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第6章 ラシャ(Lusha)
最後の記憶 -3
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「希音! しっかりしろ!」
涼醒の声が聞こえた。キノはうっすらと目を開ける。
「大丈夫か!? 無理するなよ」
「涼醒…浩司は? 記憶に戻してもらわなくちゃ…」
黄と紫の閃光が奔るキノの視界の中で、涼醒が眉を寄せる。
「何言ってるんだ。休んでからでなけりゃ…」
「浩司、聞いてるんでしょ? 前みたいに止めないで…大丈夫だから。今は少し、希由香の心に近づき過ぎちゃって…。今度は気をつけるから…お願い、もう一度戻して…」
「…どうしてもか?」
優しい声で、浩司が言った。
「今じゃなきゃ、思い出せないような気がするの。時間はまだあるのに…どうしてかわからないけど、今じゃないと…そう感じるの。すればよかったっていう後悔だけはしたくない。だから…」
虚ろなキノの瞳に浩司が映る。その瞳の奥にいつもの闇を湛え、キノをじっと見つめている。
「わかった」
「…ありがとう」
キノは微笑んで目を閉じた。目を見開いた涼醒の視線が、浩司とキノの間を行き交う。
「二人とも…どうかしちまったのか!? 何のためにそこまでやるんだよ」
「涼醒、静かにしろ」
「世界のためなんかじゃないよな。希音、そんなにこいつのためになりたいのかよ。記憶だけじゃなくて、おまえ自身もこの男に惚れてるのか? 浩司、あんたもあんただ。自分の女のために希音を…」
「おまえは黙ってろ!」
浩司の怒声に、部屋の空気が一瞬にして麻痺したかのような静寂に包まれる。
目を開けたキノは、浩司と涼醒が睨み合ったまま動かずにいるのを見つめた。
「いいか、涼醒。俺もキノも、何かのため誰かのために無理をするんじゃない。自分自身のためにだ」
浩司の静かな声が、蒼い室内に響く。
「守りたいなら、身体を張るだけじゃなく、心を大事にしてやれ。本気でやろうとしてることを止めたりするな」
「涼醒…」
弾かれたように、涼醒がキノを見る。
「私…護りを見つけるのが自分の使命だって言われた時、誰が決めたの?って思ったの。だけど…今ならわかる。ほかの誰でもなく、私よ。必然も、どうにもならないこともあるけど…道がひとつしかなかったとしても、その先に行くって決めたのは私だって…わかって」
涼醒を見つめるキノの瞳は、時折揺れながらもその強さを失うことはない。
「俺もキノも、運命にただ従っているんじゃない。自分の意思で選んでる。それに、おまえはどうなんだ。頭が割れそうに痛むのを知っててここに来たのは、キノのためだけか? キノに来るなと言われてたら、大人しくイエルで待ってたのか?」
「俺は…希音を無事に連れて帰りたいんだ。ラシャから、このいろんな状況から、希音を守ってやりたい…何をしてでも。それは…俺自身のためだ」
涼醒の視線が浩司へと向けられる。
「俺が希音にしてやれることがひとつでもあるなら…誰がどう言おうと、自分の意思でそばにいるよ」
「…なら、わかるな。黙って見てろ。命を賭けてるわけじゃない。ぶっ倒れるくらいで血相変えるな」
一旦伏せた目を上げ、涼醒は真直ぐに浩司の瞳を見て小さくうなずいた。
「あんたの言ったこと…肝に銘じとくよ。ちゃんと心も守ってやれるように…。イエルに戻る時、俺は希音に笑ってて欲しいからさ」
浩司の顔から険しさが消える。
「頼りにしよう」
「…守るって、どうして? まだ何か隠してることでもあるの?」
二人のやり取りを聞いていたキノが、ためらいがちに口を開く。
浩司と涼醒は一瞬当惑し、微かな目配せを交わす。
「護りを見つければ、ラシャは私に何もしないんでしょ? 浩司…もう希由香を悲しませることはないって言ったじゃない。これ以上…私が心を痛めることなんか起きないよね? そうでしょ?」
「…そうだ。だから、安心しろ」
浩司が微笑みを浮かべる。
「涼醒…? 私を心配してくれるのは、何か知ってるからなの?」
キノの瞳は真実を切望している。けれども、今はまだ自分にさえつかみ切れていないそれと、自分自身のことではない事実を、涼醒が伝えるべき時ではない。
「希音…」
深呼吸をした涼醒が、真剣な瞳でキノを見つめる。
「俺がおまえを守りたいのは…おまえが大事だと思うからだ。俺は、おまえに、自分で納得のいくことをして欲しい。それが出来るように助けたいんだ…。今、希音が俺をどう思ってようとかまわない。ただ…そばにいて、守らせてくれ」
「それは…」
私が選ばなきゃならない運命が、この先にもまだあるってこと…?
