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第8章 はびこる不安
力の護りの待つ処へ -2
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高速で移動する列車の窓の外を、色づいた山々が通り過ぎていく。心地良い微かな振動の中、キノは浅い眠りから現に戻る。
R駅に終着するまで残り1時間弱。キノは雪のない景色から視線を剥がし、隣で目を閉じて動かない涼醒を見つめた。
よく眠ってる。涼醒も、随分無理してたんだな…。ただでさえラシャは辛いところだって言ってたのに、浩司が倒れてから全然休みもしないで…こっちに来てからはずっと神経尖らせて…。
T駅発のエクスプレスに乗車してまず始めに涼醒がしたのは、キノを連れて車内をくまなく見て回ることだった。
「この中にリシールは乗ってない。ひとまずは安心だな」
「R駅に着くまで、少し寝た方がいいよ。いくら精神力があっても、このままじゃ涼醒も倒れちゃう」
「平気さ。浩司がいない分、最後まで気は抜けない。明日、ラシャに降りてからゆっくり休むよ」
「ここは安全なんでしょ? 館に帰るまで何があるかわからないんだから、今少しでも休んでおかないと…」
「俺のことより、希音こそ疲れてるだろ。着いたら起こすから、眠ってろよ。何も心配しなくていい」
「私は涼醒が心配なの。いくらリシールだって、何日も一睡もしないで平気なわけじゃないでしょ? 涼醒が休んでくれないなら、私も休まない」
「…そんなこと言うなよ」
「涼醒に無理させたくないの」
「俺は…ずっと適当に生きて来て、どうしてもやり通したいと思うことなんか、何もなかったよ。だけど今は、おまえを守るって決めたんだ」
「でも…」
「希音、おまえに何かあったら、俺は自分を許せなくなる。俺はまだガキだけど…大事なものを守れる強さくらいはあるって思わせてくれ」
「涼醒…」
「俺に、使い過ぎてやられるほどの力はない。突然倒れやしないさ」
「…浩司は後悔してると思う?」
「倒れちまって、今ここにいられなくなったことをか?」
「うん。でも…それは結果だよね。あの時、私は気づいてあげられなかった。でも、わかってたのに浩司が無理したのは…今そうしなきゃ、後でもっと後悔するって思ったんじゃないかって。今はそう思える」
「実際、護りの在処はわかったんだしな」
「私、どうしてもって頼んだのは自分のくせに…浩司が倒れたっていう結果だけ見て悔やんだの。でもやっぱり、あの時ああすることを選んだのは、後悔してない。浩司にも、させないように頑張る」
「本当の結果は、まだ出てないさ」
「だから…」
「そのためにも、後で後悔しないためにも、多少の無理は必要ってことだろ?」
「違うの。無理してでもしなきゃならないことも、その時もあると思う。だけど、今はそうじゃない。元気でいなきゃ、無理も利かないし、しなくて済むなら…身体や心を痛めつけるような無理はしないでほしいの」
「館に戻るまでは、俺が倒れるわけにはいかないからな」
「いないと困るからじゃないよ。私にとっても…涼醒は大切なの。確かに、涼醒が一緒に来てくれてなかったら、浩司が回復するまで待つしかなかった。護りの発動は見送るしかなかったけど…」
「俺がいなけりゃ、浩司は倒れなかったかもな。あいつだって、希音だけじゃヴァイに降りられないって知ってたはずだ」
「知ってたならどうして…? 浩司は万一のことなんか起こさないって言ってたけど、シキたちが心配してたから?」
「いや…万一を考えてたとしても、意識があれば絶対に降りてただろうしな。ただ、俺がいることで、道が二つ出来たのさ。ひとつは、自分がヴァイに降りなけりゃ護りを探せないから、無理は出来ない。倒れる前に諦めて、ラシャの者にまかせるしかないが…それは避けたいことだった」
「涼醒がいるから…もし、自分がヴァイに降りれなくなったとしても、きっと護りを見つけて来るって信じたんだ」
