怪の轍

馬骨

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九踏

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自分はどこかの海の水面に座しているようだった。

穏やかに揺れる羽衣のような波が、西に傾いた太陽の金糸雀色を受けてきらきらと輝いている。
細かに立つ波がその光を絶えず反射するものだから、玉のような光が波のあちらこちらに浮び上がる。

自分は所々流木が浮かぶ海水に握りこぶしほど浸かりながら片膝を立てて座り、何をするでもなく浮かんでは消える玉共をぼぉっと眺めているのである。

そうしていると、彼方から潮の匂いが吹きつけてきた。
かと思うと、途端に自分の腰まであった海水が足元まで減っていき、みるみる内に水平線の向こうまで後進してしまった。
潮の一切が引いて、砂浜の明るい灰みの黄が顕になる。

ふと、自分の他にも同じように海を見ている者がいるのに気が付いた。
と、言うより気づいたら横に居たのである。
何だか厭な心持ちがした。
立ち上がって其方を見ずに帰ってしまおうかとも思うのだけれども、なぜだか体が動こうとしない。
まんじりともせずその場を動けないでいると、ふと、一声かかった。

『なぁ』

声色は男のそれだった。
が、確かに耳で聞いたはずのその声は自分の腹の中で重苦しく響いた。
そんな男の声が、続けてこう言った。

『人生って、辛くないか。』

この時自分は初めて其方を向いた。

白いスーツに、白いズボン。白い革靴に身を包んだ男は服の上からでもわかるほど痩せ細った体をしていた。
そんな男がこちらに顔を向けているのだが、その顔がどうもおかしい。
顔一面が丁度クレヨンで真っ黒に塗りつぶしたような色なのである。

『人生って、辛くないか。』

彼はもう一度そう繰り返した。

『いいえ、辛くないです。』
自分は毅然とこう言い返した。
何故かはぐらかしては行けない気がした。

『そうか』
男がそう呟くと、先程までしていた潮の匂いが一層濃くなった。

途端に隣からなにかが羽ばたくような音がしたかと思うと、4羽ほどのカラスが男がいたはずの場所から西の方へと飛び去っていった。

男がいた場所には、もう何も残っていなかった。

後日、近場の海岸で男性の土左衛門が上がったとの話を小耳に挟んだ。

潮の匂いが脳裏に過り、嫌な想像をした。

『まさかね』
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