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第1章 始まり

少女の大切なもの

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 小径こみちを歩き出してから5分も経たずに、僕たちは丘の端に出た。

 丘は草原で、サッカー場よりひと回り小さいくらいの広さだ。
 森から見た草原は、左側にずっとフェンスがあって、下は崖になっている。
 100メートルほど続く先でフェンスは右に曲がり、木立に繋がっていて。そこからこっちの森に向かって草原の右側を続くその木立の向こうに、やかたの黒い屋根が見えた。



 草原にちょっと足を踏み出したところで、奏子が背伸びをして館のほうを見る。

「誰も見てない?」

 僕の見える範囲に、人の姿はない。
 館からこっちを見ている人も、たぶんいない……と思う。

「大丈夫だよ」

 くるりと向きを変え、奏子が森へと戻っていく。
 小径を少し行って左に外れると、高さ90センチくらいの大きな切り株にべニア板が斜めに立てかけてある場所で足を止めた。

 後ろをついてきた僕から切り株を隠すように立ち、奏子が口を開く。

「ここはね、ヒミツのおうちなの。ジャルドは、ちゃんとヒミツ守れる?」

「もちろん。ちゃんと守るよ」

 奏子が満足そうに微笑む。

「ちょっと待ってて」

 切り株とべニアのおうちの前に屈み込む奏子。

「みんな、元気にしてた? 今日はお友だちを紹介しまーす」

 ガサゴソとしゃがんだまま後ろに下がってきた奏子は、小ぶりの段ボール箱を引きずっている。

「今日からお友だちになった、ジャルド」

 奏子が僕を手で示し、箱の中の何かに紹介する。

「ジャルド。こちらは、クロ、チャロ、ハロ。仲良くしてね」

 箱の中を覗き込んだ。
 自然に口元がほころぶ。

 クロ、チャロ、ハロは、子猫だ。

「よろしく。クロ、チャロ、ハロ」

「ね? とってもかわいいでしょ?」

「うん」

「毎日ね、ミルクとかあげに来てるの」

 僕たちは切り株を背にして座り、3匹の子猫を代わる代わる抱っこした。



 子猫たちはまだ危なげな足取りで、か弱い泣き声をあげて甘えてくる。
 柔らかくてあったかい……これぞ『命』って感じ。

 黒い毛の子猫がクロ。
 茶色い毛の子猫がチャロ。
 灰色の毛の子猫がハロ。
 
 シンプルな名前のつけ方が、子どもらしくていい。



「この子たち、どうしたの?」

「下のバス停の近くで……拾ったの。もっとずっとちっちゃくて、ほっといたら死んじゃうって思って」

「いつ頃か覚えてる?」

「んーと……保育園の運動会の次の次の日くらい」

 運動会がいつだったかわからないし、子猫にも詳しくないけど……たぶん、生後1ヶ月も経っていない。
 だから、おとなしく段ボール箱の中にいてくれた。
 だけど。
 猫や犬の成長は早い。
 あと1、2週間もしたら、箱の高さなんか軽々飛び越えてどこかに行っちゃうだろう。

「奏子は、この子たちのこと大切なんだよね」

「うん。だーい好き」

「おうちの人に、飼いたいって言ってみたら?」

 ある日突然、大切な子猫たちがいなくなって奏子が悲しまないように。今のうちに何とかできれば……。

 ただそう思って言った僕の言葉は、奏子の表情を一瞬で変えた。
 今にも泣きだしそうな瞳をした奏子が、膝に乗せてたチャロを胸に抱きしめる。

「奏子……?」

「ママが、飼っちゃダメだって」

「そっか……残念だね」

 もう却下されてたのか。
 それなら、残る対策は……。

「だけどね、おじさんが……ここをこの子たちのおうちにしていいって」

「え!?」



 おじさん!?
 まさか……!



「おじさんって……奏子の知ってる人?」

 奏子は僕をじっと見つめたまま黙っている。
 『おじさん』のことを僕に話していいのか、考えてでもいるかのように。

 追求しちゃダメだ。
 軽く微笑んで。

「そのおじさんが、チャロたちのおうちを用意してくれたの?」

 奏子が無言で頷いた。

「そっか。よかったな、クロ」

 クロを抱き上げて頬ずりした。
 二つの黄色く光る目で僕を見て、クロがミャアと鳴いた。



 痩せていて、まだ頼りない子猫。

 動物の赤ちゃんは確かにかわいくて、庇護欲を掻き立てる。
 自分が守ってあげなきゃ……っていう使命感を感じさせるんだ。

 奏子も同じ気持ちなんだろうか。
 奏子自身が、まだ庇護されるべき存在だとしても。

 おじさんのしたことは何か悪いことだって感じていても。
 ヤツの立場がまずくなれば、この子猫たちを自分一人では守れない……。
 奏子は、そう考えているのかもしれない。



 それ以上何も言わず、子猫たちと戯れた。

 奏子が話始めるのを待って……期待して。
 


 そして、その時はすぐに訪れた。


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