「…手ぶらじゃ、会わす顔がないな。だけど、希音が思い出す前に倒れてたらどうする気だったんだよ」
「あの時、必ず見つかるってわかったから。希由香の記憶を思い出すのは、これが最後だって…」
「もうひとつ、浩司が選ばない三つ目の道もある」
二人の脳裏に、その道が浮かぶ。
『今回の発動は見送り、別の機に安全な状況で護りを探しに行くこと』
キノは瞬時に否定する。
「…私も選ばないよ」
「わかってるさ」
「じゃあ…今は精神を休めて、眠ってくれる? 涼醒のこと、大切なの」
「…希音がそう思ってくれるのは、嬉しいよ。でも、今はその意味を考えるな。もし万一の時は…おまえの一番大事なものを選んでくれ。何をしにここに来たのか、忘れるなよ」
異世界に住むキノと涼醒が、自分たちの未来を左右し得る使命を帯び、今ここにいる。それはヴァイに暮らすほとんどの人間にとって、認識するどころか、気づくことすらなく過ぎ去っていく現実なのだろう。
力の護りがラシャから持ち去られ、その護りを希由香が発動し、彼女の代わりに私がそれを探してる…。131年前、護りを手に無の空間に飛び来んだラシャの者には、そうする理由があった。希由香の浩司への思いがなければ、護りは今も発動されずにいたかもしれない。そして、希由香の記憶を思い出すことが出来なければ、私が今ここにいることはなかった…。
必然というものの不思議さを、キノは思わずにいられない。
もし、何かひとつでも起こらなかったら、誰かが違うことをしていたら、今と同じ状況はなかった…。護りをラシャに持ち帰るために、私は涼醒と二人でR市に向かってる。この今は、始めから決まっていたことじゃない。でも、これさえも…後から必然と思えるものになるの?
ひとつの出来事が、次を作る。それにかかわる者の誰が何を選ぶかによって、全く変わっていく未来。
怖い…自分のだけじゃなく、誰かほかの人の未来も変えてしまうかもしれないってことが…怖い。
キノは自覚する。
いつどこで、どういう資質を持って生まれるかや、天の意思としか言いようのない過酷な奇禍など、どうしようもなく変えようもない運命は、確かにある。けれども、その後に降りかかる幾多の運命からどの手を握るか、その選択は自らがしている。今の自分があるのは、常にその結果なのだと。
護りの力がなければ、世界は崩壊する。初めてその事実を聞いた時も、不安で怖くなったけど…ダメならダメで、それも必然だって考えた。でも、私わかっちゃった…その必然さえも、誰かが選んだ何かを引き金にして起こるんだってこと…。
キノは近い未来に思いを馳せる。
世界の行方より先に、浩司が何を発動するのかが不安になる。今までは、護りの発見が浩司と希由香を幸せにするって、何故か思い込んで来たけど…浩司のしたいことが何なのか、私にはわからない。今日護りを見つけて、明日ラシャに戻ったら、浩司が教えてくれる。だけど、それが何かを知る時には、もう遅いのかもしれない。もし…止めたいものだったとしても。二人の未来は、護りが間に合うかどうかで変わる。そして、浩司の祈りで…。
涼醒の寝顔をぼんやりと見つめながら、キノは自分の心にかかる靄の向こうを透かし見る。
いつか、私も…希由香が浩司を愛するみたいに、誰かを思うようになる…? 自分のために生きてるのと同じように、その人の幸せが自分を幸せにすると思えるくらいに、誰かを…。
窓の外を流れる木々の間から、遠い街並が姿を現し始める。
浩司を愛してると思う…でもこれは、私の気持ちなの? それとも、希由香の感情が私にそう感じさせてるだけなの…? 私自身の心は、二人の幸せを願ってる。そして、涼醒を大切だと思う…だけど、この思いは何だろう。今まで好きになった人に感じたことはない。なのに、この感覚を知ってるような…。
疾走を続ける列車が、徐々にその速度を緩める。
私が涼醒を大切だと感じるこの思いは、もしかしたら…涼醒が私を大切だと思ってくれる意味と同じものなのかもしれない。今は考えるなって言ったけど…。
車内に流れるアナウンスが、間もなくR市に到着する旨を伝える。
