ある時計台の運命

丑三とき

文字の大きさ
上 下
2 / 171
幕開けのツリーハウス

目覚めた場所

しおりを挟む
息の吸いづらさとほこりのにおいで肺に少しずつ疲労が溜まり、ついに息苦しくなって目を開けると、石のように硬くて冷たい床が目に入った。
目に入ったといってもあたりは薄暗く、見渡しても広さがかろうじてわかる程度だ。6畳ほどだろうか。天井は高そうだ。家具のようなものは見当たらないから、決して自分の部屋ではないこともわかる。鬼の業務で荒廃していた我が家の惨状とは程遠いからだ。

とにかく体がきしんで辛い。少し身じろいだところで、床に直接寝転んでいることに気がついた。すじという筋が悲鳴を上げている。意識した途端に痛みも増す。
ひとまず凝り固まった四肢を思い切り広げようと体を動かすと、両手が何かに引っ張られるような感覚を覚えた。

ーーーへ?と出そうになった声をなんとか引っ込めて、状況を把握することに神経を集中させる。そうでもしないとこの意味不明な状況にちょっとしたパニックを起こしそうだった。

ひどく寝違えたように痛む首をなんとかひねって背後を向くと、壁が目に入る。続いて何かポールのようなものが低い位置に取り付けられているのを確認した。病院の廊下などにある、あのバリアフリーの、足が悪い人などが握って歩く、あの。

腰あたりの握りやすい位置に設置してこそ意味をなすこれを、こんなに低いところに何のために。
こんなふうに人を拘束するためだとは思いたくない。が、後ろ手にまとめられた両手を背後のポールに括り付けられていては冷や汗が止まらない。
拘束具は触った感じ金属っぽいので、自分でどうこうできる代物ではないだろう。

なんだ、これ、何が起こった?

現在の状況をあらかた把握したところで、目を覚ます以前の記憶を恐る恐る叩き起こす。




5年前に起きた連続殺人事件。その犯人が先日逮捕された。非常に凄惨なものだったらしく、先輩記者や上司たちが「あの時の!?」「残酷だったよね」と騒ぐ中、そんな事件あったっけ、と他人事に思えたのは、まだこの仕事を始める前で、どこかの誰かがどこかの誰かに殺されたなんてことに、まだこれといって興味が湧かなかったからだろうか。

朝5時に電話で職場に呼び出され、警察が公表した犯人の職歴を参考に、知人や関係者を捜し出し、リストアップし、日が登ったら片っ端から訪問・電話する。それが僕に与えられた役割だった。
なんでも被害者は4人いて、ご遺体はいずれも首が深く掻き切られ、臓器などは剥き出しになり「切り裂きジャック再来か!?」と全国ニュースで当時何ヶ月も流れたとのこと。
そういえばそんなこともあったかもしれない。

現着すると、すでにメディア関係者で人だかりが起きている場所もあったし、全く静かな場所もあった。ああそんなこともあったね、へぇー逮捕されたんだ。と僕のように他人事の人も割といた。でも、だいたいは

やめてください。迷惑です。知りません。関係ありません。

返って来る声なんて予想していた。

怪訝な顔で追い払われたり無視される程度ならまだしも、腕を掴まれて差別用語で罵られることも少なく無かった。
もちろん多少気は悪くなるが、傷つく余裕もない。だって気持ちは理解できる。急に見知らぬ人間にインターホンを押され、懐疑と探りの目でプライベートに踏み込まれ掻き回される。
1人去ったらまた1人。次々そういうのが来る。
僕のような新聞の人間だけでなく、テレビ、週刊誌。ネットニュースサイト。表現の自由が許されていることにすら胸糞悪くなるんだろう。その当然の怒りを受け止めつつも、とにかく上からの指示に従うしかできることは無かった。
犯人の周辺人物への取材が落ち着いたら、被害者遺族のところにも行かされた。


最初は、大きな事件もなさそうな田舎の局に配属されて少し残念だった。
大勢の人間の世界に触れたいと望んでいたのに、人口も少なく大して話題性もなさそうだったから。

思った通り、担当地域の紙面は至ってほのぼのとしていた。
新たな事業を立ち上げた小さな会社の役員と茶を飲みながら「その丁寧で真摯な姿勢、勉強になります」と言う。
高校生が力を合わせて商品開発したレトルトカレーをしみじみ味わいながら「これは美味しい。絶対売れるよ。県外の人にも食べて欲しいね」と言う。
後継者不足で衰退寸前の、地域の祭りの実行委員たちに話を聞きながら「この伝統は後世にも繋いでいくべき素晴らしい文化です」と言う。
そういうちょっとした話題をささやかに、真剣に取材するうち、環境がどうであれ人間ひとりひとり全く違う世界があることを学んで少し希望が見えた。

上司からは、「お前は表情が無くて何を考えているかわからない。しかし癖の強い読者や胡散臭い先方に舐められることがないからそこが良い」と、色々な仕事を与えてもらった。
与えられたことを、自分が出せる最大限の力でやっているつもりだった。