涼醒の言葉は、キノの疑問を打ち消すものではなかった。けれども、キノは自分に向けられるその瞳に彼の真実を見る。今は、それで充分だった。
口にしかけた言葉を胸にしまい、キノが微笑む。
「ありがとう、涼醒」
涼醒は何も言わずキノに笑みを返し、浩司を見る。
「邪魔して悪かった。続けてくれ」
目を閉じるキノの額に近づけた指を止め、浩司が振り返った。少し離れたところで二人を見守る涼醒に向かい、声をひそめる。
「涼醒、おまえが持ってろ」
「これ…」
自分へと差し出された浩司の手にある指輪を見つめ、涼醒がつぶやく。
「ラシャの指輪だろ? 持ってたって、俺には使えない」
「この部屋の扉くらい開けられるはずだ。何かあったら…シキを呼べ」
「何かって何だよ?」
とまどいながら指輪を受け取る手の平に浩司の手が触れた途端、涼醒の表情が強張った。
「浩司…あんた、そんな状態で…」
「わかったな」
涼醒の言葉をさえぎり、浩司は再びキノの前に手を翳す。
「浩司? どうしたの?」
「何でもない…。始めよう」
心配するキノの目が開かれる前に、その意識を過去の希由香の元へと運ぶべく、浩司の指が動いた。
涼醒の声が聞こえた。キノはうっすらと目を開ける。
「大丈夫か!? 無理するなよ」
「涼醒…浩司は? 記憶に戻してもらわなくちゃ…」
黄と紫の閃光が奔るキノの視界の中で、涼醒が眉を寄せる。
「何言ってるんだ。休んでからでなけりゃ…」
「浩司、聞いてるんでしょ? 前みたいに止めないで…大丈夫だから。今は少し、希由香の心に近づき過ぎちゃって…。今度は気をつけるから…お願い、もう一度戻して…」
「…どうしてもか?」
優しい声で、浩司が言った。
「今じゃなきゃ、思い出せないような気がするの。時間はまだあるのに…どうしてかわからないけど、今じゃないと…そう感じるの。すればよかったっていう後悔だけはしたくない。だから…」
虚ろなキノの瞳に浩司が映る。その瞳の奥にいつもの闇を湛え、キノをじっと見つめている。
「わかった」
「…ありがとう」
キノは微笑んで目を閉じた。目を見開いた涼醒の視線が、浩司とキノの間を行き交う。
「二人とも…どうかしちまったのか!? 何のためにそこまでやるんだよ」
「涼醒、静かにしろ」
「世界のためなんかじゃないよな。希音、そんなにこいつのためになりたいのかよ。記憶だけじゃなくて、おまえ自身もこの男に惚れてるのか? 浩司、あんたもあんただ。自分の女のために希音を…」
「おまえは黙ってろ!」
浩司の怒声に、部屋の空気が一瞬にして麻痺したかのような静寂に包まれる。
目を開けたキノは、浩司と涼醒が睨み合ったまま動かずにいるのを見つめた。
「いいか、涼醒。俺もキノも、何かのため誰かのために無理をするんじゃない。自分自身のためにだ」
浩司の静かな声が、蒼い室内に響く。
「守りたいなら、身体を張るだけじゃなく、心を大事にしてやれ。本気でやろうとしてることを止めたりするな」
「涼醒…」
弾かれたように、涼醒がキノを見る。
「私…護りを見つけるのが自分の使命だって言われた時、誰が決めたの?って思ったの。だけど…今ならわかる。ほかの誰でもなく、私よ。必然も、どうにもならないこともあるけど…道がひとつしかなかったとしても、その先に行くって決めたのは私だって…わかって」