今は自分でつかみきれない思いでも…いつか、わかる時が来る。それまでは、心が感じるまま…。
「おはよう」
目を開けた涼醒に、キノが微笑んだ。
R駅に終着するまで残り1時間弱。キノは雪のない景色から視線を剥がし、隣で目を閉じて動かない涼醒を見つめた。
よく眠ってる。涼醒も、随分無理してたんだな…。ただでさえラシャは辛いところだって言ってたのに、浩司が倒れてから全然休みもしないで…こっちに来てからはずっと神経尖らせて…。
T駅発のエクスプレスに乗車してまず始めに涼醒がしたのは、キノを連れて車内をくまなく見て回ることだった。
「この中にリシールは乗ってない。ひとまずは安心だな」
「R駅に着くまで、少し寝た方がいいよ。いくら精神力があっても、このままじゃ涼醒も倒れちゃう」
「平気さ。浩司がいない分、最後まで気は抜けない。明日、ラシャに降りてからゆっくり休むよ」
「ここは安全なんでしょ? 館に帰るまで何があるかわからないんだから、今少しでも休んでおかないと…」
「俺のことより、希音こそ疲れてるだろ。着いたら起こすから、眠ってろよ。何も心配しなくていい」
「私は涼醒が心配なの。いくらリシールだって、何日も一睡もしないで平気なわけじゃないでしょ? 涼醒が休んでくれないなら、私も休まない」
「…そんなこと言うなよ」
「涼醒に無理させたくないの」
「俺は…ずっと適当に生きて来て、どうしてもやり通したいと思うことなんか、何もなかったよ。だけど今は、おまえを守るって決めたんだ」
「でも…」
「希音、おまえに何かあったら、俺は自分を許せなくなる。俺はまだガキだけど…大事なものを守れる強さくらいはあるって思わせてくれ」
「涼醒…」
「俺に、使い過ぎてやられるほどの力はない。突然倒れやしないさ」
「…浩司は後悔してると思う?」
「倒れちまって、今ここにいられなくなったことをか?」
「うん。でも…それは結果だよね。あの時、私は気づいてあげられなかった。でも、わかってたのに浩司が無理したのは…今そうしなきゃ、後でもっと後悔するって思ったんじゃないかって。今はそう思える」
「実際、護りの在処はわかったんだしな」
「私、どうしてもって頼んだのは自分のくせに…浩司が倒れたっていう結果だけ見て悔やんだの。でもやっぱり、あの時ああすることを選んだのは、後悔してない。浩司にも、させないように頑張る」
「本当の結果は、まだ出てないさ」
「だから…」
「そのためにも、後で後悔しないためにも、多少の無理は必要ってことだろ?」
「違うの。無理してでもしなきゃならないことも、その時もあると思う。だけど、今はそうじゃない。元気でいなきゃ、無理も利かないし、しなくて済むなら…身体や心を痛めつけるような無理はしないでほしいの」
「館に戻るまでは、俺が倒れるわけにはいかないからな」
「いないと困るからじゃないよ。私にとっても…涼醒は大切なの。確かに、涼醒が一緒に来てくれてなかったら、浩司が回復するまで待つしかなかった。護りの発動は見送るしかなかったけど…」
「俺がいなけりゃ、浩司は倒れなかったかもな。あいつだって、希音だけじゃヴァイに降りられないって知ってたはずだ」
「知ってたならどうして…? 浩司は万一のことなんか起こさないって言ってたけど、シキたちが心配してたから?」
「いや…万一を考えてたとしても、意識があれば絶対に降りてただろうしな。ただ、俺がいることで、道が二つ出来たのさ。ひとつは、自分がヴァイに降りなけりゃ護りを探せないから、無理は出来ない。倒れる前に諦めて、ラシャの者にまかせるしかないが…それは避けたいことだった」
「涼醒がいるから…もし、自分がヴァイに降りれなくなったとしても、きっと護りを見つけて来るって信じたんだ」
「…手ぶらじゃ、会わす顔がないな。だけど、希音が思い出す前に倒れてたらどうする気だったんだよ」
「あの時、必ず見つかるってわかったから。希由香の記憶を思い出すのは、これが最後だって…」
「もうひとつ、浩司が選ばない三つ目の道もある」
