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7 裕介、ジェイドに叱られる

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 部屋の扉を蹴り開けるなり、ジェイドは裕介をベッドに放り出した。
 乱暴な仕草とは裏腹に、彼はテキパキと裕介の身体を検分する。

「頬以外に痛むところはないか?」
「だいじょうぶです」

 ベッドのそばに跪いたジェイドは、裕介の頬に濡れた布をあてがう。
 痺れているものの、見た目ほどひどい怪我ではない。

(何も聞いてこないな……怒ってないのか……?)

 騎士団員たちへの非情な態度から一転、穏やかな彼が逆に恐ろしい。
 言いようのない不安に、飲み込まれそうになった矢先――。

 「では、どういうことか、説明してもらおうか」

 灰色の瞳で冷たく睨みつけられた。

(ですよね……)

 肩に羽織った軍服を掻き寄せ、裕介は後退りする。
 自室に馴染んだ花の香りにすら、責められている気がした。

 何か言わなければ。
 焦れば焦るほど、言葉は出てこない。
 
「……説明も何も、ジェイドさんに相談された件について調べようと、資料庫に行っただけですよ」 

 やっとのことで言葉を絞り出す。
 ジェイドは鋭いまなざしのまま、腕を組んだ。明らかに納得していない。

「なぜ一人で行動した?」
「一人じゃありません。ヨシュアさんに同行をお願いしました……あっ! 彼の容態は?」

 裕介を襲った三人組は、ヨシュアを背後から襲うと、植え込みに隠したという。
 罪悪感に押しつぶされそうになる。
 唇を噛み締める裕介に、ジェイドは淡々と告げた。
 
「無傷だ。気を失っているが、命に別状はない」

 肩から一気に力が抜ける。
 自分のわがままで、彼が怪我をせずに済んで本当に。

「よかった……」
「良くはない」

 ピシャリと言い切られ、裕介は口ごもる。

「奴の任務は貴殿を部屋の前で守ることだ。貴殿に従えとは命じていない」
「ぐ……」
「無傷とはいえ、しばらくの間、ヨシュアに貴殿の護衛は任せられない。重大な損失だ……誰がこのような事態を引き起こしたと思う?」

 ジェイドは容赦なく、裕介を追い詰めていく。

(はい、俺が百パーセント悪いです……)

 裕介はベッドの上で正座し、頭を下げた。 

「……勝手に行動してすみませんでした」

 恐る恐る顔を上げると、ジェイドは片膝立ちのまま片手を額に当て、何やら考え込んでいる。
 額にかかる銀髪をかき上げ、ジェイドは言った。

「元はと言えば俺が持ちかけた話だ……なぜ俺に声をかけなかった?」

 苦しげな声音に、裕介は口を噤んだ。
 ジェイドに愚痴を聞かされ浮かれた挙げ句、己だけで解決しようと意気込んだ、なんて。

(そんなガキっぽい動機、絶対、言えない)

 冷静になればなるほど、我が身の幼稚さに、穴があったら入りたくなる。
 なんとか誤魔化そうと額に脂汗を滲ませ、眼鏡のブリッジを意味もなく押し上げた。
 すると、

「……俺はそんなに頼りないのか」

 なぜかジェイドのほうが苦々しい表情をしている。

「え? そんなことは……」
「頼る以前に、俺の存在を忘れていたか」
「違う!」

 ジェイドには肉体的にも精神的にも頼りすぎている。そう、見限られるのが怖いくらいに。
 人生三十八年で培った常識が通用しない異世界で、何とか正気を保っていられるのは、彼がそばにいてくれたおかげだ。

「ジェイドさんには感謝しきれません。……頼りすぎるのが情けなくて、ちょっとでも役に立ちたいって焦った結果が、このザマです……いい年したおっさんが何やってんだろうな」

 ふいに目頭が熱くなった。
 年下の青年に年長者として、マウントを取りたかった。
 媚を売って注意を引きたかった。

 どちらにしても、恥ずかしいことに変わりはない。

 裕介は膝を抱えた。俯くとシーツに涙がぽたり、ぽたりと、こぼれ落ちる。
 堪えようとすればするほど、涙は後から後から溢れた。中年男が泣き顔を晒している姿はさぞ、滑稽であろう。
 
(これ以上、ジェイドを困らせてどうする。とまれ、とまれ!)

 必死に涙を止めようと瞼をギュッと閉じた。

 ふいに首筋に柔らかな感触がして、裕介はびくりと肩を跳ね上げる。
 ジェイドの指先が、何度もうなじをなぞった。それも、ある一点を執拗に擦り続ける。

「噛まれたのか?」
「え」
「お前を襲ったゲス野郎に、噛まれたのか?」

 襲われたときの記憶が蘇る。番になる際、αアルファΩオメガの首を噛むのだと思い至り、裕介は血の気が引いた。

(えっと、じゃあ俺は襲ってきた奴と番になっちゃったってこと……?)