涼醒を見つめるキノの瞳は、時折揺れながらもその強さを失うことはない。
「俺もキノも、運命にただ従っているんじゃない。自分の意思で選んでる。それに、おまえはどうなんだ。頭が割れそうに痛むのを知っててここに来たのは、キノのためだけか? キノに来るなと言われてたら、大人しくイエルで待ってたのか?」
「俺は…希音を無事に連れて帰りたいんだ。ラシャから、このいろんな状況から、希音を守ってやりたい…何をしてでも。それは…俺自身のためだ」
涼醒の視線が浩司へと向けられる。
「俺が希音にしてやれることがひとつでもあるなら…誰がどう言おうと、自分の意思でそばにいるよ」
「…なら、わかるな。黙って見てろ。命を賭けてるわけじゃない。ぶっ倒れるくらいで血相変えるな」
一旦伏せた目を上げ、涼醒は真直ぐに浩司の瞳を見て小さくうなずいた。
「あんたの言ったこと…肝に銘じとくよ。ちゃんと心も守ってやれるように…。イエルに戻る時、俺は希音に笑ってて欲しいからさ」
浩司の顔から険しさが消える。
「頼りにしよう」
「…守るって、どうして? まだ何か隠してることでもあるの?」
二人のやり取りを聞いていたキノが、ためらいがちに口を開く。
浩司と涼醒は一瞬当惑し、微かな目配せを交わす。
「護りを見つければ、ラシャは私に何もしないんでしょ? 浩司…もう希由香を悲しませることはないって言ったじゃない。これ以上…私が心を痛めることなんか起きないよね? そうでしょ?」
「…そうだ。だから、安心しろ」
浩司が微笑みを浮かべる。
「涼醒…? 私を心配してくれるのは、何か知ってるからなの?」
キノの瞳は真実を切望している。けれども、今はまだ自分にさえつかみ切れていないそれと、自分自身のことではない事実を、涼醒が伝えるべき時ではない。
「希音…」
深呼吸をした涼醒が、真剣な瞳でキノを見つめる。
「俺がおまえを守りたいのは…おまえが大事だと思うからだ。俺は、おまえに、自分で納得のいくことをして欲しい。それが出来るように助けたいんだ…。今、希音が俺をどう思ってようとかまわない。ただ…そばにいて、守らせてくれ」
「それは…」
私が選ばなきゃならない運命が、この先にもまだあるってこと…?
涼醒の言葉は、キノの疑問を打ち消すものではなかった。けれども、キノは自分に向けられるその瞳に彼の真実を見る。今は、それで充分だった。
口にしかけた言葉を胸にしまい、キノが微笑む。
「ありがとう、涼醒」
涼醒は何も言わずキノに笑みを返し、浩司を見る。
「邪魔して悪かった。続けてくれ」
目を閉じるキノの額に近づけた指を止め、浩司が振り返った。少し離れたところで二人を見守る涼醒に向かい、声をひそめる。
「涼醒、おまえが持ってろ」
「これ…」
自分へと差し出された浩司の手にある指輪を見つめ、涼醒がつぶやく。
「ラシャの指輪だろ? 持ってたって、俺には使えない」
「この部屋の扉くらい開けられるはずだ。何かあったら…シキを呼べ」
「何かって何だよ?」
とまどいながら指輪を受け取る手の平に浩司の手が触れた途端、涼醒の表情が強張った。
「浩司…あんた、そんな状態で…」
「わかったな」
涼醒の言葉をさえぎり、浩司は再びキノの前に手を翳す。
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