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第8章 はびこる不安

不安の中を -2

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 浩司を取り巻く闇の深さ。心にしまい込むことに慣れ切ってしまった悲しみ。彼を愛する希由香の記憶と祈り。それに重なる自らの願い。そして、心のひだから染み出して来るような、浩司の祈りへの不安。

 力の護りを持ち帰る以外にも、自分のになうべき役割があると、キノのどこかがささやいている。

 必然が連なる数奇すうきな運命の先にある未来の中から、幸福を選べるかどうかもまた、偶然ではあり得ない。しかるべき者たちのしかるべき行動、その思いが複雑に絡み合い、輪郭りんかくのない未来を過去へと押し流すのだから。

「今は、館に戻ることだけ考えなきゃって思うのに…どうしても、その後の不安が消せないの」

 M駅へと向かう鈍行列車に揺られながら、キノがつぶやく。

「あの呪いをく以外に、浩司が望むことなんて…全然思いつかない。それ以上の願いは、私にはないから。希由香も、具体的に何かは知らなくてもわかってた。だから、彼を救いたいと願ったの…」

 キノは、車内を映す窓に目をやった。

 一日のノルマを終え、帰宅するであろう人々。夜の下り電車の平凡な情景。

 慣れ親しんだ疲労感とともに家の扉を開ける時、昨日と同じ明日が来るという妄想を抱かぬよう。今日という現実は、常に予想の軌道きどうからわずかにれる。それがつねだと見定められたなら、未来をゆだねられた自らの手をいつくしむことが出来るだろう。

「浩司は何をするつもりなの…?」

 ガラスに映る涼醒のが、隣に立つキノの視線をとらえる。

「あいつが、一番望むことだろうな」

 浩司の背景を知らされてから、涼醒の不安も二つに増えていた。キノを無事に館へと連れ帰ること。そして、その心をも守ること。

「俺は…浩司の願いと、希音の願いが同じところにあることを願うよ」

 不安の正体が、キノの心をかすめていく。

「違かったら、自分がどうしたらいいのか、わからない。浩司のしたいようにするのが当然なのに…わかってあげられないかもしれない」

「わかるさ」

 思いつめるキノの頭を軽く撫で、涼醒が微笑んだ。

「その上で、おまえの気持ちを伝えれば、浩司もわかってくれる」

「もし…涼醒が今の浩司と同じ状況にいたら、何を願う?」

 涼醒は一瞬固まった表情を、ごく自然に緩ませる。

「何だろうな…。愛ってやつの、思いの深さも、その意味も…俺はまだわかっちゃいない。だけど…」

 二人の瞳が、切な気に互いを映す。

「知りたいと思うよ」



 午後8時40分。キノと涼醒は、再びM駅に降り立った。
 この12時間の間で二人の近くに存在したリシールは、エクスプレスが滑り込んだT駅のホームで、黙々と本を読んでいた少年一人のみ。

 辺りに気を配りながら、改札の手前で涼醒が立ち止まる。

「希音。不安にさせたくはないが…何事もなく終わると思うな」

「わかってる」

 それは確かな予感だった。

 キノは気づいていた。浩司の祈りに、ひどく不安を感じている。だが、そのことばかりに思いをめぐらせていたのは、こっちの不安から逃れるためでもあったのだと。

「人混みは安全なはずだ。奴らが警察沙汰を起こすことはない。全てのリシールは…社会に存在を知られるようなことはしないとちかってるからな」

「…涼醒も?」

「そうだ」

 涼醒が深い息を吐く。

「おまえは必ず無事に帰す。そのためにも…もしもの時の心構えが要る」

「何…?」

「希音が今ここにいるのは、護りをラシャに持ち帰るためだな?」

「…うん」

「護りがなければ、世界が崩壊することは知ってるな?」

「…うん」

「浩司がシキと約束してることも」

「うん…だから…」

「おまえが無事なら、護りも無事だし、浩司も無事だな?」

「そうだけど、でも…」

「なら…選べるな?」

 涼醒の瞳がキノに伝える。

 もしもの時に、何を優先しなければならないか。そして、一番大事なものを守るためには、それ以外のものをあきらめる必要があるかもしれない。

 キノは沈痛ちんつう面持おももちで黙り込む。

「そんな顔するな。もしもの時の話さ」

 涼醒はキノの背を押し、駅の出口へと歩き出す。

「本当は前向きに考えたいところだけど…ことがことだ。悪く転んだ時に、迷う暇がないともかぎらないからな。どうするか、頭のすみに入れておくだけでいい。それと、何があっても大丈夫、自分は強いと思ってろよ」

「私、弱虫だもん…。涼醒の方がよっぽど強いし、落ち着いてるじゃない」

「俺のは虚勢きょせいさ。希音を守るなんて言ってるくせに、オドオドビクビクしてたら、情けないだろ」

 笑いかける涼醒につられるように、キノが微笑んだ。

「わかった。何があっても、大丈夫よ」

 緊張しつつも心の安定を取り戻したキノのに、街の灯りが映る。頭上の星たちが気まぐれにまたたく。


 闇の深まりとともに、狩りが始まろうとしていた。

 今はまだ見えない下弦かげんの月が空に昇る頃、誰がどこで息をひそめ、何を待ち、願うのか。そして、やがてその姿を現す力の護りは、あかい光を放つことが出来るのだろうか。今キノのみに見せている、闇色の輝きではなく。
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