「安心しろ。貴殿とあの男との間につがい契約は成立していない」
「マジで……?」

 声を震わせる裕介に、ジェイドは力強く頷く。

発情期ヒートでなければ、首を噛まれたとしても、問題はない」

 誠実な光を放つ灰色の瞳に、裕介は脱力した。

(そういえばそうだったな。いつでも番になれるんじゃなかったんだった。は――、心臓止まるかと思ったわ)
 
 気持ちが軽くなった裕介だったが、ジェイドから「つまり貴殿は奴に首を噛まれたと認めるのだな」と冷たく問われ、「あ」と、時が止まる。
 番になった可能性に怯えていたのだ。
 言い逃れはできない。
 
「あ――、えっと……」

 悪あがきに裕介は、視線を天井に彷徨わせる。
 すると、ジェイドが裕介の首筋に顔を埋めた。

「え、ちょ、な、何して……痛っ」

 チョーカーもろとも食いちぎろうとする勢いで、ジェイドは首筋に残る歯型に、何度も何度も噛みついた。

「ちょっ、ジェイド、さん!」

 甘い蜜が湧き出ているかのように、ジェイドは裕介のうなじに舌を這わせ、舐めては噛むを繰り返す。

(くすぐったくて……気持ちがいい……)

 はぁ、とジェイドの掠れた息遣いが、鼓膜をくすぐる。
 ぞくりと背筋が震えた。下腹部が甘く疼き、股間に血が集まる。
 身に覚えのある生理現象に続き、尻の奥がむずむずした。

「う、あ……」

 思わずジェイドの腕にすがりつく。
 視界がぼんやりと揺らめいた。

「……気持ちよさそうだな。先程も、そのような顔をしていたのか?」
「して、ない」
「どうだか……」

 ジェイドは裕介の下半身を覆うシーツを乱暴に取り払った。
 慌ててズボンの前立てを両手で隠そうとするも、手のひらでは隠しきれないほど股間は膨らんでいる。
 その痴態に、ジェイドは目を細めた。

「貴殿は疑いようのない【災厄】だ」
「……っ」

 甘い雰囲気が霧散し、裕介は我に返る。
 殺されそうになったときですら、ジェイドは裕介をうとんじなかった。
 それなのに今は、軽蔑のまなざしを向けてくる。

 襲われたとき、恐怖を感じこそすれ、興奮することなどあり得なかった。
 ジェイドだから、身体が反応してしまったのだ。
 そう告げれば、彼は機嫌を直してくれるだろうか。
 
 (いや、ますます嫌がられるよな)

 彼はαアルファに尻尾を振るΩオメガを毛嫌いしている。
 言葉を探せば探すほど、最悪の展開しか思いつかない。

「……とにかく、しばらくこの部屋から出ることを禁じる」

 ジェイドはサイドテーブルに指輪を置いて、振り返ることなく部屋を後にした。

 裕介は指輪を手のひらで転がし、ギュッと握りしめる。そのままベッドに倒れ込み、指輪を握り込んだこぶしを額に当てた。
 首筋にはジェイドの柔らかい唇の感触が残っている。
 ドク、ドク、ドク、ドク、と心臓がうるさい。

 彼と不仲のままでは、今後の生活に支障がある。
 否、彼と喧嘩したままでは裕介が個人的に嫌なのだ。

(なんとかして仲直りしないと……)

 ジェイドと会話する糸口を掴めないか、指輪を天井にかざし、考え込む。
 
 指輪にはΩオメガのフェロモンを抑える効果があるはずだが、騎士団員達には効かなかった。

(もしかして、フェロモンを抑える効果なんてないんじゃないか?)
 
 現に、αアルファに襲われたのだ。加えて指輪のせいで、ジェイドの番だと誤解され、ますますこじれる羽目になった。
 ジェイドは騎士団内で目立っている。
 団員たちを監督する立場にあって、注目されていることに気づかないわけがない。

 皆が皆、彼に従順ではなく、妬まれることもあるわけで。

 お揃いの指輪をつけていれば、自身への嫌がらせに裕介が狙われる可能性は予測できたはずだ。

(そこまでして俺を自分のものだってアピールしたかった……わけないか。俺を守るのは義務感……いや、正義感でって気がするし。じゃあ、やっぱり俺のフェロモンが指輪では抑えきれないほど、強いのか……)

 彼にとって、Ωオメガは脆弱で庇護しなければならない存在だ。
 【災厄のΩオメガ】であろうと、扱いは変わらない。
 しかし、目の前で守るべき対象がαアルファを見境なくたぶらかしていても、同じことが言えるだろうか。

(尻軽だって思われてもしょうがないよな)

 実際はジェイド以外の男に触れられることを想像するだけで、鳥肌が立つ。それはそれでどうなんだと思わないでもないが、事実なのでしょうがないかと、一旦棚に上げておく。

 ジェイドが特別なんだと伝える。

 そうすれば、誰にでも手を出す浮気野郎の汚名は拭えそうだ。
 あとはそれを伝える方法だが。

(今の俺にできることっていったら……あれしかないか)

 妙案を思いついたが、どうやって実現させればいいのか。裕介はベッドのうえであぐらを掻き、頭をひねるのだった。
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