しかし、急にこんなにも『いわゆる新聞記者』な生活を強いられると、今までぬるま湯に浸かっていた気分にさせられる。

泊まり込み3日目の午後11時、「明日は6時までに来い」と帰宅を許された。

特にこだわりもないアパートの一室に帰っても、これといってすることは無い。
浴室乾燥していたままの1週間分の洗濯物を部屋に放り投げ、烏の行水。
バスタオルはリビングに落として寝室に向かう。途中、床に積み上げたままだった本に足を引っ掛けて転びそうになるが、散乱した本たちに今は構う気になれない。
早く横になりたい。
会社の仮眠室でも眠れることには眠れるが、扉の外で誰かしら叫んだり走り回ったりしている状況は安らかではないのだ。

田舎で全国規模の話題があるとこんなにも忙しいのか。

連日、内容が濃かったなあと天井を見上げる。
忙しいけれど、新聞記者という職業柄こんなことがこれからもしばしば起こり、起こるたび人間らしい生活を忘れて働き続け、ことが収まったら日常に戻って「平和だなあ」と感じ、またたまに泥のように働き、それの繰り返しなんだろうな、とこれまた他人事のように思う。

生きていく上での確固たる信念や欲望とかは無い。
入った郷にはわりと従える性格で、つまりは与えられたことをするしか能が無い。
思えば、人の死に対して実感が湧かないのは、僕自身がまだ生まれてきたことを受け入れてないからというのも理由の一つかもしれない。まだ生きると決意していない身には、何が起こっても他人事だった。


物心ついた頃から、両親が自分に無関心だということはなんとなく気づいていた。
話しかけても無視されることの方が多かったし、食べるものも小学校で出る給食くらい。家ではほとんど何も与えられなかった。髪の毛は伸びっぱなしでボサボサだった。クラスの子に「おばけ」と罵られてたり「変な人」と距離をとられたりしたこともあるが、両親に無視され慣れていたから、特に悲しいとかは無かった。

小学校低学年までは気を引いてみたこともある。頑張っていい成績を残したり、粘り強く話しかけてみたり。成績が良くてもやはり関心は無いようで撃沈。話しかけすぎてしつこかったのか、叩かれたり水をかけられたりしてこちらも撃沈。

いつしか、もしかしたら自分は本当は生きていないんじゃ無いか、と考えるようになった頃のこと。小6の終わりに、家に知らない大人が数人来た。そして中学からは「施設」というところで生活するようになった。

そこの大人はみんな優しかった。友人もできた。しかし味気なさは消え去らない。自分の周りに膜が張っていて、自分だけ現実とは別の場所に居るような色褪せた感覚。ここから逃げ出したいと常に思っているのに、どこから逃げ出したいのかが分からない。

自分は本当に生まれてきたんだろうか。本当に、今この瞬間に生きて存在しているんだろうか。もし夢を見ているのならそれでいい。いつか覚める可能性があるから。
でも本当に生まれてきて、実際に生きているのだとしたら、それはなかなか受け入れ難い。

僕が生きている理由は、死ぬのが怖いから。ただそれだけ。

世界を広げれば自分の適する場所があるかもしれない。そう考えて現実との接点を持つためにたくさんアルバイトもした。接客業では、店員を機械だと思っているのか返事もしない人と、とても丁寧に受け応えする人がいて、同じ生物だと思えなくて面白かった。新聞配達では、数少ない町行ゆく人に、1日の始まりを迎えたばかりの人と、これから1日を終える人が入り混じっていて世界の歯車の一員になった感覚が嬉しかった。
もっと、もっと現実を感じたい。と、より不特定多数の人と接触がありそうな新聞記者として働き始めたが、どんな人物のどんな世界に触れても、自分の世界の温度は冷たく保たれたままでいる。

小さな会社の大きな努力を応援しつつも、「うまくいってもいかなくても大きな影響は無いか」。高校生の試行錯誤を労りつつも「売れるも売れぬも成り行き」。歴史ある祭りがなくなっても「時代だしね」。

温度の無い自分から目を背けて無理矢理でっち上げた「やりがい」。
物心ついた時から付き纏う「生きていることに対する虚無感」を、仕事のやりがいという栄養剤で対症療法的に受け流しつつ、「良い加減目の覚めない明日が来てくれないものか」と夢見ていた。

人間の身体は正直だ。いくら物事に現実感が沸かずとも、目が覚めることに対して沁みる絶望は確かに日ごと蓄積し続けていたらしい。
いつも通り、明日という意識の最初には絶望が待っているんだろうなあ、と、もう動かなくなりそうな頭で考えて、3日ぶりに自分のベッドで眠りに落ちた。

そこまでは思い出した。



いや、だからといって、この状況はサプライズすぎる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~

クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。 だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。 リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。 だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。 あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。 そして身体の所有権が俺に移る。 リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。 よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。 お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。 お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう! 味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。 絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ! そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