二人の脳裏に、その道が浮かぶ。
『今回の発動は見送り、別の機に安全な状況で護りを探しに行くこと』
キノは瞬時に否定する。
「…私も選ばないよ」
「わかってるさ」
「じゃあ…今は精神を休めて、眠ってくれる? 涼醒のこと、大切なの」
「…希音がそう思ってくれるのは、嬉しいよ。でも、今はその意味を考えるな。もし万一の時は…おまえの一番大事なものを選んでくれ。何をしにここに来たのか、忘れるなよ」
異世界に住むキノと涼醒が、自分たちの未来を左右し得る使命を帯び、今ここにいる。それはヴァイに暮らすほとんどの人間にとって、認識するどころか、気づくことすらなく過ぎ去っていく現実なのだろう。
力の護りがラシャから持ち去られ、その護りを希由香が発動し、彼女の代わりに私がそれを探してる…。131年前、護りを手に無の空間に飛び来んだラシャの者には、そうする理由があった。希由香の浩司への思いがなければ、護りは今も発動されずにいたかもしれない。そして、希由香の記憶を思い出すことが出来なければ、私が今ここにいることはなかった…。
必然というものの不思議さを、キノは思わずにいられない。
もし、何かひとつでも起こらなかったら、誰かが違うことをしていたら、今と同じ状況はなかった…。護りをラシャに持ち帰るために、私は涼醒と二人でR市に向かってる。この今は、始めから決まっていたことじゃない。でも、これさえも…後から必然と思えるものになるの?
ひとつの出来事が、次を作る。それにかかわる者の誰が何を選ぶかによって、全く変わっていく未来。
怖い…自分のだけじゃなく、誰かほかの人の未来も変えてしまうかもしれないってことが…怖い。
キノは自覚する。
いつどこで、どういう資質を持って生まれるかや、天の意思としか言いようのない過酷な奇禍など、どうしようもなく変えようもない運命は、確かにある。けれども、その後に降りかかる幾多の運命からどの手を握るか、その選択は自らがしている。今の自分があるのは、常にその結果なのだと。
護りの力がなければ、世界は崩壊する。初めてその事実を聞いた時も、不安で怖くなったけど…ダメならダメで、それも必然だって考えた。でも、私わかっちゃった…その必然さえも、誰かが選んだ何かを引き金にして起こるんだってこと…。
キノは近い未来に思いを馳せる。
世界の行方より先に、浩司が何を発動するのかが不安になる。今までは、護りの発見が浩司と希由香を幸せにするって、何故か思い込んで来たけど…浩司のしたいことが何なのか、私にはわからない。今日護りを見つけて、明日ラシャに戻ったら、浩司が教えてくれる。だけど、それが何かを知る時には、もう遅いのかもしれない。もし…止めたいものだったとしても。二人の未来は、護りが間に合うかどうかで変わる。そして、浩司の祈りで…。
涼醒の寝顔をぼんやりと見つめながら、キノは自分の心にかかる靄の向こうを透かし見る。
いつか、私も…希由香が浩司を愛するみたいに、誰かを思うようになる…? 自分のために生きてるのと同じように、その人の幸せが自分を幸せにすると思えるくらいに、誰かを…。
窓の外を流れる木々の間から、遠い街並が姿を現し始める。
浩司を愛してると思う…でもこれは、私の気持ちなの? それとも、希由香の感情が私にそう感じさせてるだけなの…? 私自身の心は、二人の幸せを願ってる。そして、涼醒を大切だと思う…だけど、この思いは何だろう。今まで好きになった人に感じたことはない。なのに、この感覚を知ってるような…。
疾走を続ける列車が、徐々にその速度を緩める。
私が涼醒を大切だと感じるこの思いは、もしかしたら…涼醒が私を大切だと思ってくれる意味と同じものなのかもしれない。今は考えるなって言ったけど…。
車内に流れるアナウンスが、間もなくR市に到着する旨を伝える。
今は自分でつかみきれない思いでも…いつか、わかる時が来る。それまでは、心が感じるまま…。
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