ちる水釜などと繋がったこともある。どの世界にも人間は居なかったらしいがな。

それに、異世界と『繋がった』だけでは何の問題も無い。召喚魔術は既に封印されているから異世界から生物を召喚できる者は居ないし、万が一発動が確認された場合、その者は極刑に処される。つまり、禁忌の術というわけだ」

やはり、禁忌。
別の世界と繋がらないわけではないという話を聞いて少し希望が見えたが、やはり僕が異端な存在であることに変わりはないのだろう。

とすると、僕を召喚して禁忌を犯した人がいるということ・・・?

「それ以前に、今の人間に召喚の魔法を扱うのは不可能だ」

ジルさんから出た言葉はさらに僕を落胆させるものだった。


「まず魔法を使うためには、誰かがその魔術を構築して魔術書を作成し、使う者は術書をもとに習得して初めて発動することができる。
召喚術は、消費する魔力も多く術式も複雑なので、多大な魔力を持つ始祖にしか扱えないらしい。従ってHG(ヒューモジェニター
)歴が始まってからこちら、召喚術が使われることはなかった。134年前までは」
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