ガチャテイマーはもふもふを諦めない。〜フェンリルを求めてガチャを回すがハズレのようです。代わりに来たもふもふをモスモスしたら幸運が訪れた〜

k-ing ★書籍発売中
ファンタジー
第一部ざまぁ編 完結 第二部スローライフ編 突入  主人公は妹と二人で暮らしていた。両親は仕事に行ったきり帰ってこず、残されたのはわずかに風と雨が凌げる家だけだった。  そんな彼らを襲ったのは妹の難病。 ――魔力喰い  体の中にある魔力を少しずつ食らいつくと言われている。やがて体の中の魔力がなくなると、生命まで食らいついてしまうという病気。  妹を助けるためには、魔力を与える必要があった。  だが、兄にはそんな力がなかった。兄のスキルは【ガチャテイム】。魔物を倒した時に稀に手に入るコインを使って、魔物をテイムするスキル。  力もなく、金もない主人公はどうすることもできず、パーティーの荷物持ちとしてお金を稼いでいた。  ある日、Aランクパーティーの荷物持ちとしてダンジョン攻略に向かうことになる。  だが、主人公はダンジョンボスの囮として雇われていた。  死を覚悟した主人公はあることがきっかけで、ダンジョンボスを倒してしまう。  目の前に現れたガチャコイン。  ゆっくりとガチャを回すと、もふもふと愛らしいフェンリル?が現れた。  兄妹の人生を変わり者のフェンリル?との出会いが、次々と幸運を巡り寄せていく。  いつかあのフェンリルにお礼を伝えたい!  主人公は今日もフェンリルに会うためにガチャを回す。 ※表紙はAIイラストで作成。著作権は作者にあり。 感想コメント大歓迎です(*´꒳`*)

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

身代わり男装騎士ですが、副騎士団長様に甘く暴かれました

卯月ミント
恋愛
侯爵令息に婚約破棄された伯爵令嬢ユベルティナは、男装して騎士候補生となった! 病に倒れた双子の弟ユビナティオに代わり、男装して騎士候補生として王立賛翼騎士団に入団したユベルティナ。 そこで待っていたのは公爵家出身で女嫌いな副団長ロジェだった。 副団長補佐官となった男装騎士候補生ユベルティナと、真面目で女嫌いな副団長ロジェの、戸惑ったりイチャイチャしたりするお話です。 *ゆるゆる設定です。 *R18エピソードは物語の後半に出て来ます。なお、軽いR18シーンには☆、濃いR18シーンには★を付けてあります。 *この作品は、他サイト様にも掲載しています。 *hotランキング2位になれました!!!ありがとうございます!!!!! *読者さまのお陰で、無事に完結を迎えることができました。心より御礼申し上げます。 *沢山の読者様に読んでいただいた感謝の気持ちを込めて、番外編を書かせていただきました。お楽しみいただけると、嬉しいです。 *アルファポリス様のノーチェブックスより書籍化いたしました!みなさまのお陰です。本当に、どうもありがとうございます! *書籍化にともないまして、アルファポリス様の方針により、5月17日に本編部分を取り下げさせていただきました。本編のご愛読、まことにありがとうございました! *書籍化にあたってタイトルが変わりました。旧題『男装して騎士候補生になったら、女嫌いの副団長様にとろとろに蕩かされてしまいました』→新題『身代わり男装騎士ですが、副騎士団長様に甘く暴かれました』です! *書籍化記念番外編更新終了です。お読みいただきありがとうございました! *お気に入り登録、エールをありがとうございます!本当に励みになります!

【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく
ファンタジー
 「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。  さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。  失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。  彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。  そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。  彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。  そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。    やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。  これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。  火・木・土曜日20:10、定期更新中。  この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。

攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

中屋沙鳥
BL
幼馴染のエリオットと結婚の約束をしていたオメガのアラステアは一抹の不安を感じながらも王都にある王立学院に入学した。そこでエリオットに冷たく突き放されたアラステアは、彼とは関わらず学院生活を送ろうと決意する。入学式で仲良くなった公爵家のローランドやその婚約者のアルフレッド第一王子、その弟のクリスティアン第三王子から自分が悪役令息だと聞かされて……?/見切り発車なのでゆっくり投稿です/オメガバースには独自解釈の視点が入ります/魔力は道具を使うのに必要な程度の設定なので物語には出てきません/設定のゆるさにはお目こぼしをお願いします

婚約破棄されて異世界トリップしたけど猫に囲まれてスローライフ満喫しています

葉柚
ファンタジー
婚約者の二股により婚約破棄をされた33才の真由は、突如異世界に飛ばされた。 そこはど田舎だった。 住む家と土地と可愛い3匹の猫をもらった真由は、猫たちに囲まれてストレスフリーなスローライフ生活を送る日常を送ることになった。 レコンティーニ王国は猫に優しい国です。 小説家になろう様にも掲載してます。

処理中です...